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2)婚約破棄されました


 自分の部屋でゆっくりと本を読んでいると、お母様が駆け込んできました。

 文字通り、本当に駆けて来られたのです。

 カンタール伯爵夫人ですのに。

 でもその普段では決してありえない行動のお陰で、わたくしはお母様の存在に気づけたのですが。

 読書中のわたくしは、本を取り上げられるか大きな物音ぐらいでないと意識を本の中から戻せませんから。


 伯爵家に似つかわしくないぱたぱたとした足音と、勢いよく開け放たれたドア。

 わたくしは、読んでいた本を閉じ、お母様をみました。

 四十代とは思えぬほどに若々しく、お美しいお母様は、けれど今はその顔色を失っています。

 いつもはきっちり結われている金髪が、心なしか解れている様にも思えます。

 息を切らせ、胸を押さえるお母様を、後からついてきた使用人のマーサがそっと支えました。

 わたくしは席を立ち、お母様に向かいの椅子を進めました。


「お母様、どうぞこちらに座ってくださいませ」

「いいえ、それよりもハーナベル。婚約破棄とは一体どういうことなのですか」

「言葉通りの意味ですわ。わたくし、レムナス王子より婚約破棄を言い渡されましたの」

「何を貴方は冷静に他人事のように言っているのですか。この婚約は、王家からの申し出だったではありませんか」


 えぇ、そう。

 わたくしとレムナス王子の婚約は、王家からの申し出で、半ば強引に決まりました。

 王家からの申し出に、伯爵家が否を言えるはずもなかったからです。


 わたくしが十歳の時でした。

 お父様もお母様も、三人のお姉様も、二人の兄も。

 当時はとても心配し、どうにかしてこの婚約を断れないかと頭を悩ませて下さっていました。


 わたくしの両親は、恋愛結婚です。

 お母様は侯爵家の次女で、格下のカンタール伯爵家へ嫁ぐのには、色々と障害もあったと聞いています。


 主にお母様のご実家が、余り良い顔をしなかったとか。

 どちらかというと野心家だったお母様の父上、つまりわたくしのお祖父様は、お母様を出来れば王家、それが無理なら公爵家へ嫁がせたかったようです。

 無理やり王家との婚姻を結ばれかけたお母様は、お父様のところへ家出紛いに嫁いで来られたとか。

 その為、お母様のご実家とは長い間絶縁状態でした。


 もっとも、わたくしが物心付く頃には結婚を反対していたお祖父様は亡くなられていましたし、お祖母様はもともと結婚に反対もしていませんでしたから、今では関係も回復しております。

 でも、そんな経験を持つ両親は、常々こう言っていたのです。


「心から愛する人と、結ばれなさい」と。


 身分も何も関係なく、例え相手が爵位を持たない平民であっても、愛さえあれば自分達は祝福するからと。

 わたくしは、本さえあれば良いのですが……。


 王家からの突然の婚約の申し出は、両親を本当に悩ませました。

 わたくしに限らず、子供達には好きな人と結ばれて欲しいと願う両親は、子供達に婚約者を作らなかったのです。

 大きくなって、好きな人が出来たら、婚約すればいい。

 貴族の子女は、エンデール王立学園を卒業してすぐに結婚することが多いのですが、絶対に結婚しなければならないという決まりはありません。

 手に職を持ち、独身を貫く女性も少なからずいます。

 それなのに……。

 

 長女や長男であれば、家名を告ぐ為に王家との婚約は不可能だといえたかもしれません。

 他国では嫡男が主に家を継ぐのが普通のようでしたが、エンデール王国では、男女関係なく家を継ぐことが出来ますから。

 

 ですがわたくしは、カンタール伯爵家の四女。

 お姉様が三人、お兄様が二人。

 下にも妹と弟がおります。

 この家族構成でわたくしが家名を告ぐという言い逃れは、少々、いえ、かなり無理があります。

 お姉様達やお兄様達に何か問題があるならともかく、何一つ問題などありませんでしたから。

 わたくしのほうがよほど難ありです。

 えぇ、自覚はありますの。

 本にしか、興味が向かないというのが、貴族の子女として如何に変わっているか。


 身分違いもありませんでした。

 伯爵家は、決して貴族として最上位などではございません。

 望ましいのは、公爵家、もしくは侯爵家、それに隣国の王家もでしょうか。

 ですが伯爵家も、家柄としては王家の婚約者として白羽の矢が立っても、おかしくは無いのです。


 既に他家と婚約していたという嘘も、付き辛い状況でした。

 わたくしと丁度よい年頃の子息は何名かいらしたのですが、ほとんどお会いした事がございません。

 物心付いた頃から、わたくしは本の虫で、引きこもり。

 本の塔、 ビブリオ・タワーに通いながら本を読む日々でしたから。

 もし面識があったとしても、王家からの申し込みを断る為の婚約だと発覚した場合、相手の家も巻き込んでしまう事になります。

 流石にそれは、出来ませんでした。

 いくらわたくしが、当時泣いて婚約を嫌がっても。

 

 あぁ、だからでしょうか。

 いま目の前のお母様の顔色が優れないのは。

 ついにわたくしが、何か重大な粗相をレムナス王子にしたと思っていらっしゃる?

