132 空虚四年目9:草上の昼食と家族
「ちょっと、何これ。香草の味が利いてて、癖になるじゃないの。飲んべえ向きの黒ぱん?」
「……漬物のやわらかいのが合います」
本日の草上の昼食は、フィングラスを出がけに購入した色々である。
「朝市に出くわしたの、運が良かったよねえ。こんなに美味しいのに、安く買えちゃった」
「……と言うか、朝食別料金の宿がえぐいです」
「そうそう、確かに。田舎の物価は安いとか言うけど、あれけっこう嘘よ? たまにしか来ない客から絞るってんで、割高なとこ多いよ。堅実な我々としては、地元民が普段使いをしている店を狙わないとね」
今回の旅の財布はランダル担当であるが、その仁義なき防衛戦線にはゲーツも積極的に参戦している。マグ・イーレで長年暮らすと、自然こうなるのだ。
「君らも本当にご苦労さん」
市場で農家から買った人参束と、しわしわになった貯蔵林檎を、ランダルは馬たちに与えている。
「ぶち子や、お前は本当に利口だね。しかし苦労をかけるね」
特に灰色ぶちの雌馬にかける言葉は優しかった。人間の耳には聞き取りにくいランダルのぼそぼそ調も、恐らく彼女には心地よい音なのであろう。よくなついている。
「そう言えば、君も育ちはこの辺なんだっけ? 実家は?」
自分のことを聞かれて、ゲーツは返答に詰まる。
「……わからないんです」
「は?」
十一の時に家を飛び出して、フィングラス近郊の大きな農家で傭兵見習になった。以降、全く帰っていないのである。そもそも、どの道をどう来てフィングラスにたどり着いたのか全く憶えていない。うちの住所がわからないのだ、本当に。
「何それ、でもご家族は?」
「……山の中の山羊小屋で、一緒に暮らしていたのは祖母一人です」
父と母と兄二人は、ずっと下った所に家を持っていた。ある日、山羊追いを終えて小屋に帰ると、寝台の中で祖母が眠ったまま動かなくなっていたのだ。
「……両親たちとの交流はありましたが、なぜか冷酷な人達でした。自分にもしものことがあったら、彼らを頼らず外へ出ろと、祖母には言われていて……」
実際、彼らとの同居には耐えられなかった。山羊たちを置いていくのは悲しかったけれど、ゲーツ少年は山羊追い杖一本を手に、家を出たのである。
「何か、すごく複雑な事情があったんですね」
「……はい。祖母はその辺あまり教えてくれなかったので、自分にはわからないのですが」
大人になって何となく推察できるのは、“両親”と“兄たち”と言うのはたぶん赤の他人であったのだろう、ということだ。
何らかの事情があってティルムンからイリー地域へ移って来た一団体、しかし実際に自分と血縁があったのは祖母だけだったのだと感じる。
「そうか。でも今の君の家はマグ・イーレで、自分で作った家族もあるのだしね、気に病むことはないよ。無理に在所を探していく必要もないと思う」
「……はい」
本当にその通りだった。にしても自分の息子と娘とを、やはり父親として共有しているランダルは不思議な存在である。
――そのつながりで行くと、ロイちゃんゾイ君が大父さまと慕うこの人も、俺の家族ってことになるのかなあ?
「そうだ、家族って言えば、双子ちゃんのことなんだけど……」
革袋の水を飲みながら、ランダルが気付いたように言う。
「だいぶ、長い事座ってごはんを食べられるようになったからね。そろそろ皆のところに連れて行って食べさしてもいいんじゃないかって、ミーガンが言うんだ。君、どう思う?」
「……皆?」
離れのランダル達をのぞくマグ・イーレ王室の面々は、城地上階の食堂で傭兵達とともに昼食夕食をとっている。今でこそ給仕はしなくなったが、ニアヴもグラーニャもその中に入って食べる、昼休憩に帰らない騎士連も多く紛れ込んで、“皆が近くなる”場となっている。
「初めは慣れないでしょうから、ちょっとずつね。私とミーガンももちろん付き添って行くんだけど、君と御方も居合わせたら手伝ってよね。どうしても、まわりを汚しちゃうからさ」
何だか照れくさそうな王である、 ……そうかッ。
「もちろんです」
ランダルは“復帰”しようとしているのだ。国政にと言うよりは恐らく、マグ・イーレ王室の中に、“家族”の中に。
一番引っかかっているのは、正妃ニアヴとの間にある凍れる空気なのだろう。
しかし、今あきらかにゲーツは、ランダルの味方になりたいと思っていた。




