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海の挽歌  作者: 門戸
空虚二年目 暗闇の中のエリン
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116 空虚二年目1:グラーニャのお産

 だだだだだだだっっ。


 隠居扱いのマグ・イーレ王ランダルは、近年まれに見る彼なりの全速力にて、本城の石階段を上り切った。


 目指す一室、上階一番はじっこの部屋の前に男どもが数人、わらわらしているのが目に入る。そこへ一目散に駆け寄った、ぬう体があついッッ! 冬なのに!



「ああっ、陛下ッッ」



 若いのが一人、ぴょこんと走り寄った。



「どうなっちゃってるのッ? ミーガンから聞いたけど、入れてくれないんだって??」



 ぜー、はー、王は隠しから手巾はんけちを取り出し、鼻の頭の辺りをぐぐっと拭った。



「陛下」


「陛下」



 後ろに控えた三人が、次々に頭を下げる。



「なに、何か大変なことになってるのッ? オーレイは、ついて居るんでしょッ?」


「産婆さんが、慣習一点張りなんです」



 ずんぐり体型のウセルが言った。声にいつものうまみがない、代わりに苦み三割増しである。


 ランダルは素早くゲーツの顔を見た。


 一見いつもの無表情、……いいや違う! 微妙にではあるが蒼ざめて暗い顔、……不安でみどり色になってしまっているではないか。珍しいことに、伝説の傭兵は両手を腹の前で握り合わせている……。


 エノ軍の大追撃や赤い巨人を前にしても冷静沈着だった(らしい)この男が、もじもじ手を揉みしだいてしまうなんて!! でも何だかわかる気もする、いやすっごくよくわかる!



「ふあー、何で前もって言い含めておかなかったのッッ。もう、呼んで呼んで」



 リンゴウ・ナ・ポーム若侯が扉を叩き、薄開きの中へ言葉をかける。


 いかつい中年女性が出て来た。ランダルはその手前に、すっと立つ。



「ランダル・エル・マグ・イーレです」



 産婆はひるみもせず、貫禄たっぷりにうなづいた。



「お入り下さい」


「あ、いいえ、私ではなくて、こちらの護衛を入れて下さい」



 ぎーん!!


 産婆は目を見開いて、王を真っすぐに見た。


 すぐ後ろのポーム若侯、キルス、ウセル、ゲーツは内心で震え上がる。



「いけません。イリー女性、特に貴族の方は、夫以外の男性にお産を見られてはなりませんので。陛下以外の方は、お入りにはなれません」



 自国の主を前にしても、百戦錬磨の産婆さんは譲らなかった。もちろんだ、お産の場は女にとっての戦場、指揮官である彼女がぶれてはならない!



「ずーっと、この調子なんですッ」



 背後でポーム若侯が囁いた。ランダルは呼吸をひとつ、深くした。



「……王命です。私の代役を、入れてあげてください」



 低く、静かに、しかしはっきりと王は言った。



「なりません。慣習は慣習です」



 産婆さんも、低く答えた。


 ぎい――っっ!! 後ろでウセルとキルスが歯ぎしりする。



――ちょっと、フラン! この人、うちの王室の裏事情を色々知ってて、わざと意地悪言ってんのかしらね!?


――知りませんよ、アリス! けどわざとじゃないとしても、頭かたすぎですよねえ!!



 老侯二人は顔を見合わせた、目線だけでもだいたい会話が通じるくらい、長い付き合いである。



「慣習はただの様式、形骸ではありません。背後に理由があるからこその伝統です。それを重んじる経験豊かなあなたを、私は信頼し尊重します」



 誰の耳にもしっかり入る明らかさで、ランダルが述べた。


 産婆の表情が少し変わった……誇らしげに眉が上がる。



「ですが、個別の事情もあります。私が隠居しているのは、ご存じでしょう? 小康状態ですが持病があるので、大事にある妃との接触は避けなければいけない」



 ぶっちぎりの大嘘である。しかしこの時代“ふさぎの虫”はお腹の病気の一つと捉えられていた節があるから、ランダル自身は本気で真実を話していると思っていた。



「……それにしては、お元気そうですが?」



――ぎ――っ、王相手に突っ込むかね、そこでッッ。


――お黙んなさいよって感じですねッ。



 またしても老侯二人は顔を見合わせる、手巾をぎりぎり噛みたいくらいである。



「人の命に係わることです。私が全責任を負いますから、今度ばかりは慣習に目をつぶって、この人を代わりに入れてあげて下さい」



 産婆を見据えたまま、ランダルの右手がひょいひょいと後ろに向かって手招きをする。ウセルに押されて、ゲーツが王の横に立った。



「……」


「彼は第二妃の護衛です。戦場にもついて行って、無事帰還しました。今お産と言う戦場にいる妃を、守ってくれると私は信じています」



 ランダルの手が、ゲーツの背に触れた。



「王として、“夫”として、お願いいたします」



 頭を下げられて、産婆はぎゅっと渋い顔を作った。


 はあっ、すごい勢いの溜息を繰り出した後。



「わかりました、すぐお入んなさい」



 くるっと振り向いて、グラーニャの部屋に入ってしまう。


 その半開きの扉をささっとランダルが押さえる、キルスが凄まじい速さでゲーツの左腕をとり袖をたくし上げる、ポーム若侯が手にしたさらしをそこへぐるぐるっと巻き付けた!!



「行ってらっしゃい!」


「がんばって!」


「がっぷりやられといでッ」



 ランダルが無言でゲーツを室内に押し込み、扉を閉めた。



「あー、良かった」



 安堵の溜息とともに、ランダルは言った。



「やりましたね、陛下ッッ」



 童顔をきらきら輝かして、ポーム若侯も言う。


 キルスとウセルは、うんうんと満足げに頷いた。


 その時、ふーはーと階段の方から、息切れが聞こえてくる。


 よたよたっ、と現れたのは第三妃である。石壁に寄りかかりつつ、真っ赤な顔でこちらを見た。



「ミーガン!」



 王は、たたたと走り寄る。



「ふあっ、陛下っっ。ゲーツさん、間に合いまして?? よ、よかったぁぁ」




・ ・ ・ ・ ・




 こうして、大切な大切な大切な(以下略)グラーニャのお産に立ち会えたゲーツは、後ろから彼女を抱え込んで、何故だか利き腕右腕をグラーニャの頭に回してしまった。


 オーレイ医師も産婆もニアヴも、ゲーツのことなんて全く気にかけなかった。押し寄せる痛みといきみの瞬間に産婦は無我夢中でその腕を噛むのだけど、さらし布に巻かれていない方をやられてその後相当長い間、ゲーツの腕にはグラーニャの歯形が残った。


 ゲーツは全ッッ然平気だったらしい、むしろ噛まれて恍惚としていた。


 部屋の納戸にこっそり隠れて、一生懸命に大好きなグラーニャンを応援していた城ねこ・こうしだけが、やっぱこのオスはあほうだ、と思っていた。


 そうして生まれたのが男女の双子だったものだから、皆が度肝を抜かれて、色々と細かいことは脇にやられて忘れられたのである。



 イリー暦192年。空虚の二年目、明けて間もない早春の頃であった。

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