泥の手(後編)
キル=セツダンは泥棒クリス=スムースに敗れたことでやさぐれてしまう。その様子に腹を立てたメイ=ジャイナガンだったが、その理由の一端であるキルの目的について、ジャラン=メタバスから話を聞く。それを聞いたメイは改めてクリス逮捕のために戦いを挑む。〈教会〉と〈警察〉のプライドをかけて……。
彼が目覚めたのは、朝の陽ざしが彼の閉じられた瞼を静かに叩いていたからであった。開いた目を細めながら周りを見回してみるとそのは見慣れない部屋であった。白く清潔感のある部屋。周りにはいくつか空いたベッド。その上に惹かれているリネンの掛布団。普通の生活からは遮断されるような非日常的な雰囲気をまず感じた。彼――キル=セツダンはすぐにそこが病院だということが解った。
キルは白いベッドの上に寝かされていた。体に痛みはなかったが、右足は包帯を巻かれ、ギプスで固定されていた。
徐々に頭の靄が消え、まどろみの感覚から解放されてくると、キルはふつふつと自分の胸に何ともいえない感覚がこみあげてくるのを感じた。美術館での戦闘。数時間前自分が泥棒――クリス=スムースに敗れたのだという実感が今自分が寝ている場所も相まって湧いてきたのだ。怒りというよりもやるせなさ、情けなさ、無力感がキルの体を中心から貫いた。
「あんな奴に負けてちゃ……」
キルはその思いをどこにもぶつけることができなかった。発散することのできないもやもやを払拭する手段もないので彼は右手側にあるドアにそっぽを向くように逆側に向いて寝ようとした。然しその時、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。キルは何も応えずにそのまま横にしていると、暫くしてからガララと横開きのドアが開く音がした。
「やっぱり、寝てるんじゃ。」
「いやぁ、こいつはヘソ曲げてるだけですよ。起きてんだろ?」
見覚えのある声が聞こえ、ゆっくりとキルは首だけを声の方へ向けた。ほら、やっぱり、と声の主は言う。
「テメェら、何の用だよ?」
不機嫌にキルが言った先には二人の男女――ジャラン=メタバスとメイ=ジャイナガンがいた。
「体の調子はどうだ?」
「どう、もクソもねェだろ。」
キルは顎をしゃくって自分の右足を示した。ジャランはそれを見ずに右手に持ったペットボトルをベッド備え付けのテーブルにコツと置いた。爽やかな青いラベルの天然水。中の水が白い日差しに晒されキラキラ光った。
「足の骨がなくなったんだって?折れたとかでもなく。不思議だよな、魔力ってのは。俺にはどうも分らんが。」
キルは置かれたペットボトルを掴むとキャップを開けた。グリリッと音がしてキャップが外れる。続けてメイが言った。
「セツダンさん。あとは私たちに任せてください。くれぐれも無茶とかしないでくださいよ。」
メイは不器用に笑顔を作って、優しく言った。キルはメイの方を一瞥すると、ペットボトルの水を一口飲み、フゥと一息をついた。
「任せろ、かい。心強いな、そりゃ。」
皮肉にしか感じられないキルの言葉にメイは眉間にしわを寄せた。
「どういうことですか?それ。」
メイが一歩近づくと、ジャランはその肩を掴んで、「行きましょう」と静かに言った。
「じゃあな、キル。気に食わないかもしれんが、寝ててくれよ。」
お大事にな。というと二人は病室を出た。メイはジャランに強引つれられるようであったが。
バタム、とドアが閉じられる音がする。キルはドアの方をじっと見ていたが、すぐにベッドに寝転んだ。天井の白い壁が日の光でより明るく感じた。キルは首を動かしていると壁掛けの丸時計を見つけた。時刻は九時。クリスに敗北してからまだ8時間ほどであった。
「何なんですか、あの態度は?」
メイはジャランに詰め寄るように聴いた。まるでそれは自分を止めたジャランを責めるようでもあった。ジャランは何も答えなかったが、病院のエントランスに来たところでソファに腰かけ、メイにも座るように促した。メイは渋々それに従いジャランの横に腰かけた。
「メタバスさん、私何か変なこと言いました?私が笑うの苦手だったからですか?なんなんです」
まくしたてるようにメイはジャランに向かって話し始めると、ジャランは手でメイを制した。むぐっとメイは口をつぐんだ。
「ジャイナガンさん、貴方が悪いわけじゃないですよ。アイツはそういうやつなだけです。不器用な奴なんですよ。」
わかってますケド、とメイは言ったが、合点がいっていないようで歯切れが悪かった。ジャランはそんなメイの様子を見て、続けた。
「アイツと話した時、言ってませんでしたか?〈教会〉が嫌いだって。」
「言ってましたよ。私たちがあまり事件を解決してないのに、お金とかもらってるのが気に入らない、みたいな。」
メイはその誤解が解けたものだとばかり感じていた。だからこそ先ほどのキルの態度には納得していなかったし、不思議だった。
「私たちが不甲斐ないのは自覚しているつもりです。今もこうやってキルさんや〈警察〉に協力していただいてますし。でも……」
「ジャイナガンさん、それなんですよ。言い方は悪いかもしれませんケド、貴方がた、まァ、無論〈警察〉もですが、みんな「今」の方にだけ目がいっている。」
「え?」
メイはジャランの言葉がよく解らなかった。ジャランは続けた。
「「今」を守るってことは無論重要です。考えるまでもない。だけど、中には「過去」に囚われてしまっている人たちもいる。」
そういうジャランは目が遠くを見つめているようだった。メイから視線を外し、下を向きながら言う。それでもって病院の床を見ているわけでもなかったようだった。
「エル=セツダンを知っているでしょう?いまから15年前、封印されていた「魔人」を解き放ってしまった女です。今でも拘束されていない。それどころか行方も分かっていない。」
「もちろん知ってます。「魔人」が解き放たれたあの日、人的にも物質的にも惨い被害を受けましたから。子供の時のことですがはっきり覚えています。人がたくさん死んで、建物とかも壊されて、今でも復興が間に合っていないところもあります。……セツダンってまさか。」
