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海の挽歌  作者: 門戸
空虚三年目 丘の上のメイン
123/256

123 空虚三年目3:配達~まいど紅てがらです~

 テルポシエ城、旧北棟の地下階から地上に出るその階段口で、パスクアは逆に降りかける男とぶつかりそうになった。


 傭兵じゃない、平服で包みを抱えている。



「何だ、あんたは」



 問う声が硬くなる。



「どうも、北区乾物商“紅てがら”でございます。こちらにお住いのエリンお嬢さまに、ご注文いただいた品を届けに参りました」



 帽子を取って、若い男は丁寧にお辞儀をする。


 その後ろから、女の子が出て来た。



「おつとめ、ご苦労様です」



 こちらも、胸に箱包みを抱いている。


 男と少女、その顔があんまりそっくりなので、パスクアは一挙に警戒心を解いた。というか脱力した。



「ああ、業者さんかい」



 乾物商……。エリンが甘いものでも頼んだのだろう、と思った。父子で届けてくれるとは、微笑ましい店だ。



「ごくろうさん、彼女のうちはこの先だよ」



 道をあけ、階段を示した。



「ありがとう存じます」




・ ・ ・ ・ ・




 扉を開けて二人を自室内に入れたエリンも、びっくりして口を四角く開けてしまった。


 つやつやした濃い金髪を真ん中分けにして、左右のおさげを紅色てがらりぼんできちんとくくっているその少女は、太い眉毛から迫力のあるずんぐり眼差し、ちょっと角ばった顔の輪郭まで、ナイアルに生き写しなのだ。



「まあっ……! 娘さんを連れてらしたの?」


「あほう、俺ぁお前とさして歳かわんねえんだぞ。こんなでっかい娘がいてたまるかよ。姉ちゃんの子なんだ、ほれ挨拶しな、リリ」



 その子は背筋をぴんと伸ばして、エリンにお辞儀した。



「紅てがらのリリエルです。今後ごひいきに、よろしくお願いします」



 叔父と唯一異なるのは、血色のよい唇が鮮やかにあかく微笑んでいるところだろうか?



「初めまして、エリンです。こちらこそ、どうぞよろしくね」



 ナイアル君そっくりなのに、何でここまでかわいいんだろう、とエリンは内心で感心しきりである。



「姉ちゃん同様あったま良い奴だからな、こいつの前では遠慮なく喋ってもらって構わねえよ。しかしまあ、今日は連れて来て大正解だったぜ。……今さっき出てったでっかい奴、あれが旦那か?」


「パスクアとすれ違ったの?」


「ああ、リリエルがいなかったら怪しまれてた。敵に回したくない系統だ、……いやすでに敵だがよ」



――にしても……。



 内心でナイアルは恐々としている。お(ひい)の奴はとんでもない面食いだ。旦那が半分テルポシエ人と聞いてはいたが、どこからどう見てもイリー貴族でしかない外見で、優男やさおとこときている。数百のエノ傭兵に囲まれたうちであんなのを狙い撃ちにできるとは、これもエリンの才覚なのだろうか。


 いっぱいに開けられた明り取り窓の下、粗末な卓子の上に包みを置きかけて、ナイアルはそこに広げられた数枚の羊皮紙を見た。



「何だこりゃ、……おお? ファダンとガーティンローの親書じゃんか」


「返信を書くよう言われていて……」


「俺っちも、書いたろか? 硬筆かしな」


「え?」



 ぴんと背筋を伸ばして腰掛に座ったナイアルは、エリンが差し出した黒羽硬筆をすっと構える。


 流れる所作で、エリンがしたためた返書の複写を始めた。



「……」



 エリンは目を見張った。その目が信じられない、なんて達筆だろう? しかも、自分の筆致と完全に同じだ!


 墨壺に硬筆を浸しながら、ナイアルは姪を見やる。



「リリ、例のやつの用意だ」


「はい」


「お(ひい)、湯沸かし場かしてやってくんな」


「……あの、ナイアル君。あなたって……」


「贈答品ののし・・を立派に書けなきゃ、乾物屋なんてつとまんねえ。筆致を似せての礼状代筆なんざ、お湯の子よ。俺っちは、イリーお習字初段でい」




 正直んでいた返書作成を、ナイアルがとんでもない速さで片付けてくれて、エリンはいま卓子の上に並べられた品々に手をのべていた。



「こっちの小汚ねえ布便たより三つは、フィングラス南部にいる奴らからの近況だ。読んだら必ず燃やせよ」


「はい」


「これはリフィから預かって来たやつ、お姫のと……ケリーへの便りは、あとで一緒に読みな」


「……」


ぼんは何も問題ねえ。毎日頬っぺたに黒羽じるしをくっつけて、遊び回っている。お友達も多いからな、あんな小っせえくせに流暢にキヴァン語を話しやがって、俺っちはうらやましくてたまらん」



