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海の挽歌  作者: 門戸
赤い巨人
103/256

103 赤い巨人8:巨人の出現

 テルポシエ本城、中広間。


 歴代王と女王が、そして兄が、かつて緑の騎士たちに囲まれて国政を取り仕切っていたその室、その長卓の端に、エリンは城の見取り図布面を広げる。


 さっき壁脇の机の引き出しを開けたら、白黒の布陣石が残っていた。それを掴み出して、布面の上に置いてゆく。


 腰痛が酷くなって来ていたが、それを言える状況ではない。もう何度目か、低い位置で結んだ布帯をほどいて、改めてぎゅうと縛り直す。



「こことここの、地下階。乱闘の起きている黒石の部分に」



 エリンは卓の向こうにいるエノ首領、メインを直視した。



「城内と外部を結ぶ、秘密の通路があります」


「通路ぉッッ!?」



 隣でパスクアが短く叫んだ。それを完全に無視して、エリンは今度は白い布陣石を置いていく。必死で記憶を手繰り寄せている。



「加えて、もうあと二か所、出入口がある。地下を通る狭い通路だから、兵士四・五人で固めれば十分よ」



 厳しい顔つきで、メインが背後の伝令役二人に頷いた。彼らは直ちに走り出ていく。



「……なるほどねえ、こんなのがあったら、そら牢からも軽々脱出できるよ?」



 三年前のテルポシエ陥落後、捕虜となっていた騎士たちが大量に脱出していたからくりをようやく知ったと思い、パスクアは顔を引きつらせていた。



「何の話? 叔母は、前世紀の旧い生活地下道を通ってきたらしいのよ。わたしも今日言われるまで、ずっと忘れていたわ」


「……」



 言われてパスクアは見取り図に視線を落とす、たしかに地下牢のある新北棟にエリンは石を置いていない。



「外壁での戦況は、今どうなっているの?」


「……相変わらず、睨めっこだ。衝突に備えて、配備はしてある」



 卓からやや離れたところに立っていた幹部のひとり、顔に痣のある大隊長ギルダフが答えたその時、別の男が広間の入り口で叫んだ。



「西側正面の敵騎兵が、進軍を再開する気配だ!」



 ずっと西側城壁上に詰めていた、大隊長タリエクである。



「ウーアが右翼、俺が左翼で陣頭指揮を執る。後方支援、頼んだぞっ」


「行け、タリエク」



 低く落ち着いた声でメインが答え、タリエクは身を翻した。



「よーし、後ろは任せろ」



 言い放って、ギルダフもまた小走りに出て行った。


 自分の先行部隊も後方か、東側守備に入れようか、パスクアがそう言いかけて口を開いた瞬間、エリンが声を上げた。



「エノ首領。あなたの精霊では、今回のマグ・イーレ軍に通じない。このままでは、テルポシエが奴らに蹂躙されてしまう可能性が高い」


「……」



 大きな卓を挟み、メインは向かい合ったエリンの顔を、無言で見つめている。


 いきなり戦略に口を入れ出した元敵側のテルポシエ王女、……いや今だって、明らかに敵対している立場の自分を、エノ軍総統がたやすく信用するわけがないか、と思えた。


 エリン自身、この小柄な男を警戒していた。


 メインが頭角を現したのは、前首領……兄ウルリヒを殺害したあの男、自分が吹矢で殺し損ねた、憎むべき男が死んでからだ。仇敵の息子ではあるが、本人そのものではない。


 この三年、意外に善政を行っている点を見れば、あのめちゃくちゃな父親とは違って話のできる人間なのかもしれないとは思っていたし、行き当たりばったりの経緯だが、妻のイオナとの事もある。だがやはり、自分たちからこの国を奪った者、エノ軍の一部であるという事実は変わらない。


 何より今だって、自分に向けられた猜疑心が、いつ殺気に変わったっておかしくないような、切り立った気配を発しているではないか。正直、恐れる気持ちが大きかった。けれど。



――迷っちゃ、駄目よ。



 こんな急展開になるとは思っていなかったが、テルポシエが最悪に直面する時の想定は、もう何万遍も繰り返し考えていた。


 そして現在、この状況で自分が為し得る最善策は、これしかない。


 兄ウルリヒがそうしたように、自分もこの都市を、テルポシエを守る。


 シャノンとケリーを想い、そしてリフィを、彼女と一緒に旅立っていった小さくて温かい存在の事を想った。



――あの子、テルポシエの未来のために。わたしの生の意味はテルポシエの土、何としてでもこの地を守る、叔母には触れさせない!!



「……だから。“赤い妖精”を、あなたに託します」



 エリンはついに、その名を口にした。


 思わず、卓についた両手のひらに力がこもる。



「……エノ首領。わたしと一緒に北門から出て、東の丘へ来ていただけますか」




・ ・ ・ ・ ・




 “東の丘”。


 その丘はテルポシエ領地北部に広がるなだらかな丘陵と湖沼を含む森林地帯、テルポシエ城内外とシエ湾、先のシエ半島までも、ひろく見渡せる位置にある。


 吹きさらしの風雨を遮るものが何もなく、樹々も育たなければ獣も棲まない、淋しい所だった。


 しかしその高みに到達した時、メインはいくつもの長い岩が、不自然な形で散らばっているのに気付く。馬を降りて間近に見れば、明らかに人の手によって選ばれ、加工され、運ばれてきたものである。ちょうど彼の背丈ほどもあるそれらの石たちは、全て倒れてしまってはいるが、元々は一重あるいは二重の環をなすようにして、配置されていたらしい。


