ゴミの中で咲く花
教会員のキル=セツダン、メイ=ジャイナガンの2人は、人形師のエヴァン=エイブルから直々の依頼を受ける。エヴァンは自分の作品を批判した人間を襲っているという「使者」なる存在が自分のブランドの品位を落としているということで2人に相談をしたのだ。
2人はエヴァンに不気味な気配を感じつつも、「使者」と邂逅を果たす。その正体とは?そしてこの事件の結末は?
その日のエヌシティは雲に覆われていた。朝から厚い鼠色の雲が空を埋め尽くしていた。昼だというのにエヌシティの色彩は暗く、生ぬるい嫌な空気が漂う。キル=セツダンはメイ=ジャイナガンとともにその黒い雲の見つめるエヌシティを歩いていた。
「雨、降るんですかね?」
メイはふいに空を見つめてポツリと呟く。横で歩いていたキルもまた視線を上に向けた。
「さァ?ラジオだと降らねェっつってたからなんも持ってきてねぇや。」
他愛もない話をしながらも2人は雨に降られないように早歩きで目的地へと向かっていた。
彼らの目指している場所は芸術家のアトリエ。
芸術家の名前はエヴァン=エイブル。今や世界的に有名な人形師である。おもに少女の人形を手掛けており、人形の持つ美しさ、そして少女の持つあどけなさの見事な融合がもたらす神秘が彼の作品の持ち味であった。
「……ですって。」
「へェ。」
メイはワザワザ取り寄せたパンフレットを読みながら今から会いに行く人物についてのことをキルに読み聞かせた。
〈教会〉は個人や法人などから直接の依頼を受けることがある。依頼料金として別途〈教会〉側に料金を支払わなければならないため数はあまり多くはないものの、ないこともないくらいにはこのような依頼を受けるのだった。
「緊張するなァ。だって世界レベルの人ですよ。しかも芸術家って。気難しそうな人だったらどうしよ。」
「どォもこォもねェだろ。あっちから直々に頼んできたんだぜ?多分かなり困ってるってことだよ。下手にでるこたァねェ。こっちだってドォンと構えてりゃいいんだよ。」
人通りの少ない裏の通りに出る。まばらに散歩している人や自動車が時々通る。道路は整備が行き届いておらず、コンクリートが欠け、凸凹になっている箇所もいくつかある。メインの通りとはかけ離れたその雰囲気にメイは言いようのないノスタルジーと寂しさを感じた。
「……こんなところにホントにあんのかよ。さびれた建物しかねェぞ。」
「私もそう思いますケド、指定された場所はこっちで間違いないんですよ。ほら。」
メイはキルに住所をメモした用紙を見せる。キルはそれを覗き込むように見るが納得はせずに、
「お前がメモミスったんじゃねェの?」
「……そんなコトないと思いますケドねェ。」
メイはメモを何度も見返しながら歩く。整備されていない道では時々躓いたり、足をとられたりするものの、2人はとにかくその住所へと行くしかなかった。
「……ん~……ここですかね?」
しばらく歩くと1つの建物にたどり着いた。そこは2階建ての巨大な倉庫であった。最近のハイテクさを感じさせない無骨なつくりの倉庫。そこが二人の目的の場所だった。
「お前、ホントに間違えてねェだろうな?」
「……不安になるんでやめてください……。」
ここで立ち止まっていても仕方がないということで、2人は倉庫に近づいた。倉庫はもとは搬入口であったと思われる巨大なものと、もう一つその横に人が入る用の扉があった。扉に近づくと横にインターホンがあり、2人は顔を見合わせると、キルが一歩後ろに下がった。それを見たメイは仕方ないといった風にインターホンに指を伸ばした。
ピンポ~ン
何の装飾もない平凡なチャイムの音。二人はそれを聞きながらこの中に(恐らく)いるであろう人間を待った。
しかし、1分程経っても中から人が現れる気配はなかった。キルはメイを訝しげに見ると、その視線に気づいたメイはポケットから再びメモ用紙を取り出した。
「だから、それが間違ってんだって。」
「そう、なんですかね? と、とりあえずも一回押してみますか。」
焦ったようにもう一度メイはインターホンを押そうとしたとき、
