慰めの腕と。(前編)
殺し屋、ヨザクラ=サハスラーラの襲撃から一夜明けた日のこと。メイをはじめとする<教会>と<警察>の面々は昨夜現れた謎の黒いローブの人物を手掛かりをつかむため調査を行っていた。
その道中、黒ローブと接触している女子高生、アイリ=イワサキを保護した一行。 アイリから事情を聴こうと一行は病院にて彼女を保護することになり、彼女の抱える深刻な問題をメイたちは知ることになり……。
「災難だったねェ。まさか殺し屋さんに狙われるなんてね。」
「全く、ふざけんじゃねェよ。ここで寝るの何回目だと思ってんだ。」
病院のベッドの上で横になっているキル=セツダンに教会の支援班、モノス=ルシウスが話しかける。キルと殺し屋ヨザクラ=サハスラーラとの戦いから一夜明けた日の昼頃。モノスはリンゴを剥きながら包帯でぐるぐる巻きになっているキルに事情を聴いていた。
「それにしても、殺し屋を裏で雇っていたであろう人物。多分そいつが最近起こってる一連の魔力犯罪の根っこの部分なんだろうね。」
「まァ、そうだろうな。それにアイツ。」
昨日の夜のことを思い出す。意識の糸が切れる直前。忘れもしない一言。
『さすがあの子の弟さんね。』
キルにとってあの口ぶりは無視できるものではなかった。あの口ぶりは明らかにキルの倒すべき宿敵、姉のエル=セツダンと関係しているような調子だった。
「エル=セツダンのことかい。まさかこの件に彼女が関係しているかもしれないとはね。僕たちの予想している以上にこの事件、大きいヤマなのかもね。」
器用にリンゴをするすると剥いていくモノス。それを横目で見ながらキルは言った。
「小さかろうが大きかろうが関係ねェ。都合がいいぜ。この事件の中にアイツがいるってんなら一石二鳥って奴だよ。」
静かにキルはそう言った。静かだが強い意志を持った声。キルのそんな声を聴いたモノスはフォークに斬ったリンゴを突き刺してキルの方へと持って行った。
「まァまァ。君みたいな若い子が力み過ぎると空回りするだけさ。このおじさんの剥いたリンゴでも食ってリラックスしなさい。」
キルは銀色のフォーク、そしてその先に刺さっている瑞々しいリンゴを見つめた。
「とりあえず君は怪我を治すのに集中しなさい。君の力は必要になる。」
僕たちにとっては情けない話だけど、とモノスは一般員であるキルに頼っていることに対して少し申し訳なく思っているようだった。
「……ま、そりゃそうか。悔しいが、しゃあないな。」
キルはモノスの気遣いを感じ取った。キルが腕を伸ばしてモノスの持っているフォークを盗ろうと手を伸ばそうとしたとき、
「いやいや、君腕怪我してるじゃないか。僕が食べさせてあげるよ。ほら、あ~んして、あ~んって。」
「えッ?」
キルの動きが驚きで止まる。
「い、いいっすよ。そんくらいできるんで。」
「何言ってるんだ。怪我治すことに集中って言ったろ? ほら遠慮しないでさ。」
「いや、ホントに、お構いなくですから。」
「全く、何意固地になってんだい。」
2人の押し問答は5分ほど続いた。
「あ、どうも。バタラさん。」
「あ、ジャイナガンさん。お久しぶりです。」
メイはバリス=バタラに声をかけ、挨拶を交わした。メイと警察の協力班は警察庁の前で待ち合わせていた。昨夜、キルが殺し屋に狙われたという事件を受け、魔力犯罪増加とカルトの暴徒化が顕著になっていると判断され、街では多くの教会員たちがパトロールをしていた。メイと協力班もこれから街へ出るところであった。
「私たちもいますよ、メイ=ジャイナガン。」
バリスの横にいたメリー=リーメリーもメイに声をかける。相変わらずメイに対して喧嘩腰にツンとした口調であった。
(相変わらず、嫌われてるんですかね。私。)
「リーメリーさんもお久ぶりです。」
全員揃ったかね。そう言いながら2人の後ろからジャラン=メタバスが現れる。
