アナタの家が知られてしまった
家を知られてもいい人に知られた時の恐怖に挑戦したホラーになります。家を知られたくない人に知られた時の恐怖ではないです。
女性アイドルグループの曲とダンスの振り付けをコピーするダンス部の女子三人と、マネージャーの男子生徒が出ます。ホラーです。
第一話 ダンス部マネージャー
加賀玲緒奈は高校女子ダンス部のマネージャーをしている高校二年の男子である。彼はダンス部で部員たちが日々ダンスレッスンに打ち込む姿を見るのが好きで、そのサポートのため、入部したのだった。
部員は全部で十九名。
今は一ヶ月後に控えた学祭で披露するためのコピーダンスの練習をしていた。
鏡の前で汗を流して、跳ねたり、回ったり、手足を伸ばしたり、全員で振りを合わせている。一時、休憩が顧問の宇部陽子先生から言い渡されると、加賀はメンバー一人一人にタオルを配って回った。
「おつかれさまです」
笑顔でねぎらいの言葉は必ず忘れなかった。
「よう。なかなか目立っていてよかったよ」
最後にタオルを渡したのは、三列目の右端で踊る友人の男子、鳴子層雲だった。人気女性アイドルグループ『カレードスコープ』の曲をコピーしているので、この男だけ浮いていて、一番の見せ場の振りが来ると悪いとは思っているのだが、思わず噴き出してしまう。
「オマエもいつもいつもご苦労様だな。その汗のついた女子たちのタオル、すぐに洗えよ。匂い嗅ぐとかナシだ」
「当たり前だろ。オレは健全なマネージャーだ。変態じゃねーよ」
「変態といえばそこにいる青池瑛斗くん、今日も見学に来てるじゃねぇか」
青池瑛斗というのは、同級生の男子生徒で、ほぼ毎日ようにダンス部レッスンの見学に来ている彼こそが本物の変態と言えるかもしれない。彼の目的はカワイイと評判の人気実力ともに兼ね備えた御三家と言われる女子三人だった。
この日のレッスンが終わると加賀はメンバー一人一人にペットボトルの清涼飲料水を配って回った。
「ホントにオマエ気が利く男だねぇ」鳴子が褒めた。「ルックスもまぁまぁイケてるが、オマエがモテる理由はそこなんだろうなぁ」
「別にモテてねーよ。両親には悪いが顔だってフツーだよ。写真写り悪りぃし」
「それにつけてその謙虚さ。いいね〜俺も見習いたいぜ〜」
この日の最後に宇部先生から学祭の発表会の時のフォーメーションが発表された。加賀も緊張する瞬間だ。これには、実際のアイドルグループと同様、悲喜こもごもたくさんのドラマがある。
鳴子が帰りにカワイイ女子三人組をカラオケに誘ったが、一人榎本来夢だけは居残り練習をするといい、それに加賀も付き合うという話になると、他の女子二人は加賀くんが行かないなら、とカラオケを断った。
「…玲緒奈、オマエのせいだぜ」鳴子が恨み節をぶつけた。
榎本来夢は、二列目の一番右端のポジションだった。部員全体から見れば、まちがいなくカワイイし、ダンスも上手なのだが、フロントメンバーの二人と比べてしまうと抜群にダンスに秀でてカワイイというわけではなく、なんというか、もったいない子だった。
負けず嫌いで、努力家で、誰よりも一生懸命な子だった。フロントメンバーにはなるのは彼女の念願だったが、今回は二列目だった。
「二列目だったら、良くも悪くもみんなの踊りが見られるし、三列めのメンバーに良くないところも指摘してもらえるじゃん。勉強しとこ。それに列なんてカンケーないと思うよ」
「加賀くんにそう言われると嬉しいけど、やっぱりわたしはフロントに行きたいよ。悔しい。加賀くんはわたしのこと、どう思う?」
「榎本はダンスパフォーマンスはパワフルでスゴいと思うし、なにより悔しさをバネにできる人だと思うから、今回、三列目から二列目に上がったんじゃないのかな」
「でも、菜穂と光はフロントメンバーだよ。菜穂はセンターだし。あの子たちに負けたのが一番悔しいよ」
「今回は曲で選んだんじゃない? わりとしっとりとした曲だから。ガンガン盛り上がる曲だったら、センター榎本でもいいと思う。オレは」
