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海の挽歌  作者: 門戸
空虚二年目 暗闇の中のエリン
120/256

120 空虚二年目5:ナイアル、タエに出会う

 みどり薫る、峠の細道。


 路傍にうずくまった老婆は不安と焦燥で、もう何度目になるか知れない、深い溜息をつく。


 せっかく早い時間帯に里の市まで行ってこれたのに、帰り道で足をくじいてしまった。


 自家製タエがよく売れたものだから、食料を買い込み過ぎて背負い籠を重くしたのがいけなかったのだ。


 そして今日は、たまたま杖を持ってこなかった。


 こんなにたくさん美味しいものを手に入れても、家に帰れなきゃどうしようもない……。


 山間のうちまではあともう少しなのに、本当にどうしよう?


 人通りの全くない道、助けすら呼べない。


 情けなくって涙がにじむ。先立った夫が恋しくて、そうっと樹々に向かって呼びかけてみる。



〔あなたー〕



 時々、彼は彼女に応えてくれるのだ。離れやしないよと言った約束を守って、やさしく励ましてくれることがある。



 ざく、ざく、ざく……。



 老婆ははっとして、うずくまったまま道の彼方を見る。


 人影がこっちに向かってのぼって来る。ふもとの集落の誰かが、珍しくやって来るのだろうか?


 期待はやがて不安に変わる、近づくにつれて全然見知らぬ人とわかったからだ。


 その人はまっすぐ、老婆に向かってきた。



〔コンニチハ〕


〔……こんにちは〕



 男の言葉があんまり変な言い方だったから、彼女は怖くなってしまって、必死に挨拶をかえす。



〔オカアサン、ドウシタノ〕



――ええ? 誰よ、わたしはあなたのお母さんじゃないわよう!



 恐慌をきたした老婆は、自分の目の前に男がしゃがみ込み、外套の頭巾を跳ね上げるのを見て、もう泣きそうになる。



――いやああああああ! 外国人だわあああああ!



 先がつんつんはねる短髪は金色、なま白い肌の顔にぎょろりとしたみどり色の瞳が光っている。



――持ち物を全部取られちゃう! 殺される! 助けて、あなたー!!



 思わず彼女は起き上がって逃げ出そうとした。しかしくじいた左足首がぐきりと痛んで、みじめに転びかけた、


 ……ところを男に受けとめられる。男は老婆を優しく地べたに座らせると、言った。



〔ケガ? ビョーキ?〕


〔あ、足を……〕



 しどろもどろに言う間、男は自分の背の麻袋をするっと前に回した。


 脇に置かれた老婆の背負い籠を持ち上げる。あ、やっぱり取られてしまうのかしら……。


 男は彼女の前に再びしゃがんだ。そして背中を向けて、肩越しに笑ってみせた。




・ ・ ・ ・ ・




 山肌にひっそり建った老婆のうちは、なかなかに風情のある木組みの家で、ナイアルは感心してしまった。



「すげえなあ、こんな見晴らしのいいとこに、婆ちゃん一人で住んでんの?」



 峠道で助けた老婆は、恐怖を通り越して安堵すると、すっかりナイアルに心を許したらしい。


 小鳥がさえずるような早口キヴァン語でさまざまをまくしたて、杖をついてしゃかしゃか家の中で立ち回り始めた。


 タエ・ノンデガンショー!! 満面のくちゃくちゃ笑顔でそう言うと、台所へ引っ込んだもようである。



「うーん、しっかしわかんねえぜ。何を言ってるんだ」



 しゅんしゅん、こぽぽぽ……とお湯の沸く音がして、やがて老婆は片手に杖、もう片手に浅い籠をさげて居間に戻って来た。


 ひくい木の卓子に、厚みのある小さな陶器椀を並べてこし器をかぶせ、急須きゅうすの中のものをそうっと注ぐ。液体の濃さがみえた。



「?」



――おっ? 香湯こうゆかな?

 

 老婆は何をれたのだろうか。全く知らない香りがして、ナイアルは興味をそそられる。



〔コレハ、何デスカー〕



 ほげっ、と口を四角く開けて、老婆は驚愕したらしい。



〔いやだ、お兄ちゃんタエ知らないの!? これは、タエよ!〕


〔タエ??〕


〔イリーの国には、タエがないの?〕


〔ナイネー〕


〔おいしいのよ、飲んでごらん。熱いからふうふうするのよ〕


「ほんじゃ、いただきます。……」



 ナイアルは飲んでみた。そうして、言葉を失った。



「……」



 空になった椀に、老婆がお代わりを注いでくれる。


 立ち昇るかすかな湯気の向こう、小さく干からびた老婆は心からの笑顔で、ゆっくり言った。



〔多恵にして、妙なるものだから、タエと言うのよ〕



 腹の底に“熱”を感じて、ナイアルはふーっと息を吐いた。



「……ありがとう。タエ」



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