「そう、アイツはその大犯罪者の弟です。」
メイはジャランの口から語られた言葉にハッとした。「セツダン」と聞きどこか引っ掛かりを感じてはいた。だが、明確にその名前がどのようなものかを憶えていなかった。
「まァ、無理もありませんよ。15年も前のことです。記憶が薄くなってても仕方がない。だけど、その被害者にとってはその15年ってのは永遠なんです。特にアイツ――キル=セツダンはずっとエルの影に囚われている。なにせ、自分の姉貴があんな事やらかしたんですから。」
ジャランはゆっくりとメイの方を向いた。しかしその目はやはりメイを見てはいないように感じられた。
「エルの弟ということもあってアイツ自身も苦労したんですよ。言われない中傷、実際に手を挙げられたこともあります。それについてアイツがどう思ってるのかは俺は知りませんが、少なくともアイツが考えていることは、」
そのとき、明確にジャランの目はメイを見た。じっと見つめながらジャランは言った。
「姉への復讐です。つまりはエル=セツダンを殺すことです。」
いきなり病室のドアが開く。ガララッと勢いよくドアが横に動き横になっていたキルはびっくりして跳び起きた。
「な、なんだァ」
キルがドアの方へ向くとそこには黒いローブを目深にかぶった人間が立っていた。風貌の妖しさもさることながら、キルは確かにその男に魔力を感じた。
「アンタ、なにもんだ?」
キルが訝しげにそういうと男は口を――といってもローブを深くかぶりすぎて顔はほとんど見えないが――開いた。
「やァ、はじめまして。キル=セツダン君だね?」
姿とは対照的に軽い明るい口調で言った。声からその人物が男性であるということは分かったが、依然として正体不明だった。
「俺はなにもんだって聞いてんだ。」
「あァ、めんごめんご。僕はモノス=マシウスって言うんだ。〈教会〉だと君たち実際に犯罪者たちと戦う「実戦班」のバックアップをしている、「支援班」の者だよ。」
コツコツとキルのもとへ男――モノスは歩いた。キルはじっとモノスを見つめていた。
「よろしく、ね!」
モノスが右腕を握手の要領で差し出してきたので、キルも仕方なく右腕を出し握手を迎えようとするも、
「あっ?」
モノスの右腕のローブの中から出てきたのはタコの足のような触手だった。キルはそれにびっくりして手を思わずひっこめる。
「なんなんだ、アンタは!」
「あっ、ごめんご。こっちの手じゃなかった。ほぅら、握手握手。」
次に差し出してきたものは白い骨の腕だった。
「おい、ふざけんなよ、アンタ。」
「ふざけてなんかないよぉ。ほら。」
モノスは差し出した右腕で頭にかかったローブをめくるとそこには人の顔はなく、角が4本ある山羊の頭蓋骨のような頭部があった。
「……アンタ、仮装大会にでも出んのか?」
キルが呆れたように言うと、モノスはムッとした様子で言った。
「違うよォ。ちょっとわけありでね。こういう身体なんだよ。まァ、そりゃ置いといて。」
モノスはキルの右足に自分の右腕をそっと置いた。
「おい、アンタ!触るなよ!」
「シィ、静かに。集中するから。……あちゃあ、こりゃやられたね。まるまる取られてる。骨ないねこりゃ。」
モノスはそういうとキルの足から手をどけた。キルはベッドの上ですぐさま後ずさりをしてモノスから距離をとった。
「……ジャイナガンのやつに頼まれてきたのか?アイツホントに余計なことしやがって。」
キルは舌打ちをすると窓の方を見た。
「いやいや、僕個人的に君に興味があってね。だって、一般の人が〈教会〉に協力するなんて今までになかったからさ。どんな奴かと思ってきてみたのさ。」
病院で会うとは思わなかったケドね!とモノスはハハハと笑った。キルはそのあっけらかんとした感じに苛立ちを感じたが、キルはこの男に並々ならぬものを感じていた。自分の状態にすぐさま気付いたこの男は口調とは裏腹に中々の力を持っているように感ぜられたのだ。キルは癪ではあるものの、一縷の望みをかけてモノスへ言った。
「なァアンタ、これ、なんとか治せねェか?俺にもワケがあんだよ。こんなとこで足踏みしてるワケにはいかねェんだ。」
モノスはう~んと考えるが、すぐに「難しいかな」と答えた。
「足踏みしてられないって言うけど、それなら君の足の中にモノ――それこそ僕の有り余ってる骨とかを入れればいいケド、それなりのリハビリとかは必要になると思うよ。自分のモノじゃない異物なワケだからね。それじゃ本末転倒だろ?なら、メイさんとかの活躍を待つしかないんじゃないかなァ。クリスが君の骨を盗ったっていうなら、彼を捕まえれば何か直す手立てだって見つかるかもだし。」
「じゃあ、何か!あの野郎がパクられるまで待ってろってのか?冗談じゃないよ!」
キルは強い口調でモノスに糾弾した。病院という静かな空間ということもありキルの声は殊更大きく響いた。モノスは彼の大きく響いた声を聴き、ドードーとキルを落ち着かせる素振りをした。
「落ち着きなよ。血気盛んなのは若くていいケド、今君にできることは彼女らを信じて待つことだと思うなァ。」
信じる。という言葉を聞いてキルは昨日のことを思い出した。メイは意識を失い、〈警察〉の協力班は何もできなかった。――そして自分は……――そんな彼らを果たして信じられるか。そのような考えが頭をよぎった。
「俺も、信じたいもんだね。」
歯切れ悪くそういうとモノスはフゥと一息をついた。
「まァ、君の気持ちは解る。多分僕の予想だと君はあの、15年前の、エル=セツダンの関係者なんだろ?」
エル=セツダン。その言葉を聞いた時キルはモノスの顔をより一層ジッと見つめた――睨みつけた。その様子を見てモノスは申し訳なさそうに言った。
「気分を害したなら、ごめんね。」
しかし、その後に「でも、やっぱり」とモノスは話を続けた。
「君が彼女にどんな感情を抱いていて、何をしたいのかも想像できる。」
キルはモノスから視線を外し、自分の――今は用をなさない右足を見つめていた。
