110 空虚一年目2:ゲーツ巨人目撃談を語る
全く期待していなかった間食が出た。
黒ぱんと干し林檎を腹に収めたゲーツがいい気持ちでうとうとしていると、マグ・イーレの壮年騎士が呼びに来る。
連れていかれた先はオーラン宮中心部の執務室、決して大きくないその部屋の中に、様々な色の外套をまとった騎士達がひしめいていた。
どっしりした黒木の机のすぐ左脇に、グラーニャのぴかぴか光る白金髪を見つける、後ろにひょろんとキルスの顔が突き出ている。
黄と紫を基調とした、きれいで明るい調度の部屋だ。じゃらじゃら、ごつごつ、鎖鎧や手甲脚絆でかさばった男達ばかりなのに、ちっとも騎士いきれしていない。開け放たれた窓から、風が清かに流れていた。
机の後ろの老人が立ち上がった。
「怪我をなさっているのに、お呼び立てして申し訳ありません。どうぞ、おかけになって下さい」
恐ろしくもの柔らかな調子で言われて、ゲーツは扉の近く、示された腰掛に座る。
――えーと、この良い人っぽい白髪の爺さんは……やば、オーラン公?
「あなたはグラーニャ妃の護衛をされているという事で、本当にお勤めご苦労様でございます。今回皆様のご尽力によって解放の運びとなりました、わたくしオーラン公ルニエと申します」
机の向こうで老人は頭を垂れる、ゲーツもすかさずそれに倣った。 ぐうっっ、あばらっ。
「テルポシエでの陽動戦役において、予期しない大きな精霊の出現と混乱があったと言う事だが……」
臙脂色の外套胸元に、貴石入りの黒羽紋がくっきり浮いている。口元から顎から、豊かに生える髭を美しく整えたガーティンロー騎士団長が、後を引き継いだ。机の右側から、じっとゲーツを見据えている。
「直に目撃した人から、なるべく正確な情報を得たいと考えている。君の見た範囲の事でいいので、できるだけ詳しく話して下さい」
オーラン公ルニエの左脇で、グラーニャとキルスが自分に頷いているのを、ゲーツは素早く見て取った。
「……はい」
「全く何の前触れもなく、交戦中のマグ・イーレとエノ両軍の上方に現れたそうだが、君は何を見ましたか?」
もう十年以上も前になるが、ゲーツはガーティンローで傭兵をしていた事もあった。その当時とは異なる騎士団長である、面識もないなと思いつつ言葉を選ぶ。大勢の前で話すのは好きではない。
「……赤い巨人は、まずは手を伸ばして、グラーニャ様のすぐ側にいた理術士隊長をさらいました。その後は次々に、マグ・イーレ騎士を掴み上げていきました。騎乗のところを人だけ手にして、もう片方の手に持っていた銀色の容器の中に突っ込みました。すごい音と叫び声が聞こえました。容器の中で潰されて、死んだのだと自分は思います」
「……」
皆の沈黙に押されつつ、ゲーツは言葉を選び続ける。
赤い巨人の頭の先が、蛇のようになっていた事。移動する時にそれらしき音を立てず、何も声を発さなかった事。
地上の敵に対峙しつつ、グラーニャを護らなければならなかった自分の視点は偏っていた、と思う。それでも思い出すままを、正直に述してみた。
「……マグ・イーレ軍が湿地帯の間際まで退却し、理術援護を待っていた所で、エノ歩兵と混戦になりました。自分が三名のエノ歩兵と交戦中、そのうちの一人が蛇部分にくわえ上げられて呑み込まれ、殺されました」
「確かに、エノ歩兵を殺したのを見たのかね?」
「……」
聞いてきたのは縹色の外套を着た、中年固太りのファダン騎士団長だ。いかつい外見だが高い声には親しみが入っている、とがめるでなく柔らかく確認している調子だった。
――この人は、俺の事ちょっと憶えているのかも。
「……死体は確認できませんでしたが、あんな風にのまれたのでは、生きてはいないと自分は思います」
ファダン騎士団長は小さく頷く。
「……その直後、理術援護が整って退却となったので、赤い巨人……大きな精霊に関して自分が見たのは、以上です」
何気なく“赤い巨人”、と言ってしまったけど、結局あれが何だったのかはわからないのだ。最後に精霊と言い直して、ゲーツは目を伏せた。
「どうもありがとう」
ガーティンロー騎士団長が言う。
「もし後から何か思い出す事があれば、ぜひグラーニャ様やキルス侯を通して伝えて下さい。どうぞ下がって、休んでください」
息を止めて脇腹に細心の注意を払いつつ、できる限り深くお辞儀をしてから、ゲーツは退室した。直前、もちろんじとっとグラーニャを見てゆく。
――あーあ、緊張した。あばら痛い。あんなに多くの人を前に、こんなにたくさん喋るなんて、俺には珍しい事だぞ。あばら痛て。帰って寝よう、いや先に夕めし欲しい。あばら。
イリー諸国の要人達を震撼させた自分の巨人目撃談については全く顧みることなく、ゲーツはひょこひょこ廊下を歩いて行った。




