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5)ブック・オブ・デイズ様


 本を読んでいると、不意に、空間に揺らぎを感じました。

 魔力の波動というのでしょうか。

 室内でも風のように流れてくるその感覚は独特で、わたくしは本を閉じました。

 ブック様が転移をされるときには、必ずこの波動があるのです。


 少しすれば、同じように帰還を感じたイズが迎えに来てくれるでしょう。

 すぐに、ドアの横の小さなオーブが、淡く光りました。


「ハーナベル、まだ起きてるよね?」

「えぇ。でも、もうそんな時間かしら」


 イズと別れてからそれほど時間が経っていない気がします。

 本を多く読む為に速読魔法を使用していたせいでしょうか。

 読んだ本は既に数十冊積みあがっているのですけれど。

 あぁ、でも。

 途中で湯浴みは済ませておきましたから、もう夜ではありますよね。


 イズが部屋の外から鍵を開けてくれたので、わたくしは部屋着のドレスの上に、ローブを羽織りました。

 このふくらはぎを覆う長さの、フードの着いた深緑のローブはビブリオ・タワーで支給される司書用のローブではありませんが、良く似ています。

 いつか司書になりたくて、似たローブを購入しておいたのです。


 縁を飾る金の刺繍は、実はヴェルムートが刺してくれました。

 自分でやるといったのですが、

「ハーナベルお姉さまにやらせたら、布も指もぼろぼろになるだけでしょう。時間と布と糸の無駄です」

 って言い切られてしまいました。

 悔しいですが事実なので言い返せません。

 わたくし、針を布に刺す回数よりも、指に刺す回数のほうが多いのですもの。

 ヴェルムートは昔から何をやらせても器用で、このローブの刺繍も大変細かく美しいです。

 いくつもの四角を編んで、上下を細かな三つ編み状の刺繍が飾っています。

 大満足です。


「あら、エニウェアも来てくれましたの?」


 部屋を出ると、イズの隣に、イズにそっくりのエニウェアが不機嫌そうに立っていました。

 こうして並んでいるのを見ても、一瞬見分けがつきません。

 やわらかそうな白い髪も、くりっとした赤い瞳も。

 ローブの中のシャツの第一ボタンを外さずに黙っていられたら、イズと呼んでしまいそうです。


「……ハーナベル、お前、時計見ろよ。零時越えてるだろーが」

 

 ブレスレット時計をみますと、確かに超えていますね。

 さっきまでお昼だった気もするぐらいなのですけど。


「まったく、気がつきませんでしたわ」

「言っておくが、何度かこの部屋に来たんだからな。読書中すぎて無駄だったけどな!」


 エニウェアが、ドアの横に置かれた白いキッチンワゴンを指差して唇を尖らします。

 銀色の丸いクロッシュがそのまま被さっているのを見ますと、時間的にわたくしの夜食でしょうか。

 クロッシュからほんのり湯気が立ち上っています。

 わたくしが気づいたら、暖かいまま食べられるように、魔法を使ってくれていたようです。


「夜食も食べなかったんだね。ハーナベル、お昼ご飯も食べていなかったでしょ。大丈夫?」

「えぇ、まったくお腹が空きませんの」


 本を読んでいると、時間は本当に早く過ぎ去ってしまって、空腹を感じないのです。

 あ、でも、あらためて聞かれますと、少しは空いてきたような気もします。

 ブック様にご挨拶をしたら、せっかく用意してくれたのですからこの夜食を頂いておきましょう。


「昼飯も夕食も夜食も返事がないから諦めたんだぞ。何度もイズの本ネズミを借りてここまできたんだからな!」

「そう。色々ありがとう。エニウェアも、わたくしの本を読みますか?」

「えっ、それは、その……」

「ウェル語の翻訳本もまだありますけれど、ディアック語の原作本も数冊ございますの。エニウェアは未翻訳でも読めますでしょう?」


 わたくしは夜食の乗ったワゴンを部屋に入れ、代わりに本棚から数冊手にとってエニウェアに渡します。

 本を受け取ったエニウェアは、赤い瞳をまん丸に見開きました。

 エニウェアの本ネズミも彼の頭の上にするすると移動して、同じ赤い瞳を興味深々に見開いています。


「マジかよ。これ全部新作だろ。何でこんなに持ってるんだ」

「先日、お姉様がディアック国へ仕事に行っていましたの。そのお土産ですわ」

「最高のお姉様だな」

 