ガチャリ
鍵の開く音。そして扉が開いた。中からは背のやや小さいやせぎすの男がゆっくりと出てきた。
「お待たせしてすみません。ちょっと立て込んでまして。どうぞ中へ。」
抑揚のあまりない声でそういうと男は中へと入っていった。キルとメイは目を合わせると男に続いて中に入った。
だが、キルはその男の気配に何か言い知れぬ違和感を覚えていた。よく解らない漠然としたものであった。
2人は男――エヴァンの後に続いて2階に上がり、リビングのような少し広めの部屋に通された。寂れた外観から考えると現代的で小綺麗にまとまっているというところでメイはキルの住む管理人小屋に行ったことを思い出した。
リビングには向かい合った2つのソファがあり、その間には4つ足のガラステーブルが置かれていた。キルとメイはエヴァンに促され入口に近い方のソファに座ると、目の前のテーブルには白いコーヒーカップが置かれていた。エヴァンはすぐに座らず奥の方へと向かった。
「飲み物でも持ってくるので、ちょっと待っててください。」
「あ、どうも」
エヴァンはゆったりと奥へと向かっていった。彼がコーヒーサーバーを持ってくると、2人の目の前のカップに中身を注ぐ。黒茶色のコーヒーがコポコポと流れる。カップの中にコーヒーが注がれると湯気とともに香しい匂いが立ち込める。
「砂糖は必要ですか?」
「いや、俺は結構っす。」
「あの、私はお願いします。」
メイが申し訳なさげにそういうと何も言わずにエヴァンは再びの方へ行き、角砂糖の入ったカップを手に取って戻ってきた。それをテーブルにカタンと置くとエヴァンは2人に向かい合うようにしてもう1つのソファに座った。
「改めて初めまして。今回依頼させていただいたエヴァン=エイブルです。どうぞ、よろしくおねがいします。」
エヴァンは抑揚の全くない調子で2人に軽い自己紹介をする。メイは軽く会釈をすると角砂糖のカップを手元に引き寄せた。そしてキルとメイも軽く自己紹介をしたものの、エヴァンは2人の自己紹介を聞いているのかいないのかよく解らないほど、リアクションを示さなかった。
「あの、ところで、結構変わったところに住んでいらっしゃるんですね。偏見かもですケド、エヴァンさんのような名のある方って、なんか立派な建物に住んでるのかなって思って。」
メイはエヴァンのあまり感情のない喋りを受けて話しにくいと感じていたため、角砂糖をカップに入れつつ、そんな他愛のない話をもって場を和ませようとした。だがメイの話を受けてもエヴァンは暫く黙っていたため、メイは気を悪くしたのかと思い、ぼそりと「あ、すみません」と言った。しかし、その後にエヴァンは口を開いた。
「まァ、あまり高い家に興味がないってのもありますし、作業的にもこっちの方が都合がいいんですよ。1階は大きく開いてるから工房にもなるし、色々モノも置けますから。近代的で煩雑なものはあまり好まないので。」
エヴァンは先ほどと同じ調子で一息に答えた。メイは「そうなんですね」と答えつつも、相変わらず台本でも読んでいるかのような淡々とした喋りに話しにくさを感じていた。
「そんで、エヴァンさんでしたっけ?今回はどんな要件で?」
メイのどうでもいい話にキルは横やりを入れて単刀直入に聞いた。メイはキルの軽いもの言いに砂糖を入れる手を止めて諫めるようにキルの方を見た。エヴァンもまたキルの方を見つめる。しかし、すぐに口を開いた。
「最近、どうやらストーカー、のようなものに付きまとわれているみたいなんですよ。私の熱狂的なファンというか、何なのかはよくわかりませんが。」
彼の依頼を聞いたメイは少しの違和感を抱いた。
「ストーカー、ですか?失礼ですケド、それだったら私たちよりも〈警察〉の方に相談した方がよろしいんじゃないですか?」
メイはそういうとカップの中に入っていた小さいトングで再び砂糖を掴みコーヒーの中に入れていった。コーヒーの中には6,7個ほどの砂糖が浮いていた。キルはそんな状態のコーヒーカップをじっと見ていた。
