アルバトロス
辺りが騒がしくなってきた。異世界からの来訪者の存在に周りが気付き始めたんだろう。
迎合というわけにはいかないのだろうな。
三年間、プレイヤーとして孤独だったハイネの微笑みは一瞬で消え、家屋には血相を変えて飛び込んできた男の姿があった。
「大変だ、ハイネ。また奴等が攻めて来た」
ハイネは静かに目を閉じた。
「数は? 性懲りもないね」
状況を察せないほど僕はマヌケではない。
「襲撃されているのか」
「界隈の盗賊よ。対して力も無いのだけど、定期的に村を襲撃して穀物を要求するのよ」
盗賊か。強奪、という概念がこの世界にある、ということはリソースは限られているのか。
穀物の価値は高い、いやそれ以前の問題として、この世界には食文化がある。
ハイネは車輪を大きく回して入り口へと漕ぎ始める。
このまま見送っていいのだろうか。
「勝算は?」
「ちょうど良かった。あなたにプレイヤーの力を見せてあげる」
なんか面白いものが見れそうだ。
家屋の外に出ると、既にハイネの姿は森の小道に消えていた。
物理的な速さではなく、まるで瞬間移動したかと錯覚するほど、彼女は地表を縮地するかの如く、ゆったりと静かな動作で視界から消えた。
ククルは彼女を追うように走り出した。これは物理的な速さだ。
僕は彼女の後を追いながら、木々の小道を抜け、水車横の坂道を大急ぎで駆け下り、水路をジャンプで飛び越えて喧騒の場所へと向かう。
段々と村人が合流してくる。農夫だろうか。この村は農家の集合地なのか。
交易のことが念頭を一瞬過ぎったが、すぐに雑念を払い退けた。
皆、手には鋤や鎌を構えて、必死の形相で駆けていた。
点在していた家屋が消えると、前方の森の先にはV字に切り取られた小規模の渓谷が現れ、緩やかにカーブするその谷間を折れると、そこは急に視界が開けた円形に刳り貫かれた草地になっていた。
緩やかなアンジュレーションのついた渓谷の窪地には、既にハイネと盗賊達が武器を交えていた。
数が三十、いや四十か、多いな。いや、だが剋目すべきは。
ハイネの武器は独特だった。漆黒の傘に秘められた隠し刀、彼女は車椅子のままふわりと跳躍すると、盗賊達を見降ろしながら、悠々と刀傘を広げて宙を漂う。
無粋な盗賊達は彼女を見上げながら、短刀を構えてはいるものの、どうすることもできない。
逆光に彼女の姿を一瞬、見失った瞬間、僕が瞳を閉じた刹那、彼女は宙から急降下し、盗賊の頭上に降り立った。その瞬間、橙色の光の粒子が舞い、盗賊は大量に立ち上る粒子の中、蛍光する輪郭線へと変化し、そして足元から消えて、存在が消失した。
「これがプレイヤーの力か・・・・・・凄いな」
そして彼女が車輪を一漕ぎする度に、車輪から敷かれる真っ白な軌跡が尾を引き、その光が消えた頃には盗賊がまた一人と倒れて行く。
ククルは手に持った喧騒から遠く離れた位置でフライパンを振り回して応援していた。
見たところ、ハイネの凄まじい戦闘能力に敵は怯み、戦っていた村人達にもまだ犠牲者出ていないようだった。
僕は考えていた。プレイヤーとはこの世界でどのような役割を担うべき存在なのか。この世界がゲームだとするならば、目的があるはずなのだ。
彼女はこれだけの潜在能力を秘めながら、何故こんな小さな村に三年間も固執していたんだ。
NPCは人工知能によって自律しているとはいえ、あくまでゲームの中のキャラクターだ。ハイネにとって守るべき義務は無い。それでも、村人を守ろうとするのは、彼女自身の信条故か。
それとも、目的を諦める程の理由があるのか。
この戦いが終わったら、理由を聞いてみてもいいかもしれない。
俯いていた僕がふと顔を上げたその時だった。
平穏とは束の間。
僕は思わず目を瞑った。
正確には目を開けていられなかった。
世界が瞬き、凄まじい閃光が戦闘している数十の人間を飲み込み、まとめて薙ぎ払った。
人がその破壊力によってまるでスポンジのように物理的に宙を舞う。
その中には彼女の姿もあった。
「ハイネー!」
駆け寄ろうとする、ククルを僕は思わず肩をぐっと掴んで止めた。
ハイネは車椅子から投げ出され、地面に落ちると、その場に倒れたまま動かなくなっていた。
何が起きている、状況を把握しろ。
自分自身を冷静に落ち着かせる。
周囲を観察しろ。
視線を巡らす。渓谷に沿って視線を回し細心の注意を払う。
そして僕の視線は渓谷の先の一点で止まった。
折れた渓谷からゆっくりとその生物は現れた。
巨大に肥大した、五メートルほどの人間、なのか。
片腕に構えたとてつもなく巨大なボーガンからは、眩い粒子が立ち昇っている。
「何なんだこいつは・・・・・・」
何故、僕はこいつを人間と思ったのか。
何故ならば、こいつはスケーリングされた巨大なデバイスを持っているからだ。
巨人は窪んだ眼窩を倒れたハイネに向けていた。
重く響く足音。そして、歪んだしゃがれた声。
「守護者気取りの小娘風情が。意気込んでこの様か。ツマランネ、ツマランヨ!」
轟く鈍声。こんな奴とは正直戦える気がしない。
ハイネは生きているのか、消失してないところを見ると、生きているのだろう。
彼女とククルを連れてこの場から離れる、そんな奇跡的な手があるだろうか。
僕はそっと身を屈め、一歩ハイネに向かって踏み出した。
ゾッとした。全身の毛が逆立った。
眼窩がこちらを捉えた。
ゆらりと巨大な頭身が揺れた。
脳が直感的に命令を下すと同時に、僕は振り向き走り出した。
つもりだった矢先、世界が反転する。
地表は今、頭上にある。僕は宙吊りに空を舞っていた。
全身の骨が折れたかのような衝撃が迸り、それが渓谷の外壁に叩きつけられたのだと悟ったときには、僕は唾液を零しながら、今は下にある地表に崩れ落ちていた。
脳震盪のような気分の悪さと眩暈に襲われながら、僕は向かってくる巨人の姿を見つめていた。
ふざけている。理由はわからないが、僕はここで・・・・・・
死ぬ。