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海の挽歌  作者: 門戸
還り来た女
11/256

11 還り来た女6:愛と憎しみの邂逅

 夜を迎えた、エノ軍現本陣。


 三角錐の小さな天幕が無数に乱立している一画から離れた所に、ひときわ大きな丸っこい建物がある。と言っても、これも天幕だった。


 土を掘り下げた所に十数本の柱を立ててあるから、天井も高々として、内部に幹事たちが集まって話し込んでも、息詰まることはない。


 現に今、かれらは酒盛り兼遅い夕食の最中であり、男達が車座に座り込んだ敷物中央の台には、香りの強い酒と焼き魚が載っているのだが、晩春の隙間風が常に室内を換気しているので、案外にさやかなのであった。



「今晩は、珍しく静かだな」



 エノ王がふと言った。



「いつもこうなら、有難いんですがね」



 煌々とした燭台の灯に、老賢人の浅黒い肌が照り映えている。


 老賢人、と便宜上呼んでしまってはいるが、王に最も近しい側近役である理術士のアキル師は、実はそんな年でもない。ただ頭巾の端からは生まれつきの銀髪が伸びているし、本人もそう演出したがっているから、軍の中でも最古老という扱いになっているのだ。肌身離さず手にしている杖は、今背後に置かれていた。



「先行で死人が出てんだ。これくらい静かなのは、当たり前でないかい」



 白髪交じりのとび色の蓬髪をぼさぼさ揺らし、新しい魚に手を伸ばした男も言う。


 真のエノ軍最古老・ジュラは、アキルとは逆に若く見られがちだ。


 大きな鉤鼻の先端と目尻を酒に朱く染め、いかにも朗らかに酔い楽しんでいるかのように見せても、見る者が見れば老いかけた大男の心は氷のように冷え冷えと冴えて、どこにも隙の無いことがわかる。


 隣に座る先行隊長のパスクアには、もちろんそれがわかっているが、エノ陣営で育ち、幹部の父の跡を引き継いだ彼にとっては、見慣れた風景でしかない。



「その、うちの先行なんですけどね」



 干したばかりの杯を手の中で転がしながら、パスクアは低く話を継いだ。……彼は吞めない、空の杯にいつのまにか誰かに酒を注がれてしまわないよう、こうする癖がついている。



「生存者を運び込んでくれたのが、一風変わった三人組の流れの傭兵なんです。一応念のために調べますが、間諜の線はなさそうですね」



 殺気と喧騒の中で育った割に、何故かこの男には妙な気品があった。ただ、優男となめてかかると恐ろしい目に遭う事を、一般の兵士たちは身をもって知っている。



「そうそうそう、ものすごく頭の回る女の子が居てね! あれは、情報収集に重宝するだろうなあ」



 エノ王の言葉がすこし華やいだ。



「おや、女の傭兵かい? 久しぶりだな。採用したのか」



 ジュラも興味を引かれたらしい。



「したよ! もちろん」


「俺とアキル師の目の前で、速攻でしたよ。死んだ先行人員分を、あっという間に補填してしまわれた。いつ聞いても、お見事な口車です。王」



 王の口元がにやりと綻んだ。



「人聞きの悪いこと言うない、パスクア。人手なんぞ、これからはいくらあっても足りんからな」



――それはそうなんだが。実質的な給与や待遇を仕切る側としては、見境なくぼんぼん採用するのは、やめて頂きたいんだがな。おっさん。



 生粋の中間管理職パスクアが、眉一つ動かさずに内心で毒を吐いている傍ら、エノはふと宙に目を泳がせた。



「……何か?」



 王の正面に座るアキルが、気付いて問う。



「うん……、その三人組なんだけど。棒使いの男と、もう一人きれいな娘がいて、……あの赫毛あかげの娘なあ。どこかで会ったような気がしたもんだから」


「ということは、彼女も不幸な過去の持ち主ですか」



 やたら冷ややかな声である。燭の灯りに照らされて、老賢人の浅黒い肌に、澄んだまなざしが映えていた。



「やかましい、アキル。そこまで言うかね」


「いやアキル師、ごく若い娘だったでしょ? そっち方面の面識じゃないと思いますよ」



 平らかに、パスクアも王を擁護した。何ら隠すことのない公然の事実なのだが、エノはかつて相当の女好きとして知られていた。だがそれも若いうちの話であり、中年となり大きな権力を手中にしつつある今、不思議と女性に欲が向かなくなった。


