中編
王都の教会前には、人が群れをなして集まっている。平民と下級貴族が入り乱れ、遠巻きに高位貴族の馬車が所狭しと並んでいる。
皆がこの神判の行方を見守っている。それは、溜まりに溜まった鬱憤を晴らすためであり、続いている混乱の収束を期待してのことだ。
ラディスラウムはこのために急造された舞台のそばに立っていた。周囲には自分に味方する者たちが固まっており、ウルストラも来ている。ウルストラには久々に会ったが、前よりも幾分か痩せてしまっていた。ウィケッド派が王宮に戻ったことで、激務から開放されて体調を戻した自分とは逆である。
今も気丈に振る舞っているが、所作はやはりぎこちなかった。どうも衆目があるところでは、練習したことも発揮できないようだ。
離宮で静養させていたウィリアムも、希望するので連れてきていた。目が窪んでおり、形相はすっかり老け込んでしまっている。だが、エリザベートの神判が行われることに喜び、目をギラつかせている。
ラディスラウムと舞台を挟んだ反対側にはエリザベートがいて、穏やかな笑みを浮かべているのが不気味であった。エリザベートと話しているヴィルマは感情を出さないようにしているが、エリザベートを心配している様子がありありとわかる。端から見るとヴィルマが神判を受けるようにも見えてしまう。
そんなヴィルマの傍らにいるのはスフォルツァ家のマクシミリアンだろう。ヴィルマと婚約したと聞き、少し調べたところ、誰の血を引いているかもわからないという。貴族社会では生きづらいだろうと気の毒に思うが、どうしようもないことだ。そんなマクシミリアンと婚約させられたヴィルマこそ、後ろ指をさされることになって可哀想に思う。
自分のところに来れば、しっかりした家名の者と縁付かせたというのに。
まるでウィリアムの身代わりに罰を与えているようにも見える。それでも健気にエリザベートに付き従うヴィルマが哀れだった。
「王太子殿下、用意はもうすぐ整います。お覚悟はよろしいでしょうか?」
「マーロム司教、問題はない。ようやく決着がつくかと思うと、晴れがましい気分になる」
マーロムは、エリザベートに神判を受けさせると自分が提案しておきながら、幾度も心変わりするように進言してきた。いくら頼りにしている叔父と言えども、流石にうっとうしくなる。そのため、体調不良を理由に会うのを避けると、もう進言してくることはなかった。
「……わかりました。我が甥、ラディスラウムに神の御加護があらんことを」
マーロムが自分の額、右肩、左肩と触って聖印を結ぶ。
「大げさですよ、叔父上。心配する必要などありません」
「ああ……そうだな……」
どうも叔父は自分が取り調べたカールの供述に自信を持っているらしく、ラディスラウムに悲観的であった。
最後にマーロムはラディスラウムを抱擁し背中を二度三度叩くと、エリザベートの方に向かっていく。
「まったく。まるで今生の別れのようではないか。叔父上にも困ったものだ」
苦笑いを浮かべて叔父を見送る。
叔父はエリザベートへも聖印を結ぶ。そして、エリザベートはヴィルマとマクシミリアンを叔父に向かって押し出すようにして、話をしている。
何を話しているかはわからないが、何やら不穏な気配がした。
こちらが見ていることに気がついたようで、エリザベートが目礼を送ってくる。無視しても良かったのだが、神判を受ける者への礼儀としてうなずいて返礼する。
僅かに目を見開くエリザベート。そしてほんの僅かな時間であるが、少女のころのような笑みを浮かべた。
虚を突かれ、無性に気まずくなって視線をそらす。再び視線を戻したときにはすでにエリザベートはこちらを向いていなかった。
どこか残念に思ってしまっている自分がいる。だが、それはありえない気の迷いだと首を振り、ウルストラの下へ足を進めた。
舞台の上に、黒い衣と頭巾をまとった屈強な男たちによって巨大な釜が姿を見せる。釜の胴部分の両側につけられた鐶付に木が差し込まれ、輿のように運ばれてきた。
相当な熱さらしく、男たちの黒衣が肌に張り付き、汗が大量に流れていることがわかる。
