第一章 2-1
「うーん。やっぱりひどい性能だね」
僕は、自分の手を握ったり開いたりして確かめた。明らかに握力が弱い。腕を振り回してみたが、反応が遅くて自分の体じゃないみたいだ。
「ネクタイくらいちゃんとしたら」ラムネが僕の姿を見て言った。
僕がダイヴしたエンプティは、日本人女性の、黒い長髪だった。身長も低い。白シャツに黒いネクタイをして、黒のパンツを履いている。革靴の色も黒で、ボーイッシュな恰好だ。白黒写真を取られても違いがないという利点がある。
ネオンのエンプティは、金髪のショートヘアにブルーの瞳。幼い顔立ちをしたヨーロッパ系だ。真っ白のワンピースは肩が見えていた。靴は白いスニーカで動きやすそうだ。僕もラムネも第一印象を良くしようとした結果の姿なのだろうが、ここまであざといと、逆に怪しいのではないだろうか。
エンプティとは、リアルの世界に存在する、遠隔操作が出来る機械人形のことだ。正式名称はエンプティドールと言う。エンプティは、人形職人が創った作品が元となっているから、名前にドールがついている。
見た目は、人間と全く同じだ。違和感があるとすれば、美しすぎるということ。好みはあるが、全て美しい姿で作られた。なので、意図的にバランスを崩したモデルもある。
中には、メカニカルなエンプティも存在する。運動性能の向上が利点となる。ただ、量産型のエンプティでも、人間の格闘家は勿論、熊やライオンも簡単に排除することが出来る。メカニカルなモデルは、当然それ以上となるが、街中でその性能が発揮されることはない。
エンプティは、専用端末を使ってダイヴすることになる。これにより、自分の部屋にいながら、世界中のどこにでも行くことが出来る。視力や聴力も人間より優れている。より完璧な人間の体がエンプティなのだ。良く挙げられるデメリットしては、水を飲んだり、食事が出来ない。バッテリィで動くので、必要ないからだ。
世界中に展開されているエンプティは、基本的にステーションにいる。ステーションには、複数のエンプティが常備されており、一般的には予約を取ってダイヴすることになる。お金を沢山払うか、何か月も前から予約を入れると、大抵はダイヴする事が出来る。それ以外でどうしてもダイヴしたいなら、人気のないスポットに行けばいい。
エンプティメーカはチャイナ、アメリカ、ドイツ、日本、インドなどが有名だ。ステーションもエンプティメーカが建設する事になるが、人気スポットにステーションを建てれば、恒常的な収入となる。ただ、一つの企業がステーションを建てた場合でも、その中に、複数のメーカのエンプティが存在する。景観や環境を配慮して、同じ場所への複数のステーションの建設は禁止されているからだ。
ステーションの内部構造は基本的に同じだ。簡単のメンテナンスとバッテリィ充電の為のカプセル。後は、着替えの為の更衣室など。勿論、ステーションに生身の人間は常駐していない。メンテナンス技師もエンプティにダイヴして仕事をしている。ステーションで修理出来ない様な大きな破損が起きた場合は、メーカの工場に配送されるだけだ。
今、僕たちがダイヴしているエンプティは、ステーションに常駐しているタイプではなく、個人的にレンタルしたモデルだ。
ダイヴする為の専用端末は、一つの企業が独占販売している。ダイヴに重要な部分の一部を特許で固めているからだ。ダイヴする時は、専用端末を頭に装着して、横になった状態で行う。後は、普段と同じように体を動かせば、エンプティがその通りに動く。
非合法で作られた粗悪なエンプティは沢山あるが、専用端末はその独占企業以外に存在しない。作れないのと、安全性が確保出来ないからだ。
バッテリィの持続時間や、パワーや法律など、色々な課題を乗り越えて、今のエンプティは、確実に人間の上位の存在となっている。
僕は、ネクタイを整えた。
「車はもう来てるの?」僕はラムネに言った。エターナルテイルズが僕たちに、送迎車を用意していると聞いているからだ。
「あと五分後に到着すると、連絡があった」ラムネが答えた。
