3)本が本当に好きなのです
高速魔導馬車に、次々と荷物が運ばれていく。
といっても、わたくしの場合は本がほとんどなのですが。
これから行く場所にも本が沢山あります。
むしろ本しかありません。
楽園ですね。
そんな本の塔、ビブリオ・タワーに自分の本を持ち込むのは、主にわたくしの趣味です。
高速魔導馬車なら、ビブリオ・タワーまで半日とかかりません。
ですが高速魔導馬車に揺られて移動する時間は、読書をするにはうってつけの時間でしょう。
お母様と弟のヴェルムートが、わざわざわたくしを見送りに出てきてくれました。
一番上のお姉様は既に結婚して家を出ておりますし、二番目のお姉様は仕事で他国へ行っています。
三番目のお姉様は今日は学園で試験です。
一番上のお兄様は王都で第一王子の護衛騎士をしているので、カンタール家にはめったに戻れません。
二番目のお兄様は、恐らく学園の魔術研修室に篭っているのでしょう。
末の妹はまだ眠っています。お寝坊さんですね。
「ハーナベル、忘れ物はないかしら。本だけを持って行っては駄目よ。衣類もきちんと高速魔導馬車に乗せたけれど、貴方の場合、馬車ごと存在を忘れそうだわ」
「お母様、いくらなんでもそれはあんまりですわ」
「いや、お母様の言うとおりですよ、ハーナベルお姉さま。だってお姉さま、いま手に持っているのが既に本だけではありませんか」
ヴェルムートに言われて手荷物を確認します。
本が一冊、二冊、三冊……あら、十二冊しか持っていませんでしたわ。
もう少し持てそうな気がしますの。
馬車に詰め込みきれなくて家中にまだまだあるのですけれども、持って来たほうが良いかしら。
「お母様、やはりハーナベルお姉さまとともに、私もビブリオ・タワーに赴いたほうがよいのではないですか」
「それは駄目よ、ヴェルムート。貴方はお母様とともにカンタール伯爵家を支えていかないと」
「お姉さま、一見家の事を考えているかのようなご発言ですが、読書の邪魔をされたくないだけですね」
「嫌ですわ。いつからわたくしの可愛い弟は、こんなに意地悪な事を言うようになってしまったのかしら。そんな子に育てた覚えはありませんのに」
「私も一歳しか違わないハーナベルお姉さまに育てて頂いた覚えはありませんから、きっと別の子を育てていたのでしょう。本の中でね」
「まぁ、本の中で育つのは物語と相場が決まっていましてよ?」
「えぇ、えぇ、物語でも何でもいいです。それだけ山ほど本を抱えていらっしゃるのに、それ以上本を持とうとしないで下さい」
わたくしが玄関の本棚から数冊持とうとしたら、取り上げられました。
まだ持てますのに、残念です。
昔から、わたくしは本を読む事が好きでした。
そう、本を読んでいると、そこがどこであるのか、誰といるのかすら忘れて熱中してしまうぐらいに。
だって、そうでしょう?
本を読んでいると、どうしてもその本の世界に入り込んでしまうのですもの。
騎士がドラゴンを倒し、魔王が世界を制し、転生者が無双し、世界が平和に満ちる。
そんな時に話しかけられても、現実世界は遠い夢のようなもの。
時間など、あっという間に過ぎ去ってしまいます。
読書の為の時間は、あればあるほど喜ばしいもの。
貴族に生まれたからには、エンデール王立学園に嫌でも通わなければなりませんでした。
ですが、試験さえ受かれば飛び級出来ることは幸運だったでしょう。
おかげでわたくしは入学して一年と通わずに全教科を習得して卒業し、空いた時間でたっぷりと読書に勤しめたのですから。
わたくしは決して優秀ではございませんが、読書だけなら誰にも負けないと自負しております。
それしか取り得がない、とも言えますが。
勉学も読書と思えば、さほど座学で苦労はございませんでした。
教科書に並ぶ文章は、まさしく読書といって差し支えないものでしたから。
特に語学の勉強には身が入りました。
教材として掲載される文章は、まさしく物語そのものの一部が掲載されておりました。
そして、学べば学ぶほど、新しい物語を読み込む糧となってゆくのです。
わたくしにとって、これほどに喜ばしい事があるでしょうか。
語学の授業は、母国語であるエンデール語に限った事ではございません。
隣国のワンスアポン語はもちろんの事、アタイム語、ディアック語、ティエーヴィア語、それにウェル語にレートリル語も習得済みです。
通常はエンデール語と隣国のワンスアポン語を習得すれば選択教科的に問題ありません。
ですが学びたいと思えば学べるのは、さすがはエンデール王立学園といった所です。
特に、エンデール王国よりもはるか北の小国であるウェル語を学べるのは、王立学園ぐらいではないでしょうか。
ウェル王国は一年の大半が雪に覆われている国です。
その為か、数多くの作家を輩出し、魅力的な物語の数々を今も昔も生み出しています。
にも拘らず、エンデールではウェル語の翻訳者が圧倒的に少ないのです。
年に何十冊もウェルでは本が発行されておりますのに、エンデール語に訳されるのは年に何冊でしょうか。
片手で足りたと思います。
悲しい事実です。
もっとも、ウェル語を習得した今は、わたくしは原本をそのまま読めるのですから、問題ありませんね。
こんなふうに読書の為だけにありとあらゆる世界の言語を習得しているわたくしですが、どうしてもタウ語が苦手です。
エンデールよりも南に位置するタウの国では、物語は本として残されるよりも、吟遊詩人の歌で語り継がれている事が多いのです。
わたくしの語学への熱意は、そのまま本への熱意といっても過言ではありません。
教科書も他の国と違って、基礎的な文字とその文法が主で、物語が載っておりません。
習得しても読める本がないのであれば、わたくしにとっては意味が無く、覚える努力を維持できないのです……。
覚える努力といえば、治癒魔法も苦手です。
治す時間を作るなら、本を読みたいのです。
攻撃こそ最大の防御とはいったもので、治療しなければならないほどの怪我を負う前に、敵を仕留めれば良いのです。
敵を迎撃する時間が早ければ早いほど、読書時間も増えるのですから。
お陰で実技の試験は攻撃魔法のみで切り抜けました。
わたくしがビブリオ・タワーで司書になれるのも、攻撃魔法が扱えるというのが一つの条件でした。
ありとあらゆる英知の詰まったビブリオ・タワーは、常に外敵から狙われています。
そんなところで司書になるには、こよなく本を愛していてるだけでは受け入れてもらえません。
危険ですから。
ビブリオ・タワーの最高管理人であるブック・オブ・デイズ様に認められたものだけが、司書としてビブリオ・タワーで本に囲まれながら暮らせるのです。
高速魔導馬車に乗り込み、窓を開けます。
お母様が窓を見上げて、少しだけ、アイスブルーの瞳を不安げに揺らしました。
「夢を叶えたのは喜ばしいのだけれど……どうか、無理はしないで頂戴」
「えぇ、お母様。約束しますわ」
「お姉さまなら大丈夫だとは思いますけれどね。怪我は、しないで下さいね」
「あら、ヴェルムートまで心配してくれるなんて嬉しいわ。ビブリオ・タワーで新しい本を写本して贈ってあげますね」
「いりません!」
間髪いれずに拒否されました。
本を拒むなんて、遠慮深すぎます。
きっと、照れているのでしょう。
ゆっくりと、音もなく高速魔導馬車が走り出します。
さぁ、読書に勤しむとしましょう。