前編
※本作はシリーズ『とある王国の物語』の七作品目になります。先に短編『貴方が私を悪女と呼ぶのなら』を初めとした六作品をお読みください。
代々の国王が使用してきた執務机を使うときは、自分が王位を継いでからだとばかり思っていた。
しかし現実は、王太子の身でありながら、この机で執務についている。それも思い描いていた盤石な政治基盤はなく、ただ言われるがままに承認することも少なくない。
「それでは殿下、ドワルドの領地は王領とし、領地を分割した上で代官を派遣するということでよろしいですな」
「……ああ、それで良い。代官の選出については」
「それも現在進めております。後日、候補者の名簿をお持ちします」
「随分と手回しの良いことだな、ウィケッド公」
ラディスラウムの決定の前に、代官の派遣を既定のものとして進めていた。ラディスラウムの皮肉に、ウィケッド公爵は丁寧な礼でのみ答える。
悔しいことであるが、ラディスラウムにウィケッド派の提案を跳ね除けるだけの力がない。正確に言えば、ラディスラウム側に人員が足りていないのだ。代案を出したところで、それを実行するのはウィケッド派の誰かになってしまうのだ。
今回の元ドワルド領にしても、ラディスラウムに味方する貴族に分配したかったのが本音だ。領地が増えることで味方の発言力は増し、ウィケッド派からも転向する者が出てきたはずだ。
しかし、今のラディスラウムに中央から人材を割く力はなかった。不安定な新領地を王都から管理するのは不可能だ。数年間は新領地から手を離せなくなるので、中央での政争でより不利になってしまう。ウィケッド公爵もそれを見越して、代官の派遣準備を進めている。
おそらく、ラディスラウムが派遣できる最大限を人員に加えて代官たちを選出するだろう。中央での力を削ぎつつ、ラディスラウムが文句を言えない人員で固めてくるはずだ。
「ご判断を仰ぎたいことがもう一点ございます」
「何だ?」
「王都や近郊の民たちから陳情が届いております。曰く、エイチンクの横暴を止めて頂きたいとのことです」
「そのことか……」
エイチンク一族には行方知れずとなっている王冠と王笏の捜索を任せている。しかし、日が過ぎていくだけで一向に見つかる気配がない。エイチンクは焦り、かなり強引な手法で探していると聞いた。
頭の痛い問題ではあるが、探さない訳にはいかない。自分が国王として戴冠することが、現状を打破する大きな一手になるのだから。
「取り調べを受けているのは、何らかの形でドワルド一派に与していた者たちだ。反逆者に関係していたかもしれないのだから、やめるわけにもいかない」
与していたと言っても、出入りしていただけの商人やその商人に物品を納入していた生産者など、反逆に関係があったとは思えない民の多くが含まれていることは知っている。建前でしかないが、少しでも可能性があるのなら調べる必要があった。
「……かしこまりました。しかし殿下、関係のない貴族や民にも不都合が生じることも多くなっていると聞き及んでおります。大きな問題となる前に、エイチンクの縁者となられる殿下から注意を喚起しておいていただきたいものです」
「わかった。エイチンクにはやり過ぎないように申し渡しておこう。だが、取り調べは続ける。良いな?」
ウィケッド公爵が頭を下げる。その表情は、無駄なことをしていると言わんばかりであった。
自分自身でも思わないことでもなかったが、他人に指摘されるのは腹が立つ。
「何か言いたいことでもがあるのか?」
「いいえ、何もございません。それでは、私はこれで失礼いたします」
いくつかの書類を手に取り、ウィケッド公爵とその従者が退室していく。
「エイチンク伯を呼べ」
侍従は何も言わずに一礼し、エイチンク伯爵を呼びに行く。
侍従や側近の数も、櫛の歯が欠けたようにいなくなってしまっている。ある者はドワルドの反乱によって剣に倒れ、またある者はウィケッドと通じていたために閑職へと追いやった。ただの王太子であったときなら、人数が少なくても対応できたが、今のように国をまとめるには少なすぎる。
王として立つときには、昔からの側近以外にも、ウィケッド派の人材が自分の手足となるはずだった。それを、エリザベートと婚約破棄した後は、エイチンクや中立派から信頼できる人員を時間をかけて集めていくつもりであった。だが、ドワルドの反乱によって、信頼できる者たちの多くが命を落としてしまう。また父が身罷られたことで、時間もなくなってしまったのだ。