 エリンの顔がほころんだ。



「詳しいことは、リフィの分厚い便りを読むこったな」


「ありがとう、ナイアル君」


「俺よりも、感謝すべきはリフィとメイン嫁じゃねえかい。ありゃ主従とか継子とかじゃねえよ、言いにくいがな……。イオナは本気で、子として扱ってるぞ」


「……」



 それ以上聞くのは辛かった。だからエリンは、端に置かれた包みを見る。



「そちらも、連絡のお便り?」


「いや、大事なやつはもう終わりだ。こっちはうちの姉ちゃんからおひいに、蜂蜜はちみち飴と……」



 扁桃油と苺蜜煮のかわいらしい壺を手にして、エリンは恐縮する。



「お姉様に、気を遣って頂いて」


「いや、良いってことよ。マリエル姉ちゃんはな、その……親貴族派とか、そういうのとは関係なしに、ウルリヒ王をく思ってたから」


「あら、そうなの?」


「兄ちゃんと俺はいっこ違いだろ? 弟のお友達、みたいな感じに親しんでたんでねえの」



 リリエルがお盆を運んできた。



「お待たせしました」



 小さな手が、エリンの前に湯気の立つ陶器椀をことりと置く。



「これは?」



 白い椀の中で、赤褐色の液体が揺らめいている。



「お花湯かしら、こんな色のは見た事ないわ」


「“タエ”だ。飲んでみな」



 全く知らない、良い匂いがする。そうっと口に含むと渋いのに甘い、控えめな芳香が鼻腔いっぱいに満ちる。


 何も言えなくなって、エリンはその小さな一杯を干した。みえない優しさ、慈しみに抱かれたような、温かい心もちになっていた。



「……なんて美味しいの! わたし、これがいわ」



 目の前でタエをすするナイアルとリリエルも、笑顔である。



「な? いいだろ。キヴァンの飲み物なんだ。今回試しにちっとばかし持ち帰ってみたんだが、売れると思うかい」


「ええ! 当たると思う。……お酒じゃないのよね? どうしてこんな風に、体が温まるの」


「さあな、その辺はまだまだキヴァンの不思議だ。リリ、タエの残りは?」


「これです。黒くって、ぱらぱら細かいの」


「……葉っぱなの?」


「これを分けてくれたキヴァン婆ちゃんちの裏手には、低いタエの木がどばーと生えてんだ。春から秋にかけて、その若い芽や葉っぱを摘んで、どうも発酵させて作るらしいんだな。詳しいとこまでは、俺っちの初級キヴァン語ではわからんかった」


