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海の挽歌  作者: 門戸
赤い巨人
107/256

107 赤い巨人12:イオナとリフィ

 森の中はくらく、朝の陽光はいまだに届かない。


 赤ん坊という持ち慣れない荷物を胸に、若き準騎士リフィはすでに疲れ切っていた。


 先を行くイオナの足は速く、ついて行くのが正直しんどい。ずっと幼い頃から男子に混じって訓練を受け、体力には自信があったけれど、追われる身での逃避行がここまで辛いとは思ってもみなかった。



「……あの、イオナさん」



 とうとう焦りが頂点に来てしまいそうだったので、聞いてみる。



「何?」



 振り返りはするものの、もと傭兵の王妃は足を緩めなかった。



「ずいぶん長い事歩いてますけど、集落を見るどころか森も抜けていません。方角は、合っているんでしょうね?」


「ちゃんと北進してるよ」


「はあッッ!?」



 あっさりした答えに、思わず声が尖ってしまった。



「しっ、静かに」


「何を言って、……我々は東へ行くんですよッ!?」



 囁き声まで落としたが、疲労に混乱を追加されたリフィの頭は、瞬時に沸騰しそうだった。一方でイオナは全く冷静に、胸の抱っこ布をほどいて、リフィに差し出す。



「ちょっと娘を預かってて。少しうるさいのがついてきてるから、片付けてくる」


「えええっ!! うるさいのって、……追手ですか!?」


「だから、静かにね」



 それだけ言うとさっさと身をひるがえし、森の闇に紛れてしまう。




 ぽつ――――――――――ん。


 左手に王子、右手にイオナの娘を抱えたリフィの身体に、森の暗さと静寂とが、強大な圧力としてのしかかってきた。


 それも束の間、少し遠方で男のものらしき声が聞こえる。空耳ではない。


 咄嗟にしゃがみ込んで、身を縮めた。がさがさと樹の枝に歩行が当たる音、会話もだんだんはっきりしてくる。



「……確かに聞いたのか」


「ああ、若い女の声だ。どこかに隠れているんだろう」


「探せ」



――三人!!



 山賊か狩人か、このまま静かにしてやり過ごせれば……、リフィは息を殺して、どうにか体の震えを止めようと努力した。そうして、つい手に力がこもってしまったのかもしれない。



「あああん」



 王子がか細い声でないた。



――ひえええええっっ!!



「おっ、いたぞ、あっちだ」



――ばれたあああああ!!



 リフィは駆け出した。



「あああん」



 子ども達が重い、重すぎる。それに両手がふさがっていては、槍が構えられない!!



「あああ――ん」



 王子の声は、追手を正確に誘導してしまっていた。


 いきなり首元がぎゅううと締まる、リフィはそれ以上駆けることができなくなった。


 後ろから外套の頭巾を引っ掴まれたらしい。そのまま乱暴にぐいと後ろを向かされると、



「おらあっ」



 ばちいっ、と厚い平手打ちを入れられた。


 暗闇の中に幾つもの火花を見、無様に地面に転ばされたリフィは、素早く瞬きをしてあふれ出た涙を振り払おうとした。抱えたままの二人の子が、火のついたように泣き出す。


 潤んで見にくいリフィの目に、ぼんやりと明るさがにじんだ。



「捕まえたぞ!」



 追手の中の一人が、松明たいまつか何かを持っているらしく、ものの燃えつく臭いが漂う。



「何だあ、子持ちの割に色気のねえ女だなあ」



 ひゃはは、ひゃははと下卑げびた笑いが耳に障った。


 不意に、一人がリフィの短い髪を乱暴に引っ掴むと、そのまま無理やりに立ち上がらせた。



「おい? 見てみろよ、こいつの髪!」


「は、放してッ……」


「白金じゃねえかッ」



 リフィの顔を、そびえ立つような大男三人が見下ろしていた。松明たいまつを近づけられて、その熱さにリフィは必死で顔をそむけようとするが、頭をがっちり掴まれたままで動けない。



「お嬢ちゃん、あんた、……ひょっとして」


「テルポシエの、貴族さまか何かかい?」



 それでリフィははっとした。松明に照らされた男たちが着ている、薄汚れた外套が目に入る。



「あなた達は……!」



 枯草色の外套だ。



――二級騎士!? 市民兵? とにかく同胞、助かっ……



「ぎゃはははは! わかるって事は貴族だな! こいつぁいいや!」


「連れて帰って、皆で輪姦まわそうぜ。その後で焼いちまえ、生きたまんまでさ!」



――何を、言って……



「おいおい。傷をつけないで、どこかのエノの部隊に売っぱらった方が、頭良くねえか」


「はあ!? 何言ってんだよ。俺らが焼け出されて、こんな糞ったれな山賊境遇まで落ちたのは、元はあほ貴族どものせいじゃねえか! せいぜい、恨み晴らしたって……」



 かつん、と鋭い音がして、熱弁をふるっていた男は押し黙った。喉元に正確に突き立った短刀が、松明たいまつあかりにきらめく。


 そいつがすとん、と膝を折ってくずおれると同時に、イオナの右腕から伸びた鋼爪の三本刃が、リフィの頭を掴んでいた男の側頭部をがつんと撃った。


 三人目は即座に反応し、手にした槍を突き出そうとする。しかしイオナの方が、先に戦闘鎖を投げつけていた。足を絡め取られて転びかけた男の後頭部に、鮮やかなかかと落としが入って、そいつもやがて動かなくなる。