「私も最初はそう思ったんです。だけど、なんでかは上手く説明できませんが、これは普通の感じじゃないって感じたんです。こういう感覚って、解りますよね?」
「……まァ言いたいことは解りますよ。ですけど、やっぱり、どうなんでしょう。」
メイはなおも砂糖を沈めていく。10個ほど入れ、ようやくトングから手を放した。
「ちなみにっすケド、具体的にどんな感じなんですか?被害つーか、どういうもんかなと。」
キルはそういうとコーヒーカップに口をつけた。ズズッと小さく音を立てて啜ると、カップを静かに置く。エヴァンはこくりと小さくうなずくと静かに話し出す。
「後ろから付けられる、というのは話しましたよね。それがまず第一。それ以外にも色々と。一番困っているのは、なんでも私の作品を批判したような人らが襲われているみたいなんですよ。」
エヴァンはおもむろに携帯電話を取り出し、操作を少しすると2人に画面を見せてきた。そこに映っていたのはニュースサイトのとある記事だった。
「えェと、『芸術評論家のトラン=トラン氏が自宅近くで襲われ……』。ああ、これニュースでも取り上げられたやつですよ。確か全治2ヶ月くらいの怪我でしたっけ?」
角砂糖10個分の甘みが入れられたコーヒーを冷ましながら飲んでいたメイは携帯の画面を見るなり、そう言った。キルは角砂糖が山のように浮いている白黒のコーヒーを横目で見ながらエヴァンに向かっていった。
「ところで、エヴァン……さん。何か俺らに隠してることとかってないっすよね?」
「……私を疑っている、と?」
メイはキルの突然の発言にコーヒーを吹きこぼしそうになり、むせる。ゲホゲホとせき込みながら何を言っているのか、とキルを制そうとした。しかし、キルはそのまま続けた。
「あんま気ィ悪くしないでください。一応疑うことも仕事のうちなんでね。何にもないってんなら別に謝りますよ。」
キルの言葉を聞き、エヴァンはふぅと一息つくと改めて口を開いた。
「……ま、無理もありません。襲われているのは私の作品を批判した人間なんですから。でも、私は私の作品を理解しようともしない連中を手にかけるほど小さい人間ではないと自負しています。トラン=トランの批評は読みましたが的外れすぎて呆れていたくらいです。人間怒るときというのは図星を突かれた時ですよ。あんなゴミクズのような人間は触りたくもないですから。」
エヴァンの言葉は今までのような調子ではあったが、今までに感じられなかった静かな苛立ちをメイもキルも感じていた。そして、その感情の高ぶりをきっかけとしてキルはエヴァンに感じていた違和感の正体もある程度掴めていた。
「私が一番迷惑してるのは、キル=セツダンさん、でしたっけ?今のあなたのように私に、いや、私の作品にあらぬ疑いをかけて、私の作品たちが正当に評価されなくなるということなんですよ。ニュースになったのはこの記事だけですが、実はインターネット上ではもう噂になっています。『エヴァン=エイブルの作品を侮辱すると使者が来る」と。これ以上私の作品の品位を下げるようなことは避けたい。だから、協力していただけませんか?」
やや早口になりながらエヴァンはメイとキルに願い出た。キルはカップに入っている残りのコーヒーを飲み干すと立ち上がった。
「わかりやした。とりあえずこっちの方で調べてみるとしますよ。なにかそちらさんの方でもわかったら連絡ください。」
キルはまだ砂糖漬けのコーヒーを飲んでいるメイに声をかけ、芸術家のアトリエを後にした。
「お前、どう思う?」
キルは帰り道でメイに対しておもむろに聞いた。暗い雲の下、凸凹の道を歩く二人。時刻は昼を過ぎていたものの太陽はアツい雲に遮られどこにあるのかさえ分からなかった。
「どう思うって、何がです?家にはびっくりしましたケド、コーヒーも美味しかったと……」
「バカタレ。カマトトぶってんじゃないよ。あの不気味野郎のことだよ。」
メイはそれでも最初よく解らなかったが、少し考えるとエヴァンのことだとピンときた。
「どうって言われてもなァ。まァ失礼かもですケド、不気味というか、独特な空気感の方でしたね。芸術家の方ってあんな感じなんですかね?