「僕の想像だと、君はエルを探して自らの手で殺そうと考えている。15年前の事件を一々追ってはいない〈教会〉と〈警察〉は期待ができないから、自分が強くなって彼女に復讐をしようと思っている。だから、クリスに負けてしまったことに焦りを感じているし、苛立ちも感じている。そんなところかな?」
モノスの問いにキルは暫く黙っていた。沈黙が流れ、窓の外で小鳥のなく声だけが聞こえる。数秒の後にキルは口を開いた。
「人の事情に一々首突っ込むんでくれるな。帰ってくれや。」
そういうとモノスとは逆の方向を向いてキルは横になった。モノスはその様子を見てやれやれ、と病室を出た。
キル=セツダンの目的が自らの姉、エルを抹殺し復讐しようとしているということだということをメイに教えたジャラン。そこからジャランはメイにキルがなぜ苛立ちを覚えていたのか、不確かながらも自分の考えを放した。そして奇しくもその考えは病室でモノスがキル本人に問うたものと同じであった。その時、彼女らのもとに声が届いた。快活ながらも焦りを孕む女性の声であった。
「先輩!大変です!」
それはジャラン達協力班の3人のうちの1人、メリー=リーメリーだった。彼女は2人のもとへ走って向かってきた。
「確か、貴方は……メリー……さん?」
「メリー?病院なんだから静かにしろよ。んでなんだ?」
はぁはぁと荒く息をつきながらメリーは「すみません」と途切れ途切れに言った。
「その、予告状が、また。」
「何?」
「届いたんですか?」
予告状。その言葉を聞いて2人はクリス=スムースを思い出すとともに、夜の不甲斐ない自分の姿を思い起こした。
「アイツ、性懲りもなく。調子に乗りやがって。」
ジャランは恨めしそうに呟くと、ソファから立ち上がった。
「メリー、今回奴はいつどこに現れるんだ?」
「はい!えと、サウスサイドのマルスリンド美術館です。時刻は、今日の、いえ明日の午前1時です!」
「早いな。わかった。準備しよう。」
ジャランとメリーが病院の出入り口へ歩いていくと、メイは2人の背中に声をかけた。
「待ってください。」
ジャランとメリーはメイの方へ振り返った。ジャランが口を開く。
「なんですか?ジャイナガンさん。奴はもう夜に来るんですよ。急いで対応しないと。」
「どうするつもりですか?まさか、また昨日みたいにやるつもりですか?」
メイの強い語気にメリーは反応した。
「どういうことです?何か策でもあるっていうんですか?」
喧嘩腰で食って掛かるメリーをジャランは制そうと声をかけるがメイはそれに動じず続けた。
「昨日と同じ感じで行けばまた同じことの繰り返しですよ。それに今回はキルさんが動けず、1人少ないんですから。メリー=メリーさん。」
「リーメリーです!じゃあ、どうするんですか?何かアイツを捕まえる絶対の方法でもあるんですか?」
メリーの言葉にメイは「いいえ」と静かに言った。それを聞いたメリーはフンと鼻を鳴らした。しかしその後、「ただ」と付け加えた。
「私と貴方がたが正しく協力をすればクリスに雪辱を晴らすことができるかもしれません。」
メイは立ち上がり、二人のもとへとかけていった。
「メタバスさん、確かにセツダンさんが負けられない理由みたいなものは理解はできます。彼がクリスに負けて焦りを感じているって言うのも。だけど、私は彼がイライラしているのはそれだけじゃないと思うんです。
「……ほゥ。」
メイとジャランの会話についていけていないメリーは、ただ疑問符を頭に浮かべながらただじっとメイの方を見続けるしかなかった。
「彼は私たちに失望しているんですよ。だって、昨日私たちは何もできなかったんですよ。私はよく解らないうちに寝かせられて、失礼ですけどあなた方も何もできていなかった。」
「な、何てこと!役たたずだったって言うんですかッ?」
メリーはメイに糾弾した。要するに無能であると遠巻きに言われたのである。食って掛かるメリーをジャランは抑えた。
「よせ、メリー。ジャイナガンさんの言っていることは正しい。残念だが俺たちが何もできなかったのは確かだ。」
「いえ、メタバスさん。「俺たち」がじゃありません。「私」もです。私があの時気を失ってなければ、2人でかかれば捕まえることができた。私の責任です。」
メイは静かに、しかし確かに強かに言った。
「私は面倒ごとは嫌いですが、こんな私でも教会員としての一応のプライドみたいなものは持っているつもりです。だから今回でクリス=スムースを捕まえたいんです。そうしないとセツダンさんに示しがつかない。彼は一般人なんですよ。そんな男におんぶに抱っこじゃ私、嫌なんです。」
強まる彼女の語気に何度か話したことのあるジャランは今までにない力を感じた。ジャランは解りました、と言った。
「貴方の作戦を聞かせてください。俺たちにも協力させてください。」
「もちろん。あなたたちに協力していただけないと、私ひとりじゃクリスは捕まりませんから。もう1人の方、バタラさん、でしたっけ?集めてください。私の考えを伝えます。」
日付をまたいだ午前1時の冷たい空気の中、クリス=スムースは悠々と足音を鳴らし美術館を歩いていた。コツコツと自分の生み出す心地の良い靴の音が静かに、しかし確かに壁と床に反響する、午前1時、漆黒の帳に包まれた美術館。
目的の展示室に到着する。大広間になった展示室。しかし、窓は一枚もない密室。月のわずかな明かりさえもこの部屋の中には届かない。その中で最も奥にかかった絵画「フランスパン」それが今回の彼の目当ての美術品であった。闇を見慣れた彼の眼はその見事な絵を容易にみることができた。ニヤリと口角を挙げるとゆっくりと絵画のもとへと歩いていく。
コツコツコツコツ
目の前に見える絵画は大きさも相まって迫力も魅力も何倍にも感じられた。クリスは絵画に手を触れると、魔力を込める。
ユラリ
すると、彼の触れていた巨大な絵画がフッと消えた。それを確認するとクリスはニヤリと笑った。クリスは踵をかえし出口へと向かっていた。
「やっぱりですか。」
