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レムナス王子視点。
何杯目の紅茶だろう。
ヴェルムートが部屋を出てから、既に数時間は経っている。
カンタール伯爵家は客間にも本棚が多くあり、読書をしていれば待ち時間は苦にはならない。
ハーナベルを待つときは、いつもそうだ。
けれど既に二冊読み終わり、三冊目になるのは、いくらなんでも長すぎではないだろうか。
「おや、まだいらしたのですか」
客間に入ってきたヴェルムートの声に、ほっとする。
けれど彼の隣にハーナベルは見当たらない。
「彼女の読書は、まだ終わらないのだろうか」
いつもなら、読み終わったタイミングを見計らって使用人が声をかけ、私の来訪を伝えてくれるのだが。
「お姉さまを呼ぶとは、言っていませんが?」
「なっ」
「レムナス王子がおっしゃったのは、『ここで待たせてもらう』その一点です。お姉さまを呼ぶことは約束していませんね」
「私は彼女に会えるまで待つと伝えたはずだ」
「えぇ、そうですね。もう日も落ちたのに王家の高速魔導馬車があるのでおかしいと思いました」
話が噛みあわない。
ヴェルムートは決して頭の回転が鈍い人間ではない。
一を聞いて十を知る。
そんな人間だ。
学園での成績も常に上位。
そんな彼が、すべて正確に伝えなければわからないなどということはない。
嫌われているのは知っていた。
けれど、故意に阻まれたのはこれが初めてだ。
「本日はもう遅いので、また後日になさったら如何でしょうか。婚約者でもない異性の家にお一人でいらっしゃるには、いかに王子といえどもいささか問題のある時間帯ですから」
「……彼女に、会わせてくれ」
「高速魔導馬車の御者も心配しているでしょう。本日は急な来訪でしたから何もおもてなし出来ず申し訳ございませんでした」
ヴェルムートが部屋の出口を促す。
あぁ、彼は、本気で私をハーナベルと会わせないつもりなのか。
「二人きりでなどとは言わない、使用人はもちろんの事、ヴェルムート、君が立ち会ってくれてかまわない」
「大変申し訳ございませんが、ご希望には添えないかと」
「彼女に会わせてくれ!」
叫んだ。
ヴェルムートのハーナベルに良く似た緑の瞳が一瞬見開く。
けれどそれは、すぐに酷薄な色を滲ませた。
「それは、ご命令ですか」
「めい、れい……? っ、違う、願いをただ……」
「お姉さまを無理やり婚約者にしたときのように、命令されますか。王家の権力を使って」
「っ!」
王家の権力。
本来なら、ハーナベルは私の婚約者にならずともよかった。
私がただの貴族なら、断れたはずだ。
けれど私は王族だから、伯爵家の彼女の方から断ることは出来なかった。
わかっている。
わかっていて、私は父上にハーナベルを婚約者にと望んだのだから。
「あぁ、そうそう。お姉さまは婚約破棄を喜んでいらっしゃいましたよ? 当然ですよね」
望んでもいない婚約だったのだから。
そう言いたいのだろう。
今までだって、婚約者らしい甘い関係でいたわけじゃない。
ハーナベルと私の関係は、友人。
一方的な私の片思いだ。
けれどそれすらも、今の状況では破綻してしまう。
いや、もう既に壊れてる。
私に出来ることは粉々に砕けた友人としての信頼の欠片を拾い集めて繋ぎ合わせて、ただひたすらに許しを請う事だけだ。
その為には、まずは本を用意しよう。
ハーナベルが読んだ事のない本となるとなかなか難しいが、出来ない事じゃない。
そう、考えて。
客間の本棚に目を移す。
何か感じる違和感。
「レムナス王子?」
ヴェルムートが怪訝そうに私の様子を伺う。
なんだろう。
私は、何に違和感を感じている?
この客間か?
いや、そうじゃない。
「王子?!」
バッと本棚に駆け寄った私をヴェルムートが呼び止めるが、気にしていられない。
本が無い。
いや、数冊はある。
けれど客間の本棚には、いつもならばびっしりと本が詰まっているのだ。
今にも零れ落ちそうなほどで、一冊手に取るのにもぐぐっと力を入れないと駄目で、苦労する。
それなのに今日はどうだ?
一冊取るのに手間が要らないどころか、数十冊もの余裕があるじゃないか。
あのハーナベルが本を捨てることはありえない。
併設の図書館か?
いや、既に図書館もいっぱいだからこそ、居間にも本が溢れていたのだ。
なら、消えた本は、どこへ?
その時、頭の中でカチリと何かがはまった。
「ヴェルムート。遅い時間まで煩わせてすまない。私はこれで失礼するよ」
「……そうですか。暗いので、お気をつけて」
何か言いたげなヴェルムートを後にして、私は足早に王家の高速魔導馬車に向かう。
何時間待っても現れないハーナベル。
消えた本。
そして、彼女が行きたがっていた場所。
そこから導かれる答え。
彼女はもう伯爵家にはいない。
彼女がいるのは、彼女が望むのは唯一つ。
ビブリオ・タワーだ。