釜が舞台の上に設置されると、舞台正面にいるラディスラウムの背を押すほどのどよめきが群衆から響いた。
マーロムが、司祭と助祭、その後ろにヴェールで顔を隠したシスターたちを引き連れて舞台に上がっていく。そして釜の前に立ち、群衆に相対した。
ざわめき出す群衆。ラディスラムやウィケッド公爵の周りの貴族たちも口々に何かを喋っている。
マーロムが厳かに片手を上げる。それによってさらにざわめきが大きくなるが、マーロムがそのまま何も言わないために少しずつざわめきが小さくなっていく。やがて、物音一つたてず、固唾を呑んで見守るようになる。
「ここに、神意を受ける刻がやってきた。神の御前にて、偽りを述べる者には神罰がくだされる」
両腕を広げ、朗々と語るマーロム。
「釜で熱せられた聖水が神意をお示すになられる。訴人ラディスラウムは、真実を明かさせたい者をここへ」
ラディスラウムは騎士たちに向かってうなずき、合図する。騎士たちが鎖と猿ぐつわで拘束した男、カールを引きずっていく。舞台の近くで、教会騎士に渡される段になってカールが暴れるが、教会騎士に両腕を掴まれて強引に舞台へ上がらされる。
舞台でカールが跪かせられる。その目の前で、シスターたちが取っ手の付いた壺に熱せられた聖水を注いでいく。
カールの瞳がみるみると恐怖に彩られていった。身を捩り、髪を振り乱して教会騎士の拘束を解こうとする。
「この者、カールはある人物から依頼を受けてベンゼン家を襲撃した。その人物が誰なのか、神に偽ることなく、正直に申し上げよ」
カールの猿ぐつわが解かれる。
「言う! 何でも本当のことをしゃべる! だから止めてくれ。それを近づけないでくれ!!」
「では言ってみよ」
「……侍女だった。それは間違いはない。その女が、ウィケッドの屋敷に入っていったのは本当だ」
カールが舞台の下にいるエリザベートに顔を向ける。
「襲撃が失敗したあと、俺たちは王都から逃してもらうためにウィケッドと連絡を取って会うことになった。そこで捕まって、拷問を受けたんだ。言うとおりに証言しろって……依頼してきた女が、王宮に入っていったことにしろと……」
シスターたちが壺をカールの前に置く。その壺の中に、マーロムが指輪を落とし入れた。教会騎士がカールの腕の鎖を解き、腕を壺に近づけようとする。
「止めろ! 本当だ、嘘じゃない! 前は嘘をついていたんだ! 今度は本当だ!」
「では、お前はウィケッドがやらせたと、それが真実なのだな?」
「女は、ご主人様が婚約者を奪う恋敵を始末したがってると言ってた。だから……そこのエリザベートっていう女が依頼主だ!」
カールによる告発が響き渡ると、群衆が騒ぎ出す。
ラディスラウムもウルストラを抱き寄せ、ウィリアムと握手をする。
ちらりとエリザベートを見ると、慌てている様子はない。むしろ退屈そうに、毛先を指先でくるくると回している。
ふざけている様子のエリザベートに腹が立つ。神聖な場を愚弄した行いだ。
「では、論人エリザベート。舞台に上がられよ」
「ええ、わかりましたわ、マーロム司教」
退屈気にしていたエリザベートが一転、神妙な顔つきになる。そして、ウィケッド公爵たち家族に笑いかけると、教会騎士のエスコートで舞台に上がっていく。
カールが後ろに追いやられ、エリザベートがマーロムに並び立つ。
そのエリザベートに示すように、新たな壺に釜から聖水が注がれる。
「エリザベート、汝はベンゼン家襲撃を企んだとして告発された。神は全てを承知だ。嘘偽りなく、真実を述べられよ」
「……わたくしはそのような恐ろしい企てを考えたことはございません。先程の男の虚言、どうして我が身がこれほど貶められなければならないのかと、胸が張り裂けそうな思いです」
よくもまあ、こんな時にでも嘘を並べ立てられる。
ラディスラウムは音が鳴りそうなほどに手を握りしめる。
二人のシスターが、聖水で満たされた壺を運ぶ。エリザベートはそれでも恐怖しているように見えない。
「では、神に誓って嘘偽りはないと申すのだな?」
「勿論。このエリザベート・ウィケッドは、罪など犯しておりません」