「すみませんね。一服してたもので。さァ、行きましょうか。」
「あ、ちょっと待ってください。もう1人いるんです。」
メイがそういうと後ろから一人の少女が歩いてきた。
「あ……。お、遅れてすみません。」
丸眼鏡に青い髪。前にキルと協力し事件を解決した支援班の少女、ハクア=ブルーウがそこにいた。
「ん。そっちのお嬢さんは確かに見たことないな。初めまして。ジャラン=メタバス。協力班の一応班長です。」
ジャランが手を差し出し握手を求めると、ハクアはおどおどしながらも小さな手を差し出し握手を交わした。
「ど、どうも。よろしくおねがいします。」
とても細く小さい声でハクアは言った。
「これで全員揃いましたね。」
「の、ようですね。」
メイとジャランが確認し合うと。一同は街の方へと向きを変えた。
「それじゃあ、行きますか!」
バリスの声とともに一同は歩みを始めた。
一行は昨日キルとヨザクラの戦いがあったゴミ集積場へ来ていた。昨夜の戦いの後はまだ残っていた。横に切り揃えられたゴミの山に、ところどころに飛び散る血の跡。確かにここで激しい戦いがあったという証明だった。
「うわァ、なんかすごいですね。何がとはうまく言えないですケド。」
バリスがまじまじと現場を見て呟く。昨晩現場にいなかった他の二人――ハクアとメリーもバリスと同様だった。
「さて、ハクアさん。ここで昨日戦闘があったんですが、私たちと相手の殺し屋、そしてもう1人別の人間がここにいました。恐らくその人物が魔力事件増加の原因だと思われる人物です。」
「な、なるほど。」
メイの意図を組んでハクアは眼鏡を取り外す。
「えっと、ブルーウさんは眼鏡を外して何を?」
メリーがメイに訊くと、メイはそれに答えた。
「ハクアさんは魔力を目で視ることができるんです。昨日の痕跡が魔力として残っていたら、それを追って犯人に追いつくことができるというわけです。」
説明されたハクアは少し恥ずかしそうにする。そしてハクアは改めて現場を見た。
「……これ。み、視えます。キルさんとメイさん。あともう2つ。同じ方向に痕跡が伸びてますよ。」
「え、それってもう事件解決じゃないですか!?」
バリスが驚きと歓喜の声を上げる。ハクアは魔力の痕跡が伸びている方へと歩いていく。
「こ、こっちに続いてます。ついてきてください……。」
ハクアは歩みを早める。一同は少女の後について行った。
一同はハクアの道案内のもと、いつの間にか道の細い路地裏に入っていた。陽の光が僅かにしか届かないじめじめとした、それでいて冷ややかな空気が流れていた。
「こんなところがあったんだァ」
メリーは始めて来たその場所をきょろきょろと見回しながら言った。
「俺も始めてきたな。ゴミ集積場には何回も来たことあるのに。裏にこんな場所があるとは。」
ジャランもまたメリーの後に続いて言った。そんな調子でざりざり、と手入れがなされていない凸凹の地面を5人は歩いて行った。
「……あ、あれ?」
ハクアが声を上げたのはそのすぐ後のことだった。
「どうしました?」
メイがハクアの顔を覗き込むように近づき、問うた。
「魔力の痕跡が、ここから途切れているんです。突然。」
ハクアが静かに言う。すると続いて彼女は一歩後ろへ下がってジッと何もない前の空間を見つめた。
「やっぱり……。ここから先、うっすらと魔力の壁みたいなものが見えます。」
「壁?」
メイはその言葉を聞いてジッと感覚を研ぎ澄ます。しかしハクアの言うような感覚は感じなかった。
「……私には何も。」
「本当にうっすらとしてます。いわゆる『結界』、でしょうか? ここから先は魔力が見えなくなってますね。」
ハクアはそれでもじっと目を凝らして前を見つめている。メイもそれをただ見ていた。
