ゼルの敗北
飲む前は嫌そうな顔をしていたのに、飲み始めると一気にゴッゴッゴと飲み干しやがった。ゆっくり飲めと言っただろうが。
「飲みたらないだろ?風呂から出たらもう一度飲め」
「ありがとうございます」
「さっさと入って来い」
「姫様は入らないのですか?」
「走り続けて来たんだ、ゆっくり一人で入って疲れを癒やせばいいだろ」
と、言うとしょんぼりするので一緒に入った。
今日ぐらいはと思ってくすぐるのをやめておくと何かソワソワしている。もしや、くすぐられたいのだろうか?
ならばしばらくお預けにしておこう。
風呂から出て人工汗を飲む。こう言うと確かに嫌だな。
「離籍届けは書いてくれた?」
「ハイ。第一夫人にお願い致しましたら即座に用意して下さいました」
思った通りだ。
「今日ゼルがいない時にクインシー王妃とアームスが訪ねて来てね」
「えっ?」
「賭け金持って来たんだよ。あとさ」
とクインシーの事と会話の内容を話した。
「クインシー王妃がS級冒険者ですと?」
「それって凄い?」
「各国に一人いるかいないかです。というよりいない国の方が多いのです。とてつもなく強いか、何かに特化した能力とかそういうものを持っている人が多いです」
そんなに凄いんだ。
それから後見人の話や学校とかクインシーにお世話になるかを相談。
「願ってもない話でございますね」
「その代わり雁字搦めになりそうだろ?」
「姫様の安全と将来が最優先です。その話を受けましょう」
「それで、アームスかアンデスの嫁になれとか言われたらどうすんだよ?」
「お受けになれば宜しいではないですか?」
「そうなったらもうお前と寝ることも風呂に入る事もなくなるな。飯も一緒に食う事も無くなるだろうし、他の護衛と共にそばにいるだけになるだろうね」
「えっ?」
「当たり前だろ?この生活が異常なんだよ。それに風呂とかいつまで一緒に入るつもりだ?俺ももうそろそろ子供じゃなくなるぞ」
「べ、べ、べ、別に子供でなくとも女同士なので宜しいではないですかっ」
「なぁ、ゼル」
「はい」
「お前、男ではなく、女が好きな人か?」
「それは違います。私は女が好きなのではなく姫様が好きなのです」
「もし、俺が男だったら?」
「姫様は姫様です。性別に左右されるわけではありません」
「でもさ、倒れる前のウジウジした姫が好きだったんじゃないのか?」
「はい、前の姫様も好きですし、今の姫様には初めは驚きましたがますます大好きになりました」
そんな屈託のない笑顔で言うなよ。ドキっとするじゃないか。
なんだか照れくさくなって話をそらした。
「ゼル、ラーメンでいいか?」
と、卵を入れてラーメンを用意してあげる。
ゼルがチュルチュルと食べている時に明日、クインシーに会いに行くことを伝えた。
翌朝
「どうした?」
「何もされてこないのであまり眠れませんでした」
ゼルはなんかに目覚めてしまったのだろうか?
朝は飲み物だけで済ませてアームスの所へいく。同じ宿舎でも流石にこっちはさらに豪華だな。
コンコンっ
「入れっ」
「おはようございます」
「ご飯はどうした?」
「飲み物だけで済ませてきました」
「ならば食堂へ行くか」
「母上、貴族の食堂は休みです」
「ならば庶民の方へ行こう」
「クインシー様、流石に王妃様が庶民食堂に行かれると周りが気を使いますわ」
「馴れさせろ」
「は?」
「ここに来るときはそちらへ行くからな。お前は皆と顔見知りなのだろ?」
「全員ではありませんけど」
「ならば問題ない」
何が問題ないのかさっぱりわからないけど、クインシーにズルズルと引きずられて庶民食堂に連れて行かれた。
食堂には人数はチラホラとしかいないがアームスがいるので皆がざわつく。そりゃそうだうろうな。
パンとプレーンオムレツにオレンジジュースのセット4つをゼルが頼んで運んでくれた。
「返事はいつ頃になりそうだ?私もアームスも明日には帰るぞ。わざわざメロン国まで返事をしにくるのは大変だろう?」
返事は今日でなくてもいいと言っていたが、今返事しろってことだな。
「姫様、このお話お受け下さい。まずは目の前の安全を重視すべきです」
「ほう、貴様はなかなかわかっておるな」
「はい、クインシー様のご指摘通り、街で生活をしながら姫様をお守りするのは困難が予想されますので」
「だ、そうだ。お前の心配は私に借りを作ってしまうことか?それならばこの事でお前に恩を着せるつもりはない。こちらの借りを返すだけの事だ。つまりこの話を受けてチャラって事だ」
学費はともかく、後見人になってくれる事は借りになるのは間違いない。が、それが無いと俺はともかくゼルまで危険に晒す事になる。仕方がないか・・・
「クインシー様、今回のご配慮をありがたく頂きたいと存じます」
「うむ、それでいい。ではこれを食べ終わったら事務の手続きを行っておこう。何、心配するな。アームスやアンデスの婚約者になれとは言わん。お前が望むなら反対はせぬがな」
「望みませんわよ」
「アームス、残念だったな。お前が護衛を脱がすと言った事は取り返しがつかぬようだぞ」
「あ、あれはこいつに本気を出させる為に言ったまでのこと。王子たるものそんな事をするわけがありませんっ」
そうなのか?