その時、カッと天井の照明が点灯する。暖かい白い光がホールを包み込む。突然の明かりにクリスは目を細め目の前にいる人物を見つめる。そこに立っていたのはメイ=ジャイナガンであった。
「貴方、確か昨日の?結構しつこいのね。」
「まァ、仕事ですから。やんなきゃならないんですよ。」
メイも目を細めていたがそれをゆっくりと開くとクリスをジッと見つめる。そして口を開いた。
「私はあまり人を傷つけたくはありません。クリスさん。両手を挙げてください。降参してくれませんか?」
「それ、昨日のことがあったのに言うの?私も舐められたものね。」
クリスは右手を上向きにすると、ユラリ、と魔力を放った。その瞬間フッと広間の照明が消えた。あたり一面に闇が覆いかぶさる。
「馬鹿ね。私みたいな犯罪者に情けをかけるなんて!」
声を残して気配が消える。闇に溶ける。
「別に情けなんてかけませんよ。ちょっと確認しただけです。面倒なんで。」
光が入る。明るい光。それが広間の入り口から入る。暗闇の中で二人のシルエットの浮かび上がる。
「え?」
光の方へクリスが振り向くとそこには2人の影があった。彼らの足元には業務用の巨大なライトが強烈な光を放っていた。1人はジャラン=メタバス警視、そして、もう1人にクリスは一応の見覚えがあった。
「えと、確か貴方昨日の〈警察〉の……。」
「そ、そうだ!バリス=バタラだ!憶えとけ!」
たどたどしく言うバリスの言葉を聞き流してクリスはメイの方へ向き直った。
「協力してくれる方がいるんなら、こんなもんですよ。それに、私の予想通りでした。」
メイはクリスの足元を指さす。その先には、
「あっ、盗まれた絵画が!」
バリスが反応する。たしかにクリスの足元には先ほどクリスによって消された「フランスパン」の絵画があった。クリスは足元の絵を一瞥するとすぐにメイの方へ目をやった。
「貴方の超能力ですよね?多分ですけど、触ったものを盗める能力。それも物じゃないような、例えば光とか人の意識とかそういうモノも盗めると。でも多分1度に盗めるものは1つだけ。」
「人の意識?そっか、昨日俺が寝ちまったのもそういうことだったんすね!」
「声大きくして言うことじゃないだろ、それは。」
バリスが納得する。そしてそれに突っ込むジャランをメイは尻目に見ていた。
「……まァ、私も昨日はまんまとやられてしまいましたケドね。」
「……なるほど、よく見ててくれてるのねアタシのこと。素敵だわ。」
クリスはポケットから自分の長財布を取り出すと右手でそれを掴む。クリスが右手に力を入れると一瞬にしてクリスの右手に1枚のお札が現れた。それと同時に天井の照明がまるで何事もなかったかのように煌々と光りだした。
「あと直接手で触れていなくても、その中にあるものだったら盗むことができる。それと……」
クリスの右手からお札が消える。
「こういう風に右手で奪ったものを魔力に一時的に変換して持ち運べるのよ。」
「なるほど、それで大きいものも難なく持ち運べたんですか。」
「そ、大きすぎるのは無理だけどネ。これが私の「美しき右の手」の力ってわけ。」
クリスの手に再びお札が出現する。それを長財布の中にしまい、財布を尻のポケットに入れた。
「随分、詳しく教えてくださるんですね。自分の能力だっていうのに。」
メイは訝しげにクリスに言い放った。
「別に隠してるわけじゃないもの。教えてほしいなら教えたわよ。」
平然と言い放つ。開き直ったのではない。圧倒的な自信。メイはやはりただの魔力を持っただけの泥棒というだけではないということを察する。
「それにしても、「ビューティ」とでましたか。私にとっちゃあただのコソ泥の手、美しさとは真逆の泥の手ですよ。」
クリスはピクリと眉を動かす。苛立ち。メイはそれを感じた。同時に自分はもしかしたら人のイライラを感じ取りやすい人間なのかもしれないと感じた。しかし、すぐにクリスは先ほどの調子で続ける。
「そうね。でも、これほど美しい泥棒の手はないわよ。スマートに、一瞬に他人の物を我が手に出来る。すべてがこの右手によって完結できる。侵入もこの手ならお手の物。アナタたちの勝ち患者犯罪者の持つ手だけれども、私にとってはこれほど美しい手はないわ。」
自信ありげに話す。これまで以上に自信の力を嬉しげに話す。メイとジャラン、バリスはただ聞いているしかなかった。
「アタシは美しい。それこそ性別とかいうものを超越するくらいにね。それに加えてこの美しい能力で、美しいものを盗み、美しく勝利する。んん!まさに美しさの4乗!パーフェクチね!」
酔うように話すクリスにどう反応指定医の家名はよく解らなかった。目の下あたりを人差し指で掻きながらメイはクリスに向け言った。
「……ちなみに、後ろのお二方は拳銃を持ってます。加えてここには窓もありません。諦めた方が賢明と思いますが。」
言わずとも男の反応は解っていた。先ほどの話から確信している。この目の前の男はまるで観念しない。能力も割れ、逃げ場もない。そんな状況なのにもかかわらずクリスは観念する気配は毛ほどもなかった。この男は退かないだろうと。
「拳銃なんて魔力覚醒者にきかないなんて、貴方自身がよく解ってるはずよ。数のうちに入らないわね。」
「ほォ。それは面白いな。」
クリスの言葉に反応したのは、ジャランであった。ジャランは拳銃を抜くと撃鉄を起こし、クリスに狙いを定めた。バリスはそんなジャランを見て動揺した。
「ちょ、ちょっと!メタバスさん?」
「アタシを撃つつもり?刑事さん。〈警察〉も野蛮なのね。」
クスと笑うクリス。その様子を見たジャランはより力を込めて構える。
「生憎、俺はジャイナガンさんとは違う。魔力犯罪者を撃つくらいワケないんだよ。」
「だから、私は別に……」
メイが頭を掻きながらジャランを止めようとした時、クリスはジャランとバリスに対して背を向け、手を広げて見せた。
「撃ってごらんなさいよ。」
クリスの様子にジャランの火が着いてしまう。腕に力を込めるとジャランは引き金を引いた。
バヒュン!