「あのゥ、俺達にはよく解りませんケド、そんなやんごとないモノが貼ってあるなら犯人の拠点が近くにあるってことじゃないですか?」
静かに前方を見つめていた二人に対してバリスは言った。ハクアとメイの2人は彼の方をチラッと見た。
「確かに、そのとおりですね。」
メイは再び前を見た。メイはバリスの言葉を聞き、前方の薄闇がひどく不気味なもののように感じた。
「で、でもその場合この奥の、結界の中にはこの事件の元凶がいるってわけですよね。き、聞けんじゃありませんか?」
ハクアもまたメイと同様に危険な気配を感じていた。目では見ることのできないその感覚に恐怖していた。
「……危険なのはわかってますが、どっちにしろ事件解決のためには行かなきゃなりません。とりあえず進んでみましょう。」
メイが先陣を切って前を進んでいった。他の4人もそれに続いた。
5人は暫く路地を進んだ。日の光もろくに当たらない路地裏は冷たい空気が流れていて、それでいて締めっとしている不思議な感覚のする場所だった。その感覚が奥へ奥へと進むにつれて強くなる。不気味な感覚を感じながらも5人はただ進んでいった。
「ここって、さっきも通らなかったですか?」
「確かに。この張り紙さっき見たかも。」
メリーがバリスの言ったくたびれた張り紙を見てそう返す。ハクアの眼が使えない以上一行は充て泣く迷路のように入り組んだ路地裏をただ無闇に探すしかなかった。
「それにしても妙だな。こんな大きな迷路みたいなのがゴミ集積所の裏にあるなんて。」
「多分ですケド、これも魔力のせいなんじゃないかと。私もこんなに広大な空間があるなんておかしいと思いますし。」
ジャランとメイがこの奇妙な路地裏迷宮を訝しげに考えていると、先頭を歩いていたハクアが「あッ」と声を上げる。その声につられて4人は思わず前を見た。
「女の子と……」
「如何にもな奴ッ!」
5人の目に映ったのは狭い路地の地面にうずくまっている学生服の女の子と黒いローブを目深にかぶった人物であった。
「うう……」
女の子は地面に伏しながら小さくうめき声をあげているようだった。
「あら、<教会>の人たち。もう来たのね。予想より早かったわね。」
「貴方はッ?」
メイは自らの超能力を持って『魔界紫銃』を呼び出し構える。ジャラン、メリー、バリスもまた拳銃をローブの人物に向ける。
「すぐに銃口を向けるなんて最近の<教会>は野蛮なのね。でも、まだあなたたちとやりあう気はないわ。」
小さく笑うとローブの人物はまるで霧のように霧散し消えた。「待ちなさい」というメイの声も路地裏のよどんだ空気の中に溶けて消えた。しばしの沈黙の後メイは自らの銃を消した。それに伴って後ろの警察3人も銃をケースにしまった。
「今のは、昨夜の……。」
「間違いありません。あの声。」
メイとジャランはローブの人物が消えた場所を見ながら昨晩のことを思い出していた。彼女らが聞いた声は間違いなく昨晩聞いたあの声と確かに同じものであった。
「メイさん! この子!」
ハクアの珍しい大きな声にメイはハッと我に返った。気が付くとハクア、メリー、バタラの3人が女の子の周りに集まり介抱をしていた。その様子を見るとメイとジャランは小走りで女の子の方へ向かった。
「大丈夫ですか? 彼女。」
「傷とかは見られないケド、息がすごく荒いわ。苦しそう。」
メイの問いかけに応えたのはメリーだった。メリーは女の子を抱きかかえ心配そうにその顔を見ていた。
「はぁ、うぅ……。」
メリーの言うように女の子は荒い息遣いをしており、顔には汗がたらりと流れていた。
「あの人物のことは気になりますが、とにかく一度戻りましょう。この様子だと何かやられたのかもしれません。保護を最優先に。」
メイが言うと、メリーは女の子をゆっくりとおんぶして立ち上がった。
「メリーさん、大丈夫? 俺が運ぼうか?」