僕たちがダイヴしたエンプティは、ステーションの一室にいた。個人や企業が所有しているエンプティも、ステーションに持ち込むことが出来る。自分が所有するエンプティがいるなら、エンプティを任意のステーションに移動させてからダイヴする事になる。
「取材に関しては、全て私が行う。相手の出方を伺うから、それに合わせて」ラムネが空気を振動させずに、僕に直接話しかけた。この機能を使えば、エンプティ同士なら、周りに人がいても内緒話が出来る。
「了解」僕も直接答えた。
「イオ、ここはどこ?」僕はイオにきいた。
視界に地図が表示された。日本の奈良県に、僕はいた。目的地からは、三十キロ程離れている。
ラムネが外に歩き出したので、それについて行った。外に出ると、空は薄い雲が覆っていたが、もうすぐ晴れるそうだ。車の音が聞こえたので、その方向を見た。僕たちの前で車が停まったので、ラムネがドアに掌を当てた。簡単な自己紹介をしているのだ。扉が開いたので、二人とも乗り込んだ。
車の中に案内人がいると思ったが、誰もいない。一般的なタクシーと同じ状況だった。ドアが閉まり、走り出した。
「そういえば、誰も外に出ないんだったね」僕はラムネに直接話した。
ラムネは頷くことも表情も一切変わらなかったが、それはラムネの標準仕様だ。無駄な質問には、答えてくれない。彼らは、敷地の外に出ないのだから、出迎えがないのだ。
車内は外の風景を映してくれていたが、敷地内の山に入ったところで、映像が切り替わった。どこか知らない海外のありきたりな絶景が映された。余計な情報を与えたくないようだ。外の景色は見えないが、マップの位置情報で現在地がわかるので、たいして意味はない。
山道はカーブが何度もあるはずだが、車が浮いているので、横方向への遠心力は殆ど感じられなかった。しばらくして、車は滑らかに停まった。二人とも降りると、そのままバックして走って行った。人が乗っていないので、進行方向を気にする必要がないからだ。近くに駐車場があるのだろう。
僕は、周りを見渡した。
山の中にいる事は間違いない。遠くの景色の全てが山だからだ。既に敷地内に入っているようだ。すぐ目の前には、立派な寺の様な建物があった。天井は本物の瓦だろうか?拡大してみたが、その判別がつかない。本物を詳しく知らないからだ。木造建築の建物は、歴史を感じさせる劣化をしていた。
大きな建物だが、ここで全ての人が生活しているわけではないだろう。建物には玄関の扉がなく、中が覗ける様な造りになっている。建物内は少し暗いが、エンプティの目が補正してくれて、すぐに細部まで見渡せるようになった。
そして、建物内から一人の男が現れた。
見た目は日本人で、三十代位だろう。髪は短く、なんと紺色の作務衣を着ていた。ジョークだろうか?
少ない階段を下りて、僕たちの目の前まで歩いてきた。ラムネが挨拶をしたので、僕も一緒にしておいた。
「本日は、わざわざお越し頂きありがとうございます。私は、本日の案内を担当します、孔雀と申します」孔雀は、ハキハキと喋った。
「いえ、エターナルテイルズさんには、以前から大変興味がありました。まさか、自分で取材する事が出来るなんて、大変光栄です。記者のライチです。本日はよろしくお願い致します」ラムネがお辞儀をした。
僕の知らないキャラだった。少し笑みが零れそうだったけど、我慢できた。
「はい。本日は、ライチさんにここでの生活を知って頂き、それを社会に伝えて頂く。世間とのギャップを埋める役割を担って頂くのですから、こちらとしても大変ありがたいことです。よろしくお願い致します」孔雀は手を差し出した。ラムネが笑顔で握手に応じた。僕にも手を出されたので、愛想のよい表情だけ作って、握手した。
ライチとは、ラムネが用意した記者の名前で、その架空の名前でずっと記事を書いてきたようだ。
「初めに、大変失礼と承知していますが、お二人のエンプティがアシアト付きかどうかの確認だけさせて頂きます。その確認が出来ないと、これ以上先には進めない規則となっておりますのでどうか…」
