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レムナス王子視点。
街路樹が規則正しく並ぶ馬車道は、通い慣れたものだ。
いつも休日はカンタール伯爵家へ通っていた。
彼女はビブリオ・タワーに通うことが多かったから、行き違いになることも多々あったけれど。
ハーナベルは伯爵家でも常に読書をしていたから、邪魔をしないように私は静かに待っていた。
幸せそうに本を読み耽る彼女を見ているだけで、心が満たされた。
カンタール伯爵家は、この辺りでも一際大きな屋敷だ。
本好きなハーナベルの為にカンタール伯爵が図書館を増設しているから、とても目立つ。
赤いレンガ造りの屋敷を見上げると、懐かしい気持ちがこみ上げてくる。
来られなかったのは半月程度のことなのに。
「レムナス王子? お久しぶりですね」
カンタール伯爵家に着くと、珍しくヴェルムートが出迎えてくれた。
『お久しぶりですね』という部分が強調されたように感じるのは、私が負い目を持っているせいだろうか。
ハーナベルの弟である彼とは、昔から余り相性が良くない。
ヴェルムートはハーナベルの髪に少し銀を混ぜたような明るい金髪に、ハーナベルと同じ明るい緑の瞳をしている。
男の子とはいえ、ハーナベルと一歳しか違わないせいか、面立ちがよく似ている。
もっとも、ハーナベルはこんなに冷たい瞳じゃ無いけれど。
もともと好意的とは言いがたかったヴェルムートの瞳は、言葉こそ丁寧だけれど、虫を見るよりも冷たい色味を帯びている。
大切な姉を傷つけた元婚約者に向ける視線としては、当然の事だろう。
それだけの事を私はしたのだから。
それでも、門前払いにはされず、いつもの客間に通される。
色々あるとはいえ、王子の肩書きを持つ私を、無視することは出来ないのだろう。
「本日は、あいにく父上と母上は外出中となっております。ご用件は、私がお伺いします」
慇懃無礼。
社交的にニコリと微笑むヴェルムートの視線が辛い。
「そ、その。今日はハーナベルと話がしたくてね。彼女は、私室だろうか」
「お姉さまならそうですね。読書をしているのでしょう」
淹れられたお茶を飲む。
カンタール伯爵家の紅茶なのだから、とても美味しいはずなのに、味がしない。
沈黙が気まずい。
何か、言ったほうがいいのだろうか。
無言で紅茶を飲み、瞳に浮かぶ怒りを隠しもしないヴェルムートと向かい合うのは、辛い。
「それで、本日はどのようなご用件ですか?」
「えっ」
ヴェルムートから再度問われた言葉の意味が分からず、私は口ごもる。
ハーナベルに会いに来たと伝えたはずなのだが。
「お姉さまと話をしたいとの事ですが、『婚約を一方的に破棄された』ご令嬢の家を何の連絡もなく来訪するのが王家の礼儀ですか」
しまった。
いつもの癖で、連絡一ついれずに来てしまったのは失態だった。
今までと違い、婚約者同士ではないのだから。
「まず最初に、連絡も無しに訪問してしまった非礼を詫びさせて頂きたい」
「そうですか」
「次に、婚約破棄の件については、ハーナベルともう一度話して……」
「何を話すというのですか? 新しい婚約者とのお披露目パーティーの日程ですか」
「新しい婚約者?! ハーナベルにもう?!」
「何を言っているのですが。王家から一方的に婚約破棄をされたお姉さまに、婚約など早々あるはずもないでしょう。
レムナス王子の新しい婚約者ですよ。とても愛らしい男爵令嬢だとか。心よりお祝い申しあげます」
「待ってくれ、誤解だ。私に新しい婚約者などいない!」
「おや、そうなのですか? お二人でお姉さまに婚約破棄を叩き付けたと伺っていますが」
「ハーナベルがそう言ったのか?」
「いえ、お姉さまは特になにも。エンデール王立学園は先週からその噂で持ちきりですから、知らない者がいないだけですね」
「そんな……」
一週間休んでいた間に、そんな噂が出ていたなんて。
中庭に私達以外にも人がいたのだろうか。
私がなぜか一方的に宣言してしまった婚約破棄だ。
いわば、口約束のようなもの。
正式なものではなく、ハーナベルさえ許してくれたなら、取り消せるのではないかと思っていた。
なぜ、私はすぐに行動しなかった?
中庭から立ち去る彼女を抱きしめて、すぐに詫びればよかったものを。
ぼんやりしていた、思考がまとまらなかった?
そんなものは言い訳にしかならない。
学園で噂になっているということは、ほぼすべての貴族に知れ渡ってしまったという事だろう。
国王の、父上の耳に入るのも時間の問題だ。
正式に文書によって婚約破棄が処理されてしまう前にハーナベルに詫びなければ。
わかっている、いろいろと手遅れなのは。
それでも、私は諦めきれない。
ハーナベルを失う事に、耐えられないのだから。
「……彼女に会えるまで、ここで、待たせてもらう」
「わかりました。何か用事があれば、使用人に言いつけてください」
失礼しますと形式的に礼をして、ヴェルムートが部屋を去る。