「大丈夫。 この子以外と軽いし。 それにバリス君に運ばせたらこの子に何するかわからないでしょ。」
「き、緊急事態なんだから、そんなことするわけないだろ!」
メリーとバリスの言い合いを聞きながらもメイたちは歩き出した。
「ふぅん。そんなことがあったのね。」
5人は女の子を保護するため病院へ戻っていた。そして、ゴミ集積所の裏にある路地で起こったことをモノスと同じ部屋で寝ていたキルに話した。
「入ってきた時とは違って、出るときは意外とすんなり出てこれたのよ。不思議よね。」
メリーが言うとそれにモノスが答えた。
「来る者は拒んで、逃げるものは追わずってスタンスなのかもね。まァ、とにかく無事で何より。」
モノスは5人からの報告を静かに聞いていた。キルもモノスが剥いたリンゴをむしゃむしゃと食べながら話を聞いていた。
「キルさんは裏にそんな場所があること知ってました?」
「んぁ、いや、知らねぇな。気にしたこともなかった。」
突然話を振られたキルはリンゴをむぐっと飲み込むとメイの質問にノーと答えた。
「それにしてもあの女、そんな近くに居やがったのか。くそったれが。」
キルが勢いよくリンゴをフォークで突き刺す。ぐすっと瑞々しいリンゴから果汁がとぶ。
「大体、何で追わなかったのよ。その女がこの事件の黒幕かもしれないんだろ?」
キルはリンゴが突き刺さったフォークをメイに向けた。メイは「むっ」としながらキルの手からフォークをひったくるように取るとそれを口に運んだ。
「あのですね、女の子が居たって言ったでしょ。その子を保護しないとダメでしょ。あんなとこに一人で放っておけないでしょ。」
むぐむぐとリンゴを食べながらメイは言った。メイの言葉にキルは隣のベッドで寝ている女の子を見た。今は息も落ち着き、静かに寝息を立てて寝ている。キルはメイの手からフォークを奪った。
「手分けして探せばよかったじゃねェか。5人もいるんだから。」
「まァまァ、キルくん。敵の本拠地の近くではあまり危険なことはできないって。」
モノスはキルを制すと、メリーの方へと顔を向けた。
「えっと、メリーリーさんでしたっけ?」
「メリー=リーメリーです。」
「どうも。確認したいんだけど、その子に外傷とかは特になかった。それで駆け付けた時にはもう苦しそうにしていて、黒いローブ姿のがそこにいたと。」
モノスの質問にメリーは首を縦に振り「間違いありません」と答えた。
「それで、そのローブ野郎は昨日俺たちが遭ったやつと同じってんだろ。だったらなおさらそっちの方が放っておけないだろ。」
キルはベッドから立ち上がるとづかづかとドアの方へ歩いて行った。
「おい、キル! どこ行くつもりだ? 怪我は?」
「お前らが行ったつゥところに決まってんだろ。怪我はもう大したことないって。」
足を止め、ジャランの方へ向き直りながらキルが答える。キルがドアノブに手をかけたその時。
「あ、皆さん。」
ハクアの細い声に部屋のメンバーは全員振り返った。一斉に視線を向けられたハクアはたじたじと口を開いた。
「あの、その、起きたみたいですよ。」
それを聞くと全員の視線はハクアの横のベッドへと移った。ベッドの上ではスズカに寝ていた女の子が「んん」と短く声を漏らしながら薄く目を開いていた。そして、女の子は自分へと剥けられる沢山の視線に気が付くと口を開いた。
「ここは、どこ?」
まだ意識もはっきりとしない、ぼやぁとしたまどろみの中の声。その質問に答えたのはバリス=バタラであった。
「もう大丈夫だよ。ここは<教会>と連携してる病院だから。」
<教会>という単語に女の子の体がピクリと跳ねる。
「<教会>? ……ここ<教会>の?」
女の子の顔は一気に怯えの色へと変わった。「ど、どうしたの」とバリスが言い終わる前に女の子はよたよたとベッドから立ち上がり、千鳥足のようなおぼつかない足取りで外へと出るドアへ向かった。
