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水無瀬さんの告白  作者: 佐渡
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第十四話

 常磐学園の職員室には生徒と先生の対話を重視した(という表向きの理由のもと)相談室というものがある。密室の中で生徒と先生が語り合うことができるという部屋だ。そこには今日も、たくさんの問題児が訪れる。


 俺が訪れる日がやってくるとは思わなかった。


 いかにも自然と調和してますと言いたげな、木をふんだんに使用した壁。生徒用椅子とは一線を画する座り心地の良い緑色の椅子。クリーム色のテーブルは勾玉の形をしていて、生徒を追い詰めるのに最適だ。

 そして目の前には、どこの組の方ですか?と聞きたくなるような風貌の男がいる。


 薄く色の入った眼鏡をかけて、オールバックの髪型。常に黒いベストとスーツでかっちりと決め込んでいて、左手はズボンのポケットという定位置に収まっている(今は座ってて見えないけど)。


 裏でヤクザと呼ばれているこの男は、佐田源之助と言う。一年四組の担任である。


 他クラスからは哀れみの目でよく見られる。あまりに見てくれが怖すぎるためだ。


 だが、案外授業が始まってみると、わかりやすい教え方に加えて生徒思いの一面が見えてきた。それについては後に語ろう。今は目の前の問題に集中しなければならないのだから。


 「冴島。なぜ呼び出されたかわかるな?」

 彼の口がゆっくりと動き出した。


 「いえ、わかりません。」

 俺は彼の眼鏡越しに見える目をしっかりと見据えて話した。


 いや、本当はわかってるさ。一線を越してしまったのだから、それを悔しがって、すべきことをしなくてはならない、と。

 でも、俺はこの世に優しい嘘だって存在すると思うんだよ。誰かが傷つくくらいなら、俺は……。


 俺は嘘をついて自分を傷つける。


 「俺は言ったはずだぞ。あのラインを超えてはならないと。」


 やはりそうだった。

 俺の予測は見事に的中していた。さあさあ的中してたんだから、俺を元いた場所に戻しておくれよ。案外あのクラスだって居心地がいいんだぜ。


 という気持ちと裏腹に、静かな返事だけが口から出てきた。


 「はい。」

 俺は項垂れた。

 

 「お前はいくつ線を超えた?」

 そんな反復横跳びみたいに聞かないでほしい。


 「現国と古典と公民の三科目です。でもこれ文系科目ですよ?」

 「誰が文系科目は赤点取ってもいいって言ったんだ。」


 佐田の声は低いため、とても響く。木の素材は吸音性が悪いから特に反響しやすい。そんな大きな声で言われたらお兄ちゃんとっても恥ずかしいよ。ヤクザの前でこのキャラはちょっときつい、というか吐き気を催しそう。

 彼のつり上がった目は、ツンデレ妹という名でさえも持て余すだろう。俺の妹がこんなに怖いわけがない。


 「誰も言ってません。」

 「そうだな。冴島、勉強はしてるのか?」

 この質問、一見イエス・ノークエッションに見えるが、実際は違う。要するにこのヤクザは頻度を聞きたいのだろう。一週間にどれくらい?とか試験前は?とかな。


 だがあえてそれを回避する。


 「はい。」

 「俺は頻度を聞いてるんだ。」


 ほら言っただろ?俺の言ってることは正しいんだ。


 「毎日学校には行ってます。」

 「出席簿をつけてるのは俺だ。自宅での学習を聞いているんだ。」


 全く漫才でもやっているのかというほどに早いレスポンスだ。


 ため息をついて、佐田は頬杖をついた。と言っても、手は顎の無精髭に当てられている。こっちだってそうしたい気分だよ。


 「自宅では、数学や化学に力を入れて勉強しています。物理は結構得意なんで。」

 「その基準に文系科目は入らないのか?」

 「あんな忌々しい教科土下座されても入れてやりません。」


 事実である。文系科目を自宅で勉強したことなど一度もない。気合で乗り切る。それが俺のセオリーだ。


 「そうか。俺も私立の理系出身の数学教師だから、その気持ちはわかるさ。」

 このヤクザもやっと理解したらしい。理系科目の尊さを。


 「そうですか。それでは、なお一層のこと数学に励んでください。」

 俺は彼の物分りのよさに感動を覚えたが、それは一瞬にして崩された。


 「今保護者呼び出されるか、次の文系のテストで赤点回避目指すかどっちか選べ。」

 「喜んで文系科目を迎え入れようと思います。」


 無条件降伏。徳川慶喜や太平洋戦争末期の日本は、こういう気持ちでそれを受け入れたのだろう。


 「それでいい。理系科目の点数はいいんだから、諦めずに頑張れ。相談ならいつでも乗る。」

 そう言うと、彼は立ち去ったのであった。

 



 貴重な昼休みの時間は残りわずかしか残っていなかった。


 教室に帰り、ほんの少しだけ公民の教科書を開いてみる。角度的には水無瀬が頷く角度くらい。


 「お前がそれを開くって珍しいなぁ。」

 前から首を突っ込んできたのは近藤であった。


 「ああ、明日には地球が滅ぶかもしれない。」

 「それはどこの観測や?」

 「それくらい稀だってことだよ。お前は呼び出されなかったのか?」


 近藤の成績の悪さは、いろいろな表現がされる。エベレストの高さ並に頭が悪いとか、夕張メロンの甘さ並に頭が悪い、あるいは私立大学の学費並に頭が悪いとか。

 勿論、これらは俺のボキャブラリーの髄をつくして語った文言である。


 「俺は今日と明日と明後日の放課後が面談だ。」


 すでに三日も確保されてるあたりが本当にリアルな彼の成績を表している。


 「三日間とはお気の毒だな。」

 「俺はこの三日間をなぁ、季節外れのコミケと呼んで楽しみにしてんねんぞ。まあ任せろ。お前の敵はしっかりとったるから」


 どうやら俺は近藤のポジティブシンキングを見くびってたようだ。一体敵をとるとは、何をするつもりなのか。


 俺は彼の曇り一つない明るい顔を見て、いくらか推測を試みるが、不可能を悟って諦める。


 「そうか。それは頭も心も幸せそうで何よりだ。」

 「そういうわけでコミケ開催中は一緒に帰れないからよろしゅうな。」

 近藤は皮肉に気づかず、言った。


 「わかった。」


 俺はそう答え、こいつみたいにはなりたくないと、午後の授業に真面目に臨むのであった。



 と、臨みはしたが、現代文では爆睡を喫した。この使い方が正しいのかは不明だが、目を閉じているうちに夢の世界へいざなわれたのは確かである。



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