バアルのようなもの。③
噂による所の六六六躯は
・全裸でギターを弾く
・ライブで客を殴る、犯す
・転校前の学校で全校生徒を男女問わずレ〇プした
・既にこの学園の生徒も何人か犯されている
・「雪解けの赤の夢」とも呼ばれ親しまれるこの学園の麗しき生徒会副会長、紅色葵を刃物を使い脅して性奴隷にした
・ノルウェーの森に住んでいる
・反キリストである
・何件もの教会を燃やした
・牧場から家畜を攫い、殺害してその屍体を自室に飾っている
・子供を殺して喰っている
・元死刑囚
etc.
人の噂、世の取り沙汰も七十五日。
つまり俺は、冬休み前後まで在らぬ誤解に苛まれながら頭を抱えて鬱々と過ごさなければ為らない、と言う事になる。死んでいた方がマシだった。
「評判ってのはさ、派手な方が良いんだよ。今後の活動の布石にもなるしな」
何を言われた所で俺は黙して語らず知らぬ存ぜぬを通し、紅色先輩はあの一件以来目も合わせてくれないし口も聞いてくれなくなってしまったが、それでも裏側では生徒会役員の助力を借りてまで噂の火を消して廻って下さっているのにも関わらず、現況とも呼べるこの狂った魔人様が、わざわざこの学園の生徒の姿に擬態してまで、ある事無い事を吹聴して騒ぎ立てて流しているのだから始末に負えない。
幸か不幸か退学や停学と言った処分こそ受けていないが、教師達の視線も「可哀想な転校生」を見る目から、明らかに「問題のある生徒」を見る目に変わった。こんな状態で何の活動が出来ようものか。俺の重音部は廃部寸前だ。
「そう怖い顔するなよぅ」
「甘えた声出さないで下さい。誰のせいですか」
「躯のせいかな?」
「ぶち犯すぞ」
「やってみろよ。地獄の果てまでぶっ飛ぶぜ?」
崇高で邪悪なる魔人様は制服のスカートの裾を少しあげて二センチ程度上まで太腿を晒し、艶めかしく口元を開いて、狼狽える俺を潤んだ眼で見つめて嬉しそうに誘惑した。途端に眼を逸らしてしまった。童貞が勝てる相手では無かった。
「おもろ。きゃわわ」
「・・・日本語喋ってくれ。ってかいつまで制服着てるんですか、もういいでしょうに」
「えーやだー。これこそ活動するのに便利だし?この学園の制服可愛いし?」
「だからあんたのせいで廃部寸前だっつーの・・・」
「部活の事なんざ知らねえよ、ばか。独りで好きなだけ勝手にやれ。あたしの活動に都合が良いんだよ、この学園の生徒に紛れるのは」
あーなんかそんな様な事言ってましたっけー、みたいな感じで俺は適当に流した。「地獄」から生還した夜に長々と説明されたが、とてもじゃ無いが俺には到底付き合える気がしなかった。
バアル・ゼブル。
バアルで在り、但し現在、完全なバアルでは無い存在。全知にして全能、呼吸だけで流行の病を操り、言葉一つで生命を殺し尽くす魔人の起源と神話は果てしなく古い。
彼女は六十六の軍団、または六万人の悪魔を率いる暗黒の王にして神だった。
強さ、支配、法と正義の調和、大胆、勇気、破廉恥、復讐、決断、不穏、高慢、感受性、野心、聡明を司るとされていた。そう、されていたんだ。
「その威厳の殆どは奪われちまったんだよ、あたしの魔力に意地汚く群がって来た猩々蝿に。あたしはそれを取り戻したい。お前にはそれを手伝って欲しい。あたしの願いはただ一つそれだけだ」
ではどうしよう?と言う話になると、俺の粗末だった命一つと引き換えに随分面倒な要求を呑まなければならず、それも説明すると長くなるのでバアルさんの言葉を借りるとすれば「その辺に居る低級な悪魔がよからぬ事を働く為に湧いてるから片っ端からやっつけて食べてしまおう」と言う途方に暮れそうな提案で、冗談じゃねえよ。言ってて自分でも徹頭徹尾理解しようが無いし何だか馬鹿馬鹿しくなってきた。
