9)本を返しに
エニウェア視点
あー、参ったなぁ……。
レムナス王子が落とした本を持ったまま、俺は控え室でボーっと時を過ごしていた。
美味しい紅茶とお茶菓子、それに丁寧なメイドさん。
貴族じゃない、ただの司書の俺がこれほど丁寧な扱いを受けているのは、ビブリオ・タワーの司書だからっていうのもある。
でも、たぶん、ハーナベルの事があるからだろうな。
十中八九、ビブリオ・タワーからの使いには丁寧に接するよう、レムナス王子が頼んであるんだと思う。
貴族って、見下して高飛車に振舞ってくるやつも多いから、丁寧に対応されると嬉しいんだけどさ。
本を返さないタイプの貴族って大抵高飛車で、肉体言語で黙らすしかなくなる事が多いんだよな。
それに比べりゃ、マジでこの対応は神なんだけど。
……この部屋、本がないんだよな……。
レムナス王子とはいえ王族に会うんだから、待たされる事を考えておくべきだった。
それも十分二十分なんていうちょっとした時間じゃなくてさ。
軽く数時間単位で。
本さえあれば、何時間でも僕は待っていられるけど、何もないと据わっているのすら苦痛になってくる。
紅茶ももう何杯目かな。
美味しいんだけどね。
返しに来た本を読んじゃうわけにもいかねーし。
マジで暇すぎる。
……そうだ。王宮にも本は置いてあったよな?
流石に王族しか読めないようなものは望まない。
ほんとは読みたいけどさ。
俺はメイドさんに平民でも入れる図書館のほうに案内してもらう。
まだ結構時間かかるみたいだしな。
つーか、さすが王宮だよな。
王族関係者しか使えない王宮図書館のほかにも、こうして時間を余裕で潰せる図書館があるんだから。
レムナス王子の都合が付いたら呼びにきてもらうことにして、俺は図書館の本に手を伸ばす。
読んだ事のある本でも、読み直すとまた別の発見があったりして面白いんだよな。
「婚約破棄かぁ……」
本のタイトルが、ハーナベルのいまを思わせて、つい手に取った。
ハーナベルがレムナス王子の婚約者に決まった時。
王宮図書館の本を読めることだけはうらやましかった。
あとは……ちょっとだけ、悔しかった。
ハーナベルは伯爵令嬢で、だから俺とは身分が違ってて。
でも、俺はレムナス王子よりも早くハーナベルと出会っていたのに。
だってハーナベルって、ものすっごく小さい頃からビブリオ・タワーにきてたんだぜ?
俺とイズはビブリオ・タワーに住んでいたから、初めてハーナベルを見た時はびっくりした。
親とはぐれた訳でもなく、一人で大人しく本を読む幼児。
俺達もその頃はまだ子供だったけど、何でこんな所に、貴族の子供がひとりでいるのかってイズと顔を見合わせて焦った。
本を読み終わって、顔を上げた瞬間目があって。
心臓がドクンって脈打ってさ。
いま思えば、アレは一目ぼれだったよな。
その時の俺は気づいていなかったんだけど。
「あなた達も、本が好き?」
そう聞かれて、思いっきり頷いてさ。
それ以来、ずっと本好き仲間として過ごしてきてさ。
ハーナベルは、本のことになると見境なくなるけれど、それは俺だってあるし。
むしろ一緒の趣味で気があって楽しいしさ。
ハーナベルが司書になってくれたなら、ビブリオ・タワーの中では身分は関係ない。
だから、俺達も司書になって、一緒にハーナベルと過ごそうと思ってて。
なのに、レムナス王子が横から掻っ攫って行っちゃってさ。
相手が王子だから、俺もイズも、何もできなかったよな。
婚約なんて嫌だ、司書になりたいって泣くハーナベルを、「本はいつでも読めるよ」って言って慰めるしかできなくて。
イズが王宮図書館の事に気づいて、それで何とか落ち着かせたんだよな。
だって王命だから、覆せなかったし。
少しでも、ハーナベルが楽しい気持ちになれたらいいじゃん?
レムナス王子もちょこちょこビブリオ・タワーに来ていて、ほんと、いいヤツだし。
つーか、ハーナベルしか見てないし。
なんでそんなハーナベル一筋の王子が婚約破棄に踏み切ったのかだけは謎だけど。
昔を思い出しながらページをめくっていると、図書館の扉が開いた。
「イズ? いや、エニウェアかな?」
「レムナス王子! わざわざこっちに着ちまったのか?」
慌てて立ち上がる俺に、レムナス王子は首を傾げる。
ん?
俺を迎えに来たわけじゃないのか。
じゃあなんでここに?
「ねぇ、レムナス様。ここの本は読んでもいいのですか」
「あ、あぁ……」
王子の背後から、ひょこんとピンク色の髪の令嬢が顔を覗かせる。
これが噂のご令嬢か。
甘い香りがあたりに漂って、俺は軽く鼻をしかめる。
ピンクの髪の令嬢は、俺のことなんか最初から目に入っていないみたいで、さくさくと本を選んでいく。
つーか、レムナス王子?
なんで、べたべた身体さわらしてんの。
もっとはっきり振り払えよ。
困った顔で微笑んでいても、やめてくれるタイプにはみえねーよ?
「いや、その……すまない……」
思いっきり呆れているのが顔に出てたのかな。
レムナス王子に謝られた。
「別に、謝られる覚えはないっつーか、えーっと、大丈夫か?」
「あぁ……」
歯切れが悪いな。
まさか、マジで二股?
「とりあえず、これ」
目的を忘れないうち、レムナス王子の手に本を渡す。
「これは?」
「この間、塔に来た時に落としてたんだよ。レムナス王子のじゃね?」
「うん、これは、私が買った本だね……」
緩慢な動きで、レムナス王子は本を受け取る。
「おいおい、本当に大丈夫か? ハーナベルに本を渡すんだろ?」
「っ、そうだ、ハーナベルだ。彼女に私は本を買ったんだ」
ハッとしたように、レムナス王子の動きが変わった。
気だるげだった気配が、スッとしたものに切り替わる。
「まぁ、新しい本ですの?」
ぶわりと。
甘い香りが辺りに漂い、ピンク色の髪が俺と王子の間に割り込んだ。
なんだ?
頭がボーっとする。
香水か?
なんだか鼻がむずむずする。
駄目だ、この匂いは俺には合わない。
「じゃあ、ちゃんと返したからな。忙しいと思うけど、時間外でも俺もハーナベルも深夜まで起きてるからさ。
いつでも来いよ」
むずむずする鼻をすすりながら、俺はレムナス王子の前を辞した。




