永遠の少年と悪魔の戦槌
夏の茹だる様な暑さの中、満員電車に揺られていた。
今年は冷夏になるとの予報は見事に外れ、真夏日の連続記録更新だのとニュースを賑わせている。
エルニーニョだかハラペーニョだか知らんが、何やら海面温度の上昇が原因らしい。
やがて電車が地下に入ると、窓に映った自分が見える。
その男……坂崎隆也は、酷く疲れた顔をしていた。
あれ……?
これが俺か?
何だか急に老けた気がする……
ちょっと前までは二十代の若者だったのに……
三十路に入った途端これかよ……
光の加減、顔の影の入り方、今日一日の疲れ――――
原因は色々あるのかもしれないが、一番の原因は自分が一番知っている。
人手不足も相まって、毎日デスマーチで終電の残業続き。
家と会社を往復するだけの人生で、親しい友達も居なくなってゆく。
そして、今年に入って不況のあおりを受け会社は倒産。
いつしか、隆也の人生には何も無くなっていた。
そして、残ったのは……この疲れた顔だけか……
いや、深夜残業をしまくって貯金だけはそこそこあるか……
というか、仕事ばかりで遊ぶ時間も趣味も無いから貯まっただけなのだが。
電車が地下を抜けると、再び眩しい西日が射し込んで来る。
今日が最後の出勤日で、残務処理を終えて自宅に帰るところだ。
ガタンガタンガタン――――
電車が駅に入って行く。
これが最後の出退勤だ。
駅を出て自宅アパートへと向かう。
これで本当に何も無い。
恋人も一度だけ付き合った事があるのだが、仕事が忙しくて会える時間も少なくなり、『私と仕事とどっちが大事なの!?』とよくあるセリフをぶつけられ終了してしまった。
モヤモヤとした気持ちを抱えながら歩いていると、前方に空き缶が転がっているのが目に入る。
「くそっ!」
ガンッ!
「痛っ! つぅーっ……いってぇぇ……」
空き缶だと思って蹴飛ばしたら、中身が入っていて角が足の小指に当たってうずくまる。
もう踏んだり蹴ったりだ。
「くっそ、もう今日は飲むしかねえ!」
隆也は、いつも使うコンビニへと入ろうとする。
ちょうど、コンビニ前から一台のバイクが走り出すところだった。
ブォォオン! ブォォォォォォォン!
うるせえなぁ……
隆也は心の中で毒づく。
そこに、更に数台のバイクが入って来た。
ズドドドドドドッ!
だから、うるせえって!
もう一度、心の中で毒づいたが、ちょっとコワモテ風な男達だったので、目を合わせず店に入った。
隆也がビールにつまみと雑誌を買って店を出ると、バイクの男達がまだたむろしていた。
何やら楽しそうに歓談しているようだ。
「カム入れたんすか? どうです、やっぱ違いますか?」
「ああ、良いよ。パワーが全然違うね」
「いいっすねー」
気楽そうで良いよな。
こっちは大変なのに……
チラッと彼らを見ながら、心の中で毒づく。
人には人それぞれ苦労や大変な事も有るのだが、今はそんな事は知りたくもなく飲みたい気分なのだ。
あれ、あのバイク……確か……
黒いタンクの下に、メッキでキラキラと輝くバカデカいエンジンが見える。
ハーベイ&デビルドソン
悪魔の戦槌と呼ばれる巨大なピストンを組み込んだ、一部に熱狂的なファンがいるアメリカのバイク。
正に、戦槌を振り回して戦うように、ロングストロークのピストンを巨大なシリンダーの中で上下させ、その重たいフライホイールの回転から生じる凄まじいトルクで走るという、レーシングバイクに乗っている人には理解出来ないかもしれない構造だ。
戦槌を持つ女神が、この世の理不尽をぶち壊すという、反骨精神のようなメッセージが込められているそうだが、熱狂的なファンがいる反面アンチも存在する。
プロ野球の人気球団と同じだろう。
空冷OHV1800cc V型二気筒
独特のデザインで、正に怪物のような存在感を醸し出している。
ハーベイが……
そういえば、昔乗ろうとして免許取りに教習所に通ったんだよな……
結局、免許は取ったのにバイクを買わず、時間と金を無駄にしたんだけど……
あれ?
何で乗りたいと思ったんだっけ……?
