第一章 1
「へぇ。エターナルテイルズに取材しに行くんですね」ネオンがプリンをスプーンですくって言った。
「有名なの?」僕はきいた。僕はその集団の名前を知らなかった。
「はい。何度か話題にはなっています。あまりいいイメージがないのは、宗教らしさがあるからだと思います。日本ってアンチ宗教が流行っていますから」
「なに?アンチ宗教って?」
「神様を信じるのは知能が低いからとか、そんな風に思っている人たちの事です。勿論、表面上は、自分は無宗教で宗教の自由を認めているスタンスを取りますが、裏ではバカにしているわけです」ネオンは、プリンをもう一口食べた。
「どうして、知能が低いの?」僕もプリンを食べた。冷たくて懐かしい味がした。プリンなんて何年ぶりに食べただろう?紅茶を一口飲んだが、少し苦く感じた。
「何百年と科学が発展したのに、未だに非科学的な事を言っているからじゃないですか?私も詳しくはわかりません」
「ふーん。神様を信じるのはそんなに悪い事じゃないと思うけど」
「ベルさんは神様に祈ったりしますか?大会前とかに」
「いや、エンプティにダイヴする時は、普段通りの動きをすればいいから、特に気負う事もない。でも、自分の中の神様に祈る時もあるかな?」
「どんな時ですか?」
「例えば、このプリンに毒が入っていませんように、とか」
「そんなの神様に祈っても無駄ですよ。毒が入ってたら、もう、遅いんですから」ネオンがニッコリと笑った。僕もなんとなくつられて笑っておいた。
「でも、パイロットの中にも非科学的なことを言う人は多いよ。自分は雨男だとか、靴を右から履かないとダメだとか。そういう人たちのアンチもいるの?」僕はプリンを食べる。一口では止まれない魅力を持った食べ物だ。
「さぁ、どうなんでしょう。ルーティンはプラスになると考える人は多いですね。根拠があるんじゃないですか?雨男は知りません。いますよね。そういう人。なんなんでしょうか?」ネオンの話し方はリズムカルな抑揚がある。散歩やピクニックが似合いそうな話し方だ。
「エターナルテイルズについて、どんなことを知ってるの?」僕は話題を変えた。
「私も詳しくは知りませんけど。そこに入団した家族や友人の悲しむ記事は何度か読んだ事があります。連絡が一切つかなくなって、会う事もメールなんかも一切出来ないそうです。そこから逃げ出す人や辞めた人も皆無なので、中で元気に暮らしているのかもわかりません。偶に、外部の記者の取材を受けて、まともで全うな生活を送っているとアピールしています。今回のベルさんたちも、その取材を利用したわけですよね?」
「そうなるね。どうして、僕がしなくちゃいけないのかは、わからないけど」僕は紅茶を飲んで溜息をついた。
仕事の時は、毎回憂鬱になる。特に、自分の為じゃない時はなおさらだ。
今回は、僕が所属している、名前のない集団の上層部からの指示らしい。でも、僕はその上層部がどんなところなのか、どこにあるのか、何人いるのか、何も知らない。僕の上司はラムネで、それより上の人には会ったことがない。それどころか、ラムネ以外の組織の人に殆ど会ったことがない。メディカルケアや配達の時に、エンプティに出会うくらいだ。ずっと、ラムネと二人で暮らしていた。
僕の無駄に広い部屋は、窓がなく、外に出るドアも、外側から鍵が掛かっている。なので、ここに軟禁されているという表現が一番正しい。飼いならされているともいえる。でも、悪くはない。最新の設備が使えて、エンプティにも優先的にダイヴする事が出来る。エンプティに関しては一般人よりは、かなり優遇されている。それが素晴らしい。それに、ここは核シェルタの役割も果たしているので安全だ。室温も一年中過ごしやすい温度を保っている。
その見返りとして、年に数回の仕事が舞い込む。断る事が出来ず、大体が面倒な内容だ。でも、自分をコントロールすれば、出来ないこともないので、仕方なくやることになる。それでも、今までは、僕のパイロットとしての腕やノウハウが多少は必要になる仕事だったのに、今回はそれとは違う。僕がやる必要がないのではないだろうか?もしかしたら、この組織も、相当な人材不足に悩んでいるのかもしれない。勿論、そんなことはないだろうけど。だから、きっと裏があるのだろう。
ネオンは、二か月程前に、僕たちの元にやってきた。とある人物の捜索にネオンの能力が必要だったからだ。前例のない事だった。これまで外部に協力を仰ぐ時は、仕事を依頼して一時的な協力関係を築くだけだった。こんなに長く、それもリアルで一緒に暮らすことになるなんて、初めてのことだ。恐らく、今後もネオンの能力が必要になる時が来るのか、それとも、接触を機会に興味を持ったネオンが、僕たちを探ろうとする危険を回避したのか、どちらかだと考えている。そして、現状がラムネのシナリオから逸脱している状況なのは確かだろう。