「これも叔父ちゃんのお土産ですから、お(ひい)さま召し上がってください」



 リリエルは残りのタエを、丁寧に包み直した。



「まあ、いいの? ありがとう」


れ方は花湯香湯こうゆと同じだ、熱々のお湯を使え。ただ、眠れなくなるから夜は飲むなよ」


「すてきなものを、たくさんいただいてしまって……。ああ、そうだ。リリエルちゃん、首巻はいかが」



 エリンは立って、戸棚の横に積んだ木箱のひとつを持って来る。


 ぱかっと開けると、中はまるく収納された色とりどりのふかふかでいっぱいだった。



「わたし、考えごとをする時に何か編んでいないと気が済まないものだから、ついついたくさん出来ちゃって……。これなんか、似合うんじゃないかしら?」



 淡い藤色の首巻を、リリエルは頬を赤くして見つめる。



「ナイアル君も、良かったら使って下さい」


「いいの?」


「ええ、間諜さん達にも差し上げているの。こっち半分が、殿方向けの覆面布よ」


「うひょー、良いね! うちの隊の奴らの分も、いいかい」


「もちろんよ、どうぞ」



 濃紺、濃赤、黒、深緑と色違いに選んで、ナイアルはけっこう嬉しそうだった。



「おっ、この明るいのは……?」



 箱の隅から一つを引っ張り出して、手に取る。



「それは人によって、好き嫌いわかれるかしらね。うこん色って言うんだけど」


「うんこ色!」


「言うと思った。“黄金根うこん”よ、香辛料の」


「あーびびった。貴族さまが出すのは、こんな派手な色をしてんのかと」


「食べて出すものは皆変わらないわよ、いやあねえ」



 しまおうか? と手を差し出すエリンに、ナイアルはふるふる首を振った。



「似合いそうな奴がいるから、もらってくよ」



 いち、に、さん……全部で五枚の覆面布が、ナイアルの両手の中で優しくたわむ。



「人間、首まわりがぬくいとずいぶん違うからなー。いやありがと、俺っちも丁度、洗い替え欲しかったところなのよ」



 口達者なこの男には珍しく、素直な笑顔に率直な感謝の言葉が浮かぶ。


 上衣うわぎ襟をちらりと開いてみせた首元を見て、あれっとエリンは目をみはった。



「それは、どこで?」


「あー、これはだな、昔ひとにもらったやつなんだ。……何で?」


「あ、いえ、前に作ったのと、ちょっと似ていただけよ。失礼」



 ちょっと、どっきりした。だいぶせてぼろぼろになっていたけど、ずっと前にウルリヒにあげたのと、同じ色味の濃紺だった。


 確か、はじめて良くできたものだから兄にあげたのに、しばらくして失くしてしまったと言われて、もう一度編み直した記憶がある。



――懐かしいなあ。濃紺はお兄ちゃんの色、本人も好きでよく似合っていたっけ。



 そのふかふかを箱包みの底に詰め込んで、ナイアルとリリエルは扉近くに立った。



「そんじゃ、これでおいとますんぞ。しばらくは俺っちも近くにいるから、何か話したかったらいつでも店にケリーをよこしな。例の符牒だ、干しなまこ」


「本当にありがとう。……にしてもあなた方、そっくりよね。叔父さんと姪で、こうも似るひとがいるのね」


「それを言うなら、お前こそあのマグ・イーレのこえぇ叔母ちゃんと、同じ顔してるんだろ?」




・ ・ ・ ・ ・




 城門をくぐって帰り路、さっそく藤色首巻をつけて嬉しそうなリリエルは、叔父に向かって言った。



「叔父ちゃん、どうして嘘ついたの」


「ああ?」


「蜂蜜飴は確かにお母ちゃんからの贈り物だけどさ、扁桃油と苺蜜煮は、ナイアルが自腹切って選んだんじゃん」


「くわー、こまっけえなあ、お前も。さすがの跡取り、リリちゃんだよ」


「不思議に思っただけだよ。しかもお肌お手入れの品と甘いものだなんて、どうにも好きな女のひとへの定番ですよ。ひょっとしてナイアルは、お姫さまがいいのかえ、ならどうして自分からだと言わなんだ?」