 精力減退には早すぎるとして薬翁は気をもんでいるのだが、本人及び周囲の幹部は全く気にしていない。攻める対象が、女性から国々へと変わっただけなのだ。(ちなみに、アイレーにおける諸言語において、国や都市はおしなべて女性詞である。)



「メイン。お前、なにか心当たりないか?」



 エノは横に顔を向け、それまで影のように静かに座っていた息子に声をかける。



「嫌だな、父さん。いつも言ってるじゃない? 俺、人の顔憶えるの苦手だって」



 これと言って特徴のない、……強いて言えば女のようなつるりと端正な顔に、はにかんだ苦笑を浮かべて、物腰柔らかに子は答える。


 ごく小柄な身体は儚げに細く、いまだ少年らしさが抜けきらない。つややかな黒髪を除けば、若い頃の王を知る者たちから見ても、外見に何ら共通点をもたない親子である。



「そうか、そうだったなー。……まあ、勘違いかも。他人の空似とかね」



 それでも、従順な息子を王は大切にしていた。傍目に仲は良いのである。



ぼんよお。お前、そんなこと言ってちゃ女が寄って来ねぇよ? こういう場合、初めて見たのでも、良い女なら無理矢理前に見たって事にすりゃ、引っ掛ける因縁にもならぁ」



 ジュラの下卑た忠告に、一同が苦笑した。



「余計なお世話だよ。……ああ、もう魚がないね。俺、厨房へ行ってもらってこよう」




 ・ ・ ・ ・ ・



 胃の腑の底で沸き立つような怒り、嫌悪感、憎しみ、……それらの激情を抑えつけながら、メインは夜道をすたすた歩いて行った。


 灯りが乏しくなる程に、彼の周りにちらちらと飛び交う光の粒が、四つ、五つと多くなる。蛍にしか見えないが、実際には似て異なるものであった。



「……」



 鼻腔から深く長い息をついて、立ち止まる。どうしても我慢がならなくなった。


 辺りに人の気配のないのを良い事に、メインはすぐ傍らにあった大きな樫の木に、思い切り右の拳を叩きつけた。


 強固な幹と指の付け根、両者の接点からじわりと起こった痛みが全身を通過しても、かれの胸で燃えさかる炎は、ちっとも勢いを弱めない。



「……どこかで、会ったような気がした。だと」



 食いしばった歯の間から、声にならない呟き、嗚咽が滲み出る。



「忘れたって言うのか……!!」



 ――俺が一番忘れたいのは、お前のつらだ。親父!!




 ・ ・ ・ ・ ・




 夜が更けてゆく。


 陣営のかがり火が絶える事はなくとも、天幕ひとつひとつの中では、非番の傭兵たちが、それぞれの夢を貪っている。


 意外に快適な敷き藁の寝床のなか、義姉の隣でまどろんでいたイオナは、なぜか目覚めた。



 ――……風?



 確かに風が吹いた。その風が、不吉な旋律を含んでいたような気がした。


 たちまち母の歌声、何度謝ってももう永遠に手の届かない、あの哀しい母が思い出される。


 イオナは両手で耳を塞ぎ、柔らかなアランの背中に顔を埋めた。




・ ・ ・ ・ ・




♪ ……波に抱かれ ねむりゆくあなた…… 



 歌声の主はいま、闇の海に向かって涙を流していた。


 心のうちには今も怒りが燃え盛っている。しかし同時に、体中を突き破って溢れ出しそうな喜びに満ちてもいた。



――待っていたんだ。



 岬の突端、断崖に立つその姿は、微風にすら消え入りそうにうすく、儚い。



――うつくしい、美しいあのひとが、還ってきた。



 冷えびえと静まった湿っぽい大気を隔てて、かさにくるまれた月だけが唯一、その風景を見ていた。













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