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海の挽歌  作者: 門戸
空虚一年目 イリー諸国軍
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115 空虚一年目7:野いばら摘み

「よーし! 皆、この辺で始めようか」



 グラーニャの声に、一同はぴたりと進軍を止めた。



「各自各班、位置についてー」



 晴天の秋晴れの朝。十数名の子ども達と五名の大人からなるマグ・イーレ特別編成隊は、ぱあっと幾名かのかたまりに分かれる。



「突撃ー!」



 うぎゃあああああ、ぬおおおおお、ときの声とも歓声ともつかない絶叫を上げて、子ども達は街道沿いの野いばらの茂みに突進した。


 四、五人の子につき傭兵がひとり。先の曲がった杖で、傭兵の引き下げた枝に手袋重装備の手を伸ばし、次々に黒っぽくしなびた実をむしり取ってゆく。


 マグ・イーレ秋の恒例行事、野いばら摘みであった。



「さあ、皆がんばれよー! 東側の街道で摘んでる、ジーラ組を負かすんだからなあ」



 だいぶぼってりと目立ってきた腹を揺らしながら、グラーニャは子ども達の間を縫って歩く。


 その二歩後ろに、騎士団の濃灰外套をまとったゲーツが、音も立てずについていった。



 ――すげー。こうやって競争心をあおることで、毎年あれだけ収穫してたのか……。


 春に咲いた可憐な野いばらの白い花は、そのまま夏に朱色の実となる。やがて暑さを越え、初霜を越えて黒くしぼんだ実は、冬の間の貴重な栄養源としてマグ・イーレの人々に頼りにされてきた。


 中の種を取って乾かし、湯にれたり煮出して飲むと、病気を遠ざけると言われる。味はほとんどないが、淹れがらを蜂蜜にからめたものは、わずかに酸味を残す冬ならではの甘菓となった。


 ゲーツもマグ・イーレに来てからは、毎冬グラーニャのお相伴で飲み食べしている。確かに前と比べて風邪をひきにくくなった、と思う。……嘘である、もともと病気なんて経験したことのない男なのだ。



「懐かしいな、野いばら摘み。この前に参加したのは、クロンキュレンの直前だった」



 ゆったりした毛織長衣に巻き外套を重ねたグラーニャが、のんびりと言う。


 さすがに男装は出来なくなっていて、本人曰く“しぶしぶ” “奥様っぽい”服装をしているが、ゲーツにとってはそれがもう光々しい程美しく見えて、内心手を合わせて拝みたくなるのであった。




 “クロンキュレンの追撃”で指揮官としての頭角を現し、白き牝獅子の異名をとったグラーニャは、以降マグ・イーレ王政の核の一部となり、それまでの平坦な日常は一変した。


 国家事業である塩田開発を熱心に応援し、戦闘要員と軍馬とをこつこつ増やし、さらにティルムンへ留学中の継子達を通して、理術士招聘の計画を念入りに進めてきたのである。


 どんどん膨らんで来る武装集団エノ軍とイリー都市国家群との摩擦は、テルポシエの包囲・陥落と言う一大事に発展した。


 長年マグ・イーレによるテルポシエ攻略を望んできたグラーニャにとっては、目標を横取りされた気がしないでもなかったが、エノ軍がテルポシエに腰を据え大きな顔をしているのを見て、改めてエノごと故国を乗っ取る気満々になったのである。



 そして今春、とらわれのテルポシエ王女・エリン姫救出の名目で、自ら軍を率いて交戦した。その実はオーラン公国奪回の陽動作戦でしかなかったのだが、とにかくテルポシエを攻めると言う目的は果たした。


 たぶんその辺の気持ちの高揚のおかげなのだろう。帰還した後、自分の中にゲーツとの子がいるとわかって、もう誰もかれもが仰天した。と言うか彼女が一番たまげている。


 今回、城下に住む子ども達を引き連れて野いばら摘みに繰り出すことになったのも、妊娠して戦線離脱を余儀なくされたおかげである。


 グラーニャは、ふいと後ろを振り返る。ぬうんと大きなゲーツが、いつも通りの表情のない顔をくっつけて、護衛の位置に立っている。



――あの年の春に、こいつが来たんだっけな。



 もう、何年になるのだろう。ほとんど離れることなく、四六時中ずっと一緒にいる。



・ ・ ・ ・ ・



「グラーニャ様、リミが手を切っちゃいました」



 年若い傭兵が、六つくらいの女の子の手を引いてやってくる。



「おっと」



 肩に提げた鞄の中に蜂蜜軟膏を探ろうとして、グラーニャはふと気づく。



「おい、ゲーツ。枝下げ役を、ちょっと代ってやれ」



 ゲーツは無言で頷くと、傭兵の手から杖を受け取る。枝の引き下げ役を失って、作業を中断している子らのもとへ歩いて行った。


 女の子はべそをかいていたが、軟膏を塗った後の指先にグラーニャがふうっと息をかけるのを見て、不思議そうな顔をした。



「王妃さま、なんでふーってするの?」


「え、だって痛いのをふっ飛ばさなきゃいけないじゃないか」


「……痛いのは、ほこりじゃないよ?」


「んー……そうだな……」


「あと王妃さまは、なんで“俺”って言うの? 女の子なのに」


「俺は女の子ではないぞ。女のひとだ」


「全然よくわかんないよ」


「うむ、俺も実はよくわからん。ところでリミ、まだ痛いか」


「あ、平気だ」



「手袋付けて。ほら、行きな」



 傭兵に言われて、小さなリミはぴゅうっと駆けてゆく。


 背高いゲーツが盛大に下ろしている茂みの枝に突進する姿を追っていると、横上から声がかかった。



「……おめでとうございます、グラーニャ様」



 誰にも気取られないように低い声で、若い傭兵が言ったのだった。



「ありがとう」


「……もう、戦線へは戻られないんですか」


「いや、産んだらまた戻る。それが俺の仕事だから」



 まだ少年らしさの残るさとい双眸で、若い傭兵はグラーニャをじっと見つめる。



「グラーニャ様、俺、忘れてませんから」


「?」


「攻められるような戦はしないって、言ったでしょ。今のところ、グラーニャ様が攻めるばっかりで、マグ・イーレは本当にどこにも攻められていない。前に言ってくれたこと、ばっちり守ってくれてる」


「……」



 何の話だろうと思っていると、青年はやがて小賢こざかしそうな笑みを浮かべる。



「それを信じてるから俺、市民傭兵になったんです。グラーニャ様が元気なうちは、絶対マグ・イーレは負けないしうちの中は安全だって。俺らも内助の功、頑張りますから」



 こくりと礼をすると、彼も駆けていってしまった。



――ああ。



 思い出して、グラーニャはちょっと驚く。



――そうか、あの時の“男の子”が市民傭兵に……って、本当にすごい時間が流れたものだ。ひとの子の成長は早いと言うけれど??



 ゲーツが近くに戻って来る。微妙……にしょぼんとしているようだ。



「どうした?」


「……すっごい楽しかったです」



 枝下げ役を、続けたかったらしい。とにかく大きい男だから、杖も遠くまで伸ばせる。手の出しにくい後ろ側の枝をぐぐっと引き下げれば、子ども達も喜んだ。



「次からは、自前の引き下げ杖を用意したらどうだ」


「?」


「じきに、個人的・・・野いばら摘みに来れるであろう」



 グラーニャが腹をさするのを見て、ゲーツはああ、という顔になる。







皆さま、どうぞよいお年をお迎えくださいませ。

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