「だけどさ、この世にはセンターポジションが約束されているような天性の才能を持った絶対的エースみたいな子がいて、逆にいくらガンバってもセンターにはなれないし、フロントにも上がれない子っていうのはいるんだよ。アイドル見てたらわかるじゃん。わたしその上がれないタイプだと思うんだよね。そういう子ってどうすればいいんだろう…」
「他の子にはない、これだけは絶対に負けないっていう特技だよね。そういうのを身につけたらいいと思うんだけど…自信を持つことも大事だと思う。自信のある人って、それだけで輝いて見えるから」
加賀は手を叩いた。
「さあ、榎本さん、そろそろレッスン再開しよう」
榎本来夢は先生が来るまで鏡の前で踊り、加賀は時々アドバイスを交えながら、見守った。
第二話 結城光
レッスン中、何度目かの通し練習の時、二列目の一部の女子たちの間でケンカが起きた。どうやらメンバーの一人が隣のメンバーに大きく手を広げる振りの時にぶつけたり、何度も同じ振りを間違えるのでイライラが爆発したようだ。
「ちょっとイタいわね。ぶつけないでよー」
「ゴメン」
「もうすぐ学祭近いんだからねーちゃんと振り覚えてよ。これで何回目?」
「みんなに合わせられるようにガンバリまーす。…けど」
「けどなによ?」
「田中さんの踊りが早すぎるのもあると思う」
ダンス部リーダーの結城光が仲裁に入った。
「二人ともやめて。ケンカしている場合じゃないわ。お互いに協力しあってやらないと。できないところはみんなでカバーする。集団でパフォーマンスするダンスってそういうチームプレーがなによりも大事だと思う」
「リーダーはできるからそういうこと言えるんですよ」イライラした佐藤が不平たらたらに言った。「ダンスはできる人ができない人に合わせるんじゃなくて、できない人が死ぬほど努力してできる人に追いつくべきです」
「あなただって口で言うほど実力もないでしょ。だから二列目なんだよ。あなただってセンターの菜穂ちゃんに比べたら、極楽鳥とカラスよ」ケンカを売られた田中も負けていなかった。だが、今の言い方は他の二列目のメンバーを遠回しにディスっていたため、二列目のメンバーからも不平の声が上がった。引き合いに出された幽谷菜穂も居心地悪そうに二人のやり取りを見ている。同じく引き合いに出された結城光もテンパった。加賀がメガホンを叩いた。
「揉め事なら大歓迎です。オレが最後まで話を聞きましょう。一人一人部室へ来てもらえますか? それとも、全員いっぺんの方がいいですか?」
一人ずつということになった。
一番最後がリーダーの結城光だった。彼女を二年生ながらリーダーに推したのは、顧問の宇部先生である。人望、度胸、ダンスに対する姿勢、責任感、ムードメーカー、個としても美人で背が高くタレントのモノマネが得意など際立ったキャラを持っているのに、自分が目立つことよりチームの底上げに徹する献身的な姿勢など、加賀の目から見ても彼女はリーダーにふさわしかった。だが、この時の彼女は地球の重力を受ける以上に重く落ち込んでいた。ため息をついた。
「加賀くんが入ってくれなかったら、私には事態を収拾することができなかったわ。リーダー失格ね」
「そんなことないよ。結城さんはしっかりやってる」
「しっかりやったらああはならないわ」
「ダンス部のみんなは個性が強いからねーぶつかり合って言いたいことぜんぶ吐き出しちゃえばいいんだ。結城さんは行きすぎたメンバーが互いにつぶし合わないように見ていればいいと思う。オレがエラそうに言えないけど」
事態を聞きつけた宇部先生がやってきて、加賀に向けてこう言った。
「ありがとう加賀くん。女子ばかりで大変だろうけど、あなたはわたしのお気に入り男子」
第三話 幽谷菜穂
「加賀くん、いま、ちょっと時間あるかな?」
加賀が廊下をお手洗いを向かって歩いていたら、なにか思いつめたような表情で幽谷菜穂が声をかけた。
