104 赤い巨人9:巨人の殺戮
夜明けとともに突入、と言うのはマグ・イーレ側も同じ考えだったらしい。
どちらの指揮官でもなく、曙光が両軍に合図を出したのである。
完全武装のマグ・イーレ騎士、後方の傭兵部隊が進軍を開始するのと同時に、市外壁西門が開いて、大盾持ちのエノ歩兵達が勢いよく飛び出してきた。
「第一騎陣!! 突入――――――っっ」
秘密の通路出口からこっそり自陣へと立ち戻り、銀兜と鎖鎧で厳重に身を覆ったグラーニャは、黒羽の女神の軍旗をかざして最前線に立った。
白き牝獅子の声に鼓舞されて、マグ・イーレ軍の騎兵たちは長剣の柄を握りしめる。
対するテルポシエ側では、瞬く間に大盾が隙間なく立ち並んで、壁が形成される。騎兵らがそこに切り込もうとした刹那、
「やっちまえ、薙ぎ役ども――ッ」
ウーアの声が、つながった大盾の壁の内側に、びりびりと弾み通った。
一斉に大盾が上にずれ、陰から歩兵たちが飛び出す。かれらは手にした長刀を、地表近くで力任せにぶん回した。
そこから、膨大な衝突が無数に沸き起こる。
馬の足を薙がれ、落馬してそのまま動けなくなる騎士もいるが、大方はくるりと回って、歩兵に長剣をぶち当てていく。
「ぎゃはははは、飛び道具は効かなくても、鉄拳の前にゃ理術は形なしなんだなッ」
大盾からはみ出したウーアは、愛用の戦闘棒で、あるいは鉄鋲革帯を巻いたこぶしで、元気にマグ・イーレ騎士をど突きながら高笑いする。
「ん-、でも向こうの矢が来る分、やっぱ俺らちょい不利だねえ!」
そのすぐ左脇を固める格好で、こちらはきちんと大盾内に収まったウーディクが怒鳴り返した。
盾の反対側に、かんかんと衝撃音を立てながら、矢が当たる。
「俺も、射撃で本領発揮したいんだけどなあ」
残念ながら本日得意の大弓が使えないウーディクは、代わりに盾そのものを武器に利用していた。
すなわちその硬い表面ごと、思いっきり騎士に衝突する。ぱっと盾を離して相手が意表をつかれた所を、腰の山刀二本でがんががんと頭部を連打すれば、割と手軽に卒倒させられた。
――と言うか、マグ・イーレの兜は案外薄いのかもしれないな。黒羽がいっぱいついていて、ちょっと見かっこいいけどね!
準幹部でありながら、いまだに支給品の標準装備で頑張るウーディクは、へっと鼻息をあげた。
「にしたって、こっちばっかり、矢が立たないってのはずるいよ。……おっとぉ?」
右に離れた叔父の背後に、切りかかろうとしている奴がいる!
背にかけた大弓をすいと外して、その上先端で、素早くそいつのうなじ辺りを突いた。
あらかじめ装着しておいた細い千枚通しが、鎖鎧を貫通して敵を刺す。
のけぞり返った騎士は、気づいたウーアに振り返りざま裏拳を食らって、その辺に飛んで行った。
「がんばれよ~、お前ら――!」
ウーアの声は、乱戦の中でも感心するほどよく通る、さすが体型美の為せるわざである。
「じきにメイン王が、すっげー呪いをぶっ放してくれるからなー!」
そこでふと、空が暗くなった。
喧騒の渦が、瞬時に静まる。
何だ、とウーディクが大盾の陰から見れば、敵も味方も動きを止めて、上を見上げている。
彼らの頭上に、見た事もない赤い雲が広がっていた。
「……いや、雲なんかじゃないぞ、こいつは……?」
一番高みにある不気味な顔に、いち早く気付いたのはグラーニャだった。周囲を護る騎士数名の小弓連射のおかげで、彼女のまわりだけぽっかりと見通しが良かった、という事もある。
「顔っぽいのが見えるが、あれは精霊だろうか、ゲーツ!? それとも、俺の知らないどうぶつであろうかっ」
「……精霊でしょうね」
すぐ脇で、ゲーツは低く答えた。
――遠目がきかないのはわかるが、さすがに大きさで判断してくれ……。
城内で受けた傷は、内出血の様を呈していた。衛生兵が応急処置をしてくれたものの、ゲーツは自分史上最悪の痛みに苛まれていた。よっていつも以上に、極力話したくないのだ。
「よし、精霊かっ。ということは! 出番ですぞ、理術士殿!」
グラーニャの呼びかけに頷いて、騎陣のすぐ後方にいた理術士隊長は、例の被り物を引き下げ、杖を高く掲げた。
「全員、精霊に対して防御壁ッ」
彼の周囲にいた四人の理術士が、同時に杖を掲げる。
「いざ来たれ」
「いざ来たれ 群れなし天駆ける光の粒よ 高みより高みより いざ集え」
「集い来たりて 悪しき物の怪のわざより 我らを隔てる壁となれ、……」