 本を抱きしめて喜ぶエニウェアに、わたくしも頷きます。

 カンタール伯爵家の次女、フィントレットお姉様は、仕事で一年の大半を外国で過ごしています。

 外国から外国へ移動する際、エンデール国に立ち寄って、我が家にも顔を出すのです。

 それ以外にも定期的に手紙やお土産を送ってくれるので、わたくしはまだ未翻訳の原書を数多く持っています。


 イズがエニウェアの手に持った本を見て、軽く溜息をつきます。


「僕はディアック語はまだすらすら読めないんだよね」

「その分、イズはウェル語とアタイム語が得意じゃん。アタイム語の文法、マジであれはないわ。わけわかんねー」

「そうかな? エンデール語に近いと思うけれど。ディアック語の独特の言い回しが僕には難しいよ」


 三人で螺旋階段を下りてゆきます。

 等間隔に壁に設置された六角形のシェードランプが、魔法の光を灯して辺りを優しく照らしています。

 吹き抜けのビブリオ・タワーの中は、しんと静まり返って、人の気配がありません。

 昼間はあれほど多く居た閲覧広場にも、いまは誰一人としていないようです。


 他国から訪れる方の中には、数日間、ビブリオ・タワーに泊り込みで調べ物をされたりもします。

 持ち出し禁止書物が多い為です。

 そういった方々には、塔内部の仮眠室や、客室は事前予約制ですが利用が許可されています。

 今は時間が時間なので、皆、客室か仮眠室に行っているのでしょう。

 閉塔時間をとうに過ぎておりますから、当然ですね。

 

 再び、風のような魔力の流れを感じました。

 先ほどよりも強いそれは、閲覧広間を抜けた先、ブック様の執務室からです。


 心なしか、わたくしの足は速まります。

 ブック様には事前に手紙を書き、許可を頂いてからビブリオ・タワーに参りました。

 司書として快く受け入れてくださるとの返事に、どれほど嬉しかったか。


 魔法陣が刻まれた深い色味の木の扉に、イズが手をかざします。

 イズの手の平に、扉に刻まれた魔法陣と同じ模様が輝き、扉が開きました。


 瞬間、執務室の中からぶわりと魔力の波動が溢れ、わたくし達の髪とローブが舞い上がりました。


「ブック様!」


 魔力の波動が収まると、中心部にブック様が立っていらっしゃいました。


 人の二倍はある大きな身体に、ふさふさの長い二本の尻尾。

 両耳の上に生えた二本の角は真珠色で艶めいて、漆黒の体毛は光沢を帯びています。

 猫とよく似た姿でありながら、決して同じではないこの世界で唯一つの存在、ブック・オブ・デイズ様。

 その金の双眸がわたくしを捕らえ、優しく細まり、執務室から廊下へ出てきてくださいました。

 

「おや、ハーナベル。まだ起きていたのかい。迎えに出れずに済まなかったのぅ」

「いいえ、とんでもございません。ビブリオ・タワーに迎え入れて頂けただけで光栄です」

「ブック様、ハーナベルにきちっと言ってやってよ。ご飯はちゃんと食べろよって」

「あら、エニウェア。わたくしは、この後きちんと食べるつもりでいますのよ?」

「ハーナベル、それはきちんととは言わないと思う。つまりこの時間まで食べていなかったという事実を自らブック様へ証明してしまっています」

「ふむ、ハーナベルは読書中はすべてを忘れて世界に入り込んでしまうからのぅ。読書好きなら誰でも起こり得ることじゃて」

「それは精々一食でしょ? ハーナベルはお昼も夜も夜食も食べてないんだよ」

「……ハーナベル、それは少々、身体に負担がかかるのではないかのぅ」

「つ、つい……きゃっ?!」


 ブック様が心配気に二本の尻尾を揺らし、わたくしをその大きな両手で軽々と抱き上げました。

 滑らかな毛並みが、わたくしを包み込みます。

 思わず、ブック様の身体に抱きついて、もっふりとしたその感触を全身で味わってしまいたくなります。


 でもいけません。

 ブック様は、男性系なのです。

 なぜ『男性系』という言い方なのかと申しますと、わたくし達とは種族が違うからです。

 いまはコラパス・ワードの迎撃の為に完全獣化をしていらっしゃるので余り性別を感じませんが、普段は男性の姿をとっていらっしゃるのです。

 とても美しい方なので、子供の頃ならいざ知らず、それ相応の年齢となった今では遠慮してしまいます。

 

 ……それでも、つい、指先でブック様の毛並みを堪能してしまうのですけれども。


 子供の頃は、獣化したブック様の膝の上で本を読んでもらったりもしたのですよ。

 つやつやで、指通りが滑らかで、本と、お日様の匂いが溢れていて。

 