「いや、違うだろォな。アイツが特別変なんだよ。マネキンと喋ってるみてェだったよ。」
しばらく歩くと、小さな公園が2人の目に入った。砂場と滑り台、ブランコしか遊具がなく、奥に3人掛けの木製のベンチがぽつんとあるだけの公園だった。キルは落ち着いて話そうとメイを誘って公園へと入った。2人はベンチに腰掛けると話を続けた。
「俺は見かけで人は判断しねェ。ケドな、雰囲気で大体わかるんだよな。アイツは多分なにかある。それに、お前も感じただろ?」
「……魔力ですか?」
キルは小さく頷くと話を続けた。
「アイツが早口になったとき明らかに魔力を感じた。苛立ってたからかもな。会った時からなんか違和感があると思ったら、明らかに魔力を感じたんだよな。」
「でも、仮に彼が今回の犯人だとしたらなんのために私たちを寄越したんでしょう。わざわざ捕まりに行くようなことしますかね?」
それがわからない。キルは言うとベンチに背を預け空を見上げた。見上げる空は今にも雨が降ってきそうな不吉な雲に覆われていた。
「まァ、とりあえず犯人をおびきだしゃあいいわけだ。それで全部解決する。こんな猫探すみたいな依頼はとっとと終わらせちまおうぜ。」
「おびき出すって、どうやって?」
キルは視線をメイに戻して呆れたように言った。
「お前、人の話ちゃんと聞いてたのかよ。犯人はエヴァン=エイブルの悪口を言やァ出てきてくれるんだろ?だったら簡単じゃねェかよ。」
「あ、なるほど。」
「んで、それで俺が呼び出されたってことですか?」
キルとメイはセントラルエリアに戻ると、〈警察〉本部に駆け込んだ。そして協力班の1員であるバリス=バタラに声をかけた。
「俺たちが騒いでもいいが、相手が魔力を感じられる奴が犯人なら警戒されるかもしれないからな。それに今日はジャランの奴はお休み。」
「リーメリーさんは、よく解りませんが私のことはあまり好きではないみたいで、頼みづらくて。」
「そんなことないと思いますケド……。まァ協力できることがあるならやりますよ!」
意気揚々とバリスは胸をたたいて見せた。
「そうだろうな。前のクリスの時なんてアンタあんまり役に立ってなかったもんな。」
「うッ!あんまり言わないでくださいよ、セツダンさん。気にしてんですから。」
キルの小言に気をやや沈めながらも、バリスの協力の承諾を得た2人は芸術家を脅かす脅威を捕まえるために動き出した。
夜、雲に覆われるエヌシティの暗闇はより暗いものに感じた。星の光も月の光もなく、ただ街灯の灯りのみがゆらゆらと白く光っているのだった。時刻は午後9時ほど。先のトラン=トランが襲撃されたのとほぼ同時刻、同じ場所に3人は居た。
「じゃあ、バタラさん、そのメモ通りにお願いします。」
「なるべく感情込めてな。棒読み過ぎッと来ねェかもだからよ。」
「わかってますよ。任しといてください!」
バリスは張り切ってメモをポケットから取り出すと、それをメイから事前に渡されたパンフレットに重ねた。そして、一般人を装い歩きながらその文面を読んだ。
「えと、「あぁ、最近のエイブル先生は良くないなァ。以前と比べてなんかへたくそな感じなんだよな。不気味というかなんというか。才能が枯れたのかしら?」」
バリスはメモに書いてある分をできる限り自然体に声に出そうとした。しかし、それを聞いていたキルとメイはあまりの棒読み具合に呆れ果て、溜息を洩らした。
「アイツの棒読みもそうだが、お前の書いた台本もなんだアリャ。抽象的なことしか書いてねェじゃねーのよ。」
「し、しょうがないじゃないですか。私、お人形さんとかよく解らないんですよ。」
小声でぶつぶつと言い争う二人。それに気付く様子もなくバリスはメモの文字に目を落とし続けた。
「「エモーション的じゃないというか、グラマラス的じゃないというか、よく解らないんだよなァ。」」
よく解らないのはこっちの方だ、とキルがメイに文句を言おうとしたその時、
ぞわっ
キルとメイの2人は背筋に鳥肌の立つのを感じた。魔力の迫る感覚。メイは小走りでバリスの背中を追いかける。そして、肩を後ろから叩くと、バリスはびくりと体を震わせた。
「な、何か問題ありました?」
「言いたいことはありますケド、とりあえず来ます。」
なにが、とバリスが言う前に暗黒の空からバサリと使者が舞い降りる。黒いロングコートを纏う使者。その日の夜の暗さも相まって、まるで黒い影がそのまま動いているようであった。
「うァ、ほ、ホントに来るなんてッ!」
バリスは腰を抜かしてその場に尻もちをついてしまう。メイはその様子を横目で見、その後目の前の黒い影を見据えた。影は動かない。ただじっとメイを――否、その後ろのバリスを見つめているようであった。