「いいよ。どうしたの?」
「ここじゃなんだから、図書室でもどうかな?」
「いいよ」
幽谷菜穂は、ダンス部の二年生センターであり、アイドルの地方オーディションでファイナリストに残るほどカワイイ子として校内でも有名だった。彼女こそおそらく榎本が言わんとしていた誰もが認める天性の才能の持ち主で、そこにいるだけで白いレースのカーテンをまとったような透明感のあるオーラが映え輝いて見える絶対的エースだった。これでうぬぼれるなど性格に難があれば、女子などから嫉妬や怒りを買い、嫌われる要因にでもなっただろうが、彼女にはそれもなく、いたって謙虚で、マジメで、誰にでも礼儀正しかった。男子にも女子にも憧れられる存在である上に、ミュージックが始まるとスイッチが入り誰よりも目立ったパフォーマンスをするのに、普段は人見知りで、控えめ、清楚なところもウケがよかった。
空いた席に二人で対面に座った。
「で、どうしたんだい?」
幽谷は恥ずかしそうにうつむいた。
「この前、地方オーディション合格したんだ。まだ誰にも言ってないけど」
「え! マジ? おめでとう! よかったね〜」
加賀は涙ぐんだ。
「泣いてくれるの? ありがとう。うれしい」
だが、幽谷は心から歓喜している様子ではなかった。スマホでSNSの通知が届いたので、「ゴメン」と言って加賀はスマホを手にした。よくチェックしているフォロワーからの通知だった。
「ゴメン、ちょっといいかい」
内容を吟味してからレスポンスしたので、少し遅くなった。
「誰から?」幽谷が聞いた。
「ネット上で仲良くなった人だよ。…で、なんの話だっけ?」
幽谷はむすっとした顔になった。
「わたしが地方オーディションに合格した話」
「ああそうだそうだ。じゃあ、次は、東京でのオーディションだね。応援するよ」
「…でもね。父は喜んでくれたんだけど、母が反対しているの」
「お母さんが? どうして?」
「アイドルなんて浮き沈みが激しいから生き残れるかわからない。まず大学へ行きなさい、って」
「ははあ〜なるほど。現実的な話だね」
「まず大学って、東京オーディションはもう二ヶ月後にあるんだけど!」
「いや〜オレとしては幽谷はグループに入っても売れると思うんだけど、こればっかりはな〜別に大学進学の逃げ道を作っておいても非難されるべきことじゃないから、受験勉強しながら大学に通って、勉強しながらアイドル活動したら?」
「でも自信ないんだよね〜全国から集まってくる子たちに勝てる気がしないの」
「まー確かにねー全国のレベルは高いよなあ」
「お母さん、どうやって説得したらいいと思う?」
鳴子から通知が来たので、スマホを見た。
「幽谷さんちょっとゴメンね」
『今どこにいんの?』
『どうした?」
『図書室』
『今日、脚イテーからレッスン休もうと思って』
『了解』
加賀はスマホをブレザーの内ポケットにしまい、幽谷に助言した。
「お母さんには正直に言うのが一番だと思うよ。大学とアイドル活動の両立。今だったら、芸能人にでもフツーにそういう人いるじゃん。だから不可能じゃない。お父さんを懐柔して説得してもらうのもイイね」
「ありがとう」
容姿もなにもかも恵まれているように見える子にも悩みはあるんだな、と加賀は思った。
第四話 カラオケの誘い
厳しいレッスンの合間に、リフレッシュのため、鳴子が加賀と幽谷と結城と榎本をカラオケに誘った。
加賀も行くからか、この時は三人とも誘いに乗った。
榎本と結城がマイクを持ってカレードスコープのライブでも人気のユニット曲を歌った。その間に店員が平身低頭気味にドリンクを持ってきて、速やかに去って行った。
次に曲の予約を入れていたのは、鳴子だった。人気ロックバンドの曲でイントロが流れた瞬間、女子三人とも喜んだが想像していたよりもヘタだったのか、あまり盛り上がらなかった。
幽谷が歌い始めた。