「ふむ、見た目通り、軽いのぅ」

「ブック様、わたくし、もう子供ではありませんのよ?」

「みな、わしの可愛い子供じゃて。本が好きなのはよう分かる事じゃが、読書だけでは栄養は取れぬじゃろう」

「知識という心の栄養を得ていますの」

「ハーナベル、それ、一歩間違うとコラパス・ワードだぜ」

「まぁっ、わたくしは本を食べたりはしませんのよ?」

「食べてたら怖いよ。……いや、ハーナベルの場合、食べてても違和感ないですね」

「それはあんまりな気がしますわ」

「なら、今度はちゃんとご飯時にご飯食えよ」

「分かりましたわ」


 しぶしぶ頷くわたくしに、ブック様は終始ニコニコしていらっしゃいます。

 なんだかとっても恥ずかしいです。


「どれ、時間も時間じゃし、ハーナベルを部屋に連れて行くかのぅ」

「やっぱり、ハーナベルは上層階?」

「最上階じゃの」

「まぁ、嬉しい! 最上階の本は、まだ未読でしたの。そこに住まわせていただけるのですか?」


 上層階になればなるほど、貴重な本が納められているのです。

 最上階の本は、まだ見たこともございません。

 どのような本が、世界が広がっているのでしょう。

 

「あぁ、そうじゃ。近頃の侵入者は、地上付近の空間を開くことが多いからのぅ。最上階なら、安全じゃろうて」


 ブック様はそう言って、わたくしの頭を撫でてくださいました。

 ブック様は、わたくしの髪がとてもお好きなのです。

 初めて会った時、わたくしの髪を「太陽の光を集めたようだ」と言って下さり、以来、わたくしはずっと伸ばしているのです。

 本を読むときに邪魔になるので、何度か切ってしまおうかとも思ったのですけれども。

 ブック様が好きと言ってくださる髪なので、大切にしています。


「そういえば、以前はコラパス・ワードって上層階にばかり現れたよね」

「上の階は下の階より強固だから、諦めたんじゃね?」

「いっそ、ビブリオ・タワーを諦めてくれたら平穏なのにね」


 イズが肩をすくめます。

 わたくしもそう思います。

 何故この世界の本が狙われるのか。

 貴重な本ほど、彼らの標的になるのは何故なのか。

 わからない事ばかりですが、わたくしの本を奪うものは何であれ敵です。

 これだけは確実ですの。


「ブック様、わたくし、とても強くなったと思いますのよ?」


 レムナス王子と同じエンデール王立学園に通うのは少々、いえ、かなり不本意でしたが、国内最高峰の魔術を教えてくれる場所でもありました。

 ですから、わたくしは精一杯学んだのです。

 学園を飛び級で卒業できるだけの魔術を得たわたくしは、この塔を守る司書たる力を得ています。

 読書時間を割いた努力が身を結ぶのは、嬉しい事ですね。

 そしてせっかく力を得たのですもの。

 安全な場所に逃げるのではなく、この塔の本を守る為に、わたくしは力を使いたいと思いますの。


「うむ、そなたの優秀さは、わしの耳にも届いておるぞぇ。万が一、侵入者が来ても、ハーナベルなら対応できるじゃろうて。

 じゃが、下層階じゃともう読むべき本は無いじゃろう?

 最上階の本は速読魔術の使えない本もあるからのぅ。ゆっくり読んで過ごすと良いぞぇ」

「そうですか。ブック様のお心遣いに感謝致します。わたくし、精一杯、司書の勤めを果たさせていただきますわ」

「でもハーナベルの場合、読書中は反応ないよね」

「一人で部屋に入れておくと、絶対でてこねーだろ」

「二人とも、事実ですけれどあんまりですよ?」

「ハーナベルの部屋の本ネズミは、数匹いたほうが良さそうじゃのぅ」

「ブック様ブック様、一匹は僕が預かります。ハーナベルを部屋の外から呼んでも無駄ですから、本ネズミに開けてもらいましょう」


 イズの言葉に、エニウェアがぶんぶんと首を縦に振ります。

 確かに、わたくしは読書中は本当に周囲の事に気づけませんから、どちらかが迎えに来てくれたら助かりますね。

 大きな物音なら気づけるのですけれど、ビブリオ・タワーでそんな物音はまずしませんし、司書自ら音を出したら読書の邪魔になってしまいますからね。


「ふむ、ハーナベルが良いならそうしておこうかのぅ。どれ、イズとエニウェアもわしに掴まりなさい」


 ブック様に言われるままに、二人はブック様の左右の腕にそれぞれ両手でしっかり掴まりました。

 腕の中でブック様を見上げますと、「ハーナベルもしっかりと掴まっておいで。跳ぶからのぅ」といって、吹き抜けの天井に目を向けました。

 そして、とんっ、と床を蹴ると、わたくし達と共に、一気に最上階まで跳躍されました。

 

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