保護したウィリアムに期待もしたが、まだ復帰できそうにはないし、何より騎士の位を与えようにも手柄がなくては身贔屓が過ぎると批判を受けてしまう。
ヴィルマの一族を引き抜けなかったの痛恨の極みであった。一人でも人が欲しいときに限って、なかなか人材に恵まれない。
「思えば、いつもそうであったな」
独りごちると、自嘲気味に苦笑した。
離宮を設けるときにも、侍女などの人手が足りなかった。自分はこういうめぐり合わせなのだろうと思うしかなかった。
しかし、そのお陰でウルストラと出会えたのだ。諦めずに探していれば、良い結果を呼び込むと信じるしかなかった。
気分を変えて、いくつかの報告に目を通していく。
すると、ドアがノックされて、さきほどの侍従がエイチンク伯爵を伴って戻ってきた。
「お呼びにより参上しました」
「ああ、忙しいところによく来てくれた。そっちに掛けてくれ」
来客用の椅子を勧め、自分も執務机からそちらに移動する。
「ウルストラはどんな様子だ?」
「妻から聞いた限りでは、前よりは幾分か落ち着いたようです。やはり、情報を漏らしていた不届き者を処分したことが大きいのでしょう」
ウルストラのエイチンク邸での様子が漏れてしまっていた。犯人は父アルブレヒトの侍従で、国王の死後に人手不足からラディスラウムの側近として使っていた人物だった。以前からウィケッド派と通じており、エイチンクの侍女と仲良くなって情報を得ていたようだ。侍女もラディスラウムの側近ということで信じてしまっていたらしい。
その側近は閑職へ追いやったが、王宮内はまだ安心はできない。そのため、自分もウルストラに会いに行くのは避けている。
「ベンゼン家から憔悴して帰ってきたときは心配したものです……」
「自分の身近だったものにウィケッドが入り込んでいたのだ、不安にもなるだろう」
ウルストラが元許嫁のクライン家に接触したと報告を受けていた。しかし、そこにはエリザベートの侍女が婚約者として入りこんでいた。
屋敷内や交友関係にウィケッドが手を伸ばしている。ウルストラは命を狙われた経験があるだけに恐怖を感じたのだろう。すっかり塞ぎ込んでしまっていた。
「趣味の庭いじりを許したのも大きいみたいで、勉強が終われば庭に出ているようです」
ウルストラが安定しているのは良いことだが、身分に合わない趣味にエイチンク伯爵は苦い顔をする。
「今は許してやってくれ。私が国王になれば、ウィケッドを退けて彼女を安心させてやれる」
「かしこまりました」
「それで伯爵、捜索はどうなっている?」
呼び出しの本題とエイチンク伯爵も理解しているのだろう、姿勢を正す。だが、顔は苦渋に満ちていた。
「芳しくありません。王都周辺を含めてドワルドの関係者を中心に捜索しているのですが見つかりません」
「やはり……見つからないか……」
元々期待はしていなかった。それでも一縷の望みをかけていただけに、落胆してしまう。
「まだ捜索対象は残っているので、順次当たらせていきます」
「わかった。だが、民に力を振るうのはくれぐれもわきまえさせよ。王宮にも陳情する者がいるようだ。あまり訴えが増えては、捜索もままならぬ」
「承知しました。徹底させましょう」
エイチンク伯爵は力強くうなずく。だが、正直どこまで効果があるかはわからない。
エイチンクも情勢が不利なのを理解しており、必死になっている。主戦派内での勢力争いも、優勢ではなくなってきていると聞いた。
「伯、派閥の貴族で信頼できる家をいくつか探しておいてくれ」
「殿下……それはいかなる仕儀でございましょう?」
現在、政治の中枢にいる主戦派はエイチンク一族のみ。元々主戦派の多くが帝国国境近辺の貴族家なので、王都に出てくることは少ない。それに政情不安定な中で国境の貴族家を王都に呼び出せない。それでも、いくつかの家は中央に伝手を入れたいはずだ。
「人員不足を解消する手段の一つだ。伯も、自分の足元を強化する必要があろう」
エイチンクにつけば中央での椅子が手に入る。きっと動く家も出てくるだろう。
「ありがとうございます。殿下に忠実な者を選び出します」
「頼む。最終判断は私が下すから、そのつもりで選ぶように」
エイチンク伯爵が深々と頭を下げる。それだけ派閥での立場も危うくなってきているのだろう。
正直言えば、エイチンク以外の主戦派を入れたくはなかった。できるだけ主戦派の発言力が高まるのは避けたい。しかし、背に腹は代えられなくなってきている。
それに、エイチンクもこれで言うことをしっかり聞くだろう。
他にもいくつかの事項を確認していると、侍従が何やら近づいてくる。
「どうした?」