けたたましい音を広間に反響させながら放たれた弾丸は目の前の泥棒へと向かう。壊すだけの凶器。それが生身の人間へ向かう。
クリスは弾丸を一瞥すると、振り返ると同時に左手で弾丸を掴み、その威力を殺した。そしてジャランに向かいクリスは左手を開いた。その手の中には確かに人を傷つけるための機能を失った静かな弾丸があった。
「ま、マジかよ?」
バリスは驚きで目を見開く。ジャランは静かに拳銃を下ろした。
「ネ、わかったでしょ?そんな玩具じゃアタシは殺せないのよ。」
クリスは左手の弾丸を床にポイっと投げ捨てるとメイの方へと向き直った。
「まァ、ちゃんと弾撃ったのは褒めてアゲル。嫌いじゃないわよ。口だけじゃない男は。」
クリスは魔力を込める。空気が張り詰めていく。魔力を持たないジャランとバリスも何となく場の雰囲気が変わっていくのが感ぜられた。ごくりと息をのむ。嫌な汗が流れる。
「ホントにやるつもりなんですか。クリスさん。降参はしてくれないんですね。」
「貴方、諄いわね。決断もできない甘ちゃんは嫌いよ、アタシ。」
グッと、クリスは足に力を入れる。魔力を持っているクリスならば一跳びで間合いを詰めることができる。
(魔力を持ってるこの子を片付ければあとは楽ショーよ。)
ニヤリと笑うクリス。自分の中のボルテージが上がっていく心地よい感覚を感じながら、彼は勝利のため跳ぶ。しかし、
ズドン!
耳を貫く轟音。クリスはそれを聞いた。同時に貫く痛み。足に走る痛み。飛び散る鮮血もクリスは見た。衝撃と痛みでクリスは後ろにやや吹き飛び尻もちをついた。その場にいる全員ただただ突然の轟に驚くしかなかった。ただ1人を除いて。
「え?何?」
クリスはただただ困惑した。理解が追い付かない。痛みのする方へと目を向けると紺色のジーンズの太ももの部分には穴が開き、赤黒い血液がそれを染めていた。撃たれた跡。すぐに正面を見ると目の前の女はいつの間にか銃を握って立っていた。通常の銃とは雰囲気の異なる銃。薄い紫色の銃身に赤のラインが入った銃。クリスはその銃に魔力を感じた。メイの超能力。クリスはそう直感した。そして、その銃口は当然のように自分の方へと向いていた。
「あ、貴方……」
「言ったでしょ。同情とかそういうんじゃないんです。痛いのとかお互いに嫌いでしょ?私も嫌なんです。だから戦わなくていいなら戦いたくないだけです。」
メイはスタスタとクリスの方へ歩いていく。ゆっくりと、一歩ずつ近づく。そしてクリスのもとへ到達すると脇に転がっていた弾丸を拾い上げる。クリスはその様子をただ見ていることしか見ていなかった。
「でも、断る人には仕方ないんです。痛い目にあってもらわないと。」
メイは左手で持った弾丸を右手の銃にグリっと押し付ける。すると、スゥとそれが銃の中へ吸い込まれる。そしてそれをクリスの方へ向けた。
「私の超能力です。「魔界紫銃」って言うんです。ちなみに今拾った弾ちゃんと入ってますよ。この銃どんな弾でも撃てますんで。」
「……中々やるのね、貴方。ちょっと驚いたわ。」
クリスは自分の撃たれた右の太ももに手を当てると、自らの超能力をもってその「痛み」を奪った。そして、痛みの消えたクリスはスクッと立ち上がり、メイを見つめる。
「あの怪我で立つんすか。」
バリスが呆気にとられながらも呟く。血がだらだらと流れる男を目の前にしてもなおメイは冷静だった。
「さしずめ、自分の痛みをとったんですかね。何でもありですね。」
「これぐらいできないとね。せっかくの超能力なんだし。」
クリスはその場でトントンと軽く跳んで見せた。そして何度目かで動きを止めるとメイを見据えた。メイはその目の鋭さに今までにない真剣を見た。メイは引き金にかけた指に力を入れる。
「フッ」
クリスはそのまま後ろに大きく跳ぶ。予想外の行動にメイは「あ」と小さく声を漏らし、クリスの跳ぶ方向にいた2人はただ呆気に取られ、動くこともできなかった。
「こういうのだって戦術よ。」
動けない2人のちょうど横に着地し、首の後ろに手刀を入れる。トン。そのまま二人は小さな声を漏らして気を失う。
「こいつ……!」
メイは銃を構えなおしクリスを狙う。しかしクリスは右手で当身をしたバリスの後ろ襟を掴むとメイの方へ彼を放り投げた。
「うっ」
またしても隙を見せてしまうメイ。そしてすかさずクリスはメイに近づき彼女に右手を伸ばす。美しくも、魔の宿る右手。迫る瘴気の右手をメイは後ろに跳び退きかろうじて避ける。彼女のまとう黒い制服に右手が掠り、生地がやや裂かれる。
「甘いわよ!」
「!」
後ろに跳んだメイが視線を正面へと戻すと、そこには大量の弾丸を右手に掴むクリスが居た。
「言ったでしょ?触ったものの中に入ってるものなら盗めるって。」
クリスは手の中の大量の弾丸を自分の真後ろ――メイに最も遠い場所へと投げ捨てる。すかさずメイは制服の中を探る。そこに弾丸は1つたりとも存在しなかった。
