Flag
銃弾が飛び交う戦場。兵士たちは、日々死と隣り合わせの極限状態を強いられていた。そんな戦場にも、つかの間の休息は訪れる。小隊の面々は焚き火を囲み、卑猥で下品な冗談を飛ばしあいながら、酒とタバコを楽しんでいた。
「俺、兵役が終わったら、田舎の彼女と結婚するんスよ」
新兵である小杉がそう語ったとき、彼の顎に鉄拳が飛んできた。
「馬鹿野郎! 貴様自分が今何を言ったか分かってんのか」
殴り飛ばされた小杉は、痛みよりも驚きの表情で地面に転がっている。
殴ったのはヤマアラシのような髭をたくわえた軍曹だった。丸太のような腕を震わせ、軍曹は怒鳴りつける。
「貴様が今言ったことはフラグなんだよ、フ・ラ・グ。分かってんのか。お前、明日にでも死んじまうぞ」
火を囲んでいた他の兵隊たちも、皆ぽかんとした顔で軍曹を眺めている。
「貴様ら全員よく聞いておけ。今小杉が言ったような『戦争から帰ったら何々』とかは禁句だ。その後絶対死んじまう。その他にも、『このルートは99%安全だ』も危ない。たいてい残りの1%が当てはまって全滅しちまう。逆に『99%危険だが賭けるしかない』は返って安心していい。あと『子供や動物をいたぶる行為』もその後死ぬ確立が高い。よく憶えておけ」
突然怒り出し、声高に訳の分からぬ演説をかました軍曹に、兵隊たちは目を丸くしていた。開いた口からタバコを落とす兵もいる。
「おい軍曹。貴様疲れているんじゃないか? 今日はさっさと寝ちまえ」
寝転がり酒を飲んでいた小隊長が、気だるそうに言った。
「そんな、少尉殿。俺が言ったことは事実ですよ。少尉殿も気をつけないと、戦闘後に『やった、ついにやった、皆殺しにしてやったぜウヘァハハハ』とか勝ち誇って、その直後に脳天を打ちぬかれることになりますよ」
まだ酒が残っているビンを投げつけ、小隊長は吼える。
「縁起でもねえこと言ってやがるとただじゃおかねえぞ。貴様がごたごたつまらんこと言ってると、小隊の士気が落ちるんだよ。今度余計なこと言いやがったら、敵兵の前に貴様を後ろから撃ち殺してやるからな」
額にできたコブをさすりながら、軍曹は言い返す。
「ああ少尉、今のセリフも危険です。もう半分フラグ立っちまった」
軍曹に殴りかかろうと立ち上がった小隊長を、他の兵隊が押しとどめつつ、その日のつかの間の休息は終わった。
これは珍しい。ただの脇役が物語りの流れを把握しているとは。いやそれよりも、自分自身が物語りの登場人物であると認識しているようでもある。ちょっと試してやろう。
軍曹は小隊長にしこたま叱られ、その懲罰として一人野宿を命じられた。
満天の星空の下、軍曹は頭まですっぽりと寝袋に入り寝ている。
その寝袋を、軍手をつけた指がつっついた。軍曹は目を覚まし、モグラのように寝袋から顔を出す。そこには、サングラスとマスクで顔を隠した強盗がいた。
「おい、起きろ。起きて金を出せ」
強盗の手には文化包丁が光っている。
「なにぼさっとしてやがる。早く金を出せ。有り金全部で命だけは勘弁してやる」
軍曹は強盗を無視して、再び寝袋に入り込んだ。
「この野郎、寝ぼけてやがんな。おい起きろ。この包丁が見えねえのか」
強盗は寝袋を蹴りつける。それでも、軍曹は動こうとしなかった。
「おい、無視すんな。ブスリとやってやるぞ」
「無駄だ」
寝袋に入ったままだったが、ようやく軍曹は反応を示す。
「俺は言わないよ。『金は全部やるから、命だけは助けてくれ』なんて、絶対言わないよ。そんなことを言うやつは、結局殺されるんだ」
強盗に、もうできることは何もなかった。
「それよりいいのかね? こんな唐突なキャラクターを出しちまうと、今後のストーリーがメチャクチャになっちまいますぜ」
やはりこの脇役は気づいていた。夢が夢であると気づく明晰夢というやつと同じだろう。ただし、明晰夢は自由に動くことができるようになるが、この物語は私が紡いでいる。軍曹はただ辛い思いをするだけだ。