「おあつらえ向きの格好してきてくれるとは、助かるじゃねェの。」
使者の後ろから声が聞こえる。使者の後ろにいる影。キルの声である。使者はメイとキル、2人の魔力使いに挟み撃ちの形をとられたのだった。ゆっくりとキルが使者へと近づいていく。街灯の灯りに照らされて陰になっていたキルの姿が夜道に白く浮かぶ。
「なんて呼べばいいのかわかりませんが、アナタがトラン=トラン氏をはじめとして、エヴァン=エイブルさんの作品を批判した人間を襲っている方で間違いありませんね。」
「あんな出鱈目な文章でも怒ってくれるなんて、単純でこっちは助かったぜ。」
徐々に2人は使者へと歩を進める。使者は2人を交互にきょろきょろと見ると、ファイティングポーズをとった。
「お、やる気かい。良い感じじゃねェの!」
「キルさん、待ってください。そこの方。私たちはエヴァン=エイブルさんに直々に依頼を受けて来ました。アナタを止めてほしいと。」
メイの言葉を聞くと、使者はピタリと動きを止めた。その様子を見てメイは続けた。
「さっきの非道い言葉は私の考えたものです。すみません。でもアナタを止めるために仕方なかったんです。エイブルさんはあなたの行動によって自分の作品のイメージが崩れるのを嫌がっています。アナタが彼のファンで、批判が許せないのは解りますが、それは全くの逆効果なんです。アナタのせいでエイブルさんの評価は下がっていくんです。」
メイがそう言うと、使者はぴたりと動かなくなった。その様子を見てメイが確保のために使者へと近づこうとすると、使者はメイとは逆の方向、――キルの方へとすごい速さで走っていった。
「おっと、逃がさないぜ、悪いケドな。」
隣を通り過ぎようとした使者の腕をキルは掴み、引き留めた。光に照らされ、今まで不明瞭だった使者の姿が明らかになる。金色のブロンドヘアーをした女性と言った容姿。しかし、顔はすぐに下を向かれたため陰になりよく見えなかった。だが、キルがそれ以上に気になったのは、掴んだ腕の感触だった。人の肌とは違う感触。服ごしにではあるもののその腕に生気は感じられなかった。その感覚にキルは困惑した。
「放して!」
キルに掴まれた使者はじたばたともがく。魔力を持つ使者は力が普通の人よりは強かったものの、キルは難なくそれを抑えていた。そして、違和感の正体を探るべく、使者の影になっている顔を見ようとした。よく顔を見るため左腕で使者の右肩を掴むと、グイっと自分の前へと引き込んだ。掴んでいた右腕で左の肩を掴みじっとその正体を見定めようとした。
「捕まえたぜ。……あ。」
キルの短い、言葉に詰まったかのような反応にメイも座り込んでいたバリスも気になった。メイがすぐに近づき「大丈夫ですか」と声をかけた。
「人形だ。」
「え?」
キルのその短い言葉にメイは困惑した。
「こいつ人形じゃねェか。」
使者を連れ、キル、メイ、バリスの3人は近くの公園で話を聞くことにした。夜の公園のベンチに先ほどの使者を座らせ、3人は話を聞いた。
「私の名前はジュリア。さっきそこのお兄さんが言った通り人形です。」
公園内には一つだけ街灯があり、ちょうどベンチを上より照らしていたため使者――ジュリアの姿をしっかりと映していた。遠目で見ると本物の人間のようにしか見えない精巧な作りの人形。ただし顔を見ればそのあまりにもくっきりとしたドールアイが人のそれとは違うということを感じさせる。
「それにしても、本当に人にしか見えませんねェ。正直俺は今でも信じられませんよ。人形が自分で歩いて話すなんて。」
バリスはジュリアをまじまじと見つめる。ジュリアは先ほどエヴァンのことを批判したバリスに見られるのを良くは思っておらず、キッと彼を睨みつけた。
「ひっ」
短く声を上げバリスは顔を背けた。その様子を見たメイはジュリアに「彼は悪くありません。エヴァンさんのことを悪く言ったのは私です。」と言って、軽く頭を下げた。ジュリアはフゥと息を吐くとベンチから立ち上がり、おもむろに纏っていた黒いロングコートを脱いだ。
「あっ。」
3人は声を漏らした。彼女の着るロングコートの下には肌色の肢体があった。だが、その体は人形然としていた。体の節々には人工的な関節があった。それは彼女が人ではなく、人から作られ、人を象って造られた人形であるという何よりの証明だった。
「……もう、わかったでしょ。私は人形なの。」
静かに言うとジュリアは脱いでいたロングコートに腕を通した。コートを着ると彼女の人工的な部分が隠され、人形が正真正銘も人に変身したようだとメイは感じた。ジュリアはベンチに座りなおすとぽつりぽつりと続けた。
