第一章 2-2
「この建物は元々、由緒あるお寺でした。人口が減り、引き継ぐものもいなかったので、私たちが買い取りました。今は、五十人程度がこの中で生活しております。それ以外の人は、他の建物で生活しています」
僕たちは、孔雀の案内の元、建物に入った。どうやら、土足厳禁らしく、階段を三段上がった所で靴を脱がなくてはならなかった。玄関の様なものは無く、いきなり左右に廊下がある。屋根があるだけで、片方の壁がない、半分外みたいな廊下が、建物の左右に伸びている。そういう建築方式の正式名称があるはずだが、僕は知らない。
その廊下に面した壁には、スライド式の木製の扉があった。正面の扉の奥には、広い空間の部屋がある。部屋の出入り口のスライドさせる木製の扉は、今は開いたままだ。
「この部屋の本来の目的は、私にはわかりません」孔雀が半笑いで言った。「恐らく、人を集めて、お経を読んでいたのでしょう。もしくは、人が亡くなった時に、お金を巻き上げる為に、それらしい儀式をして、騙していたのかもしれません。沢山の人が出入りするには便利な部屋です。ただ、生活するとなると、夏は暑く、冬は寒い。いい環境とは言えませんね」
部屋の中は全体的に薄暗く、正面の奥に二メートル程の胡坐をかいた仏像があった。イオがその仏像の名前を検索して教えてくれたが、漢字が九つあるとだけわかった。名前を覚えるつもりがないので、読まない事にしている。『大』と『菩』という文字だけ見えた。
天井からは大きな照明がぶら下がっていたが、今は明かりがついていない。その照明も細かい装飾があり、煌びやかではあるが、どこか落ちついている。仏像がある位置は、一段高くなっていて、その他の装飾品もそこに飾られていた。和風というよりは、昔ながらの方がイメージに合う。壁が襖で仕切られているからだろうか。
「仏教を信じているのですか?」ラムネが質問した。
「いえ、そういうわけではありません。ただ、この寺を買い取った時に、この仏像も一緒についてきました。文化的にも価値があるものらしく、捨てるわけにもいきません。誰かに引き取って頂きたいのですが、これを傷つけずに運ぶのにも、膨大な費用と時間が消費されます。それに、ご存じと思いますが、私たちは外部の業者をここに呼ぶ事を、好ましく思いません。となると、敷地内の別の場所に移動させればいいのですが、この大きな仏像は、景観を著しく損ないます。どこに置いても違和感があり、調和しません。結果的に、今も当時のまま、この場所に置いてあるのです。ですが、何度もこれを見ていると、実にこの部屋と仏像は馴染んでいる、調和していると思えてくるのです。それで、ある事を学びました。この建物は、この仏像を収める為に造られた箱なのです。中身が先にあり、箱を後から造った。実に、理にかなっている。これが本来あるべき姿のはずですが、現代では、それが逆転している事が多々見受けられます。それに気づかせてくれただけでも、この仏像には価値がありました。いえ、それ以外の価値がないのですが」孔雀は自分で言って、自分で笑った。
「なるほど、とても面白い考えです」ラムネが頷きながら言った。「掃除も行き届いていますね。それも感謝のしるしですか?」
「いえ、ただ単に衛生面を考えてのことです。因みに、この仏像の掃除は私の仕事です。客人が来るので、念入りにしたわけではなく、いつもこれくらい綺麗にします。それ以外に、普段の仕事がありませんので」
「ここの人たちは、なにか共通の信仰があるのですか?」僕は質問した。孔雀が僕を見て、すぐに笑顔を作った。
「いいえ。特に神や仏を信じる様な信仰はありません。世間的には、私たちが宗教団体と呼ばれていることは知っています。その理由は、この寺がある地に集落を構えたからでしょう。しかし実際には、そういう認識とは大きく違ったところにいます。それをこれから順に説明していきます」
「すみません。では、静かに聞いてます」
「邪魔しないように」ラムネが、直接僕に言った。勿論、声には出していないので、孔雀には聞こえない。
「アシスタントっぽいかなって?」僕も直接ラムネに言った。
「では、次の場所に移りましょう」孔雀は、引き返して、廊下まで戻った。その廊下を左側、つまり、靴を脱いだ正面から見ると右側に向かって歩いた。靴を脱いだ入口が南にあり仏像が北にある。なので、東に歩いている。
屋根があるだけで、外と変わらない廊下を、建物の角で北に曲がった。廊下は、建物を一周しているようだ。
虫や鳥の鳴き声が五月蠅いが、ノイズカットする程、嫌な音ではない。ドローンの飛行音ならすぐにカットしている。大勢の人間の話声もそうだ。
その差は、なんだろうか?
