第十五話
放課後のことである。俺は時間を調節して、学校を出た。久しぶりに水無瀬と帰ろうと思ったのだ。
あの夜を経てから、特に彼女との関係性は変わらなかった。おそらく元々友達のような間柄だったからだろう。
なのにも関わらず、握手を求めて『友達になってほしい』なんてセリフを吐いた挙げ句手を弾かれるとは、毎週アンパンマンに殴られるバイキンマンの屈辱を一度に食らったような気持ちだ。ちなみにアンパンマンは、鉄火のマキちゃん推しだからよろしく頼む。
そういう屈辱を食らった俺に対して、彼女は相変わらずのポーカーフェイスで接していた。いや、そもそも彼女の場合は、感情を変えているかさえ不明だ。ポーカーフェイスとも言えないだろう。
しかし俺は、彼女との距離を『友達』と設定したことを成功だと考えている。
後々考えてみれば、付き合えば別れがつきものであるものの、友達には明確な別れも線引もない。それが友達という言葉の利点であり欠点である。
校門に向かう道を歩いていると、目の前に見覚えのある背中が現れた。
少し速歩きで彼女に追いつき、話しかけてみる。
「こんにちは。」
「こんにちは。」
彼女は歩みを止めずにこちらを向き、反応した。
彼女の背中には目がついているのかもしれない。まるで俺に話しかけられるのをわかっていたかのような対応であった。
すぐに前へ向き直った彼女に、俺は続けて話しかけることをしなかった。気になることができたときに話しかけるのが、彼女との距離の図り方だと学んだからだ。
校門付近で、体操服を着た女子生徒がチラシを配っていた。
「女子バレー部部員募集中ですー!どなたかお願いしまーす!」
部活か。なるほど。
「部活とかって入らないの?」
「あまり興味がない。」
彼女は間髪入れずに答えた。まあそれはそうかもしれない。
これは三枝情報であるが、水無瀬はクラスでほとんど話さないらしい。なんとなく想像がつくが、女子とも男子とも話さず、静かに黒板を見つめるか、読書をするかの二択で常に行動しているのだという。
彼女と並行して歩くこと数分で最寄り駅へとたどり着く。
ホームに上ってから、電車を待ち数分、電車に揺られて数十分。
その間、彼女は本を読み、俺は携帯をいじっていた。それぞれ好きなことをしつくして、最寄り駅の改札で彼女がこう言うのだ。
「さようなら」
「おう」と俺は返して彼女に背を向ける。これが彼女との下校方法だった。なんだか、意味がないように見えるが、最後の別れの一言が全ての意味をなしているのである。
この話を近藤にすると、『だいぶ不思議な関係やけど二人がええならええんちゃう?』と返ってきた。
そういうわけで、俺と彼女の仲は順調である。
ちなみに、俺の人生も中間考査という部分を除けばかなり順風満帆であると言える。
しかし、そんな素晴らしき人生に悩みというものをおすそ分けしてきた人物がいた。お返しには王水を考えているから安心してくれ。
「季節外れのコミケはどうだった?」
俺がその人物に後ろから話しかけると、彼は椅子ごと向きを変えてこちらに顔を向けた。
「最高だったぜ。ほんまに。」
彼の清々しい言葉を聞くと、担任の苦労が頭に浮かぶ。
それにしたってこの男は、随分と不思議な言葉遣いをする。第二外国語の選択肢として近藤語をいれるならば、落第者がダース単位で現れることだろう。
「そうか。で、何か期末に向けて始めたのか?」
やれやれ、と単語帳から教室にかけられた時計へと目を向ける。白黒で印刷されたかのようにシンプルなデザインのそれは、始業まであとわずかであることを表していた。
「今日、実はするつもりだ。」
彼の言い方に違和感を覚えながら「何を?」と尋ねてみた。
予想、滝に打たれてみる、お寺に祈ってみる、睡眠学習を取り入れてみる。
「神社に祈るんや。」
付き合い四年目は伊達じゃない。あと少しすれば、彼の考えもピンきりで読めるようになると言ったところだろうか。勝手に祈ってればいい。既にド底辺であるから下がりようがないってのが、彼の成績唯一の長所かもしれない。
「むしろ素行の悪さからバチでも当たればいいのにな。」
俺はそう軽口を叩き、ふん、と単語帳に意識を戻す。
彼の成績をとやかく言っている場合ではない。県内有数の進学校である常磐高校は、底辺の面倒を見ない。佐田みたいな教師は極稀である。彼が自分の尻を叩いてくれたことに感謝して、文系の成績を少しでも上げなければならないだろう。
そう思って俺の目の前に座る近藤を見る。
彼だって勉強するべきだ。できるものなら同じ大学に進んで、友人関係に苦労せずキャンパスライフとやらを送りたいからな。
「なあ、お前も少しは勉強したらどうだ?」
ん?と言った様子で彼はこちらをちらりと見ると、ニヤリと笑ってこう言った。
「俺はやりゃーできるから大丈夫や。お前はお前の成績を心配せい。」
彼は白い歯を見せて笑うのだった。




