第一章 2-3
僕たちは、孔雀について歩いた。簡易のベンチがあり、そこには屋根もあった。農作業の休憩スペースとして使われているのだろうか。
僕とラムネが隣に、向かい側に孔雀と女性が並んで座った。
「それでは、お話をきかせて頂きます。私の名前はライチです。あなたのお名前をきかせて頂いてもよろしいですか?」ラムネが質問した。
「ここでは、マリと呼ばれています。本名は言えません」マリと名乗る女性は答えた。隣の孔雀は、ずっと笑顔のまま固定されていた。
「本名が言えないのは、ここのルールだからですか?」
「いえ。そういうわけではありませんが、私の事を調べられると迷惑だからです」マリは明らかに警戒しながら言った。
「では、マリさんと呼ばせて頂きます。ただ、私たちは、許可なく調べる事も、それを記事に書くこともしません。今からの質問も、個人を特定出来るような具体的な内容は、一切記事に書かないつもりですし、もし、よろしければ、マリさんにも記事のチェックをして頂いても構いません」
「はぁ。それで質問とは?」まだ、警戒の色を顔に残しながら、マリは言った。
「そうですね。では、ここでの生活は楽しいですか?」ラムネは、柔らかな発音で言った。速度も抑揚も、見事にコントロールされている。役者としては、素晴らしい才能だ。
「はい。勿論です」
「では、具体的には、なにが楽しいですか?」
「みんなと一緒に暮らしている事でしょうか。ここには親友と呼べる人も沢山います。私の大切な場所です」
「マリさんの仕事は、畑仕事ですか?」
「今はそうです」
「あれはジャガイモですか?」
「はい」
「ここの食事は美味しいと聞きました。好きな食べ物はなんですか?」
「スープです。野菜が沢山入っていて、とても美味しいです」
「そうですか」ラムネは綺麗な笑顔を作った。「食事は親友と食べるのですか?」
「そうです」マリは、隣の孔雀をチラッと見た。「食堂で食べています」
「ここに来てから何年が経ちましたか?」
「二年です」
「もう、皆さんとお話は出来ましたか?」
「いえ。時間が合わない人もいるので、全員と話した事はありません」
「集団生活だと、人間関係のトラブルなどもあるのではないですか?」
「いえ。ここはそんな場所ではありません」マリの眼つきが鋭くなった。
「それはどういう意味ですか?」
「外の世界は、確かにそうです。人間関係のトラブルや、足の引っ張り合いばかりでした。でも、ここにいる人たちは違います。お互いに認め合い、自分をより高い次元へと磨く為に協力し合える選ばれた人たちなんです」マリの口調が明らかに力強くなった。
「興味深い話ですね」ラムネはゆっくりと何度も頷いた。「もし、よろしければ、ここに来た経緯と、ここでの暮らしについて、話して頂けますか?」
「はい。わかりました」マリは一瞬、眉を寄せて下を向いた。「ここに来るまでの私は、自分を殺していたに等しい生活をしていました。友達の多くはネットで繋がっていましたし、リアルに数人の友達はいましたが、それも今考えれば、友達とは呼べない関係でした」
「どういうことですか?」ラムネは相槌を打った。
「その当時の私は、自分の才能が見つけられなかったのです。だから、自分には何も無いと思っていました。学力も並でアートの才能も有りませんでした。私は、仕事をして、お金を貯めました。そのお金をアバタに使って、私の世界を構築しようとしていました。でも、今考えると、それは、人気者の真似事だったんです。無意識にそういう人に憧れて、それを自分のアバタにも投影していました。でも、その結果、それなりに評価もされて、私を参考にする人も多くいました。私は得意気に指南して、そんな自分にも満足していました。今思うと、本当に馬鹿な事をしていたと思います。でも、その当時の私には、その偽物の幸福が全てでした」マリはテーブルの上で組んだ指を眺めながら語った。ラムネはマリから目を逸らさずに聞いている。孔雀の表情を盗み見たが、わざとらしく神妙な顔を作って大袈裟に頷いていた。