「おっと、お待ちよお嬢ちゃん。」
その足を止めたのはドアの前にいたキルであった。女の子の腕を軽く握って彼女を制した。
「は、離してッ」
「ちょうどいいや。ちょっと聞きたいことがあるんだよ。」
「キル、レディの扱いは丁重にな。」
ジャランは言うとキルに捕まえられていた女の子の肩を優しく掴むと元居たベッドへと座らせた。
「私は、何も知りません。ホントです。」
「まァ、落ち着いて。ゆっくり深呼吸をして。……そう、ゆっくりでいいから。」
ジャランの声に促され――諦めたように――女の子はすぅーっと深呼吸をした。何度か繰り返すうちに女の子は平静を取り戻したように感じられた。ジャランは続ける。
「さて、落ち着いたかな。乱暴ですまないね。あっちの男は色を知らないような奴だからさ。」
「オイ」
ジャランの言葉に対して異議を申し立てるキル。それを無視してジャランは続けた。
「いくつか質問させてくれないかな。ただ、答えたくなければ答えなくてもいい。それは君の自由だ。いいかい?」
ジャランが優しく問いかけると、女の子はゆっくりではあるが首を縦に振った。
「ありがとう。その前に……。」
ジャランは後ろを振り向きキルに対して言った。
「キル、お前いったん部屋から出てろ。」
「はァ? なんで?」
ジャランの言葉にキルは突っかかった。ジャランの口ぶりから「お前は邪魔」と言った雰囲気を感じたからだ。
「お前がいると彼女が怖がるかもしれないだろ。だからどっか行ってろ。」
「怪我人を病室から追い出す警察官がいるかッ? 普通。」
「自分でさっき怪我は大丈夫っつってたろ。とっとと行っちまえ。」
しっしっ、とジャランは右手を横に振って外に出ていくように促した。キルは舌打ちをしながらドアを開け出ていった。
「私たちも一応出ていきます。あとで分かったこと教えてくださいね。」
メイはそう言うとドアを開いて外へと出た。ハクアもペコリとぎこちなく頭を下げるとメイに続いた。ドアの外にはジトっとした目をしたキルが部屋の中を睨んでいた。
「じゃあ、僕も出ていくよ。若い人らで後はごゆっくりね。」
モノスも席を立つ。その際脇に置いてあったリンゴの皿を持ち上げ、そっと女の子のベッドのわきの棚に置いた。
「僕が剥いたリンゴ。元気出るよ、多分。」
そう言うとモノスも部屋の外へと出た。部屋の中には女の子と、警察の3人のみが残った。
「さて、と。これで安心かな。さっき言った通り答えたくなきゃ答えなくてもいい。OK?」
ジャランの言葉に女の子はそっと肯定した。
「よし。じゃあ、君の名前を教えてくれるかな?」
「……アイリ。アイリ=イワサキ。16歳です。」
「アイリさん、か。16だと女子高生かな。ありがとう。」
ジャランはちらりと横目でメリーの方を見た。メリーが手帳に情報を書き込んでいるのを確認すると、続けてジャランは言った。
「気分はどうかな? さっきまで酷く辛そうだったケド。」
「今は大丈夫、です。」
「……さっきはどうしてあんなに辛そうにしてたんだい? 何かあった?」
ジャランの問いに女の子――アイリはうつむいたまま何も言わなかった。
「……あの黒いローブの人に何かやられた、とか?」
アイリの体がほんの少し震えた。怯え。それをジャランは感じた。
「答えたくない?」
「……すみません。」
ふゥ、とジャランは短く息を吐いた。そのようすをみてアイリはもう一度小さく「すみません」と言った。
「いや、大丈夫だよ。今は特に体は平気そうなんだね?」
「あ、はい。」
アイリの回答にジャランは「なら、良かった」と微笑みながら応えた。
「しんどくないかい? 病み上がりっぽいからさ。」
「私は、大丈夫です。」
ジャランは彼女の様子を見ると、手でバリスを近くに呼んだ。バタラが近くによって来るとジャランは彼に言った。