「……私、お父さんを侮辱する人たちをどうしても許せなかった。お父さんの工房に落ちてたペラペラの本に書いてあったの。特にあのトランとかっていうおじさん。お父さんのこと何もわかってないくせにあんな出鱈目書いて。だから、だから……。」
「やっぱり、お父さんって言うのは、エイブルさんのこと、ですね?」
ジュリアは小さく頷くと、続けた。
「お父さんは最近調子が良くなかっただけなの。それなのにあのトランって人以外にもたくさんの人がみんなお父さんのことを悪く言って。お父さんのことよく解っていないくせに。」
ジュリアは憎々しげに呟く。ジュリアの目元がぎゅっと細く歪む。さながら人間のように。
「そういうやつらを懲らしめたらお父さん、喜んでくれるかと思ってずぅっと外に出てお父さんのことを悪く言う人たちを懲らしめてきたの。……でも、お姉さんたちに言われて気付いたの。お父さんが迷惑してるって。それはそうよね。他の人に痛いことするのは良くないことに決まってるよね。」
ジュリアの声は震えていた。本来声を発することもない人形だというのにその声音は人のそれと全く違いはなかった。
「私謝りたいの、お父さんに。ごめんなさいって。迷惑かけちゃったから。もうしないって、悪いことしないって言いたいの。」
彼女の目からは涙が出ていた。人形が声を発し、涙を流す。人と人形の境目が何か、魔力とはここまでのことをなせるのかとバリスは魔力という超常的な力への驚きと、目の前の少女の健気さを憂いた。
「わかった!謝ろう!君の真心を伝えればきっとわかってくれるはずだよ。だけど、人を傷つけたから、君には相応の罰があることは忘れないでね。」
先ほど憎しと思っていたバリスの言葉にジュリアは静かに、そして大きく頷くとより多くの涙を流したのだった。彼女がベンチから立ち上がる時、空からはしとしとと雨が降り始めたのだった。
夜の10時頃。エヴァン=エイブルのアトリエのチャイムが鳴った。夜の静けさ、雨が「ととと」と降りしきる中には不釣り合いな軽快な音。それが夜の中に響く。
「はい。」
扉が静かに開き、中からエヴァンが現れる。扉の外には昼間に顔を合わせたキルとメイが立っていた。
「アナタたちでしたか。どうぞ中へ。今作業中ですので1階で構いませんか?」
「えェ。私たちもそんなに長居するつもりはないので。」
メイはそう答える。「そうですか」と淡白に言うと2人に中に入るように促した。キルとメイはドアの内へと入っていった。
1階スペースはあったものの、2階とは違って様々な素材や段ボール等がそこかしこに落ちており散らかっていた。本当に人形を作るためだけの部屋。必要最小限のライトなどがぽつんと何か所で光っているだけで部屋は薄暗かった。エヴァンは部屋の中央あたりにあるビール瓶のケースをひっくり返したものに腰を掛けた。
「それで、何か進展はありましたか?」
「それがよ、なんとか解決したみてェなんだな。」
エヴァンはキルのその言葉に少し意外そうに反応した。
「それは素晴らしい。さすが〈教会〉の方々は優秀だ。それで犯人はどうなりましたか?捕まったか、それとも……」
「それなんですがね、」
メイはそう言うと後ろに向かっておいでおいでをした。その様子を不思議そうにエヴァンが眺めると、1階の入り口から見覚えのない男が入ってきた。
「……その方は?」
「私たちに協力してくださった〈警察〉のバリス=バタラさんです。」
「〈警察〉? ああ、じゃあ捕まりましたか。」
興味なさげにエヴァンは答えた。その様子に少しバリスは苛立ちを感じて目を細めた。だがバリスは入口の外にいるもう1人を呼び寄せた。
「まだ誰かいるんですか? あまりここに大人数は居れたくないんですが。」
バリスのジェスチャーからもう一人何者かがいることを察したエヴァンはうんざりした調子でそう言った。しかし、現れた人物をエヴァンはじっと見つめた。
現れたのはジュリアであった。ジュリアは「お父さん」と小さく言うとエヴァンに近づいて行った。
「お父さん、ごめんなさい。私、私ね……。」
ジュリアがわなわなと委縮したようにエヴァンに話しかける。エヴァンは静かに後ろを向くと作業机へと向かっていった。
「お父さん……!」
「エイブルさん!この子の心は子どもなんです!彼女は罪を償う気でいます。だから、許してあげてくれませんか!」
バリスはエヴァンの背中に向かって力強く言う。それでもエヴァンはその言葉を無視するかのように足を止めずに机へと向かった。
「エイブルさん!」
「聞こえています、〈警察〉の方。感謝していますよ御三方とも。ジュリア、こっちへ来なさい。」