「弾を……とられましたか。でも物は1つしか盗めないハズじゃ。」
「あら、言ってなかったかしら?銃の弾くらいの容量のちぃっちゃいモノなら別にその限りじゃないのよ。どう?困るでしょ、教会員さん?」
「……ちょっとだけね。予想外でした。」
クリスは勝ち誇った笑みを浮かべるも、その直後ガクリと膝をついた。その表情は苦悶と勝利の愉悦を感じさせるものであった。
「まァ、美しい勝利のためには、多少の痛みも必要経費ね。」
クリスは再び自分の右足に触れ、痛みを消し立ち上がった。ゆっくりとメイを見つめながら。メイはその顔に勝利の確信を見る。口元は笑い、目は細まる。そんな表情。
「ホントに大したもんですね。よくやります。……はい、頼みます。」
「あとはあなたを気絶させればアタシの勝ち。まァ足が治るまでは当分活動自粛だけど。」
クリスがゆっくりとメイに近づく。
「忘れないでくださいよ。銃の中には一発残ってるんです!」
バン!と引き金を引き、クリスに向け魔力を纏った弾丸を放つ。しかし、クリスはそれを横へ避ける。
「確かに早いケド、ちゃんと注意してればこんなもんね。」
「……」
メイは静かに銃を下ろす。弾はない。構える意味もない。メイはその考えのもと銃を下ろしたのだった。
「貴方の持ってる弾は全部盗ったし、もうやれることはないわよね。やっぱり最後に勝つのはアタシ。美しい勝利ね。」
アハハと高らかにクリスが笑う。メイはただそれを聞くしかなかった。
「さてと、そろそろ眠いし帰ろうかしら。あなたを眠らせてからね。」
メイへと手を伸ばす。勝利へと、完全勝利へと手を伸ばす。血みどろの勝利だが、これはこれで美しいと思うクリスなのであった。メイはただ立ち尽くすのみであった。メイに触れる。その直前、
「メイ=ジャイナガーン!」
快活な声。クリスはすぐに音の方向へと振り向く。
「なんで声出しちゃうんですか。リーメリーさん。」
「う、うるさい!そういうのは言わないお約束!」
声の主は協力班の3人目メリー=リーメリーであった。彼女は今回の作戦にて美術館の管理室にて待機しており、戦いの模様を監視カメラで見ていたのだった。
「もう1人いたのね。まァいいわ。魔力も持たない人がこの領域に来たって何にもならないのよ。それに……」
クリスはメリーから視線を外し、再びメイの方へと向いた。
「アナタももう超能力は使えないでしょう?アタシの予想だとその銃を使うには実弾が必要だと見たわ。弾がなければ怖くないわよ。」
クツクツとほくそ笑むクリスはメリーには目もくれずメイに近づいていく。
「あ、ちょっと、銃!私銃持ってるんですよ!」
無視されたメリーはクリスに向かってアピールする。両手を拡げ、腕を振る。だが、彼は全く相手にせずに自らの目的と信念のために前へと進む。
「こ、このォ……!」
ガチャリとメリーは拳銃を構え、クリスに狙いを定める。しかし、クリスの肩越しにそれを見ていたメイはメリーに苦い顔をした。へっぴり腰にがくがくと震える身体。すぐに銃を撃ったことがないのだと確信した。
(まァ仕方ないか。むしろそっちの方が健全で好感です。)
頭を掻きながらもそう思うメイはメリーに言った。
「メリーさん、いいですよ。作戦通りで。無理しないで。」
メイの言葉にハッとすると同時に銃を撃てない自分に恥ずかしさと無力感を感じ、唇をかんだ。暫くするとメリーは行動に出た。
「癪だけど、頼みます、メイ=ジャイナガン!」
メリーは引き金から指を放し、銃を掴み山なりにメイに向かって拳銃を投げた。長身のクリスの頭の上を越す。クリスは突然頭上を通るものに驚いたものの、急に飛んでくる銃を奪うことができなかった。メイは飛んできた銃を両手で受け止める。
「……ホントに撃ったことないみたいですね。安全装置はずれてませんよ。」
メイの軽口にカァッと恥ずかしさで体が熱くなるのを感じる。
「まァ、受け取る側としちゃあ、安全で助かりますケド。」
メイは受け取った6発装填の銃の中から5つの弾を取り出すと、それを自らの「魔界紫銃」のなかに入れ、クリスに銃口を向けた。
「形勢逆転って奴です。クリス=スムースさん。おとなしくお縄についてください。」
銃を向けられたクリスはメイをただ見つめていた。メイは流石にこれならば諦めるだろうと踏んでいた。しかし、そのメイの期待はクリスのクツクツとした笑い声によって裏切られた。
「どうなんです?笑ってちゃあ困りますよ。」
静まり返った美術館の大広間に押し殺した笑い声が不気味に響く。男の静かな笑い声のみが聞こえる異様な雰囲気の中メイとメリーの二人は何とも言えない心中に中にいた。戦慄か緊張か。少なくともこの状況においてもまだ勝利の確信はなかった。
ユラリ
突如としてクリスの体から魔力が放たれるのをメイは感じた。空気が歪む。大広間の悉くが魔によって浸食される。その一瞬の出来事がメイに本能的に引き金を引かせた。
ズドン!