先日、俺を生贄だかにしてぶっ殺しに現れた二人組みたいな連中を見つけ次第倒して食べてレベルアップ。命が幾つ有っても足りやしない。
あの二人についてもあれから必死に調べた結果、確かにこの学園の生徒では無い事だけは解った。誰も行方不明にはなっていないし、俺を含めた全校生徒全員が無事である、と知った。お陰で全校生徒総勢三九八人のうち三九七人の名前と顔を把握するに至った。唯一、この学園の生徒会長だけが無期休校中で会えなかったが、関係は無いと思っていいだろう。
そうした実情を聞いて廻る先々で「あ、フルチンの人」とか「レイプ犯触らないで!」とか「邪心を棄ててキリストを信仰しなさい」とか、終いには「黒魔術同好会」とか言うなんかコープスペイントに髑髏のネックレスをした連中が「共に活動しませんか?」と勧誘してくるなど、この何日かの俺の無残で無念で無力な想いが誰に伝わると言うのだ。
少なくともスマホでバシャバシャと自分の自撮りを撮ってアプリで加工して「可愛いかろう?可愛いかろう?」と目の前に居る俺にLINEで送り付けてくる魔人には何一つとして伝わらないだろう。実際めっちゃ可愛いから保存はするんだけどな。
「良かったね躯、今夜のおかずが出来たね」
「しねえよ、馬鹿か」
「このむっつりスケベ。まあでも、この学園全員の顔と名前を調べて来た努力は賞賛に値するよ。お疲れさん。これで余計な異物が生徒に紛れ込んでいてもお前なら気付けるだろ」
「まさに今あんたが紛れ込んでいるけどな」
「それはそれ、これはこれ。楽しいからイイじゃん。どんどんお前の悪い噂は流していくから安心してくれて構わんよ、そうしてお前を喰いに来た連中をあたしが逆に喰らってやるから。完璧な算段!やばいね!」
やばいのはあんたの頭がね。俺はうんざりしながらギターをアンプに繋いだ。何は無くても音楽だけは続けていたかった。今日はどうしようか。Carcass のCorporeal Jigsore Quandaryなんかをガツンと弾いたらこの憂鬱も多少は紛れるかも知れない。エフェクターのペダルを爪先で力を込めて踏む。落雷のような熱量が爆音で教室中に溢れる。多少もたつきながらイントロを弾き終えたあたりで両手を左右に滅茶苦茶に振って蛸みたいな踊りをしている紅色先輩が目の前に現れた。
「・・・なんです?」
「うるっさい!!!!!!!」
「部活中なんで紅色先輩こそ静かにして下さいよ・・・」
「今日のうちに廃部にして欲しい?あァ?」
「して欲しくないです・・・すいません。で、なんですか」
「なんですか?じゃない!!ボリューム!!!滅茶苦茶苦情来てるからね、この部室から悪魔のような雄叫びが聴こえてくるって!」
「いやー・・・まあ、気を付けます」
「怒られるの嫌だったらヘッドホンして」
「はい、解りました。気を付けます。で、なんで帰らずに座ってるんですか」
「お茶の一杯も出さないんだか」
「ある訳ないでしょうに。前から思ってたんすけど、紅色先輩って時々方言出るんですね」
「そんなのどうでも良いっぺよ、田舎もんだって馬鹿にしてるだか。オラだって頭さ来たら方言出るよ。馬鹿にすんなよな」
ちょっとだけ可愛いと思ってしまった。紅色先輩は一頻り苛立った後で、自分の鞄から水筒を取り出して喉を鳴らして中身を呑んだ。カラン、と鳴った。水筒の底で氷が跳ねる音、弦が擦れる音、夕暮れのチャイム、そして静穏。いつの間にかバアルさんの姿が消えていた。また俺の中にもどったらしい。紅色先輩が苦手なのはバアルさんも同じか。
「この間はすいませんでした」
気不味い空気に耐えかねて、黙っていても何も変わらないので俺は粛々と頭を下げた。沢山の迷惑をかけた。
「なにが」
「裸を見られ・・・見せました。色々ストレス有ると脱ぐ癖があるんです。すいませんでした」
「素行の不良が過ぎるんでねか」
「仰る通りです。すいませんでした」