ジュリアはバリスと顔を合わせる。バリスは彼女の目を見て頷くと彼女は静かに父の下へと走っていくのだった。ジュリアがエヴァンの後ろへ着くと、口を開いた。
「お父さん。本当にごめんなさい。私お父さんのためになると思って、」
バン
乾いた音が部屋中に響く。誰もそれが銃の音だと理解するのに時間がかかった。音の後、がたりとジュリアの体が後ろに倒れた。そこでようやく3人は音の正体に気が付くのであった。
「な、な……」
狼狽するバリス。何も言葉が出てこず、ただその亡骸に近づく。眉間には黒い風穴がぽっかりと空いていた。先ほど声を震わせ、父に謝っていた少女はもはやただの人形だった。わなわなとただ彼女の下へバリスは進む。しかし、その歩もエヴァンの持つ拳銃の放ったもう一発の弾丸によって止められた。
バン
顔がさらに砕ける。もはや人形とも呼べぬものになってしまったものの前でバリスは膝から崩れた。亡骸を1つ拾って掌に乗せる。そうするとバリスの目からは涙が流れ出た。
「ひどい。」
メイは思わずにそうつぶやいた。心からそう思った。泣き崩れ、「どうして」と何度も繰り返すバリス、自分を父と呼ぶ人形を平気で殺すエヴァンの傲慢さから出た言葉だった。
「〈警察〉の目の前で銃を使うのは憚られるんですが、問題はないでしょう。私はただ自分の作った人形を壊しただけですから。たまたま処分する道具がなかったんです。」
淡々と話すエヴァンに掴みかかったのはここまでの顛末を静かに聞いていたキルであった。
「お前、自分の子ども殺して何とも思わねェのか!それでも人間か、貴様!」
大股でエヴァンに近づき胸倉を掴む。掴みかかられたエヴァンは不思議そうにキルに対し答えた。
「子ども?違いますよ。あいつは私の作品です。もっとも、あんなのは作品でも何でもない。ガラクタ同然だ。」
静かに口調も変えずにエヴァンは続ける。
「人形は人に近しいものであって、人であってはならない。動かず、何もしゃべらないからこそ人形としての美しさがあるんです。もし、人の作った人形が人と同じように話し、動き回ったらそれはただの劣化コピーなんです。人のね。」
「劣化だと?」
キルのエヴァンの服を掴む力が自然と強くなる。飄々と、淡々というエヴァンの態度にキルは言い知れぬ怒りを感じた。メイも、座り込んでいたバタラもエヴァンの方をじっと見つめて――睨みつけ話を聞いていた。
「そうです。人形は生物でないから美しい。老いとか、生殖だとか生物としての穢さもない永久の美があるんです。それが動いたんですよ。そこに転がってる残骸は人形だからモノも食べない、性器がないからセックスもできない。でもひとりでに動く。そんな生物としても中途半端、人形としても中途半端。人の形をした人の劣化コピーを私は造りたいわけじゃあなかった。それならそこらで作られてるラブドールの方がよっぽど人間らしい。」
キルは右腕を振り上げる。力が自然にこもっていく。エヴァンは降りあがったキルの右腕に視線をやった。
「……駄目ですキルさん。殴りたい気持ちは解ります。だけど、その人の言う通り、彼は自分の作品を壊しただけなんです。人を殺したわけでもない。アナタが殴ったらあなたの方が悪くなってしまうんです。」
メイはキルを制した。メイはキルの右肩をグッと掴んだ。
「だけだと!こいつは人殺しだ!」
「キルさん!」
キルはメイの顔を見た。不服を感じる顔。その顔を見るとキルは余計に悔しい気分になった。対照的にエヴァンの顔は極めて冷静なものだった。
「アナタたちのために言っておくと、こいつは私にとって元々かなりの自信作だったんです。最近私はスランプ気味でして、だからこそあんな批評家共にいいように言われていたわけですが。でも、ジュリアは私にとって最高傑作だった。スランプを脱したのだと確信できた。でもそれが不気味にひとりでに動き出した。」
広いスペースに感情のない声が雨の音とともに静かに響く。しとしと。ぽつぽつ。
「私もその自信作を壊すなんて勇気はなかった。不気味に思ったがそれでも何とか好きになろうとしてこのアトリエに置いていた。だけどご覧の有様だ。こいつは私に害しかくれなかった。こうやって私があなたみたいなのに襟を掴まれてるのが良い証拠だ。」
何の感情もない、調子の変わらない無関心な口調はキルを益々不快にさせた。力がますます強くなっていくのを感じる。
「殴ってもいいですよ。別に。殴られてやる理由はよく解りませんが、それでスッキリするならね。トラブルの素は生産しておきたいですので。」