 夜明けがすぐそこに迫っている薄明の空の下、じっとりと朝露を含んだ草々と巨石たちの表面を撫でていく風にまじり、メインは何か別の生きものの呼吸音を聞いたように感じた。



――いる。



「東の丘と呼んでいるけど、本当の名は“シーロウの丘”と言うの。シーロウ、つまり“赤い妖精”という意味」



 抱えられる形で騎乗してきたエリンが、パスクアに下ろしてもらいながら言った。



「約三世紀前にイリー人が移住してきた時、わたしたちの祖先は強力な精霊に出会い、それをこの丘に封印したと言われている。これは代々、テルポシエ王族の長男あるいは長女だけに伝えられてきた、秘密だったのだけど」



 風が吹き抜ける。言葉を切ってから、エリンは再びメインに向かって言った。



「……ブリージ系精霊使いのあなたなら、戦力として使役できると思う」



 メインは束の間、押し黙ったまま考えた。


 確かに彼の精霊たちは、ティルムン理術士に通用しない。長年メインとともに歩んできた忠実な海の娘メロウや緑の猫たちは、あの文明発祥地にて編まれた堅固な言呪の壁を、喰い破る事まではできなかった。


 アキルとも正面からぶつかっていたのでは、絶対に勝てなかっただろう。父と、父を守る理術士を倒すため、実際メインは何年もその隙を窺わなければならなかった。東の精霊は、西の理術に勝った事がない。


 ……しかし、その土地に長く生き、環境そのものを活力源として有効化できるような強力な精霊、≪地霊≫が力を貸してくれたら? そう、自分の名前を冠した土地を持っているような、旧い強い精霊なら。


 メインはかつて、あの小さな“女王様”に、それを問うたことがある。かの女はむずかしい顔をして、考え込んだ。


 若い彼に答えを教えたくないと言うのではなくて、実際にかの女自身も答えを知らないようだった。


 けれどティルムン理術士隊が迫る今、迷っている余地はない。何らかの代償を支払うとしても、とにかく目前の敵を打破しなければならない。




――その辺まで事情を知っていて進言しているのだとしたら、恐ろしいお姫様だな。



「ティルムン理術士隊を、まるまる抑えられるだけの力があるだろうか?」



 メインはエリンに問うた。伝令からの報告によれば、マグ・イーレ軍の背後にいる理術士らしき騎兵は五騎、つまり一個隊だという。



「伝承によれば、精霊は当時の理術士十人でようやく封印できたと言うから、現代の一個隊五名程度なら、しのげるはずよ」


「……やってみよう」



 短く頷くとエリンは丘の高み、巨石の環の中心へ、足を引きずりながら歩いて行く。立ち止まると小刀を取り出し、左手人差し指の先に突き立てた。



「!?」



 背後で、パスクアが息を呑んだ。


 赤く膨らんだ血の雫が一つ、二つ、……ぽたりぽたりと地に落ちて、沁みていく。


 メイン、エリン、パスクアの立つその場所から、ふいに一切の音が消えた。


 どくん。


 代って低い地響きが、足の下ずっと奥深くから伝わる。


 どくん、どくん。


 エリンは後じさりを始める。彼女のいた地点から、何か赤暗いものが立ち昇る。


 どくん、どくん、どくん。


 パスクアはたまらず、エリンを後ろから抱え上げると、小走りで後退した。


 メインもまた後じさりをするが、目は自分たちが呼び出したものに釘付けになっていた。


 にゅうううううう、と巨大な影が彼らの頭上はるか高くに広がった。



「どうっ、エノ首領!?」



 エリンが叫ぶ。



「確かに、すごい力を持っているらしい。危ないから、二人は離れててっ」



 言われなくても、パスクアは既にかなり後方へ離れている。


 すでに小山のようにまで膨らんでいた赤暗いかたまりは、ゆっくりと形をとった。


 それはうずくまる、ひと型の何かである。頭部らしきものが持ち上がると、そこに奇妙な顔があった。


 いなかの祭りで出てくるような粗い女の面、つくりものめいたその顔の両目が開いて、でろりとメインに向けられる。


 視線がぶつかった時、メインの心中に声が響いた。



≪我の言葉を解するか? ひとの子よ≫



 すううううっ、と勢いよく立ち上がった、その姿はまぎれもなく女体。


 赤い衣が長くたなびく。塔のごとく巨大な女が、メインの前に立っていた。



≪戦場は、何処いずこか≫



 メインは察した。動けないまま、女巨人の頭に曙光があたるのを見た。


 巨大な女は、それきりふいと身体を翻して、丘をするすると下って行く。


 赤い衣の裾は長く、脚も見えないが、女は確かに歩いている。


 しかし彼女が通った後に跡は残らず、草も踏みしだかれてはいなかった。



「……何て大きさだっっ。今回はまた、赤なめくじみたいな精霊だな!?」


「どういう比喩なのよっ、全然似ないわよッ」



 独自の感性で率直な意見を述べ、エリンに一蹴されるも、めげる余裕のないほどパスクアは圧倒されていた。



「早速テルポシエの方へ向かっているぞ。もう言いなりにできたんだな、メイン!」



 だが、メインは動けなかった。友の方へ顔を振り向ける事すらできず、去り行く巨人を見つめ続ける。



「地霊、だって……?」



 ようやく、かすれ声が出る。



「精霊なんかじゃないよ。あれは……」




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