「では殴り掛かったことは?」
「頭に来たのは確かですが、こんな小さな娘に手を上げるはずがないでしょうが」
「だ、そうだ。愚息は愚かだが馬鹿ではない。先日の件はこれで許してやってくれぬか?」
「かしこまりました。私を馬鹿にしたりするのは構いませんが、ゼルを辱めるような事をされたらブチ切れますわよ」
「悪かった」
とアームスは頭を下げた。大国の王子が人前で頭を下げるなんてまずいな。
「アームス様、頭をお上げ下さいませ。王子たるもの人前でそのような事をされてはなりませんわ」
と、すぐに頭を上げさせたのであった。
その他、事務室に行き。ストロベリー家から離籍し独立したこと。後見人はクインシーになり、学園も退学せずにそのまま在学する旨を伝えた。
「ゼルよ」
「はっ」
「少し付き合え」
と、クインシーはゼルを騎士訓練所に連れて行く。
「身体が鈍っていてな、手合わせ願いたい」
「私とでございますか?クインシー様は現役を退かれてから幾分月日が経たれているのでは・・・」
「まぁ、そういうな。ほらっ」
と木剣を渡されるゼル。
「お怪我なさっても知りませんよ」
「なら、適当に手を抜いてくれ。顔を怪我すると公務に差し支えるから寸止めでどうだ?」
「かしこまりました」
ゼルがこういうのをするの初めて見るな。女騎士対元S級冒険者か。
「では参る」
ゼルは中段に構え、クインシーは不思議な構え。斜め下段とでもいうのだろうか?
「ハッ」
と、ゼルが切りかかるがスッといなすクインシー。お互い様子見って感じだな。
その後もゼルが打ち込みクインシーがいなすのが続き、少しずつゼルが速くなっていく。
「もっとスピードを上げて良いぞ」
ゼルは段々とマジな顔になっていくがクインシーは余裕だ。
カンっ カンっという打撃音から始まり、今はカカカッって感じだ。
「本気で来い。ぬる過ぎて準備運動にもならん。そんな剣で姫を守れるのかっ」
そう言われたゼルからブワッと闘気みたいな物が溢れた。
一層激しく打ち込むゼルに対し、クインシーはことくごとくいなしていき、攻撃が出来ないというかしていないように見える。
ゼルも凄いけど、クインシーってものすごく強いんだな。あんなにふわふわなのに。
「その程度か?姫の護衛としては力不足だな。拐われて娼館に売られるぞ」
「そんなことはさせませんっ」
ゼルは力の乗った一撃を繰り出すと、クインシーはカウンターでゼルの顎先に剣を止めた。
「実戦ならこれで終わりだ。姫の泣き叫ぶ声が聞こえるわ」
プツン
ゼルから何か切れた音が聞こえたような気がする。
「ブツブツ・・・」
ゼルは剣の持ち手を顔の前にやり何か呟き出した。なんだこの雰囲気・・・
「むっ」
そう唸ったクインシーは一瞬姿が消えたかのように見え、ゼルに体当たりをして吹き飛ばした。
「ガハッ」
吹き飛ばされたゼルが背中からドサッと落ちて口から血が飛んだのが見えた。
「ゼルっ」
シャルロッテはゼルに駆け寄り手折れたゼルの首に手を回して 顔を持ち上げる。
「大丈夫かっ」
「も、申し訳ありません・・・。負けてしまいました ゴフッ ゴフッ」
「クインシーっ!てめぇっ!」
「スマン、寸止め出来なかった私の負けだな。心配すんな。これぐらいでどうかなるような鍛え方はしていまい」
「ひ、姫様。私は大丈夫です・・・」
「ゼル・・・」
ゼルはゆっくりと立ち上がり、クインシーに礼をする。
「胸を貸して頂きありがとうございました」
「うむ。お前は実戦経験が圧倒的に足らんな」
「はい」
「シャルロッテよ。夏休みはまだ半月以上残っているが、その間は何をするつもりだったのだ?」
「学校の編入手続き、住むところの確保、生活基盤を作る。これらをやろうと思っていました」
「ならば暇になったということだな。良ければ、ゼルに稽古を付けてやろう。夏休みが終わるまでウチに来い」
ゼルはうつ向いたままだ。負けたのが相当ショックみたいだな。このままでは立ち直れないかもしれない。俺ではゼルに何もしてやれないから、ここはクインシーにすがるしかないか。
「ありがとう存じます。ぜひお願い致します」
「うむ、では明朝出発する。荷物は何もいらん。こちらで用意する」
そう言い残してクインシーとアームスは去って行った。
「姫様、メロン国へ行くなどと宜しかったのでしょうか・・・」
「俺、剣の事はよくわからないけど、クインシーって強いんだな。ゼルも凄いと思ったけど」
「手も足も出ないとはこのことですね。現役を退かれたS級冒険者がこれほどまでとは思ってませんでした」
「なら、その人に稽古を付けて貰えるのはチャンスだね」
「はいっ。姫様にはご迷惑をお掛けいたしますが、ありがとうございますっ」
ゼルは吹っ切れたのか元気になった。
部屋に戻って、本を整理して片付け、晩御飯を食堂に食べに行くと、おばちゃんや他の生徒から昼間のは何だったか聞かれた。
ストロベリー家から独立して離籍し、クインシーに後見人になって貰った事を説明する。
「はぁー、それはまた凄いもんだねぇ」
「うん、色々あってね。あ、クインシー様もおばちゃんの作ってくれたラーメン美味しいって言ってたよ」
「本当かい?それは嬉しいねぇ」
とおばちゃんも喜んでくれた。
ゼルは夜になってもテンションが高く、今日は早く寝ましょうと言われた。
くすぐるのも止めておいて寝てしばらくすると、ゼルは声を殺して泣いていた。
テンションを高く見せてたのは俺に気を使ったのと、心が折れそうなのを誤魔化してたのかもしれんな。
ゼルの頭をヨシヨシしてやると、俺を抱き締めてウッウッウっと泣いていた。