 ナイアルは一直線に引き結んだ唇を引きつらせつつ、自分を見上げる姪の顔を見た。こりゃ駄目だ、かなわねぇ。



「ああ、確かに俺はお姫がいいな。けど、お前が考えてんのとはちょっと、かなり、相当違う」


「あのきれいな人をお嫁にもらうのは、むちゃくちゃ大変そうだよ?」


「だからね、そういうんじゃねえの。俺は……俺らは、あの人と同じものを背負って、同じものを守ってんだ。いわば戦友かね」


「わからんね」


「今はわからなくって良い。皆そうだ、ずうっと後になって、あ~ありゃそう言うことだったんかい、とでも思われれば良いんだ。だからリリも、深く考えるな」


「よくわからんが、まあ精進おしよ、ナイアル」


「……頼むから、母ちゃんと同じ口調で喋らんでくれ」




・ ・ ・ ・ ・




 夕刻、姉に持たされた様々の食料を背負って、第十三遊撃隊・極秘のねぐらに帰還するナイアルである。



――ふむ。お(ひい)のやつ、なかなか上達しとるではないか。



 新しい覆面布が、上衣襟の内側であたたかい。これからどんどん日が短くなる、寒くなるばかりの季節だから、良い頃合でもらったものだ。


 ちょうど同じ明度の濃紺いろの空の中、彼の頭上で白っぽい月がほそく輝いている。



「ただいまー、帰ったよう」


「あっ、ナイアルだ」



 まっさきにイスタの声が上がった。



「お帰んなさーい、ナイアルさん」



 台所の方から、料理人が叫んでいる。



上衣うわぎみせろ」



 居間に入りしな、ぬーんと隊長ダンに言われる。


 ばきーん!! ちっとでか過ぎたらしい、薪をたたき割って炉にくべた獣人が、ぎろッとこちらをにらんで来る。




・ ・ ・ ・ ・




「ああー! マグ・イーレあら塩とティルムンいちじくを、またこんなにたくさん……!!」



 卓子の上の布袋を手に、うっとり口調でアンリが言う。



「もう、ほんとの本当に素敵なお姉さんですね。いちどお会いして、感謝のお鍋を捧げたいものです……! ナイアルさんに、似てらっしゃるのでしょうか?」


「おう。俺っちとおんなしで、個性的というか、通受けのする美人だな。なじみ客には栗ふたつって、小さい頃からよく言われたもんだ」


「そうですか……、それは残念ですね」


「おいッッ」


「ナイアル、この柔らかい包みは何だい?」



 肩掛け麻袋から最後に出て来たのを見て、イスタが聞いた。



「おっ、それそれ。おひいから皆に、贈り物だ」



 ナイアルはいそいそと、覆面布を取り出した。



「はい、これ大将に」


「……」



 ダンは黒い覆面布を両手にする、さっと頭にかぶった。



「大将、帽子でなくて覆面布っすよ。首まわりの」


「……」



 すぽっと布筒を首に下ろして、ダンはうなづいた。



「何で俺のは、ぎんぎらなんじゃあ」



 例のうこん色を手に、ビセンテが吼えた。



「あっ、気に入らんかビセンテ。お姫によるとだな、この黄色は“勝者の金色”といって、たいへん名誉ある色らしいぞ。隊の中で一番腕の立つ強者つわものに着けてもらいたいと、お姫のやつが言うからお前にもらってきたのだが……。やはり趣味が合わんのはいかんよな。次に市内潜入する時、返してこよう」



 ビセンテは、すぽんと布をかぶって再び吼えた。



「俺のじゃああああ」



 ふと気づけば、アンリが眉根にしわを作って、両手の中の濃赤色の覆面布を見つめている。



「どうした、気に入らんかったか」


「いえ、編み目が……」


「何」


「雑念入りまくりなんですよ。俺は編み物は全くの素人ですが、創作者の一人として、この覆面布製作中に作者がとらわれていた心の揺らぎを、びんびん感じます」


「時々思うけど、お前本当に俺より若い? 俺の目には、きっちりみっちり編まれたようにしか見えんけど」



 装飾の全くない平面無地の毛糸編は、エリンのまじめな性格を物語っているようにも見える。


 アンリはすぽんと、筒をかぶって首にまわした。



「とはいえ、実質的な機能は十分です。あったかいし、よく伸びます。ありがたくいただきましょう」


「あ、使うのね結局」


「ナイアルさん。例えば俺が鍋を作る時、兄貴のことをこんちくしょうと呪い続けながら煮てたとしたら、どう思います」


「え、それはちと嫌かも……」


「そう、鍋はナイアルさんのお腹を満たすという使命をしっかり果たしますが、そういう雑念が混じると、多少なりとも味が変わるものなのです」


「そうなんかい?」


「俺は料理人として、そういう自分の色々な感情を、食べ物にうつしてしまうのは許せません。ひたすら皆さんにおいしく満足してもらうことだけに専念して、作るんです。何かを作り出す仕事というのは、そういうものだと信じています。


 ただ、お姫さまは編み物職人ではありませんから、そこまで突き詰める必要は多分ないのでしょう。ご自分の不安や憂国の思いを整理するために編み目を重ね、そしてついでに誰かを温めることになれば、と方々にあげている……。


 彼女のその憂国の思いを胸に、我々は戦い続けるのです、そしてこの戦いが終結したあかつきには……」


「すげー! 会ったことないのに、どうして俺の好きな色知ってるんだろう? お姫さま」



 独白に入ったアンリを無視して、深緑の覆面布をつけたイスタがナイアルに言う。素直に喜んでいた。



――いや、選んだの俺なんだけどね。



「いつか、お礼を言いたいな!」


「そうだな」



 言いつつ、イスタがテルポシエ城内へ入る事はまずもってなかろう、とナイアルは思っている。


 捕まえてからずいぶん経った。見かけも背丈も変わりに変わったが、昔のエノ軍同僚や上司なんぞに対面したら、無事で済むとは思えない。


 松葉のような眉毛に、特徴がありすぎなのである。



「さあ、ではそろそろ憂国の鍋でごはんにしましょうー。イスタ、お婆ちゃん呼んでおいでー!」

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