耳を切り裂く銃声が響く。クリスの笑い声を一瞬にしてかき消す。魔の満ちる空間を一筋の紫色の軌跡が切り裂く。向かうは美しき男――クリス。
クリスはその場から跳び上がり銃弾を避ける。右足に力が入ったからか銃創からは血が噴き出す。しかし痛みは感じない。右足の痛みを自らで奪った彼の跳躍する先にはこの傷をつけた張本人――メイ=ジャイナガンがいる。
「もう見切ったわよ、その弾は!」
振り下ろされる右腕。男の欲望が満ち、纏われるその腕がメイに迫る。
「……仕方ないです。」
メイはクリスに向かって弾丸を放つ。銃口から今度は青い弾丸が放たれる。空中で動くことができず弾丸はクリスの右肩に命中する。青木軌跡は肩を貫通し、赤い血とともに逆側に抜けていった。
「ぐぅ」
低いうめき声を漏らすクリス。だが、止まらない。激痛走る右腕はいまだに勢い衰えず、ただ勝利を掴むためにと邁進する。迫る、迫る、手。
「!」
そして触れる。クリスの魔力こもる右の手がメイの顔を捉える。ビンタの要領でメイの顔はバシリと叩かれ、触れられる。
「あ、ジャイナガン、さん!」
メリーが心配の声を漏らす。それと相対してクリスはアハハと笑う。学理と傷を負った右足から崩れ落ち、右肩を左の手でおさえる。だらりと今は力なく落ちる右手からは一筋の血が流れる。だが、彼の手の中には目に見えない勝利という宝を奪い取った実感があった。
「甘く見たわね、教会員さん。アタシは常に勝つ。美しくね!アタシの勝ちね!」
メイは顔をおさえよろける。ハハハと今度は押し殺す笑い声ではなく、勝利に酔う高らかな声が響く。
しかし、その笑い声は止んだ。なぜならば意識を奪ったはずのメイがいまだ崩れず立ったままだからである。
「……どういうことなの。確かに能力を解放したハズ。」
困惑の声を上げるクリスに応えるようにメイは顔を上げる。叩かれた左の頬は赤く染まり、切れた唇の端から端がツーと流れている。
「クリスさん、私の「魔界紫銃」は弾に魔力を込めて撃ち出す能力ですが、それにもモードがありましてね。」
ポケットに入れていたハンカチを取り出すとメイは口についていた血を拭き取った。傷とハンカチがこすれピリッとした痛みが走りメイは苦い顔をした。
「さっきまで撃っていたのは「紫弾」。ただ早いだけですが、燃費がいい弾です。そして今アナタに撃ったのは、これ。」
メイは銃の中に指を突っ込むと、中に入っている弾を取り出した。その弾はうっすらと青く光っているように見えた。
「青い弾丸は「青弾」。当たったトコロの魔力を砕き、削り取る弾です。そのうち使えるようにはなりますが、まァすぐには右腕の魔力は使えませんよ。」
クリスはその話を聞くと、フゥと息を吐き、観念したような調子で言った。
「そんな弾もってるなら、どうして最初に使わなかったのよ。ホントに舐められてたのかしら?」
彼のそんな調子の声からは諦めの感情を読み取ることができた。メイは超能力を解除した。右手に握られていた紫の銃は霧散するように消えた。
「特殊な弾は疲れるんです。私の予想じゃ足を撃った時点で諦めてくれると思ってましたし、使う必要なないと思ってたんです。正直驚きましたよ。アンタの執念というか、なんというか。」
メイは後ろでただ茫然としているメリーを手招きしてこちらに呼んだ。ハッとしたメリーは小走りでクリスのもとへ近づき、彼の両手に黒い手錠をかけた。
「えと、午前1時23分、クリス=スムース確保します。」
「特別製の魔力を抑える効果のある手錠です。つけている間は魔力は使えませんよ。」
クリスはおとなしくメイの言葉を聞いていた。力が抜けていく感覚を感じながらクリスはメイに言った。
「アナタ、中々サディストなのかもね。疲れるってだけで、アタシ2発も撃たれたのよ。食えない女の子ね。」
メイはメリーに言って応援を呼ぶように頼み、メリーは渋々その指示に従い、電話をかけるために2人から離れた。するとメイはクリスの言葉に応えた。
「正直あまりいい気分ではありませんよ。こういう物言いをするのは教会員としては失格かもですが、アナタは人殺しをしたわけでも傷つけたりしたわけでもないですからね。だけど、」
メイはクリスの右肩、右足の傷を見た。痛々しく服の上からでもわかるほど血が出ているのが見える。
「まァ、私のできることは今できることをできる限りやることですから。過去に憑りつかれない人達を減らすためにね。」
暫くすると外から小さくくぐもったパトカーの音が聞こえた。短くも長い夜の夜明けの音だとメイは感じた。
「なんだと?足を治す手立てがねェって?」
クリスが確保された日の午前10時、メイは病院にてキルにクリスから聞いたことを話していた。
「そうらしいです。なんでも盗むことはできても戻すことなんてできるわけない、だそうです。」
「なんてやつだ。じゃあ、どうすんだよッ?」
メイを責めるかの如くキルはまくしたてた。メイは申し訳なさそうに、――けれどもなんで自分が責められているのか納得できないという風に話を聞いていた。
「畜生。じゃあ、結局仮装野郎のいう通りリハビリしてコツコツって奴か?骨だけによ。」
「仮装野郎?」
メイが誰のことかと考えていると、ガラッとドアが開いた。
「おはよう、キルくん。もしかしたら何とかなるかもよ?」
「ゲッ、また現れやがった。」
そこに立っていたのは黒いローブを目深にかぶった男――モノス=マシウスであった。
「あ、モノスさん。お疲れ様です。……仮装ってモノスさんのことですか?」
キルはメイに反応しなかった。だが、モノスのいう「何とかなるかも」という言葉には反応した。
「どういうことだ?なんかあんのか?」
「まァね。多分だケド」
お願いします、とモノスはドアの外にいるであろう人物に声をかけた。キルは〈教会〉お抱えの医者でも来るのか、と考えていた。しかし、中に入ってきたのは、
「……なんだこのガキは?」
中に入ってきたのは小学校低学年ほどの背丈の子どもだった。白い髪にゴールドの眼をした少年。それがキルの病室に入ってきたのだ。
「よォ、アンタがキル=セツダンか。話は聞いてるよ。」