どうして、虫や鳥の鳴き声は、不快だと思わないのだろう?
大昔の狩猟をしていた時に、耳を澄まして、それらの鳴き声を積極的に聴いていたからかもしれない。そういう音を頼りに狩りをしていたのだろう。それが出来た人だけが生き残ったのだろう。その遥か古に刻まれたものが、今も残っているのかもしれない。遥か昔の鳥の知能が高く、ドローンを作って、移動していたなら、現代人は、ドローンの飛行音も好きになったかもしれない。
廊下を突き当りまで歩いたので、今度は西に歩いた。車を降りた位置からは、この寺が邪魔で見えなかったが、寺の更に北側に、集落があるのが見えた。建物が十軒ほど並び、遠くまで広い畑があった。そこで畑仕事をしている人影もあった。ズームして見てみると、二十代くらいの見た目の男女が五人いた。
この寺は東西に長い長方形だ。建物の半分の位置で東西に線を引いたなら、さっきの部屋の線対象にあたる部屋に、孔雀は入って行った。仏像があった部屋の半分以下の広さの部屋だが、それでも、十分広い部屋だった。簡素な長テーブルが並んで食堂の様になっていた。
「ここは食事をする場所です」孔雀が言った。「人数が多いので全員一緒に食べる事は出来ませんが、三十六人までなら、一緒に食べる事が出来ます。ただ、それだけ大勢が一斉に食べた事は、これまで一度もありません。食事はこの部屋の奥のキッチンで全員分作られますが、時間帯をわけていますし、それに、各自が自分の部屋で食べても構いません。混雑を避ける為にこの部屋の使用時間に、制限を掛けている以外は自由です。食事も栄養バランスを考えて作っています。健康は大切なので、食事にも気を使っていますね」
「食事以外で、皆さんが一斉に集まる機会はありますか?」ラムネが質問した。
「そうですね。偶にしかありませんが、今後の方針を決めたり、議論する時には、大勢の人が集まります。場所は、先ほど案内した広間です。これは、仕事の場所や時間を決めるのも、この会議で行うので、主張がある方は皆集まります。それでも、五十人位でしょうか。私たちには、独自のチャットもありますので、そっちの方が盛り上がっていますね」
「創設者というか、代表が決めるのではないのですか?」
「それはありません」孔雀は首を横に振って否定した。「というよりも、創設者が誰だかわからないのです」
「そんなことはあり得ないのでは?」
「はい。勿論、自分がここに来た時、既にいた人、自分の後から来た人、その区別はつきます。ただ、だからと言って、先にいた人に権力の様なものがあるわけではないのです。ここは平等です。いろいろな意味でも。なので、恐らくこの人たちが初期のメンバだろう、とは予想出来ても、そういう人たちが、仕事や食事時間の会議で望まない結果となるのを、何度も見ました。日常生活の決定は、ある程度は妥協したり、譲れない条件があったりはしますが、結果的にはクジで決めることになります。全てが思い通りになっている人はいないでしょう。例えば、ある人と一緒に仕事がしたい人がいて、それが一番叶えたい条件なら、その条件は守られますが、少し早い時間に食事をする事になったり、仕事も遠い畑仕事だったりと、まぁ、その程度の事ですが、妥協しなければなりません。これは全員に共通している事です。それに、新しい人が来たからといって、その人たちを特別扱いもしません。全員がここでの生活の恩恵を受けているので、等しく平等です」
「誰でもここに入れるわけではないと聞きました。新しい人を決める条件の様なものはありますか?」
「詳しくは言えません。言ってしまえば、そう装って侵入しようとする人が現れる可能性があるからです。ただ、そうですね。決め手となるのは、ここでの生活に向いているかどうか。その適性があるかどうかが、重要となります。知っていると思いますが、ここに来てから辞めていった人はいません。それはそういう人たちを見極めているからです。一つ例を挙げるなら、協調性があるかどうかでしょうか」
「新しく入る人を、誰が決めるのですか?」
「みんなで話し合います。大抵は見送る結果となっています。理由としては、この楽園を壊されたくないと、皆が思っている為、慎重になっているからでしょう。変化をあまり望んではいません」
「では、新しい人が来なくてもいいのですか?」
「難しい質問ですね。多くは望んでいないというのが、集団一致の考えです。僅かな選ばれた人のみが、ここでの生活する権利を得ます」
「まるで、神様みたいですね」ラムネがニッコリとしたまま言った。皮肉だろう。
