130 空虚四年目7:黒羽の王統
遠い遠い昔、文明発祥の地ティルムンで、大きな断罪があった。
大多数の人々が市の外、“白き沙漠”に追放され、そこで乾き死ぬことを命じられたのである。
だがその中で二人の女性、アイリースとエイリィが立ち上がり、呼びかけ、励ました。彼女らに率いられて、人々は歩き出した。
やがて沙漠の中で、一団は“女神”に出会う。
はじめ、黒羽を持ったその女神は人々を悪人とみなし、殺そうとする。
しかし初めに立ち上がった二人の女性の訴えを聞いて、女神は考えを改め、人々を守る事にした。
女神の力で一団は生きて沙漠を越え、山脈を越えて、アイレー大陸の南側、海を臨む緑の地にたどり着いたのである。
「一番最初に彼らが作った市は、今は失われてありません。その次に移ったのがデリアドです。ここから海岸伝いに、始祖たちは次々と拠点を作って、定住していきました」
そうして約三百年前にテルポシエの市ができた時、とうとう黒羽の女神は力尽きたと言う。
「神様なのに死ぬのかい、とも思うけど、やはりお疲れだったのはどうしようもなかったんでしょう。
黒羽の女神はそこで大地に還り、始祖達もそこまでが自分たちの住むべき地という意識で、以東の進出はありませんでした。
人々を導いた二人の女性、アイリースとエイリィにちなんで、我々は“イリー人”と名のっています。どっちの名前からどう抜き取って名付けたのかは、不明だけど」
ここまで聞いて、ゲーツはなるほどと思う。
「……だからどこの国でも、黒羽の女神を崇めているんですね」
個々の国ではなく、イリー人全体の守護神という位置なのだろう。
「そうだね、うちみたいに国章に取り入れているところも多いし。君も、ほうぼうの町で像を見たでしょう?」
「……はい」
マグ・イーレに来る前に渡り歩いた諸都市では、要所要所に女神像が置かれていた。
「また、黒羽の女神は各国の王室とも、強いつながりがあります。と言うのも、イリー系の王族は、おしなべて女神の子孫であるとされているんですね」
アイリースとエイリィに率いられた人々は、“ティルムンの罪人”、子どもができない人々だったと言う。しかし女神は自らの命を分け与えることで女たちを孕ませ、次々に彼らに子どもを授けていった。
「この辺はどういうことなのか、神話伝説にありがちなうやむやさと言うかね、どこの国の版を聞いてもはっきりしないんです。あれですよ、神聖性で自分たちの血統に箔をつけて、特権を維持しようとする王族貴族のあとから創作かも」
自分自身その箔に依って王様をやっているはずなのに、軽く皮肉っぽい調子でランダルは言った。
「ただ現在においても、その黒羽の女神の子孫の血統、すなわち“黒羽の王統”が重要視されているのは事実です。
三百年のうちにイリー人は殖えました。東部の人達と交流し、そこで少し血が混じっていって、髪や目や肌の色も、色々様々になりました。
しかし黒羽の女神の子孫を名乗る王族や高貴族は、そういった交わりを極力避ける。同族間での婚姻が強く望まれる。特にテルポシエはそれが一層強い、貴族の人は皆きんきら白金髪に、翠色の目をしているでしょう?」
グラーニャの姿である。ゲーツはうなづいた。
ランダルの髪はもうずいぶん白いものが混じっているが、栗色の巻き毛である。ニアヴにそっくりなオーレイの髪は、ふかふか明るい鳶色だ。マグ・イーレの騎士たちも皆そんなものであるが、今まで見て来たテルポシエ人はだいたい金髪だったし、その中でも貴族たちは全て白金髪であった。
「そういう見かけでわかる部分もあるけど、王族の血をひかない者が王座に就くことは、厳しく禁じられています」
各国共通のイリー政法にも、きっちり明記されている。
そこでふと、ランダルは押し黙った。無言のままじいっと見つめられて、ゲーツはおやっと思う。
「……ここからが、君にとっての核心かな」
じっ、と音をたてて卓子の上の蜜蝋燭がひとつ、消えた。
新しいのを取って別の燭から火を移し、立てながらランダルは溜息をつく。
「君が、秘密を守れる男だということはよく知っています。ただ、これから話す部分は他の誰も知らないし、重大性についても桁外れの秘密です。御方ニアヴにも、ウセル達にも話していません。君は御方グラーニャを守るために、この秘密を背負うことができますか?」
「はい」
――あったり前だ、グランのためなら俺は何だってするのだぞ。
「よろしい。……良く聞いてね」
こほん、ランダルは小さく咳をした。
「御方周辺の、テルポシエ王室の家系図は頭に入っているでしょう? 今もエノ軍の中で、名目上の女王として頑張っているらしいエリン姫、その兄が前王ウルリヒです。この二人の母親が前々代の女王ディアドレイ、御方グラーニャの姉君ですね」
ゲーツはうなづいた。
「……その、ディアドレイ女王なのですが。彼女が黒羽の王統を継いでいなかったと仮定したら、どうなりますか?」
――? どうって……。
「さっき言ったように、王族の血をひかない者が王座に就くことは、イリー政法で禁じられています。もしディアドレイに女王の資格がなかったのなら、以降の子ども達にも同様のことが言えます」
「……先生、それはつまり」
少し焦った声が出てしまった。
――って仮定、仮定の話なんだよね?
「そうです。御方グラーニャこそが、テルポシエ女王の資格を持つ唯一の存在となるわけです」
「……仮定なんですよね?」
「とか言いましたけど、本当の話でした」
ゲーツは内心ですら、何も言えなくなった。