 リフィは、と見渡しかけたところで怒号が上がった。



「おいこら、お前っ!」



――しまった、



 鋼爪でぶん殴った男は、急所を外していたらしい。リフィから奪い取った赤ん坊を抱え、短く持った槍の穂先を突き付けている。



「赤ん坊を串刺しにされたくなきゃ、おとなしく……」



 ごッッッ。


 鈍い音がして、今度こそ男は白眼をむいた。


 落ちかけたおくるみを、イオナはさっと手に受け止める。


 リフィが渾身の力を込めて、敵の脳天に槍を振り下ろしたのである。


 抱っこ布に入ったまま転がされ、泣きじゃくっていたフィオナを拾い上げ、イオナは素早く二人の子の無事を確かめる。


 地に落ちた松明の灯りで、敵が完全に戦闘不能となったことを確認してから、ようやくイオナは立ちっぱなしで荒く息をしている娘に声をかけた。



「悪かったね、リフィ。うろついてた山賊を何人か始末してたんだけど、こんなに仲間がいたとは思わなかった。……さあ、先を急ごう」



「面目ありません」



 囁くような声が、リフィの唇からもれた。



「わたし……わたし、全然動けなかった……」



 いまだ体の震えが止まらない。止められない。


 平手で張られた頬が、赤く腫れ出している。涙と鼻水をだらだら流しながら、それでもリフィは歯を食いしばった。



「わたし……必ず強くなります。あなたみたいに。……でなきゃ」



 無理やり握ったこぶしで、リフィはぐいと強く顔をぬぐった。



「でなきゃ! 大事なその子を、この先守っていけないっっ」



 あどけなさの残るその汚れた顔が、まっすぐな決意を湛えてイオナの胸をえぐった。


 まだはっきりと理解できない、けれど直感した。


 長い間探していたものの答え、そのひとつを――この娘は持っている。



「……そう、だね」



 もう一度顔をぬぐい、リフィは何かを振り切ったように言った。



「夜が明けます。行きましょう」





・ ・ ・ ・ ・





 森を抜ける直前、頭上の梢を優しく叩きながら、雨が通って行った。そして洗われた世界が、柔らかい緑の野と言う姿をとって、そこにあふれる。


 その中でひっそり、はにかむようにその存在を示している細い小径を、子を連れたふたりの女たちは歩いてゆく。


 乳灰色の空はほのぼのと明るく、道端でおしっこを済まして機嫌の良くなったフィオナは、リフィの足元をととと、と歩いていた。


 その周りには、彼女の目にだけ見えている小さき人々が、蜜蜂のような羽音をたてて群れ飛び、くしゃくしゃに膨らんだ若い赫毛あかげを撫でては、祝福を授けてゆく。



「あ――、にーじー」



 リフィも頭を上げて気付く。小径の伸びる先、段々に見えかすむ丘のむこう側に、ごく薄い虹の橋がかかっていた。



「本当だ、虹だね! あの根本には、宝物が埋まっているかもしれないよ」



 幼子はリフィを見上げて、目をぱちぱちしばたたいた。おねえさんの嬉しさを『見て』、フィオナも何だかうれしくなったのだ。


 と、リフィの胸に抱かれた赤ん坊が、むにゃむにゃと起き出す。



「ああ、イオナさん。おっぱいをお願いします」



 くるりと振り向いて、リフィはびっくりした。



「あ……どうしました? 大丈夫ですか」



 赫毛あかげの元傭兵、背の高い王妃は頬に幾筋もの涙を伝わせていた。


 言われてはじめて、自分でもはっとした様子で、慌てて手のひらを顔にやる。



「ああ、はは、何でもないの」



 ととと、と娘が母に駆け寄る。娘に群れていた目に見えない存在がそれに続いて、イオナの髪を慰めるように撫でた。


 もちろん、イオナにそれらは見えていない。ただのそよ風、しかし懐かしい匂いをかいだ気がした。メインの匂い。


 路傍の岩に背をもたせかけ、小さな赤ん坊に乳を含ませる。リフィはフィオナに革袋の水を飲ませ、自分も飲んでから、ふかふかに膨らんだ幼女の頭髪を手櫛ですいてやった。そこに、柔らかい朝の陽光が落ちる。騎士見習の白金色の短い髪が、きんぽうげの花のように輝いた。



――母さん、父さん、兄ちゃん、アラン。……イビカ、ニーシュ、――――メイン。



 遠く丘々を眺めつつ、イオナは心の中で、懐かしい存在に呼びかけた。



――馬鹿なわたしにも、ようやくわかりかけてきたよ。守りたいと思う気持ちは、理屈抜きだったんだ。本当にそのひとを、……大事に思っているって、ただそれだけのことだった……。



 別離のつらさや哀しさをもってしても、彼らが守ろうとしてくれた自分の生命なのだ。≪丘の向こう≫などへ去ってしまったのではない、彼らは≪海の挽歌≫にのまれて行ってしまったのでもなかった。




 彼らはイオナと、常に一緒に居てくれたのだ。




 だから生きる、生きる、生き抜く、自分のなかに在り続けている彼らのために、彼らと共に。イオナには、立ち向かうべき仕事がある。




「ありがとう、皆」




 イオナは口の中で小さく呟いた。眼前に、世界がひろがっていた。

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