「失礼なガキだな。敬語使え敬語を。敬え。」
キルはモノスの方を睨みつける。
「おい、まさか、こいつがなんかやるんじゃねェだろうな?」
「その通りだよ。この方は〈教会〉の長、教会長のアレイス=ハイパーさんだよ。」
「教会長ォ?こいつがか?」
キルは疑惑の目でメイを見る。メイはコクコクとうなずいた。そしてメイ自身も驚いた顔をしている事にキルは気が付いた。
「まァ無理もないな。こんな子供が教会長だっていうのはなんかの間違いだって誰だって思うよな。」
教会長――アレイスはそばに置いてあったクーラーボックスを開ける。そこにはクリスによって奪われた足の骨が入っていた。それを鷲掴みにするとキルのもとへ歩いて行った。
「おい、ガキ!人様の骨だぞ。玩具じゃねェんだ、戻せ!」
「あんまりガキガキ言うと、ぶっとばすぞ、キルとやら。」
まァちょっと黙ってなって。そういうとアレイスはキルの右足に触れた。
「なるほど、これならできそうだな。」
「おい、変なことすんなよ。やめろよ?」
するとアレイスは自らの魔力を放った。一瞬で場の雰囲気が変わった。その魔力の大きさにキルは驚愕した。アレイスは右手に持っているキルの骨をキルの右足に近づけた。
「なんだ、こいつ……」
「動かすなよ。デリケートなんだから。」
アレイスは徐々に右手をキルの足に近づけていく。そしてなんとアレイスの右手が骨ごとキルの右足の中に入っていくではないか。
「おい、何だこりゃあ?」
「静かにしろっつの。痛くねぇだろ!」
アレイスのいう通り痛みはなかったが、気持ちの悪い感覚を足に覚えていた。キルは眉間にしわを寄せながらその感覚に耐えていた。
「……こんなとこか。」
しばらく経つとアレイスはキルから手を放した。
「キルくんとやら、立ってみろ。多分大丈夫なはずだぜ。」
キルは疑念を抱きながらもアレイスのいう通りにベッドから立ち上がってみた。すると見事に自立することができたのだ。痛みも異物感もない。元通り完全にフィットした感覚をキルは覚えた。
「な、おお。すげェな。マジかよ。」
キルは思わず感嘆の声を上げた。そしてアレイスの方を見てみると彼はにやにやと笑いながらキルを見上げていた。
「これでちょっとは信じてくれたかなキルくん。俺は個人的に君をアテにしている。頑張ってくれよ。」
そういうとアレイスはモノスを連れて病室から出ていった。モノスは最後ペコリとキルに頭を下げて出ていった。
「具合はどうです?セツダンさん。」
「んん、ボチボチだな。なんも不自由してないぜ。」
キルの足が元通りになって二日後、キルは今日から無事に職場復帰を果たした。まるで何もなかったかのように彼の足は好調だった。
「そりゃ、よかった。」
メイは相も変わらず本を読んだり、閉じたりを繰り返していた。今日も仕事の入ってこない二人は暇を持て余していた。
クリス=スムースは〈警察〉による取り調べの後、〈教会〉内にある特殊な牢屋に入れられている。まだ具体的な措置は決まっていないらしいとメイは小耳にはさんでいた。
「さてと、そろそろお昼にしましょう。どこがいいですかねセツダンさん。」
メイは立ち上がりキルの方へ向いて問うた。しかしキルは何も言わずにコーヒー缶をもったままじっとしていた。
「? セツダンさん?」
「……なァ、そのよ、……ジャイナガン?」
歯切れの悪いキルの言葉にメイはまだ食べたいものが決まっていないのかと思い、メイは口を開いた。
「まァ、いいですよ。私が適当に決めちゃいますんで。」
「あ、ちげェよ。そういうんじゃねェ。」
キルが口を開いたのでメイは黙ってキルの言葉を待った。しかし、キルは暫く何も言わなかったため、メイは
「なんですか?」
と改めて聞いた。
「いや、そのよ、その「セツダン」ってのやめてくんねェか。」
思いがけないキルの言葉にメイは返答に困った。沈黙の思いメイはようやく言葉を絞り出した。
「自分の苗字嫌いですか?」
自分でも言って失敗だとメイは思った。そういう繊細なところに何で触れてしまったのかと感じた。
「聞いたのか?多分ジャランだろ?アイツ余計なことしか言わないからな。」
キルは静かに立ち上がると改めてメイの方へ向き直った。
「まァ、それもあるかもだケドよ、そのよ、言いにくいだろ「セツダン」って。」
何か恥ずかしそうに言うキルにメイはなるほどと感じた。
「じゃあ、これからは親しみ込めてキルさん、とでも呼べばいいですか?」
「あ?」
少し小馬鹿にしたような口調のメイにキルは少し苛立った。メイはようするにまたキル=セツダンの不器用癖が始まったと感じたのだ。
「別にテメェが呼びたくなけりゃいいよ!」
「いやいや、これからはキルさんって呼びますよ。キルさん。」
メイはわざとらしく「キル」という名を呼んだ。キルは起こっているものの何か恥ずかし気な雰囲気を醸し出していた。
「やめろやめろ!もういい!もう言わんでいい!わざとらしく呼ぶんじゃねェ!」
メイにくるりと背を向け、扉の方へ向かった。その背中にメイは声をかける。
「じゃあ、私のことも「メイ」って呼んでくださいよ。私の方が呼びにくいでしょ「ジャイナガン」って。発音すりゃ5文字で。」
「……考えといてやるよ。」
そういうキルの声は心なしか気持ち嬉しそうに感じた。メイは感じた。多分キル=セツダンは私と仲良くはしたいと思ってくれているのだと。でも不器用だからこういう距離のつめ方しかできないのだなと。
「しばらくの間は同僚ですから仲良くしょうよ。」
キルは何も答えなかった。だがその背中にメイは何か暖かい感じを読み取った。
「……ホラ!飯いくんだろ?今日はカレーの気分だな。」
「そうですか。お付き合いしますよ。」
メイはキルの後を追って扉の方へと歩いていく。
「その、ジャ……メイ? ありが――」
「なんです?キルさん。」
「! なんでもねェ!行くぞ!」
キルはドアノブを素早く回すとそそくさと部屋から出ていった。それを追うメイは可笑しさで口角が上がった。
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