胸を張って宣言するエリザベート。
マーロムはうなずき、再び指輪を取り出した。そして、多くの人々に見えるように掲げた後、シスターが持つ壺に落とし入れた。
エリザベートの胸の高さまで壺が持ち上げられる。教会騎士が腕を掴もうとするのを、エリザベートはやんわりと制して一歩前に進み出た。
「我に虚言あらば、神罰を蒙らん」
腕一本が入るくらいの壺の口にエリザベートが手を伸ばす。
誰しもが見守る中、ゆっくりと手が壺の中に入っていった。エリザベートの顔は特に変わった様子は見られない。
群衆たちが徐々に騒ぎ始める。
エリザベートは二の腕までを壺に入れる。中をまさぐるようにして指輪を探している。そして、おもむろに腕を引き抜く。手は何かを握りしめているようであった。
マーロムが両手を差し出すと、エリザベートは握っていた物を置く。マーロムはそれを眼前に持っていき、しげしげと見回してうなずいた。
シスターがエリザベートの手を取り、濡れた腕に指先まで布を巻いていく。
「論人エリザベートは聖水の中より、指輪を取り出した! よって、先程のカールにも指輪を取り出させ、神罰の有無によって判断するものとする!」
「嫌だ! 俺は本当のことを話したんだ! だから、だから許してくれ!」
暴れるカールが再び引きずり出されてくる。
それを尻目に、エリザベートはシスターに案内されて下がっていく。神罰を受けたとは思えない涼しい顔をしている。
見せかけだ。我慢をしているだけで、その腕は神罰を受けている。
ウルストラが見上げてくるが、構っていられなかった。暴れるカールを騎士たちが押さえつけている。新たに聖水の準備を終えた壺が置かれ、指輪が入れられた。
粛々と壺に手を入れたエリザベートと嫌がるカール。傍目から見たら、どう思うのかは嫌でもわかる。群衆がこちらを見て内緒話を始めている。ウルストラが怯えだして、群衆をキョロキョロと見渡す。
舞台の上では強引にカールの腕が壺に入れられようとしていた。
「止めてくれ! お願いだ! 何でもする!」
手を握りしめ、少しでも壺の聖水に触れないようにしていたが、無駄なことであった。
「ああああああああああああああああああ!!」
カールが今までになく暴れだす。聖水の熱さから逃げ出そうと、壺から腕を抜こうとしているが教会騎士によって強引に入れられたままだ。
「とった! とったとったとった!」
カールの叫びに、拘束していた腕が開放される。壺から腕が引き抜かれると、真っ赤になっていた。手には何も握っておらず、カールはうずくまって泣きじゃくっている。
「腕は神罰に焼かれ、指輪を持っていない。この者は神に偽りを述べていた!」
地を震わせるほどの歓声が場を支配する。また神罰を受けたカールへ罵倒が叫ばれる。
熱狂によってまだ矛先が向いていないが、すぐに神罰を受けた者を証人にしたということでカールへの罵倒がこちらに向けられることになるだろう。
カールの腕にも布が巻かれ、そのうえで鎖で拘束された。叫び続けるカールが引きずりおろされていく。
マーロムが悲しげな視線を送ってくる。それは憐れみか後悔かはわからない。
だが、自分がこれまでにない以上に追い詰められていることはわかる。
「そんな……エリザベートに、嘘がないなど、あるわけがない……」
ラディスラウムのつぶやきは群衆によってかき消される。
呆然と立ち尽くすしかないなか、一人が舞台の前に進み出た。
「私にやらせていただきたい!」
まっすぐな視線を向け、胸を張り、神判の前までとはまるで別人の様相だ。
その姿は、まさに自分の右腕たるウィリアムだった。
神明裁判には様々な方法があります。その中でも熱湯は比較的有名なものだと思います。日本でも盟神探湯なんかがありますし。
活動報告のコメントでも書いたのですが、題名の「なからしむる」の「しむる」が古典文法に則った活用になります。
統合版のときには口語の「なからしめる」に改めます。
それでは『神は正義をなからしむるのか』はあと一話になります。お楽しみいただけるよう、頑張ります。