その夜、久しぶりに酒に酔って泥のように眠った――――
――――――――
部屋の中に高くなった陽の光が入り、外から子供の遊ぶ声が聞こえてくる。
変な体勢で寝ていた隆也は、ハッとなり起き上がる。
「会社に行かないと……って、もう行く必要は無いんだったな……」
慌てて準備をしようとして立ち上がったが、何もする事が無いのだと気付いてしまう。
まるで燃え尽き症候群だ。
夢を見ていた気がする――――
どんな内容だったか思い出せない……
何か、重要な事だった気がするのに……
窓から外を眺めると、近所の子供たちが自転車に乗って遊んでいた。
夏休みに入ったのだろう。
子供は楽で良いよな……
明日への不安も、将来への重圧も、社会に対する責任も無い。
何も気にせず思い切り遊べるのだから……
人間は歳をとると『昔は良かった』などと言い出すものだ。
過去は美化され、現状のどうしようもない鬱屈した気持ちに圧し潰されそうになり、子供の頃に戻ってやり直したいとさえ思ってしまう。
そして、それに気づいた隆也はゾッとした気分になった。
いつから俺は……こんなつまらない人間になってしまったんだ……
子供の頃は夢や希望に満ちていたはずなのに……
あの頃は、全てが新しく新鮮に感じて、何でも出来そうな気がしていたはずなのに……
大人になるというのは、こういう事なのだろうか……
あの頃の、どんな宝石にも勝る煌きは戻らないのだろうか……
暫し物思いにふけっていた隆也が窓の外を見ると、子供たちが立ちこぎしながら走って行く背中が見えた。
「自転車…………そうだ! 思い出した!」
その子供たちの背中を見た隆也に、少年時代の懐かしい記憶が甦った。
それは、まるで源泉の如く次から次へと溢れ出し、その情景がまるでセピア色の映画の様に脳裏に展開する。
「あれは……確か20年くらい前だっただろうか……」
『どうだ、良いだろ!』
『タカ、すげえな!』
『うおぉ、ちょーかっけー』
少年時代の隆也達の間で、自転車をカスタムして遊ぶのが流行っていた。
それは、ごく小さなコミュニティで流行っていただけの細やかな遊びだったのかもしれない。
どこで拾って来たのか貰って来たのか、変な形のハンドルを取り付けて悦に浸っている。
友人たちも、当時流行っていた戦隊もの特撮のステッカーを貼ったりしている。
大人から見れば馬鹿馬鹿しい事なのかもしれないが、子供たちの間では凄くカッコいい事だったのだろう。
『よし、いつものコンビニまで競争しようぜ!』
『タクミ、負けないぜ!』
『おい、待てよ!』
三人は立ちこぎで一心不乱にベダルを踏む。
隆也達がコンビニに到着すると、そこには黒くて大きなバイクに乗った先客達が居た。
コンビニで買ったコーヒーを片手に休憩しているようだ。
三人は少しだけ遠慮して駐車場の隅に自転車を止めた。
革ジャンを着た少し怖そうな大人達を横目に、コンビニに入ろうと入り口に近付くと、彼らの会話が聞こえてくる。
『マサさん、良いの買いましたね。これ高かったでしょ』
『いやー、それが100回ローンで……契約したのが嫁にバレて、小遣い下げられちゃってな』
『はははっ、そりゃマズいっすよ。ちゃんと奥さんの了解を貰わないと』
怖そうに見えた大人だったが、どうやら奥さんには頭が上がらないらしい。
じっと見ていた隆也達に気付いたバイク乗りが、気さくな感じに声を掛けてきた。
『何だ、少年、バイク好きなのか?』
『う、うん……』
隆也達は恐る恐る返事をする。
『ちょっと跨ってみるか?』
『えっ、良いの?』
三人の少年は、それぞれバイクに跨らせてもらい、自分が何かの映画の主人公になったような気になる。
それは、悪の組織から追われるヒロインを助けて夜の街を疾走するような、正義のヒーロ―になって颯爽とバイクで登場するような。
思い思いに夢は膨らみ、自分が主人公になった気でハンドルを握って走った気になる。
ドドドドドドドドドッ!
大人達が走り去って行く背中をいつまでも見つめ、そして誰からともなく同じ事を言い出した。
『すげぇー! 俺、大人になったらぜってーバイク乗る!』
『俺も俺も!』
『よし、皆で一緒に乗ろうぜ!』
『おう、約束だかんな!』
『一緒に走りに行こうぜ』
――――――――
意識が現実に戻って来て、隆也は冷蔵庫からお茶を取り出し一気に飲み干す。
「そうだ……あれが最初だったんだ……」
バイク熱が上がったのかと思いきや、子供の事なので次にゲームなど別の遊びに興味が移り、バイクの事はすっかり忘れてしまう。
そして、大学生の時に再びバイク熱が上がり、教習所に通って免許を取ったのは良いが、金の問題などでバイクは買わずにそのまま卒業してしまったのだ。
「あいつら……確か、拓海と翔だったっけ? あいつら今どうしてるかな……」
心の奥底に眠っていたアルバムの表紙が開き、何も無かった隆也の心に熱い想いが満ちて来る。
忘れ得ぬ記憶は、常に心の奥底に隠れているのだ。
あの頃の、あの何の変哲もないような事が楽しかった日々。
思い返せば、少し心の底が熱くなる。
隆也は、懐かしい想いと少しの寂しさと微かな希望を胸に立ち上がった。
「バイクか……バイクで北海道を一周とか面白いかもしれないな……」
ふと、大学時代に思い描いていた北海道ツーリングを想像する。
まだ情熱が溢れ夢や希望を持っていた頃だ。
消えかけていた隆也の心に、微かな火が灯るを感じた。
「そうだよな。まだ全てを失った訳じゃなかったんだ。俺は何を勘違いしていたんだ。このまま残りの人生を死んだように生きて行くつもりだったのかよ。また、やり直せば良いじゃないか」
胸を打つ鼓動は、昨日までのまるで死んだように生きていた自分とは少し違う。
夢も努力も積み上げるのは大変なのに、壊れるのは一瞬なのかもしれない。
でも……
今、隆也は太陽の下に、確かな一歩を踏み出した。
その背中は……まるで、あの時の自転車に乗った少年のように――――
普段はラブコメやファンタジーを書いていますが、珍しく現代ドラマを書いてみました。
忙しい毎日に疲れた時、ふと立ち止まりたくなった時……
そんな時に、古い写真を眺めると、あの頃の思い出が甦ってくるような気がして。
過ぎ去った日々は戻らないけど、物語の中でならいつでも心は少年のままで。
お読みいただきありがとうございました。