「ある時、私を慕ってくれる人から、リアルで会ってみたいと誘いがありました。これまでなかったことなので、嬉しく思ったのを覚えています。私の憧れていた人も、そういうオフでの活動をやっていたので、私も意識はしていました。なので、私はその誘いを受けたのですが、自分の服装や髪形に自信がありませんでした。私の姿を見て、失望するのではないかと思ったのです。だから、私は、仕事を三倍に増やして、沢山のお金を稼ぎました。そして、美容院に通い、ブランドの服を揃えました。当日には、メイクや香水もやってもらい、完璧だと思う恰好で会いに行きました。会う人たちは六人で、カフェで簡単な食事とお茶をするというものでした。そして、私は最後に会場に着きました。私は簡単な挨拶をして、食事会が始まりました。ただ、そのメンバの一人に、私よりも高いブランドの服とバックを持っている人がいました。私は、その時、自分への当てつけだと思ったのです。私が寝る間も惜しんで、働いて揃えた服よりも高い服を見せびらかしているのだと。私は、食事の味もしませんでした。なにを話していたかも覚えていません。ただ、その子の恰好だけが気になっていたのです。その子は、心の中で私を見下しているんじゃないかと。そして、また会う約束をして、食事会は終わりました。ただ、私の日常は元には戻らず、仕事は減らしませんでした。アバタの管理やイベントにも力を抜くわけには行かなかったので、私の睡眠時間は平均して三時間となっていました。そして、次の食事会の時には、貯めたお金を全額使って、ブランド品を揃えました。ただ、その子は、やはり、私よりも十倍程高いブランドで全身を揃えていました。食事会は、計六回行われましたが、私は、借金をしてブランド品を揃え、私生活がボロボロになり、そして、体調不良で入院しました。病院のベッドで、私は涙が溢れて止まりませんでした。病院服を着ている私は、以前とは見違えるほど、衰弱していたからです。私は、ボロボロでした。でも、それに気づかなかったのです。一緒に食事会をしていた人たちも、私の変化に何も言いませんでした。私の体調の変化に興味がなかったのか、影で笑っていたのかもしれません。私は、それから仕事を一切せずに、補助を受けて生活をしました。しばらく、ネットとも距離を置いて、まともな生活に戻れたので、借金を返すために働きました。そして、返済を終えた時に、私は、それ以上働く意欲が湧きませんでした。もう、全て終わったと、人生にけじめをつけたと思ったのです。私は安楽死を決意していました。それは、病院で鏡を見た時から、決めていた事です。でも、その時にここの存在を知りました。興味本位で連絡をしたら、私の話を真剣に聞いてくれました。そして、私は認められてここに来たのです」
ラムネはマリの目を見て何度も頷いている。
「ここでの生活はどうですか?」ラムネはゆっくりと発音した。
「外とは全然違いました。ここにいる人たちは、私の本当の部分を見つけてくれます。初めは勿論不安でした。それに私も、ここでの活動に必死に取り組むことはありませんでした。でも、生活するうちに、今も親友でいてくれている人が、私の記憶力がいいと言ってくれました。それは、何気ない会話の中で突然言われたのです。私は今までそんな事を言われた事がなかったので、どうして?と尋ねました。そしたら、私が人の話やルールを一回で覚えている。細かな所まで覚えていると言ってくれたのです。他にも、細かな所まで掃除をしていることや、効率的な道具の置き方を提案した事など、沢山の事を見てくれていました。外の世界は、自分を偽って大きく見せようと必死でした。でも、ここでは違います。ここは、なにも飾らない私でも、ちゃんと私を見てくれて、そして、その私を認めてくれます。それがわかった時に、私は涙が止まりませんでした。私は、長かった髪を切って生まれ変わることを決意しました。皆のようになりたいと思いました。私も親友の細かな所まで見て、そして、その素敵なところを沢山見つけました。そうすると、私たちは、より仲良くなって、より大切な存在となりました。それが、ここの素晴らしい所です。外では、他人と比べる事ばかりしていました。それによって身を滅ぼしていたんです。でも、ここでは、他人を認め合い、より高め合える存在として友人が存在します。アバタのイベントに追われることもありません。朝起きた時に、鳥の囀りが聴こえるんです。ここは本当に楽園です」