私は強盗を消した。
しばらく軍曹は寝たふりを続けていたが、やがてむくりと起き上がった。
「ちょっと教えて欲しいんだけども」
軍曹は空に向かって聞いている。どこを向いていいのか分からないから、とりあえず空に向かって喋ってみたのだろう。
「あのお、教えて欲しいんだけども」
私に対して聞いている。
(……なんだい)
「あー良かった。聞こえてないのかと思った」
(何が知りたいんだ)
「あのさあ、さっき俺が殴った小杉ってのがいるだろ? あいつやっぱり、明日の戦いで死ぬのかなあ」
(おまえが余計なことを言ったから、もう死なないよ)
「そうかあ、良かった」
少しの間を空けて、また軍曹は聞いてくる。
「あのさあ、小杉には恋人がいるでしょ。俺にもいんの?」
(いない。というか考えていない)
「あーやっぱり。ところで、家族はいるよねえ」
(いない。同じく考えてなかった)
「えー、家族もいないの? やる気出ねえなあ」
軍曹は空に向かって悪態をついた。
「じゃあ、じゃあさ、俺はこの戦争で生き残んの? 生き残ったらさ、恋人つくってよ。できれば金髪がいいな」
(……まあ、考えてやってもいい)
「マジで? やったね。俄然やる気が出てきた。それじゃあさ、もう俺を戦争の英雄にしちゃってよ。敵の大将首獲ってさ、国に帰ったら政治家になるの。宝くじとかも当てちゃおう」
(やっぱりダメだ。そんな話面白くない)
「分かった。金髪の嫁で我慢する」
(生き残るのもダメ。そもそも、お前立場が分かってない。軍曹だぞ軍曹。それも鬼軍曹。主人公を厳しく育て、最後は主人公の盾になって死ぬの。それが鬼軍曹の役目だ)
「……そうか。薄々そうじゃないかと気づいてはいたんだ。ああ、やっぱり俺、この戦争で死ぬのかあ」
もう私は答えることを止めた。
翌日、小隊は最激戦区域に投入された。敵の火力は圧倒的で、小隊のメンバーは次々に散ってゆく。
「ここは俺に任せてお前たちは逃げろ。後は引き受けた。なあに、俺が死ぬわけねえだろ」
小隊長の言葉に、生き残った小隊の面々は感動しているようだ。ただ一人を除いて。
「バカだな、自らフラグを立てるとは」
軍曹は呟いた。
「退却しつつ、隣の部隊と合流する。この前線は放棄だ」
少尉の後、部隊の指揮を引き継いだ軍曹は、生き残りを率いて後退した。
同じように前線から引いてきた小隊に合流する。その小隊もボロボロにやられており、半数が負傷しているようだ。
その中の一人が、軍曹を見つけた途端駆け寄ってきた。
「あれ? 兄貴じゃないか。良かったあ。生きてたのか」
軍曹の顔を見て、その兵は泣いていた。
「俺もこの前線に投入されてたんだよ。兄貴がここにいるの知ってたからさ、志願したんだ。母さんも心配してたよ。兄貴は全然手紙を書かないってさ。約束してたんだろ、毎月必ず手紙をよこすってさあ」
軍曹はその場にうずくまった。
「ちくしょう。俺に家族なんていないと言ったじゃないか。嘘つきめ。こんな強引なフラグを立てるなんて」
軍曹が悔しがる間もなく、突如として敵の一個大隊が彼らの前に現れた。敵の一人がライフルで軍曹の弟を狙っている。軍曹には、それが見えてしまった。
「アブナイ!」
軍曹は愛する弟のために、彼を突き飛ばした。その代わりとして、彼の胸を銃弾が突き抜けていた。
「兄貴、兄貴い!」
弟が軍曹の体を支える。
「母さんに、すまなかったと伝えてくれ。約束を守れなくて、ごめん、と」
泣き叫ぶ弟を、他の兵隊たちが無理やりにその場から連れ去った。
軍曹は戦場に一人残される。もう銃声も聞こえない。目も見えなくなってきている。
「最後に、最後にひとつだけ教えてくれ、俺たちは、何故、戦争してるんだ」
(短編だからそこまで考えてなかった)
了