スマホゲームの放置していたアイテムがなくなった時間切れの通知が来たため、加賀はスマホを手に取り補充する措置をした。ついでにSNSの新着動画があったので、隣にいた鳴子に見せた。
気がつくと幽谷は歌い終わっていた。
「幽谷も見る? この動画オモシロいよ。このオトナ猫が子ネコにおっかなびっくりちょっかいを出していて、それをじっと見ている母ネコがついに我慢の限度を越えたのか、マジギレして猫に襲いかかる動画。三分二十一秒くらいに注目」
「イヤ、いい。わたし、ネコ興味ないし」
「でもアイドルになったら、ぶりっ子ポーズでニャンニャンってやらなくちゃいけなくなるかもしれないよ」
「わたし、ぶりっ子キャラになんかならないモーン」
加賀は榎本と結城に動画を見せたが好評だった。
「子ネコカワイイ」
「母ネコマジこわーい」
「この猫かわいそう。マジビビってんじゃん」
みんな、代わる代わる曲を入れたのを見届けるなり、加賀は席を立ってお手洗いに行った。
第五話 家電
ある日のことだった。ミネラルウォーターを飲もうとリビングを通り抜けたら、家電が鳴った。母が買い物へ出かけていなかったので、ほとんど家電を手に取ることのない加賀が反射的に手に取った。
「もしもし…」
「…………」
「もしもし、どちら様ですか?」
「…………」
「…えっと、どなたですか?」
「…………」
無言だった。
「うーん。声が小さいのかな。聞こえていますか?」
少し大きめの声でたずねたが、同様に無言だった。
「間違い電話かな。電話する相手のお名前を教えてもらえますか?」
「………」
受話器の向こうの息遣いさえ聞こえてきそうな沈黙だった。
頼む。
一言でいいからなにかしゃべってくれ。
かといってしゃべったそれを受け止める準備もできてなかった。
心臓がバクバクしていた。息が苦しかった。なにかしゃべろよ、と強めに言ってやりたい衝動を抑えた。ていうかそんな勇気はなかった。言った瞬間、背後に無言のあるじが現れるような気がした。
喉がカラカラになり、目に見えない圧を感じた。受話器と受話器の間に流れる冷え切った空気が心臓まで指を伸ばしてくるようだ。リードの離れたイヌに追いかけられるような焦燥が心臓をわし摑みにして加賀は顔面蒼白になった。
目に見えてわかるほど両手がガクガク震えた。
ガチャ、と突然切れた。
無言の嵐が去っても、しばらく心臓への余波が止まらなかった。
第六話 無言電話
レッスン中、見物に来ていた青池瑛斗に無言電話のことを話した。
「怖いね、それ」
「調べたらさ、まだ携帯電話が普及していない昭和とか平成の時代には、よくあったらしいんだ」
「マジで?」
「家電はほら、着信履歴とか着信拒否とかないじゃん」
「加賀くんめちゃめちゃイイ人だけど、どっかで恨み買ってんじゃないの。心当たりある?」
「ない。てゆうか、買ってたとしてもわかんねーよ」
「じゃあ、何者なんだろうね。無言電話っていまローカルで流行ってんのかな。期待薄だけど、ちょっと見てみよう」
青池はSNSで調べてみたが、案の定、そんなウワサはどこにもなかった。
翌日、部活が休みだったので、家に帰ったら、リビングを通った。
いきなり家電が鳴り響いた。
加賀はギクリとした。思いの外ビクッとなったので、俺はビビリか、と内心で自虐した。
ヒットソングなどの着メロにしておけばいいものを、黒電話のジリリリというけたたましい音だから、余計ビビった。
また無言電話だろうか。時間帯もこの前と一緒だった。十六時半。
加賀は電話を手に取った。
「もしもし…」
「もしもし、加賀さんのお宅ですか? いまお時間よろしいでしょうか? わたくし、〇〇会社の田中というものですが、加賀さんのご自宅のプロバイダはどこをご利用されていますか?」
「お時間ありません。プロバイダも変更しません」
「いま弊社にご変更いたしますとスマートフォンのご利用料金も…」
「けっこうです!」
加賀は通話を切った。よくある勧誘の電話だった。
驚かすな!