「素晴らしい話です。話してくれてありがとうございます」ラムネが言った。
「いえ」マリは、少し照れて笑った。その顔はとても幸せそうでチャーミングだった。
「その当時のお仕事は、どんな関係のものでしたか?」
「エンジニアです。元々、プログラミングが得意だったので。親友は、私のコードが綺麗だとも褒めてくれます」
「ここでも、プログラミングを行っているのですか?」
「はい。少しですが」
「どんなものを作っているのですか?」
「それは、言えません。過去に作ったものもそうです。そういうものじゃありませんか?」
「その通りです。話は変わりますが、外の世界、つまり、元の生活に戻るつもりはもうありませんか?」ラムネが言った。
「当然です」マリは強く否定した。
「でも、ここでの経験を活かせば元の生活に戻っても、自分を保つことは出来るのではないでしょうか?」
「確かに、それは可能だと思います。ただ、そんな事をする理由がありません。わざわざ、あんな所に戻りたくありません」マリは眉を顰めた。
「わかりました。ただ、外の世界の人たちは、ここでの生活がわからないので、安否確認のメールだけでもしたいと思っています。メールなどでコミュニケーションを取るというのはどうですか?」
「論外です」マリは強く言った。「勘違いしていると思いますが、私たちは連絡を取るのを禁止されてはいません。自由です。でも、私がここにいる事を家族にメールした時に、なんて返信が来たと思いますか?」マリは眉を寄せて明らかに怒っていた。「私は騙されている。今すぐに、帰ってこいって言ったんです。私の親友や、私を受け入れてくれた人たちを、詐欺師だ。変な宗教だって言ったんです。私の話も聞かずに、ただ帰ってこい、と言うんです。絶対に帰りません。帰ったら、もうここには戻ってこれないでしょう。私が正常じゃないって言って、閉じ込めておくつもりです」マリは早口で言った。
「心配しての発言なのではないですか?」
「それならそうと言えばいいじゃないですか。私たちは、元気に暮らしているんですから。なのに……、これは、友達の親だから、あまり悪くは言えませんけど、私たちの施設にこっそりと侵入した人もいます。その友達を無理やり連れて帰ろうとしたんです。見つかった途端、怒鳴り散らして、暴れて、私たちの事を罵りました。どうして、普通に話し合う事も、相手を認める事も出来ないんでしょうか?それは、外の世界はそういう風に出来ているからです。もう、手を付けられないくらい、腐っています。友達は、その騒動の後、肩を震わせて泣きながら、謝りました。迷惑をかけてごめんなさいって。でも、彼女を、迷惑だと思う人はここには一人もいません。原因が外の世界にある事を知っているからです。でも、外の世界が原因で、私の友達が傷つくのは許せません。ちょっとでも、こちらが歩み寄れば、向こうは容赦なく足元をすくい、騙し、閉じ込めようとするでしょう。だから、私たちは外の世界に連絡を取らないんです」
「…。はい。わかりました。安心してください。どれだけ力になれるかわかりませんが、私が、そのギャップを少しでも埋めるお手伝いをさせて頂きます」ラムネは言った。
「よろしくお願いします。もう、いいですか?」
「はい。ありがとうございます」
マリは、立ち上がって、お辞儀をした後、畑の方へ歩きだした。
「いい話だったね」僕はラムネに直接言った。
「どこが?」ラムネは、直接僕に答えた。
隣のラムネの顔を見たら、優しい笑顔のままだった。