「すいませんすいませんって、謝ったらオラの気が済むと思ってんのか。大間違いたっべ。あまくせ。なんぼおばぐだ口きぐだ、めグせべな」
「すいません、後半何言ってるかさっぱり解んないっす」
「そんなにすいませんすいませんって、そう言うの恥ずかしから辞めてけれって言ってんの。とにかくだよ、暫く君の事監視するからね、私」
「は?監視?」
「もう悪さしないように、こうして部室来て監視するから」
「辞めて?」
「先輩にちょいちょいタメ口聞くな、おめさ。こんぼほるなら怒るからな」
「コンボ・・・」
当直の教師が部室の戸締りを見に現れ、早く帰るよう促されるまで紅色先輩の小言は続いた。殆ど方言で何を仰られているのか正直さっぱりだったが、この人に対しての苦手意識が少しだけ薄れた。紅色先輩が素で怒っていると何故か安心してしまうし、こうして俺を心配して誰かが真剣に怒ってくれるのは、恐らく初めてかも知れない。普段は隠しているらしい青森の言葉も、俺に対してはつい口から出てしまうと言った。誰も知らないであろう彼女の一面が、疲弊していた心に温かく、照れ臭く、嬉しかった。
「おやおやおや?そこにいるのは葵ちゃんかな?そしてその隣に居るのは噂の彼氏ちゃんかな?」
下駄箱で紅色先輩と別れる直前、背後から聞き慣れない声をかけられる。振り返ると、上級生の女子がわざとらしい仕草で両手を双眼鏡の様に丸めていた。確か、紅色先輩と同じ二年生の芹涅翠先輩だったか。
「六六六君は彼氏じゃない!」
「照れんなって、いつもべったりじゃんかよう。お熱いなあお二人さん!」
「芹涅先輩・・・でしたよね、お疲れ様です。そして僕は彼氏ではないです」
「なんだか二人に否定されると最早これは確定な気がするよ?」
「翠っ!!!!」
「おー怖っ。本当にあった怖い葵ちゃん。彼氏ちゃんいつもお疲れ様ね!さいうるな娘だけどおっぱいの感度だけは確かだからどうかよろしくね!」
「さいうるってなんです?」
「余計な事言わなくていいから!せばまた明日ね、六六六君。寄り道しないで帰りなさい」
「二人はどこまで進んでるのー?教室でエッチしたー?」
紅色先輩に背中を無理矢理に押され、段々と芹涅先輩の声が遠のいていく。真夏の台風のような人だった。辺り一面にあの人の被害を受けた、さっきまで温かく感じていた俺の気持ちの残骸か散らばっている。最近他人と関わる事が増えた。うっかり自分が「他人と関わっていい人間」だと勘違いしそうになるが、それは避けなければいけない。俺は永遠に光の当たらない海底で生物の死骸を食べてひっそりと死んだように生きていれば良いのだ。
「どうでもいいんだけどさ、そう言う不定腐れた厨二病っぽいのこっちにまで流れてきてあたしまで暗くなるからそろそろ辞めない?」
「居たんですか。そっちこそ人の頭の中覗き込まないで貰えません?」
「心臓が繋がってるんだから感情や思考だって繋がるよ。昔お前に何があったのかまでは一々知らないし知りたくもないけど、もうちょいあたしの身にもなってね」
「・・・善処します。が、難しいと思います」
「あっそ。まあいいや。死にたくなったら独りで勝手に死んでね。それより何より、さっきの娘っ子名前なんだっけ?」
「紅色先輩ですか?」
「おっぱいオレンジボールじゃない方。えー、翠って呼ばれてた方か。あたしが言うのも変な話だけど、人って言うのは悪魔共なんかよりもずーっと、見かけによらずなんだね」
「何の話か分かりかねますが。はっきり言って貰えませんか」
無限に感じる沈黙。
俺は言葉の続きを待つのを辞めて、下駄箱の奥に中履きを乱暴に押し込んだ。ふう、と一つ息を吐いてバアルさんは言った。それが何を意味した言葉だったのか理解し終えるまでの間に校門の外まで出ていた。
「あの娘、妊娠してるよ」