ラムネもネオンも僕の部屋の隣の部屋に住んでいる。僕の部屋の一辺にドアが二枚あり、右側がラムネ、左側がネオンの部屋になっている。ドアはどちら側からも鍵が掛けられる。ただ、外に通じるドアは僕の部屋にしかなく、そこからネットで買ったものが配達されるので、基本的には、僕側から鍵をかけてはいない。僕が眠っている時に、配達されても、二人の元に届くようにとの配慮だ。それに僕の端末はロックをかけてあるし、触れてほしくないものは、ブラックボックスと名付けている内寸二メートル四方の金庫の中に入れてある。
僕は、二人の部屋に入ったことが一度もない。夕食の時は、この部屋で食べるし、リアルで話し合う時も、今みたいに、僕の部屋で会う事になっている。それは、秘密の多いラムネが一切部屋に入れないので、習慣化してしまったようだ。
「ああ、あと一つ付け足す事があります」ネオンが言った。「誰でも入団出来るわけじゃないそうです」
「へぇ」それは少しだけ引っ掛かるところがあった。「そういう団体って人数を増やして、お金儲けするのが目的だと思っていたよ」
「それが普通です。でも、それが理由で、潜入捜査も出来ないんです。探偵を雇っても、内部がわからないので、まぁ、その方面では、少し有名でした」
その方面とは、探偵方面という事だろう。ネオンの前職というか、学習期間のアルバイトが探偵みたいな事だとは、ぼんやりと聞いている。その捜査能力が優秀な事は、既に実証済みだ。
「だから、お金儲けしたい探偵が、嘘の情報を小出しにして、依頼者からお金を巻き上げる例もあったくらいです」
「それは知らなかった。賢い商売だね」僕は素直に言った。
「許せません」ネオンの目つきが一瞬だけ鋭くなった。ネオンは、正義感に溢れている、というのが僕の印象だ。
それは文字通り、正義感が溢れているのだ。彼女の正義が彼女の体から漏れて、外部にもその範囲を広げようとしている。その溢れた正義が、僕やラムネの生き方と反発する事は、簡単に予想出来る。後は、時間の問題だ。
「エターナルテイルズは、入団審査の様なものをしているわけだ」僕は話を戻した。「その結果、逃げ出す人も元の生活に戻る人もいないのなら、大した目利きだね」
「そんなわけがありません」ネオンはすぐに否定した。「私たちの集団も似ている所があります。誰でも入る事が出来ませんし、辞める事も出来ません。それに所属するまで、どんな生活なのか詳しくはわかりません。ネットには噂しかありませんでしたから。私は偶に外に出たいと思う時がありますが、それが出来ない状況です。エターナルテイルズも同じかもしれません」
「ああ。そうだね。確かにその通りだ」ここの仕事が嫌になる事はあるが、外に出たいと思った事が一度もない。珍しい意見だ。仕事が入らなければ、最高の環境だろう。監視されていることを除けばだけれど。
「今日、ダイヴするんですよね?」
「うん」僕は、プリンを全て食べ終えた。まぁ、美味しいと思う。一年に一度位食べてもいいかなと思った。自分で買ってまではいらないけれど。
「エンプティは、どのタイプを使うのですか?」
「こっちが用意したのらしい。性能はかなり低い。それは向こうの指示だけど、もし暴れてもすぐに排除出来るようにだと思う。抜け目ない」
「でも、ベルさんなら十分戦えるんじゃないですか?」
「戦わないよ。それに、ステーションに常駐してある量産型じゃなくて、敢えて性能を抑えたアシアトモデルなんだ。まぁ、今回みたいなケースや、テロを予防する時に使われるエンプティだね。通信や計算速度は同じだけど、運動性能が極端に制限されている」
「どこのメーカも作ってるんですか?需要があまりないように思いますけど」
「チャイナとアメリカが多いかな。需要は、まぁ、少ないね。でも、お金持ちが利用する使用人モデルは、このタイプが多い。その場合は、買い取りとなるから、儲け分が大きいし、完全受注生産だから、無駄がない」
「特別安いわけでもないんですよね?折角なら、高性能な方がいいのに。あぁ、また、前回みたいなモデルにダイヴしたいです」ネオンは瞳を上に向けてゆっくりと瞬きをした。甘いトリップをしているのだろう。
前回、ネオンと僕は、とある目的の為に要人警護の仕事をした。その時に、依頼者が用意したのが、高性能タイプだったのだ。それでも、量産型と比べた時の話で、僕が個人的な仕事でダイヴするような、ハイエンドと比べるとパワーが足りない。
「取材と言っても、相手が見せたいものを見るだけですよね。それで、愛想のいい返事をして、もっともらしい記事を書くんですか?」ネオンが目を細めてジッと見てきた。
「記事を書くのはラムネの仕事だね。僕は、そのアシスタントだから」