内心悪態をついた。あまりにビビりすぎている自分自身にも悪態をついた。
電話を置いて気づいた。
留守電が入っている。
それも一分おきに何回も。
数えたら、三十回もあった。
どれも無言だった。
背すじを冷たい手で撫でられたようだった。
誰かに見られている気配を感じ、リビングの広い窓に張り付いて周囲をうかがった。
もちろん誰もいなかった。
すぐに留守電を消去した。
そして家の鍵がかかっているかどうかすぐに確認した。
鍵はかかっていなかった。
鍵をかけようとしたら、外で母と近所のオバさんが井戸端会議をしていることを思い出し、手が止まった。
別な日、下校すると玄関ポーチの前に、カラスの死骸があった。
目玉が飛び出し、口から臓腑を吐き出していた。
まるで何者かが両手に挟めてそのまま握りつぶしたような姿だった。
郵便ポストを開けたら、カッターで切り刻まれたような新聞紙が入っていた。
なんだこの嫌がらせ。
呆然と立ち尽くしながら、周囲をうかがった。
誰もいなかった。
だけど、なんだ。
この見張られているカンジ。
まるで自分がか弱い草食動物で物陰に潜んだ肉食動物に狙われているような緊張感と、焦燥感
ヤバい、と胸の内で警鐘をガンガン鳴らしているのに、硬直して一歩が踏み出せない、ヘビににらまれたカエル状態。
この夜は、姿の見えない何者かに見張られているような気がして、一睡もできなかった。
第七話 居残りレッスン
「加賀くん、今日はお疲れ様」
幽谷菜穂が加賀に挨拶をした。
「ああ、おつかれさま。幽谷さん、今日はいつにも増してキレキレだったよ」
「ありがとう。これからヒマかな?」
「とくになにもないけど」
「じゃあ、ちょっとだけ付き合ってくれないかな?」
「いいよ。どこ行くの?」
「どこってわけじゃないんだ。学祭で着る衣装なんだけどね。どれが似合うか、見てほしいんだ〜」
「オッケー。そろそろ本番に向けてリハーサルが始まるもんなー」
職員室に用事があり、宇部先生から本番のセットリストの書かれたプリントをもらい、その途中、廊下で榎本来夢とすれ違った。ぶつぶつ言いながら浮かないで加賀に気づくこともなく通り過ぎて行った。
「あ、榎本さん。元気ないね。どうしたの?」
「あ〜まだ学祭まで少し余裕があるからって増やした曲の振りが全然体に入らなくってね。どうしようか焦ってる」
「だいじょうぶか?」
「だいじょうぶ、じゃない。これから居残り練習するんだけど、自分じゃどこがダメなのかわからなくって。もしよかったら、加賀くん、見てもらってもいいかな?」
「え」
加賀は即答できなかった。幽谷との約束があったからだ。
「ダメ…?」
「ああ、ゴメン。ちょっと用事があったんだけど、別に今日じゃなくてもいいから」
加賀はスマホで幽谷にメッセージを送った。
『ゴメン、幽谷。榎本が本番までダンスの振りが覚えられなくて困っているから、衣装合わせは明日でもいいかな? もしよかったら、試着したものを写真で送ってくれてもいいし』
加賀は榎本の居残りレッスンに付き合った。
第八話 不思議なこと
加賀は日記のしまってある机の中がごちゃごちゃになっていることに気づいた。万が一両親に見つからないように数あるノートの一番下に隠してあるのに、なぜか一番上にあった。
母には部屋に入らないように厳重に言ってあるが、なにかの拍子に見てしまうこともあるのかもしれない。
リビングへ降りた。
母が慌ただしく冷蔵庫へ開けたり閉めたりしている。
「どうしたの?」
「近所の山本さんと立ち話していたら、アイスを冷凍庫に入れるのを忘れてね」
「ふうん、そう。だいたいあのオバさん話長すぎるんだよ」
「まあそうなんだけどね」
「早く撤退すればいいのに。絶対いらないしょっぱすぎる漬物とかくれるでしょ」
「子供にはわからないわね。大人には大人の事情があんのよ」
「ふうん。ところでさ、俺の部屋に入って机の引き出し開けた?」
「引き出し? 開けてないわよ。開けるわけないでしょ。そもそも部屋に入ったらアンタ怒るし」
「だよなー」
では自分の思い過ごしだろうか。そうかもしれない。こういう細かい記憶違いというのはよくあることだろう。
「ところでさ、最近、家の近くでスゴい美少女をよく見かけるのよ」
「美少女? 変態じゃなくて?」
「そ、美少女。スッゴいびっくりするくらいの美少女よ」
「へえ、この近くにそんなスッゴい美少女が住んでるんだ。引っ越してきたのかな。高校生?」
「アンタと同じくらいの歳の子だと思うわよ」
しばらくその美少女がどれくらいのレベルなのか、いつまで続くかわからない熱弁をふるった母から強制離脱した。
第九話 恥辱
なんて事はなかったいつもの日常の教室の昼休みの風景。
鳴子と一緒に弁当を食べていると誰がテレビをつけたのか、そのテレビにいきなり加賀の姿が映った。加賀が自宅の部屋にいる様子を写した映像だった。アダルト動画を見ながらマスターベーションをしている姿だった。アダルト動画と、加賀が果てた時の音声も流れている。
