プロローグ
「仕事がある」ラムネが食後のコーヒーを一口飲んでから言った。
「もしかして、僕に?」僕は周りを見渡した。
勿論、この部屋には僕とラムネ以外にいないし、ラムネは僕を見たまま言っていた。だから、これはささやかな抵抗というか、平和祈念の黙禱イベントみたいに、間接的で朗らかな意思表示だ。
「五百人規模の集団生活を行っている団体がある」ラムネは表情一つ変えずに言った。黙禱や応援と同じように、意味が無いみたいだ。
「外部からは物理的にも、情報も遮断され、中で何が行われているかは、一切わからない。自分たちの集団を楽園と呼び、十代から三十代までの若者が中心に集まっている。法律を冒しているわけでも、危険思想を持っているわけでもない。ただ、誰一人抜けだした人がいない。それが、一番特異な点となる。私たちの仕事は、その集団の内部調査」ラムネはロボットの様に淀みなく言った。
「中の情報は一切漏れていないんだよね?」僕は質問した。
「そう」
「なんで危険思想を持っていないと、わかっているの?」
「この場合の危険思想とは、その言葉の意味とは反している。考えるのは自由だけど、それを実行するか、または、その力があるかどうかが重要となる。当然、怪しい集団はマークされることになり、その結果、安全だと判断された」
「だったら、内部調査をする理由がないと思うけど」
「それでも危険な可能性がある」
「どうして?」
「武器を持っていないからといって、安全とは限らない。敷地から出ないからと言って、攻撃してこないとは限らない。AIがそう判断した」
「警察や公的機関が行う仕事じゃないの?」
「さぁ、そうじゃないから私たちに仕事が回ってきた」
「あっそ。でも、何がそんなに危険だと判断されたの?」
「その集団が創り、販売したソフトがある。ゲームの一種らしいけど、中毒性がありリアルの生活にも支障をきたす例が幾つも挙がっている。今回は、主にそのソフトと、中での人々の生活面の調査となる」
「ゲーム中毒なんて珍しい事でもないと思うけど。現代人の殆どが、ネットや社会に支配されている。そっち側を正常としないと、大多数の人間は異常となる」
「間違ってはいない」
僕は鼻から息を漏らして小さく笑った。確かに、間違ってはいない。僕を含めたみんなが異常なだけだ。
「どうやって中を調べるの?こっそり侵入するわけじゃないよね?」僕はきいた。
僕に依頼が来たのなら、その可能性が一パーセント程ある。
「堂々と正面から」ラムネはそう言って、僕の前にホログラムの資料をだした。
ざっとその資料に目を通した。内容は取材記事だ。過去六年に渡って、数十件の記事が書かれている。犯罪者のその後を取材したものや、宗教団体の実情を書いたものなど、世間の認識と事実のギャップを埋める内容となっていた。
初めて読む記事だが、知っている事件や団体が三件程あった。
「もしかして、この記事を書いた人にすり替わるつもり?」僕はきいた。
「違う。こんな人は存在しない」ラムネは綺麗な瞳で僕を見つめる。
「もう、死んだの?」
「元々この世界に存在していない。取材をした人物なんて、この世にいない。ただ、記事自体は、その当時、実際にネット上にアップされた。そこだけが真実。後は、なにもかも全部嘘」
「どういうこと?」
「こういう時に便利でしょ」ラムネは妖しく笑った。