五人の理術士たちの、一糸乱れぬ詠唱の調和が、不気味な静寂を破ってゆく。
やがて彼らの身体は明るい光を帯びて輝き始め、それがグラーニャとゲーツに、近くにいる騎士達へと、次々にまとわりつくように伝って行く。
夜は明け切って、いまや澄んだ水色の空が広がっているが、ちょうどマグ・イーレ軍の所だけに陽光が温かく満ち差しているようだった。
いびつに赤くそびえ立つ巨人は、瞬きもせずにその様子を見下ろしている。
「ご安心ください」
ふと、理術士隊長がグラーニャの方へ顔を向けた。被り物の下、口元が微笑んでいる。
「未だかつて、ティルムンの理術が東の精霊に破られたことは、ありませ――」
最後の語尾は、びゅっと伸びて来た巨大な赤い手によって、話者もろともすくい取られた。いきなり騎手を失った馬が驚き、鋭くいななく。
同じ方向、ともにすくい取られる位置にいたグラーニャの背後にゲーツは瞬時で飛び移ると、
「走れ!! ポネオッッ」
馬だけに通じる緊急の調子で呼びかけ、すんでの所で絡めとる手をよけ切った。
――ぬおおおおおっ、あばら――!! 痛――ッッッ。
戦場に立つすべての者たちが注視する中、赤い巨人は左の袖の陰から壺のようなものを出して脇に抱え直す。そして、甲高い悲鳴を発している右手の中の獲物を、ちょっと勢いをつけてその中に放り込んだ。
びしゃっっ。
悲鳴が聞こえなくなる。
巨人の口元に、壺の内側から跳ね飛んだ、赤いしぶきが飛び散った。
巨人は、……巨人の女は口角を上げて、笑ったらしい。
赤黒い唇が上下二ツに割れ、さらに黒い舌がぬらりと這い出て、そのしぶきを嘗めとった。
「うわあああああああああ!!」
恐怖の悲鳴が、どちらの陣営から最初に上がったのかは定かではないが、とにかく巨人の足元のマグ・イーレ軍は恐慌に陥った。
度肝を抜かれた、という点ではエノ軍も同じなのだが、巨人が続けて敵軍の兵士を捕えようと屈みこむのを見て、王の放った精霊なのだと気づき始める。
「何じゃ、ありゃあ……」
「メイン王もまた、とんでもねえのを召喚したな……、おっかねえ」
「味方で、ほんと良かったね!」
巨大な存在に恐れをなした馬たちが、混乱し始めた。巨人の動きはごくゆっくりしているのだが、どちらの方向へ行けばいいのか判断が付きかねて、マグ・イーレ軍の足は急激に乱れていく。
「よしッ、とにかく敵軍は崩れている。全左翼、右翼の援護に向かって出るぞッ」
タリエクは、横の笛手にけたたましく合図を吹かせた。
先ほどまで混戦の中心となっていた、ウーアたちの右翼側へ向けて、配下の一個団を旋回させる。
「第二騎陣!! 全員、投擲、投擲――――ッ!! 撃て撃て撃てッッ」
グラーニャは、軍旗を高く差し上げながら怒鳴った。
巨人の真下にいる同胞たちを逃がすべく、後方のマグ・イーレ傭兵部隊の全員が、大弓や中弓、投石器を使って攻撃を開始する。ありったけの強さで巨人の頭、とくに目を狙っているのだが、命中しても全くこたえた様子は見えない。
それでも何とか、直下地点から抜け出し始めた第一騎陣が、こちらに向かって来た。グラーニャは眉間の留め金を外し、鎖鎧から顔を出して怒鳴った。
「退却――――ッッ!! 全軍、退けええええええッッ」
ゲーツは再び自分の黒馬に戻っていたが、この混濁の中で、真っ白なグラーニャの姿が巨人の目に留まらないかと、気が気でならない。何だかもう、吐きそうである。
左手に手綱を取り、右手でマグ・イーレ軍旗を大きく振りながら、白き牝獅子はぎりぎりと奥歯を噛んだ。
――理術士をやられた上に、こんな化け物が出て来たのでは、分が悪いどころではない。
「……あと一歩で、テルポシエを灰にできたのに……!」
眼前に湿地帯が迫っていた。そしてふっと、背に冷やりとしたものを感じる。
――ちょっと待て。理術士たちは、“早駆け”の効力は長くて何時間……と言っていたっけ?
ひいいいいいん、と悲痛ないななきが各所で沸き起こる。自軍騎士たちがぬかるみにはまり込んでいる姿が、あちこちに見えるではないか。
――こんな時に、効力切れとは!!
「理術士どの――ッッ、理術士どのおおおッッ」
――五人全員がやられてしまったわけではない、生き残った理術士にすぐさま術をかけ直してもらえば、この湿地帯を抜けて、マグ・イーレ軍を脱出させられる! ……だがしかし、巨人とエノ軍とに追いつかれる前に、それが叶うのか?