頭の血管がはちきれんばかりの怒りをキルはその時感じた。自分ことを父と慕うものを自らで殺す。それはキルにとって最も不愉快なことだった。エル=セツダン。自分の姉も欲望のために自らの家族をも殺した。自分の姉のことが脳裏に浮かぶ。目の前の男、その余裕の態度が自分の姉と重なった。我慢の限界だった。
しかし、その時キルの靴に何かが当たる感触があった。下を見てみるとそこにあったのは殺されたジュリアの目であった。綺麗な翡翠色の瞳の目。それを見たときキルは感じた。
ここでこの男を殴ってもジュリアが元通りになりはしないと。そしてここで殴ったら悔しいがエヴァンのいう通り、エヴァンにとってジュリアという存在が害しかもたらさないものになってしまうと。
キルは振り上げていた右腕で襟をつかんだ。強く固められたキルの両手がエヴァンを絞め殺さんほどに強く掴み上げ、キルはエヴァンに顔を寄せた。
「いいか、よく聞け。お前みたいなのは絶対将来ロクなことにならねェ。絶対後悔する。覚悟しとけ。」
一言一言に力が入る。自然と体のいたるところが震えた。声も震えた。行き場を失った力がキルを震えさせたのだった。キルの静かに震える声にエヴァンは静かに言った。
「……そうかい。じゃあ、楽しみにしてるよ。」
その顔は不気味に歪んでいた。まるで感情のない人形が無理くり表情をつけているようなぎこちない笑みだった。
命が確かに一つ奪われた部屋の中は雨音と泣き声と怒り、悲しみが充ちていた。
「キルさん。起きてますか。」
メイは朝、キルの住むゴミ集積場にやってきていた。あの事件から3日。キルは〈教会〉の本部にやってこなかった。あの日の帰り道、キルはただうつむき、拳を握っていたのだった。
ガチャリとドアが開く。そこには黒い制服に身を包んだキルがいた。
「……今行こうと思ってたんだよ。迎えに来るなんて余計なお世話だっての。」
キルの他愛のない減らず口をきいてメイは少し安心したが、その声にいつもの調子がないことはやはり心配だった。メイは軽く挨拶をし、2人は歩き出した。
ゴミ集積場を出るまでの何分間か、二人は無言でただ歩いていた。空はすっかり晴れ模様だったが、それとは対照的にキルの心はまだブルーだった。それはメイも感じていた。
「そういえばバリスさんは大丈夫ですかね。すごくショックを受けてたようですが。」
「……さァな、どうだか。」
キルとメイは静かにただ歩いていた。
「俺さ、後悔してるよ。やっぱり殴ッときゃよかった。モヤモヤすんだよ畜生。」
「……キルさんがあんなに怒ったのは、エル=セツダンが浮かんだからでしょ?ジャランさんから聞きました。エルは、キルさんの家族も、その……」
キルは前を向きながら舌打ちすると「アイツ余計なことしか言わねェ。」とぼやいた。
「ああいう自分の都合で人殺しをする奴は本当にイライラする。特にああいう自分の家族をどうとも思ってないような奴は。」
「……私も本当はああいう人は許せません。変かもしれませんが、あの時止めてしまってすみませんでした。」
メイは言った後に「教会員失格ですね。」と笑ったが、キルは何も言わなかった。その反応がメイは悲しかった。
「あいつも、親があれじゃなかったら幸せだったのかね。ゲイジュツってのに疎い俺でも綺麗だって正直思ったよ。それが親がゴミ扱いしたらあのザマになっちまうなんてな。」
キルは静かに言う。キルの脳裏には顔が粉々になったジュリアの様子が浮かび上がっていた。メイもまたキルの言葉を静かに聞いているしかなかった。
2人はただ押し黙ってゴミ集積場を出るために歩いていた。そこのよどんだ空気は彼らをもっと陰鬱な気分にさせたのだった。その時であった。メイの目にあるものが留まった。
「……キルさん。でも、エヴァン=エイブルが、生みの親が彼女をなんて思おうが、私たちにとっては綺麗だったってことに変わりはありませんよ。」
「?」
キルは突然キザなことを言うメイに目を丸くした。メイは自分の目に入ったそれを静かに指さした。キルも視線をそれに合わせた。
「彼が彼女をゴミだと思っていても、私たちが彼女の綺麗さを忘れなきゃ、ちゃんと見てあげれば、多分ですケド彼女も報われるんじゃないですか。」
「……そうかもな。」
そういうキルの声は少しだけ元気が戻っていたようにメイは感じた。
2人の視線の先にはゴミに埋もれ、ゴミの下敷きになってもなお健気に咲く白い花が一輪咲いていた。昨日の雨に濡れ、ぽたりと花弁から水がしたたり落ちる。そんな花を見て2人は何か陰鬱な気分がほんの少し腫れた気がしたのだった。
天気は辛うじて晴れ。雲がまだ残る空の下をキルとメイの二人は今日も歩いて行った。
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