「マーロム司教が、殿下にお会いしたいと参っておられます」
「叔父上が? わかった、すぐにお通ししてくれ。伯も戻ってくれて良い」
「それでは殿下、私は捜索の指揮に戻ります」
エイチンク伯爵が退室していくのと入れ替わりに、マーロムが姿を見せる。
叔父には本当に感謝していた。父亡き後、周辺諸国の介入を教会経由で阻止してくれている。他にもウィケッド派との妥協は、いつも叔父頼みになってしまっているのだ。
マーロムに席を勧め、侍従たちは全員退室させて叔父と二人きりとなる。急に会いに来たということは、何らかの重要な話があってのことであろう。
「急にすまないな」
「気にしないでください。それでどうされましたか?」
「兄上の葬儀のことなのだが、その前に現状についてラディスラウムの考えを聞いておこうと思ったのだ」
穏やかな叔父の眼光に鋭さが増す。
「ラディスラウム、そなたエリザベート嬢を王妃に迎える気は本当にないのか?」
「叔父上……それは……」
エリザベートとの関係を婚約破棄以前に戻す。政治の混乱を治めるのには一番早い手だった。こちらに味方する中立派や母方の一族もそれを望んでいる貴族が多い。
だが、すでに自分は祝勝会で、エリザベートからの提案を拒否している。
「お前からは言い出しにくいことだろうから、私がウィケッド公爵との交渉に当たる。恐らく公爵は、エリザベート嬢が王太子を産めば、ウルストラ嬢を側室としても文句は言うまい。エイチンクはうるさいだろうが、奴らの考えに賛同しているわけではないのだろう」
叔父の意見が最良であることは理解している。貴族だけでなく民にも不満が高まっているのだ。王冠と王笏を発見して国王になっても、不利な情勢が解消されるだけでウィケッド派との争いは続くだろう。エリザベートを王妃に迎えれば、そうした争いはなくなる。
だが、自分は国王として限りなく傀儡に近づくことになる。エリザベートの顔色を伺いながら生きていかなくてはならない。
それに、王国の王妃が犯罪者であることなど我慢ができなかった。
「エリザベートは、あいつは犯罪者です。王妃に据えるなど、冗談ではありません。そんなことはあってはならない。苦しくとも、正義を示さなくてはなりません」
「……エリザベート嬢がならず者を雇ったというのを信じているのか? 主犯を取り調べた限り、言いたくはないが兄上が裏にいた可能性が大きいのだぞ」
「ウィリアムがウィケッド家の内部から調べたのです。誤りはありません」
マーロムが失望の色を深める。
「あのウィリアムにも監獄で会ったが、とても信用できたものではない。姉を貶め、公爵位を己が物にせんとアルブレヒト陛下と共謀した。そんな話もあるのだ。兄弟のいないそなたには弟のような存在であるのだろうが……」
公爵になりたいウィリアム。貴族の力を削ぎたいアルブレヒト。両者が結託して、今回の騒動に繋がったと考えている者は少なくない。
「今のウィリアムは……ただ混乱しているだけなのです。あいつが、私に虚偽を言うことはありません。ベンゼン家を襲ったのは、エリザベートの差し金に間違いはないのです」
ラディスラウムの頑なな意思に、マーロムも諦めたようだ。乗り出していた体を椅子に沈め、ため息をついた。
「そういう頑固なところは、兄上に似てしまったのだな。そうか……わかった」
叔父が頭を支えるように両手を額に添える。
「そうまで言うのなら、神慮に任せてみるか? このままではやったやらないで、時だけが過ぎていく。だからお前が訴人となり、エリザベート嬢に神判を受けてもらう」
良い提案ではないだろうか。父上が教会を無視していたのにも関わらず、教会は何かと奔走してくれている。ここは解決を教会に任せることで顔をたて、解決後にドワルドに味方した貴族の領地を寄進すれば、教会の面目が保たれる。
無理をしてくれているであろう叔父にも報いてあげられる。
「それでお願いします。エリザベートに、正義の断罪を下してやりましょう」
意気揚々とマーロムの手を握るラディスラウム。
叔父が複雑な顔をしていることは、気にもとめなかった。
拙作をお読みいただき、ありがとうございます。
お待たせして申し訳ありませんでした。
本作『神は正義をなからしむるのか』は予告通りにラディスラウム視点となります。
悪役令嬢物では良くあるヒロインをいじめた証言なり証拠は、別の証言なりでひっくり返されますが、本作では中世らしく神に任すことになります。
どうなるかはまだもう少しお待ちください。
それでは、本作『神は正義をなからしむるのか』もよろしくお願いいたします。