・ ・ ・ ・ ・
「いいぞ精霊――! そのまま、湿地帯まで押し返せ―!!」
「皆、精霊に続けっ」
まるで野苺か何かを摘んでは、籠に放り込むような淡々とした仕草で、巨大な赤い女はマグ・イーレ軍の兵士を収穫し、その鍋にぶち込んでいった。
女の後部にいるエノ軍からは、巨人の抱えるものが銀色に鈍く光る取手付きの容器、すなわち両手鍋だと見て取れたのである。
「マグ・イーレの奴ら、後退の速度が落ちたぞ」
「湿地で、難儀してるんだ」
「出番だぞ、歩兵隊ー! 一気に潰せ、たたみかけろッ」
・ ・ ・ ・ ・
とりあえず、三名の生き残り理術士たちは必死になって“早駆け”の長い詠唱を始めたが、素人目に見ても彼らの消耗は激しかった。
支柱であった隊長を失ったのも大きかったし、そもそも初めから全軍援護はぎりぎり精一杯、という度量の隊だったのである。
この間もエノ軍の追撃は迫り来ていて、頭上の巨人の恐怖とともに、湿地帯の入り口に追いつめられたマグ・イーレ軍は、まさに窮地に陥っていた。
標的を地上エノ歩兵に換え、投擲を続ける後陣の傭兵たちがかろうじて善戦し、なるべく多くを後退させるための時間稼ぎをしている。
そして相変わらずの脇腹に悩みながら、ゲーツはグラーニャの背後で長剣をふるっていた。
――手負いの上に、四人が相手かー。あ、三人に減らせた。でもやっぱ辛いぞ。つうか、歩兵の棒が本気でうざい。
その時あばら部分に、敵の戦闘棒が、ぽこんとまぐれ当たりした。
ゲーツは、くわっと両目を見開く。
天性の素質と強運の重なりによって、冗談のように強くなった伝説の傭兵は、実は強すぎるが故に負傷した経験がほとんどなかった。傷に駄目押しの一撃は、人生初体験かもしれない。
激痛が身体を貫通し、思わずよろりと馬上で気を失いかけた所へ、例の赤い影がよぎる。
「ゲーツ―――っっっ」
決闘時の猫の絶叫、それにそっくりなグラーニャの本気の叫びに、はっと我に返って顔を上げる。
巨大な赤い蛇の頭がくわえていったのは、彼に群がっていたエノ軍歩兵の一人だった。
そいつは宙にもてあそばれながら、必死に叫んだ。
「お――っ、おいっ! 俺はマグ・イーレじゃないぜ!? 俺は、エノ……おおおおおっ」
ご、くっっ。
叫びもろとも、歩兵の身体はまるまると蛇に呑み込まれた。
女巨人の頭からは、太く一本に編まれた赤い髪が伸びている。驚くことにその先端は、ちろちろと舌を出し牙をむく、蛇の姿になっていた。そいつが今、エノ傭兵をひとり殺したのである。
――マグ・イーレ軍だけではない。
――エノ兵をも、攻撃している?
誰もが唖然としたその瞬間。
グラーニャは急に、体が軽くなったのを感じた。
見れば、理術士がいつのまにか四名に増えていて、彼らの――特に増えたその四人目の杖から、香ばしい不思議な風が大きく吹きすさんで、自分たちを包み込んでいく。
「援護完了ッッ」
やや大きめ、口元以外を広く覆う被り物の内から、女の声が叫ぶ。
――キューリか! よくやった!
グラーニャの身体の底から、力がこみあげる。
「……グラーン……」
情けない声に振り向くと、とりあえずの手近な奴らを倒したゲーツが、何故か下馬してしまっている。
「な―――っ、……何やってんだぁ、お前は!?」
ぎょっとして問う間に、ゲーツはするりと黒馬の鞍を外してしまっていた。裸馬に再び跨ると、彼女のすぐ横に来て、右手を差し伸べる。
「……今回は、お前が俺を連れてってくれ」
引っ張られて飛び移り、その前に跨ると、ゲーツの左腕がぐいと腹に巻き付いて来た。もう一方の右腕は、再び長剣を握る。
グラーニャに手綱を取られた黒馬は、軽やかに駆け始めた。ぬかるみの感触は既にない。
「はぐれるんじゃないぞ、ポネオっっ」
自分の白馬だけではない、最後尾で戦っていたマグ・イーレ騎士の全員がやがて全力で退避するのを確認しつつ、グラーニャは駆けた。そして心配を募らせた。
「おい、こら! 死ぬんじゃないぞッ、ゲーツ!」
黒馬が低い石壁を軽々と飛び越えた瞬間、耳元でおげえええ、と呻きが聞こえた。
「お前は!! ……お前が死んでしまったら、……!!」
――泣く? 悲しくて自分も死んじまう?
人生最悪の脇腹禍ではあるが、ゲーツはほのかに感動してもいた。この女が、そういう健気なことを言った事が、いまだかつてあっただろうか?
「一体誰が、こうしちゃんの猫砂を取り換えるんだッッ」
――……自分でやってよ。
特に殴打されたわけではない胸の内に、男はがっくり深い痛みを感じたのであった。




