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海の挽歌  作者: 門戸
空虚四年目 ランダル王と傭兵ゲーツの珍道中
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127 空虚四年目4:フィングラス入市

 隣に寝ているのがグラーニャでなくランダルだなんて悪夢でしかなかったのだが、案外ゲーツはすんなり入眠できた。と言うより、眠りに逃避したのかもしれない。


 耳栓は辞退した。そこはさすがに護衛なのだから、不審な物音に瞬時に対応できなければ困る。


 そしてランダルはまったく静かだった。隣の酒商も早じまいらしく、夜更け前にはリアーの町全体が、闇にくるまれて眠ってしまったようだった。



 ……かりかりかり、すた、すたたたた。


 ごくごくひそやかな連続音を感知して、ゲーツはふと目覚める。朝の訪れにはほど遠い、曙光がほんのちょっと生まれたくらいの時刻だろうか。隣の寝台が抜け殻になっている。


 音もなくゆらりと上体を起こす、続きになった小さな手洗い場の扉がうすく開いて、蜜蝋みつろうの光が漏れていた。


 洗面台のごくわずかな面に屈みこんで、ランダルが何かを書いているらしい。


 ゲーツは音を立てず、再び横になった。寝直すのは苦にならない、ぐう。




・ ・ ・ ・ ・




「私、最近朝が早くなっちゃってさあ。書き物してたんだけど、うるさくなかった?」


「……いえ、大丈夫です」



 朝食をもらいに階下へ降りてゆく、狭い食堂に泊り客がひしめいていた。



「お粥もらいましょう」



 配膳役の中年女性は客に取り合わない、補給専門のようである。


 巨大な両手鍋になみなみ入った麦の粥、何だかもう仕方がない。おたまを手に取る。



「……先生、お取りします」


「……ちょっとッッ……」



 ランダルがぼそっと言って、ゲーツの腕に触れた。



「臭わない……?」



 はっとして湯気を吸いこんだ、……本当だ。ごくわずかにだが異臭がする。何かがえて傷んだような、あきらかに“警告”ととれるにおいである。ゲーツは静かにおたまを戻した。



「……お白湯とぱんを、いただきましょうかね……」


「……はい」



 無料朝食は選択肢も少ない、しかし粥以外の食べ物からは不審な臭いはしなかった。


 角の卓子に陣取って、もそもそ食べる。



「他の皆さんは、何ともなしに食べてますね……?」


「……はい」



 不思議だ、周囲の客は皆平気な顔で粥をすすっている。



「ゴーツ君、これはもしかして、キュリちゃんの術の効果なのではないだろうか?」



――ああ、そうか! にしても先生、俺の偽名やたら自然に呼んだ!



「この辺りはマグ・イーレと違ってだいぶ内陸ですからね、食文化もきっと異なるんですよ。フィングラスの人達には大丈夫でも、食べ慣れない我々には有害なものの匂いを強く感じさせることで、危険を回避させる術なんじゃないかな……」



 確かに昨日の二食は、何とも臭わなかったし、全くもたれもしなかった。



「まあしかし、このぱんはなかなか美味しいね。もう少しもらおうかな」



 配膳台を見るランダルと同じ方向を見て、そしてゲーツはふっと気付いた。



「……先生、ぱんの山の左側に貼り布が」


「え? ……“ご自由にお召し上がりください”が、どうかしたの」


「……すぐ下に小さく、※お持ち出しも自由※と記してあります」



 ぐあっと大きく見開いた目で、ランダルはゲーツの無表情顔を見た。


 いいや、無表情なんかではない、無感動でもない。


 マグ・イーレ王は熟練傭兵の双眸に宿る炎を見た。たしかに見た、そう倹約にかける情熱のほむらを!



「お昼ぶんにいただいて行きましょう……。君、手巾は持っているだろうね」



 これまでにない厳かなぼそぼそ調にて、ランダルは問うた。



「……はい」



 ゲーツもまた厳かに、うなづいて答えた。




・ ・ ・ ・ ・




 再び、王と傭兵は馬上の人となった。


 山国への途上のこと、気温は低めだが空気は乾いて、ぱりっとした陽光の輝く日である。



「実に素晴らしい好天だ、運が良いなあ」



 マグ・イーレから東方、テルポシエ方面へ行くと雨が多くなる。しかし反対側のこの地域は、山脈向こうの“白き沙漠”に湿気を吸われて、ぐっと空気は乾いている。晴天も多いのだ。知らないわけはないのに、ランダルは素直に喜んでいた。


 林中を貫いているフィングラスへの街道は、人通りもまばらである。そう言えば、自分はここを反対方向に下ってイリー諸国へ出て来たのだっけ、とようやくゲーツは思い出す。遠い昔の話だ。