「そんな大それたことではありません」孔雀は否定した。皮肉は通じたようだ。「では別の場所に移りましょう。因みに、ここの二階に就寝スペースがありますが、見る事は出来ません。プライベートな空間ですので、ご了承下さい」
「五十人程がこの建物で生活していると聞きました。その選別は、何で決めているのですか?」
「それも、会議で決めます。ただ、大部屋が好きだという人が、それ位いるというだけです。強制はしていません。全員が個室で眠るだけの部屋数はありませんが、二人部屋や三人部屋もありますので、まだ少し余裕がある状態です」
部屋から廊下に出ると、小さな下りの階段がある。廊下が地面から一メートル程の位置にあるからだ。木製の階段の一番下に、僕たちが履いてきた靴が置いてあった。食堂に入るまではなかったはずだ。誰かが運んでくれたのだろう。
少し前に、靴を脱ぎ捨てても、自動で綺麗に揃う靴が販売されていた。普通の靴と比べると、重くなるのと、耐久性に問題があるのが欠点だ。「忙しいあなたは、勝手に上品になっている」とのキャッチコピィだった。勿論、本気で儲けようとしているのではなく、知名度を上げる為のユニーク商品だ。どんなに忙しくても、自分で揃えるから、上品に見えるのだ。靴が勝手に揃えては意味が無い。
階段を下りて靴を履いた。集落の方へ歩いている。周りは高い山に囲まれているが、この寺が、塀で覆われた敷地内では、一番高い位置にありそうだ。少なくとも、ここから見える範囲の話だが。
全体を見渡した印象としては、人が歩けそうな平な場所は、全て畑や住宅になっている。元々、山だった場所を、削って均しただけだろうが。なので、それ以外の場所は、斜面が急な山に囲まれている。車で来た道以外からのアクセスは、人では無理だろう。
集落や畑までの道は、石を敷き詰めた下り坂となっている。
「左手前方に見えるのが、居住スペースとなる集落です。キッチンも備えていますので、自由に食事を作ることも出来ます。まぁ、大抵は食堂を利用することになります。残念ながら、集落の中を見ることは出来ません。プライバシィを守る為です」孔雀は、腕で示しながら言った。
「そうですか。残念ですが仕方がありません」ラムネはあっさりと引き下がった。
それを知る為の調査ではないのだろうか?
仏像を見る為ではない。
「右手に見えるのは畑です。今時珍しいと思いますが、土を耕して野菜を作っています。手間が掛かっているからでしょうか、市販のものよりも美味しいと私は思います。お二人がエンプティドールでなければ、是非食べて欲しいくらいです」
「全ての食料を自給自足しているのですか?」ラムネが質問した。
「いいえ。それが出来れば一番いいのですが、なにしろ人数が多いのと、敷地面積の問題もあり、一部は外部から、食料を調達しています。全てネットで注文して、ドローンで運んでいます。なので、買い出しに出かける必要も、外部から人間が入る事もありません」
「全ての食料をネットで購入しないのはなぜですか?」
「いい質問ですね。これは、試行錯誤の結果なのですが、畑を耕した方が集団生活には向いているからです。歴史的に見てもそうですね。農耕の時代は、村単位で協力して生きていました。社会が豊かになり、便利になるにつれ、人は一人でも生きていけるようになりました。そして、隣にいる人への感謝を忘れたのです。ここは集団生活が目的ですので、歴史に見習い畑を耕すようになったわけです。ですが、やはり理想は、自給自足だけで生きていけるのが一番いい。外部に一切関わらなくても生きていくのが目標です」孔雀はにこやかに話した。「それに、健康面の理由もあります。適度な運動は必要なのですが、それには、掃除や畑仕事はうってつけだったわけです。特に畑は、協力が不可欠なので、周りとの繋がりにも役立ちます。自然という共通の敵がいますからね。天候や虫に皆で立ち向かうわけです。それに夏は暑いですが、汗をかくのも悪くないですね」
「でも、仕事なんてしたくない人もいるのではないですか?」
「その通りです」彼は大きく口を開けて笑った。「今日くらいサボりたいと思う日もあります。私もそうです。ですが、一日の仕事時間は一時間もありませんし、過去を振り返った時に、やっぱりやってよかったと思う時があります。なにより、毎日部屋に籠っているよりは健康的だと意見が一致しています。それに、ここには本格的な医療施設がありません。病気の予防は、なによりも大切なことです」
「医師の方はいるのですか?」
「はい。元々医師だったものが数名います。ある程度の医療器具も常備しています。ただ、幸いなことに、今まで重症となった人はいません」
「出産は出来るのですか?」