教室がザワザワし始める。加賀は頭が真っ白になった。すぐに立ち上がってテレビを消した。
意味がわからなかった。経緯もわからなかった。記憶にもなかった。そもそもマスターベーションをしている姿を自分で動画にする行為などやったこともなかった。
この動画を作成して教室に流したのは俺じゃない。
てゆうことは、いったい誰だ。消去法で検討していくと、俺じゃない、俺のはずじゃない、でもこうやって動画が流されている。どうやって撮る? 俺の部屋にカメラがあった。では、それは誰がやったのか。俺の部屋に入れるのは両親しかいない。だが、両親がこんな動画を撮り、教室で流すはずがない。じゃあ、誰なのか。何者かが俺の部屋に侵入してカメラを設置したとしか思えない。そして、不思議なのは、最近俺の家に遊びに来た友人は一人もいないということだ。
「ちょっと加賀こっちこい」
担任が手招きして教室から出て行った。教室の外で担任に詰問された。
「あのわいせつ動画を流したのは君か?」
「違いますよ。そんなバカみたいなことしないでしょ」
「うーん、誰のイタズラだろうな。だが、ああして動画があるわけだから、君の家で間違いないね?」
「ええ、でも誰かが監視カメラを設置したんだと思います。その誰かがわからないんですけどね」
サイアクの恥だった。マスターベーションをしている姿など人として一番秘めておきたい事項であり、それを他人に見られるというのは最大の恥辱ではないだろうか。
この日はダンス部に行くこともなく、すぐに下校した。母はまたいつもの井戸端会議だった。鍵が開いていたのでそのまま入り、部屋へ行き、制服を脱いだ。
机の上に日記が開いたまま置いてあった。
一番最新のページに、身に覚えのない文字が書かれてあった。
『わたしだけしか見てはいけない』
赤いマジックペンで殴り書きのようだった。
この状況を見て、加賀は戦慄した。
これは絶対に何者かが部屋に侵入して自分の日記に書いたとしか思えない状況だ。加賀はビクリとして部屋を見渡した。クローゼットを開け、ベッドの下をのぞき、ドアを開け、恐る恐る踊り場を見た。トクトクと心臓の鼓動が聞こえる。盗撮のカメラはどこに見当たらなかった。ひょっとしたら、もう回収したのかもしれない。回収したということは、あれからふたたび部屋に侵入したということだ。
わたしだけしか見てはいけない
どういう意味だろうか。
第十話 わたしだけしか見てはいけない
わたしは欲張りな人間である。
わたしは才能も欲しいし、最上級のカワイイが欲しいし、男子の注目を一身に集めたい。
わたしはわたし以外に興味を向ける男子は絶対に許さない。
わたしと話をしている時にスマホをいじったり、わたしが歌っている時にもスマホをいじったり、中座したり、わたしと約束を交わしたのに、他のヤツとの約束を優先させて反故にすることも絶対に許せない行為だ。
とくに話の腰を折ってスマホに熱中するヤツには我慢がならない。そんなにスマホが気になるなら対面してトークをする必要はないじゃないか。あの男はわたしと会話しているんじゃない。スマホの中にいる見えない相手と話しているのだ。そんなにスマホが大事なら墓場まで持っていくと良い。そして、あの男は、わたしのスマホの中で写真となって永遠に生き続けるだろう。人間の存在など全てスマホに収まり、完結する程度のものだ。
最終話 まさか君が
二階の窓から外を見ると母がまだ近所のオバさんと井戸端会議をしていた。その二人の死角を縫うように白のワンピを着た一人の若い女性と思われる人物が通りすぎて行った。加賀家の玄関の方へ向かったようだ。
加賀はうろうろした。
スマホを手にして、パソコンのマウスを手にして、据え置きゲーム本体を手にしたり、分厚い単行本を手にしたりしたが、どれもおぼつかなかった。
なにかが近づいてくる気配がした。
誰かが階段を上がってくる。
吐き気が込み上げてきた。
加賀は週刊誌のマンガの最新号をお守りのように手にした。
何者かがドアの前で止まった気配がした。
一瞬、なにも起こらない沈黙の後、ノックされた。
『コンコン』
「誰だ!」
『コンコンコン』
「誰だって聞いたんだ! 答えろ!」
カチャリ…
ドアが開いた。
幽谷菜穂だった。
「なあんだ。幽谷さんか。遊びに来るんだったら、インターフォン押してくれたらいいのに…」
加賀の表情がこわばった。
幽谷菜穂の手に包丁があった。
(了)
ホラー小説、大して読んだことないのに、初めて書きました。
貴志祐介さんの『黒い家』くらいです。まともに読んだことがあるのは。
めちゃめちゃ怖かった記憶があります。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
あなた様の貴重なお時間のムダにならなかったことを願います。