「しっかり見てきてくださいね」
「なにを?」
「中に入れるなんて、滅多にないんですから。私も昔、興味本位で覗きましたが、衛星画像くらいしか入手出来ませんでした」
「覗いたんだ」
「とある噂があったからです。でも、デマみたいでした」
「どんな?」
「いえ、今回とは関係ない話です。個人的に探している人がそこにいるらしいと、きいただけです」
「エターナルテイルズって一カ所にだけ集まっているの?他の場所に支部とかはなの?」
「ありませんね。一つの山が丸ごと敷地内になっているので、広大なことには間違いありません。人々が生活している空間は、壁に囲まれて覗くことも近づく事も出来ません。ドローンを飛ばすにも、山に入った瞬間、犯罪になりますし。何人か試みた人がいるようですが、全て訴えられています」
「歴史は長いの?」
「確か、二十年以上は続いています。私が生まれる前からありますね。ベルさんと同い年位なんじゃないですか?」
「僕の年齢を知ってるの?」
「私と五つ位違いますよね。正確な数字を教えてくれないので、二十五歳だと勝手に決めています」
「物や文化に比べれば、人間の年月は些末な問題だからね」
「私は、年寄りに嫌いな人が多いです。頭が固いから」ネオンが片方の頬を膨らませた。特定の誰かをイメージしているのだろう。
「エターナルテイルズが販売しているゲームソフトについては、なにか知ってる?」僕はきいた。
「…それについても詳しくは知りません。エターナルトイという企業に名前を変えて販売しています。中毒性が強いらしく、好みが両極端に分かれるそうですよ。コアなマニアはそれ以外のゲームは受け付けない人もいるみたいです。怖いもの見たさで購入する人もいるみたいで、結構売れているみたいですね。エターナルトイは、有名ですけど、エターナルテイルズと関係があると知らない人もいます。ソフトを販売している小さな企業と思っている人が大多数です」
「そんなに面白んだ」
「いえ。あの……」彼女は眉を寄せた。「面白いというよりは、マニアックな作品というか、マイナというか、とにかく独特な作品が多いです。私も詳しくは知らないんですけど」
「例えばどんなのがあるの?」知っている様なので尋ねることした。
「えっと……、有名なのは、巨大な蛇に丸呑みにされるのでしょうか」
「えっ?食べられるの?」想像とはかけ離れた答えだった。
「全部がそうじゃありません。でも、それが話題にはなりました。後は、大きくて綺麗な女性に丸呑みされる作品とかもあります。カプセルが買えずに、実際に自分の体を布団などで縛って遊ぶプレイヤもいたくらいです」
「熱中症になりそうだね」
「そう思います。その他には、抽象的な映像と頭に残る音楽をずっと繰り返すものだったり、街中に生卵の雨を降らして街や人々にどんな変化があるのかを観察するのだったり、自分が幽霊になって遊ぶものだったり、ファンタジィ系のほのぼの生活が体験出来るものだったり、普通の企業が絶対に創らないものを販売しています」
「それは、その団体の活動内容に反するものになるんじゃないの?もっと宗教色が強いんだと思ってた」
「さぁ、私もよくわかりません。プロモーションの一環だと考えてる人もいます」
「好印象ではないだろうね」
「そうですよね」
僕は紅茶を飲んだ。もう、すっかり冷めていた。左手を見て、テーブルに時間を表示させた。あと一時間後に仕事が始まる。
時刻がテーブルに映るのは、テーブルの機能ではなく、イオが僕の仕草を観察して、左手を見る合図を受け取ったからだ。それで、テーブルに時間を映した。この部屋は、ブラックボックス内以外は、隅々までイオに見られている。イオはメディカルチェックから、一年後の予定まで、僕の全て知っているAIだ。僕との付き合いは長いので、より洗練されてきている。
「あの……」ネオンが上目遣いにチラッと見てきた。「ホントに、私はやっていないですから。話題になったから知ってるだけです。そんな方面にアンテナも立てていません」
「なにも言っていないけど」
「…ええ。はい。そうですね」ネオンは冷めた紅茶を飲み干した。そして、ぎこちない笑顔を見せてくれた。
「それじゃ、今夜また夕食の後にでも、話を聴かせてください。その後に、約束のアレもいいですか?」
「うん。わかった」
「はい。お願いします」いつもの笑顔に戻って、彼女は立ち上がった。「それじゃ、中の様子をしっかり見てきて下さい」そう言って、僕の分のカップも一緒にキッチンに下げてくれた。
キッチンはネオンの部屋とは反対側の壁にある。僕は立ち上がって、端末があるデスクに戻った。ここが僕の定位置だ。自分の部屋に行く為、キッチンから戻ってきたネオンとすれ違う時に「ゲームは楽しかった?」と言ってみた。
「やってませんってば」ネオンは頬を膨らませた。