 婚約を嫌がったわたくしが、五年経った今、ついに行動に移したと。


 学園を飛び級で卒業したわたくしの唯一の障害は、レムナス王子との婚約。

 本が好きなわたくしが、ずっと本と共に生きる為に、レムナス王子を害したと。


「お母様、どうか安心して下さいませ。わたくしが不興を被ったわけではございませんわ」

「そんな事を疑ってなどいません。貴方は本のこととなると周りが見えなくなる子ですが、レムナス王子もそれはよくご存知のはず。

 読書に熱中する貴方を、邪魔をせずに何時間も客間で待ち続けていた彼が、些細な事で婚約破棄をするとは思えません。

 一体、何があったのですか。この母に、分かりやすく説明して頂戴」

「簡潔に申し上げますと、レムナス王子に恋人が出来ましたの」

「こ、恋人っ?!」

 

 お母様が、アイスブルーの瞳を見開いて、固まってしまいました。

 簡潔すぎたでしょうか。

 でもこれ以上分かりやすい説明はないと思うのです。


「あっ、お母様っ」

「奥様!」


 ふらりと倒れかけたお母様を、マーサとわたくしが慌てて支えました。

 椅子に座らせ、マーサに急いで飲み物を持ってきてもらいました。

 

 あぁ、やはり。

 簡潔に言うにも程がございました。

 もう少し、柔らかく言うべきでしたでしょうか。

 恋人が出来ました、を言い換えるとすると、王子は心変わりをされました、などでしょうか。

 いえ、もともと婚約者というだけで、わたくし達の間に恋人らしい関係などございませんでしたから、心変わりなどとはいえませんね。


 温かい紅茶を飲み、お母様は少しだけ、落ち着いたように見えます。


「少々取り乱してしまったわ。ごめんなさいね」

「驚くのも無理はないと思います。今までレムナス様にはそういったお話はございませんでしたから」


 レムナス様は第二王子ですが、諸事情で王子と婚姻を結ぼうとする貴族がいなかったのです。

 銀髪とアイスブルーの瞳が特徴的な第一王子を始め、第三王子、第四王子、それに数多くの姫君達にも縁談は山のようにあったようなのですが。

 伯爵家風情のわたくしが王子の婚約者であるなら、学園でももっと上位貴族のご令嬢から虐めなりなんなりありそうなものでしたが、そういった事もまったくございませんでした。

 もっとも、虐めをされるほどわたくしは弱くありませんし、そもそも学園にほとんど通っていませんでしたが。


「お母様、レムナス王子は、本当に愛する方を見つけることが出来たのだと思いますわ。

 王子の思い人は、花のように可憐で、愛らしい方でしたの。わたくし、心底、お祝いしたいと思います」

「……誤解ではなく?」

「えぇ」


 ――ハーナベル・カンタール伯爵令嬢。貴方との婚約を、ここに、破棄する!


 そう宣言されたレムナス王子に、わたくしは「喜んでお受けします」とお答えしましたの。

 笑顔で答えたわたくしに、王子はとても戸惑っていらっしゃいましたが。

 でもそんな戸惑いも、隣に寄り添うパレヴィオ様に微笑まれると、吹き飛ぶようでした。

 仲睦まじい恋人達の邪魔をするほど、わたくしは狭量ではございません。

 もともと望まなかった婚約です。

 王子もきっとそうだったのでしょう。

 なぜわたくしが婚約者に選ばれてしまったのか、今でも不思議です。

 ですが、婚約破棄をしていただけたのですから、わたくしは晴れて自由の身。

 これからは、幼い頃の夢を叶えるべく、行動に移したいと思います。


「ハーナベル。王子との婚約が破棄されたのなら、貴方はやはり、あの場所へ向かうつもりなのね?」


 流石お母様。

 説明をいれずとも、分かってくださるのですね。

 えぇ、えぇ、その通りです。

 物心付いた時からの夢だったのですから。


「お母様。わたくしは、ビブリオ・タワーで司書になります」


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