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海の挽歌  作者: 門戸
空虚一年目 イリー諸国軍
109/256

109 空虚一年目1:ゲーツのあばら禍

 臨時の負傷者収容所となったオーラン宮地上階、小議事堂には午後の光が明るく差し込んでいる。


 がらんどうの部屋に運び込まれた男達は簡易寝台の上、的確にぐるぐる巻かれた白い晒し姿で、静かに横たわっていた。


 医師が、この部屋最後の患者を診ているところである。



 内出血が拡がったゲーツの左脇腹は、秋のぶどうのような色になっていて、改めて見るとそれだけで眩暈がする。痛い。


 母譲りの豊かな鳶色巻き毛を伸ばしたオーレイ王子は、医者らしく青色の筒っぽ服を着て、神妙にゲーツのあばらに指をあてる。



「ここは」


「……痛いです」


「この辺は」


「……痛いです」


「ここら辺までも?」


「……痛いです」


「全部同じじゃん? 本当に痛いの?」


「……どこも、まんべんなく痛いです」



 オーレイは小さく、溜息をつく。



「じゃあ次、息を吐いて。深ーく吸って、吐いて……」



 片耳を背にくっつけていたが、やがておもむろに傍らの箱から小さな壺を取り出し、その中身をゲーツの脇腹にべたくら塗り始めた。


 つーん、と鼻を突く異臭が漂う。



「……オーレイ様、自分は死ぬんでしょうか」



 ゲーツは思い切って、聞いてみる。自分史上最大級の痛みである、致命傷かもしれない。



「それはもう、死にます」



 平らかに返されて、ゲーツは内心ぎくりとする。



「七十過ぎれば、誰だってね。でも、ゲーツは今は死にません。これ、骨折どころかひびも入ってないと思うよ。ただの打ち身だよ」



――いやッ、そんなはずはないぞッ。



「……痛いんですが……」


「衝撃自体は激しかったみたいだからね、炎症は出てます。でもこのうさ菊軟膏塗ってれば、十日で忘れるようなやつだから」


「……」


「テルポシエの、女性騎士の槍にやられたんだって?」


「……はい」


「男だったら、ひび入ってたかなあ……。美人だった? 始末したの?」


「……部類としては、間違いなく美人です。心臓を貫いたので、まず即死かと」


「そう、良かった」



 医師は手巾で、指の臭いのを拭き取り始める。



「ゲーツはさ、強い美人に弱いんでしょ。グラーニャにだって、面接の実技で一発決められて、それで惚れちゃったんじゃない。へたに生かしといたら、その騎士に気移りしてたかもよ」



 この辺の抑えた囁き方は、微妙に父王に似ている気がしないでもない。



「……」


――見てたのか、わかってたのか、憶えてたのか、若僧めッッ。つうか俺が気移りするような軽い男に見えるのか!? 王子様だからって、冗談言うにも程があるぞ!! あー痛ッ。



「そいじゃ、お大事に」



 無表情の内側、暗澹たる恨み節を湛えた傭兵に爽やかに笑いかけると、若き医師オーレイ王子は箱を抱えて、開けっ放しの扉から出て行ってしまった。



・ ・ ・ ・ ・




「どうだっ」



 待ちかねた声の持ち主が小議事堂に入って来た時、ゲーツは暇に任せて三千六百頭分の山羊(長毛種)を脳内で数えていた所だった。


 簡易寝台から上半身を起こした瞬間、脇腹に激痛が走り、伝説の傭兵は目の下の筋肉をこわばらせる。負傷そのものが未経験ゆえに、跳び起きたらとっても痛いという当たり前の事を、彼は知らない。いまようやく、学習している。



「……グラーニャ様」



 マグ・イーレ第二王妃の背後に控えていたリンゴウ・ナ・ポーム若侯が、さっとゲーツの肩に手を添える。素早く枕を膨らまして壁に寄せ、背もたれになるよう整えてくれた。事務官として大変頼りになる、そして気の利く正妃ニアヴ配下の騎士である。


 とりあえず、負傷しているゲーツの代役として、グラーニャの護衛をしているようだ。


 自分以外にも七人の負傷者が収容されているから、ゲーツは表向きの話し方で低く、グラーニャに言った。



「……自分は死ぬと、オーレイ様に言われました」



――嘘はつかないぞ。七十を越えたらっておちを言う前に、どんな反応をするか、ちょっとだけ様子を見てやれ。



 寝台枕元にしゃきっと立ったまま、グラーニャはじいっとゲーツを見下ろした。



――じわっと泣いちゃうか⁇



「うむ。お前は今のキルスの年齢を越えて、いぶし銀傭兵として大活躍してから往生するがよい。さっきオーレイに会って、全然心配ないと聞いたぞ」



――若僧めッッ。



 にこっと笑顔が見下ろしてくる、この二人にとっては珍しい構図である。



「大した事なくて、良かったな! マグ・イーレへ帰還する時には、またちゃんと護衛の仕事をしてもらうぞ。ほれ、さっさと寝て、早く治せ」



 優しく肩を押してゲーツを横に戻すと、グラーニャは毛布がわりの彼の濃灰外套を、ふわりとかけ直してやる。その下で、ちゃんとゲーツの右手を握りしめていった。



「大事にするんだぞ」



 それきり、くるりと方向を変えて、すたすた別の負傷者のもとへ歩いて行ってしまう。ポーム若侯も笑顔で礼をして、マグ・イーレ第二妃に続く。


 ゲーツは、彼女を目で追うような真似はしなかった。いつも通りの無表情のまま、両目を閉じる。



――そうかそうか、ではマグ・イーレ帰還の日が俺の復活日だ。っていつだ? 聞いてないが二日後、三日後……いいや、そんなゆったり仕事する人じゃないだろ、キルスさんは。じゃあ明日? うーむ、それに備えて治さないとな、って治るもんなのこれ? 若僧は十日つってたよ? はあ? ……じゃあ、このあばらなまんまで馬乗るの?



 瞼の裏側が、なんだか潤ってきた気がする。



――俺がじわっと泣いちゃって、どうすんだよ……。

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