「彼女、ちょっとしんどそうだから外で何か飲み物でも買ってきてくれ。頼んだ。」
「え、分かりました。何でもいいんですね。」
「お前のセンスに任せるよ。」
お使いを頼まれたバタラはぱたぱたとドアの外へ出ていった。
「あの、お構いなく。」
「いやァ、病み上がりの女の子に質問責めしてるんだ。これぐらいは。」
2人のやり取りを見ていたメリーは、業務とはいえジャランのピンク色っぽい雰囲気が気になって仕方なかった。
「先輩、私ちょっとお手洗いに行ってきますッ。」
「ん、ああ。」
手帳とペンをジャランに渡すとそそくさとドアを開けて出ていってしまった。
(まだまだ青いなァ。)
ドアの方を見つめながらジャランはそう思ったのだった。ドアが閉まるのを確認すると、手渡された手帳を開き、ボールペンの芯をかちりと出した。
「まァ、意図しないうちに2人きりになったケド、これで多少は話しやすくなったかな? 続けても?」
「……どうぞ。」
ありがとう、と小さくお礼を言うとジャランは再び質問した。
「ところで、なんで君はあんな所に居たんだい? あんなじめッとしたところ、このんで行く人はいないと思うケド。」
ジャランは言い終わった後に、「君の家とかだったら申し訳ない。」と付け加えた。
「いえ、そんなことありません。私もあんなところ行きたくありませんでしたから。」
ジャランは彼女の言葉に何か嫌な黒いものを感じた。マイナス的な、何か不穏なものを漠然とではあるが感じ取っていた。
「それで、なんであそこに居たの? 理由があるんじゃないのかい?」
ジャランは再び訊いた。アイリはまたもうつむき、顔を曇らせた。
「……ごめん。答えたくなかったかな。」
ジャランが内心諦めたように口を開くと、それにかぶせるようにアイリは口を開いた。
「いじめ……。」
「え?」
ジャランは耳に飛び込んできたその言葉に反応した。
「私、その、同級生に虐められてるんです。それで……。」
「……」
ジャランは静かに彼女の言葉を聞いていた。
「それで、今日もあの場所で……。たくさん、たくさん、その……。」
言葉尻が涙声になる。気が付くとうつむいている彼女の頬に透明な軌跡がポロリと引かれていた。
「……もういい、分かった。よく話してくれた。君は勇気のある子だよ。」
そのすぐ後にバリスとメリーが病室に戻ってきた。泣いているアイリと彼女の肩に手を置くジャランに2人はただ茫然としていた。
「彼女、そんなことがね。」
「けったくそ悪ィな、そりゃ。」
1時間ほど後、一行は<教会>本部の班員室にてジャランとアイリの会話の内容を共有していた。
「多分ですケド、気分が悪くなってたのはそのいじめのせいだと俺は思ってるんですが、どうですか!」
バリスは他のメンバーに回答を促した。
「彼女は完全に被害者だ!」
バリスは声を出して彼女が潔白な被害者であると力説した。しかし、他のメンバーは何も言わなかった。
「いずれにせよ、やはり気になるのは黒ローブです。あそこで彼女と何をしていたのか。」
「メイさん、それは逆ですよ。あの人が介抱していて、俺たちが到着したから安心してどこかに行ったんです。」
アイリのことを信じるバリスの意見に異を唱えたのはメリーだった。
「馬鹿ね、バリス君。あの口ぶり、間違いなくあの黒ローブはクロの人でしょう。それに目の前でスゥッと消えたのよ。何かしら魔力と関係あるってことじゃない。」
「あ、そうか……。」
バリスは先の状況を思い出し、シュンとしなびた。
「黒ローブが何かしようとしたが、俺たちが来て未遂に終わったってことはないのかい?」
キルが言うとバリスはうんうんと頷く。しかし、その後ジャランが言った。
「気になることがある。彼女にした質問の中で「あそこで何があったか?」って質問についてなんだが。」
ジャランが口を開くとバリスが疑問を口にした。