「出産ですか?」笑顔のまま孔雀は言った。「設備面の問題はありません。まともな医療機器のない途上国や、何千年前という時代から、可能だったわけですから、ここで出来ない理由がありません。ただ、出産は今の所、一度もありません」
「えっ?本当ですか?」ラムネは驚いた表情を浮かべた。
「はい」孔雀は頷いた。
「それは、禁止しているのですか?」
「なにを、とはききませんが、禁止はしていません。そういう行為の為の、時間や場所の制限をしているわけでもありません」
「そうなのですか。意外です」
「個人の自由だと思いますが」
「いえ。そうではなくて、私の知っている、いわゆる宗教団体は、子どもを欲する傾向にあったので。子どもが必要だという意見は、会議では出ないのですか?」
「出ませんね。子どもはここの外に出たがるかもしれませんし、知能が高く育つ保障もありませんから」
畑に到着した。高低差がある畑が幾つもある。その一つ一つがとても広い。この靴のまま、土を踏むのは嫌なので、なるべく避けたいが、仕事なので断れないだろう。
「ここは、ジャガイモを栽培しています。その他にも、白菜やカボチャ、ネギにトマトなど、もっとたくさんの野菜を栽培しています」孔雀は畑を示して言った。
「ここだけで日本の畑の三割はあるんじゃない?」僕はラムネに直接言った。
「趣味で個人が所有する畑の三パーセントなら可能性はある」ラムネもすぐに答えた。
「自然豊かでいいですね。なんだか懐かしい気分です」ラムネは空気を振動させて言った。
よくもそんな思ってもいない事が言えるものだ。
野菜の九十五パーセント以上は、工場で栽培されているはずだ。少なくとも、市販の野菜はそうだ。ここのように、個人で作って消費する所も少数ではあるが、まだあるだろう。
畑なんて労力が大変なだけだ。それこそ、集団生活の為には、有効かもしれないが、わざわざ大勢で集まって、不合理なことをしているのでは、元も子もない。もっと大人数でなければ出来ない事をした方が、生産性が高いだろう。こういう労働は、機械やAIがやってくれるようになったのだ。五百人の頭脳を合わせれば、もっと有意義な事に使えそうなのに。
畑には五人の男女がいた。腰を丸めて土をいじっている。時折、背中を後ろに逸らして、体を伸ばしている。一時間でもこんな労働は、体に負担が大きいのではないだろうか?
「あれっ?イオ。あの五人って、寺で見た五人とは違う人?」僕はイオに言った。勿論、実際に声には出していない。
「一人だけ違います」イオが答えて、僕がさっきみた五人の映像を見せてくれた。やはり、一人だけ違う人だった。交代したのだろう。
「あの人たちにお話しをきいてもいいですか?」ラムネが言った。
「うーん。そうですね。一応、仕事中なのですが、一人だけならいいですよ」孔雀はそう答えた。
「おーい」孔雀は大きな声を出して、腕を振った。五人組までは五十メートル程ある。五人とも気が付いて、こっちを向いた。
「一人だけこっちに来て、手伝ってほしい」孔雀は声を張った。五人はそれぞれお互いの顔を見つめ合って、楽しそうに会話している。一人だけこっちに来た。エンプティのマイクでもその話し合いの声は拾えなかった。こっちに向かってきているのは、入れ替わっていた女性だった。
女性は健康的に日焼けをしていて、キャップを被っている。動きやすい恰好をしているが、作務衣ではなかった。作務衣は孔雀の趣味なのだろうか。
「この人たちは、記者の人たちだ。世間への誤解を解くために、ここの暮らしを取材して、記事にしてくれる。言いたくない事は、答えなくてもいいが、なるべく協力してあげて欲しい。構わないかな?」孔雀が女性に言った。
「はい。構いません」女性は、笑顔で答えた。そして、少し警戒した表情を浮かべて僕たちを見た。その表情は、孔雀よりは自然だ。
「ここは日差しが強いですよね。少し長くなるかもしれないので、日陰に移りましょう」ラムネが提案した。
これには少し驚いた。
ラムネにも、人を気遣う事が出来たからじゃない。
エンプティには、暑いも寒いもない。温度も湿度も表示される数字でしかない。エンプティの耐久温度を超える、もしくは、危険だと判断された場合のみ、警告が出る。それだけだ。
でも、僕もラムネも、ずっと快適な部屋の中で暮らしていた。そして外に出る時は、エンプティだけだ。気温を見て他人を気遣うなんて、僕はこれまで一度もしたことがなかった。自分が出来ない事をしたから、驚いたのではない。
ラムネはまだ、浮世離れしていない。そして、昔のままで変わっていない。それが懐かしく思ったからだ。