「おや……、せせらぎの音がしますね」



 ランダルが灰色ぶちの歩みを止めさせた。するっと降りる。



「ちょっと失礼、用を足してきますよ」


「……どうぞ」



 ゲーツも黒たてがみを降りて、灰色ぶちの手綱を受け取った。


 軽やかな足取りで、王は森の中へ消える。さすがにここの部分は、護衛任務も免除なのだ。


 実に爽やかな初夏の朝である。


 ちちちち……山鳥のさえずりが耳に快い……ちちちち……。うむ……。



「いやー、実に素晴らしい所でした。少し行ったとこに、小川があってね」



 手巾を手に戻って来たランダルは、森の樹々の匂いをまとっていた。外ですると、こうなるのである。



「……自分も、行ってきていいでしょうか」


「なあんだ、一緒に行けば良かったね! ゆっくりしといでよ」



――それは嫌だ、絶対に。




・ ・ ・ ・ ・




 ずいぶんと快腸、ちがった快調に旅路を進めていた二人だが、無料昼食をとったすぐ後の午後はじめ、ランダルが頭痛を訴えた。



「本当に申し訳ない。どうしちゃったのかなあ」



 路傍の木陰に座り込んで、乾燥薄荷はっかを噛みながらランダルは言った。



「……実は自分も、少し頭が重いんです」



 隣で同様に薄荷を口に含みながら、ゲーツも言った。



「えっ!?」


「……陽光のせいじゃないでしょうか」



 そう、明るすぎるのだ。マグ・イーレにこんなに長く、まっすぐ太陽の光が落ちる日は滅多にない。貴重な陽光も浴び過ぎれば毒になる、ましてやランダルは髪がかなり後退しているのだから。



――俺の方がずうっとずうっと豊かなのだから、俺はまあ平気なんだけど!!



 優越感を持ってみてから、後味が悪い。と言うか、ランダルに憐憫を感じてしまった。



「大丈夫なのかい、君」



――何で俺のことを、そんな真剣に心配するッ。あんたの方が、深刻なのだぞッ。




・ ・ ・ ・ ・




 水を飲んで少し休んだら、二人ともだいぶましになった。



「日が傾いて道に木陰ができたし、そこを選んで進んでいけばいいね」


「……そうですね」



 後は二人とも言葉すくなに、……いや元々ゲーツはほとんど喋らない。静かに距離をかせいでゆく。


 そうして夕刻、ようやくフィングラスに入市することが出来たのだった。




 辺境とは言え、イリー都市国家群最北部の首邑である。テルポシエには劣るものの、マグ・イーレよりも都市としての規模はずうっと大きい。


 しかし、フィングラスは“イリー都市国家”と呼ぶには、微妙な立場の国である。


 王も貴族もいない。昔はいたらしいが相当前に絶えてしまって、現在国政を取り仕切るのは地方名士・豪族達から成る“執政会”である。


 牧畜業、特に羊毛山羊皮の生産が盛んだから、自然その方面で財を成したふるい家々の力が強かった。この辺は、テルポシエを北上した所にある穀倉地帯と似たり寄ったりの状況である。


 さらにフィングラスは、キヴァンの民が住む山岳地帯とイリー世界との接点でもあった。積極的に交渉してくる人々ではないが、キヴァンの中でも外に出たいと思う者は、まずここへ来る。例えば、出稼ぎ傭兵など。



「宿泊先だけ、決めてあるんですよ」



 ランダルは小さな布切れを手に、残照の明るさでそれを読もうと試みる。道を尋ねた年配の女性が親切な人で、帰りがけだからと連れて行ってくれた。


 少々寂れた路地、重く扉の閉められた倉庫のような建物の合間にある宿で、見てくれは存外に立派である。町全体がそうなのだが、どす黒い山の石を積んで作ったその壁、扉や窓際の隙間から、橙色の灯りがしみ出して美しかった。



「……予約されたんですか?」


「いいえ。泊まるならここに、と先方が指定して来たんです。昨日と同じ段取りで、私が受付しますね」



 ぱっと明るい室内に踏み入る。



――先方?



 記入された宿帳を見て、受付係の若い男が、脇の小机引き出しを開けた。



「三日前にいらした方が、これを置いてゆかれました。パンダル・ササタベーナ様がいらしたら、こちらへ寄ってくれるように、それと夕方以降なら必ず店にいるから、と仰っていました」



 何の秘密でもないような布切れである。住所が記してあった。



「ここから近いのでしょうか?」


「ええ、この前の通りを右へずっと行って……」



 道案内をふんふんと聞いてから、ランダルは受付係に言った。



「どうもありがとう。友達なんですけどね、初めてお家へうかがうものだから」




・ ・ ・ ・ ・




 一度部屋に荷物を置いて……と言っても、ほぼ手ぶらの二人である。



「お互い知り合いですけど、実際に会うのは初めての人なんです。ただ向こうは私の素性を知らないので、偽名の通り史書家パンダル・ササタベーナとその助手ゴーツで通しますからね。必ず合わせてください」



 ランダルは少し緊張しているようだ。口裏あわせを確認するために、部屋に上がったらしい。



「……危険があるのでしょうか?」 



――どういう関係の人なのだろう? 友人?



「まさかとは思うけど、用心するに越したことはないでしょう。……君、以前私が打ち明けたことを憶えているかなあ?」



――何だろう?



「後ろ暗い情報網を持っていることですよ。その流れの人なんだ」







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