「それは俺も聞いてましたケド、結局答えたじゃないですか。いじめがあったって。それを最初は言い辛くって黙ってたんじゃないですか?」
「いや、これは俺の感覚の話なんだが、彼女があそこに居た理由と、彼女があそこで何をされていたのかっていうのはイコールじゃない気がするんだ。」
バリスは頭に「?」を浮かべてどういうことか、とバリスに尋ねた。
「その質問をした時、もっと言えば黒ローブの名前を出した時の彼女の反応は言い辛そうとかそういう感じじゃなかった。怯えてた感じがしたんだよ。」
ジャランの言葉に一同は黙って耳を傾けていた。徐々に場の空気がよどんでいくのを各々感じていた。
「それに、彼女はその質問をされた時、これも俺の感覚での話なんだが、「答えたくなかった」というより「答えられなかった」みたいな感じがしたんだよ。」
「答えられなかった?」
メイがジャランの言葉を反芻する。
「ハクアさん? 彼女に魔力は見えなかったんですか?」
話を振られたハクアはびくりとメイの方へ顔を向けた。
「は、はい。一回眼鏡を外して視てみたんですケド、一般の人と何も変わらない様子でした。」
ふむ、とメイが顔に手を当て考えていると、
「ま、ともかく彼女を警戒するに越したことはないと思うよ。」
口を開いたのはモノスだった。それを聞いたバリスがどういうことか、とモノスに詰め寄った。
「彼女は今日もいじめを受けていた。それでその場所に居た。それで外傷とかそういう痕跡が全くないなんておかしいじゃないか。きっとその黒ローブが多かれ少なかれ干渉されてると思うんだよねェ。」
バリスは釈然としないといった顔をしていたが、一理あるという二律背反の感を持っていた。
「バリス、お前はちょっと感情的になりすぎる。当事者に寄り添うってのは大事だが感情を表に出すと解決する事件も解決しなくなる。」
ジャランがバリスの肩に手を置いて諭す。
「いずれにせよ彼女は数日ここで休んでもらって監視をするつもりだ。もちろん保護もする。さっき両親と話して許可も貰った。わかったな?」
バリスはただ黙っていた。
夜。アイリは病院の白いベッドの上で夢を見た。
自らを虐げていた者たちがバラバラに引き裂かれる。血が跳び散り、臓物が弾け、叫びがこだまする。肉の一片が、血飛沫が自らの体に跳ね、赤く染めていくとき、ようやく気が付いた。
奴らを殺しているのは間違いなく自らの腕であると。
夢の中の自分の腕はまるで怪物の手だった。太く、大きく、血管が力強く脈打つ。実際の自分の華奢な腕とはまるで別のもの。鋭い爪は彼奴等の肉を裂き、黒く、筋肉質な腕は彼奴等の骨を潰す。それでもアイリはそれが自分の腕であるということを確信していた。
蹂躙する。飛び散る。撲殺する。弾ける。破壊する。死ぬ。
自らの手で以って、自らの尊厳を壊した連中を壊していく。
気が付けば血の海。そこには魚のように骨やら内蔵やらが泳いでいる。そして最後には自分のその中に溶けていく。赤く赤く赤く。黒く黒く黒く。溶けていく。一つになる。
アイリはばっと目が覚めた。なんて夢だ。凄惨な夢。今まで自分がこんな夢を見たことなんてなかった。寝汗が額から鼻の横を伝う。
自らの右手を見てみる。白く細い指とそれに見合った細い手首が窓から差し込む広い月明かりによって照らされていた。
違う。この腕じゃない。
アイリはおもむろに窓の方を見た。ベッドを1つ挟んだ向こうの窓。少し距離がある窓。光の差し込んでいてまともに見えるはずのないその窓の中に彼女は何かを見出そうとしていた。
ああ、そう。この腕だ。
白くぼやける窓の中。そこには黒く、巨大な体躯の怪物と、愉快に歪んだ口元の自分自身が映っていた。
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