「いえ、とんでもありません」孔雀のセリフを遮ってラムネが言った。「当然の事です。エンプティは使い方次第で、銃よりも危険な武器になりえます。中で生活している皆さんに安心して頂く為には、十分必要な事だと心得ています。それに、今回私が知り得た情報は、記事に書く事以外、一切外部には漏らしません。その記事もアップする前に、内容の確認をして頂き、許可が下りた場合のみ発表します。都合の悪いところは、削除して頂いても構いません。ただ、私は嘘の記事を書く事だけはしたくありません。書くのがほんの一部だとしても、真実のみを書きます。それが私の仕事のポリシィだからです。そこだけが、こちらからのお願いとなります」
「理解が早くて助かります。当然、私たちが望むのは、世間の皆様に対しての、私たちのありのままの姿の理解です。嘘の記事は、私たちの望む事ではありません」孔雀は何千回と作られた笑顔を見せた。顔が丁度、その位置で止まるように設計されているみたいだ。
ラムネが右足のスニーカと靴下を脱いだ。綺麗な脚が露になったが、足の裏には、タトゥがある。それが、このタイプがアシアトエンプティと呼ばれる所以だ。
メーカが製造段階で製品情報のタトゥを入れるのだ。普段は見えないが、右足の土踏まずを見れば、一目でわかる。そのマークを携帯端末で読み取るか、エンプティならピントを合わせれば、エンプティの情報が確認出来る。足の裏のマークとエンプティ自身の製造番号が一致すれば、そのエンプティがアシアト付きだと、証明出来る。量産型エンプティの足とアシアト付きの足を、切断してから繋げて偽装しようとしても、製造番号で見分ける事が出来る。偽装方法は、今の所存在していない。
つまり、長ったらしく、バカバカしい作業をして、アシアトエンプティが、反乱する力もないほど、能力が低い事を証明する。その証明こそが、このエンプティの価値なのだ。
僕も靴と靴下を脱いで、足の裏を孔雀に見せた。
照合が済んだので、服装を整えた。
生身で殴り合って互角の実力同士の一人が、アシアトエンプティにダイヴして戦えば、生身の方が必勝となる。握力もスピードも瞬間的な力が出ない様に設計されているのだ。ただ、重い荷物を持つ時などは、力が出る様になっている。最大出力を出すまでが遅すぎるのと、人間や生き物に対しては、ソフト的にも制限が掛かっているのが、弱い理由だ。
使用人として人気な理由がここにある。あとは、テロの対策として、エンプティを奪われたとしても、簡単に制圧が可能なので、需要は少しある。
「それでは案内しましょう。敷地内は広いので、私から離れないでください。勿論、道迷いの心配ではありません」孔雀は声に出して笑った。ジョークだったようだ。ラムネが愛想笑いで付き合った。
「人に会った時に、質問はしてもいいですか?」ラムネが言った。
「難しいところですね」孔雀は眉を寄せた。「いえ、禁止というわけではないのですが、彼らにも生活があります。忙しい人もいるので、答えてくれない人もいるでしょう。ですが、折角の機会ですので、時間の空いた人にお願いしてみましょう。何人かは付き合ってくれるはずです」
「ここでの生活は、時間に追われる事があるのですか?」
「いえ、それほど忙しいわけでもないのですが、集団行動ですので、時間配分があります。後で詳しく説明しますが、簡単な仕事もあるのです。それよりも、本人が望まない事を強要したくないのが、大きいでしょうか」
「なにか注意事項はありますか?」
「そうですね。堅苦しいわけでもないのですが、ここには文化的にも貴重な物が沢山あります。そうでなくても個人にとっては大切な品物も多数存在します。なので、勝手に物色したりするのは控えてください。そして、先ほども言いましたが、私の傍から離れないでください。そして、私の指示に従って頂ければ、問題ないです。質問には、なるべく答える様にしますが、それが出来ない事もあります。それはここにいる人たちを守る為に必要なことですので、ご了承ください」
「わかりました」ラムネは頷いた。
「ありがとうございます。では、初めに、この建物からご案内しましょう」そう言って、孔雀が出てきた建物を示した。