6)司書のお仕事
ビブリオ・タワー最上階。
ガラス張りの天井から差し込む陽の光で、わたくしは目を覚ましました。
一瞬だけ、いつもと違う景色に戸惑いました。
わたくしのカンタール家での部屋では、天井はガラス張りではなく、陽射しが差し込むのはベッドの横の窓からでしたから。
クチチチッ、クチチチッ♪
本ネズミたちがわたくしのベッドの周りに集まってきます。
今日は何の本を読む?
そう話しかけられているかのようです。
客間とほぼ同じ作りながら、ブック様が用意してくださったこの部屋は、大量の本が置けるように壁一面が本棚になっています。
ビブリオ・タワーと同じ造りですね。
さながら小さなビブリオ・タワーといったところでしょうか。
塔ではなく部屋ですが。
本棚は天井と同じ高さになっていて、魔法の止め具できっちりと固定されています。
コラパス・ワードに襲撃されても本棚が倒れません。
だから、わたくしのベッドの隣の壁も、本棚です。
頭の上に倒れてくる心配がないので嬉しいですね。
でも起きて早々、思わず本を手にとりたくなってしまいます。
けれどそれを意志の力を総動員して押しとどめ、わたくしはベッドから離れました。
読み出したら止まらないのは自分でよく分かっています。
ビブリオ・タワーの司書の仕事は、コラパス・ワードの迎撃だけではありません。
普通の、そう例えば本の仕分けや来塔された方々への案内、それに新しい本の仕入れなど、戦闘以外の司書業務もあるのです。
むしろそちらの業務のほうが多いでしょうか。
まだビブリオ・タワーに来たばかりのわたくしですが、司書となったからには精一杯、努めさせていただきたいと思います。
「今日の予定を出してもらえるかしら?」
本ネズミに話しかけると、心得たように一匹がサイドテーブルに飛び乗り、ピンク色の細い尻尾でぺちぺちとテーブルを叩きました。
すると、サイドテーブルの上に羊皮紙が広がり、今日の予定が浮かび上がりました。
「初日だからでしょうか。余り予定が組まれていませんね」
休日は必ずといっていいほどビブリオ・タワーを訪れていたわたくしは、司書業務を引き継ぎなしで出来るほどに覚えているのですが。
唯一司書として未体験なのはコラパス・ワードとの直接戦闘でしょうか。
「午前中に最上階の蔵書チェックと、午後は三階層のお手伝いですか」
蔵書のチェックは恐らく一時間もかかりませんね。
最上階の本は、閲覧者が限られていますから、そうそう定位置から移動されないのではないでしょうか。
もし間違った位置に収められていても、五匹もいる本ネズミたちがすぐに知らせてくれるでしょう。
「髪は、どうしましょう?」
ふと、鏡に映った姿に立ち止まります。
わたくしの髪は、とても長いのです。
ブック様が好いて下さる髪なので、ずっと伸ばしてきました。
なんでも、異界の本には、塔に捕らわれのお姫様が塔の上から編んだ長い髪を窓から下ろし、王子様の助けを待っているのだとか。
わたくしの髪も、編んで窓から垂らしたら、誰かが登ってくるのでしょうか。
黒と見紛う赤い髪の方、とか。
王子と聞くと、少々思い出してしまいますね。
もうわたくしとは関係ないのですが。
婚約破棄も、望んでいた事なのですから。
「本ネズミさん、身支度を手伝ってくださる?」
「クチチッ?」
「やはり無理かしら。わたくし、いつも侍女達が整えてくださいましたの」
衣類はもちろん自分で着られるのですが、この長い髪を結うのは一苦労な気がします。
昨日の湯上り時には、読みたい本のことで頭がいっぱいでしたから、そのまま下ろしたままでしたが。
司書業務をするのに、下ろしたままでは邪魔になってしまうでしょう。
とりあえず簡易なワンピースに着替え、緑のローブを羽織ります。
髪は、緩く編みましょうか。
侍女達のように複雑に編むことは出来ませんが、胸辺りから編むことは出来ますものね。
ざっくりと編んで、わたくしは本ネズミたちを抱き上げます。
「本ネズミさん、お待たせしましたわ。みんなの準備はいいかしら?」
「「「「「「クチチッ♪」」」」」
五匹揃って、元気よく鳴きました。
さぁ、蔵書チェックを始めますよ!
「クチチッ、クチッ」
「あら、そちらにも? 意外と移動しているものですね」
今日何度目かの本ネズミの指摘に、わたくしは首を傾げます。
最上階に来れるのはブック様の許可が下りた者か、各国の王族関係者ぐらいです。
にも拘らず、歴史書の本棚に魔導書が混ざっていたり、童話の棚に未翻訳のウィンディリア王国の本が置かれていたり。
一冊ずつ正しい本棚に戻しているのですが、不思議です。
「ハーナベル、もう仕事をしているの?」
「あら、イズではないですか。ブック様から許可が出ましたの?」
螺旋階段を登って来たイズは、両手に山ほどの本を抱えています。
軽く息が上がっているのは、三階からこの最上階まで螺旋階段を登ってきたせいでしょう。
本をすべて受け取って、閲覧スペースのテーブルの上に並べます。
閲覧スペースは一階の中央が一番広く大きいのですが、各階にも設けられているのです。
上の階から一階まで戻るのは、手間ですからね。
イズが持ってきてくれた本は、魔導書が大半でしょうか。
ウィンディリア王国やモンエダイン王国の翻訳辞典もあるのですね。
「ハーナベルの手伝いをするついでに、最上階の本を読ませてもらえることになったんだ」
「まぁ素敵。わたくしも、もう少ししたら読み始めるつもりでしたの」
「じゃあ、順調にチェックできてるって事?」
「えぇ。本ネズミ達がいますから。でも正直言って、これほど棚のズレがあるとは思いませんでしたが」
「そうなんだよね。まぁ、この塔は普通の図書館とは違うからね。本が独りでに歩いた可能性も捨てきれない」
冗談なのか本気なのか、イズは言いながら手にしたバスケットをテーブルに置きました。
「あら、バスケットも持っていましたの?」
「ほんと、ハーナベルって本以外見えてないよね。どうせまた食事を忘れそうだから持って来たよ」
バスケットにかけられたナフキンを外すと、中には美味しそうなサンドウィッチとティーポット、それにティーカップが二つ入っています。
量的に二人分ですね。
「一緒に食べますの?」
「見張ってないと、食べずに読書しそうだからね」
「そんな事はありませんのよ? 昨日の夜食も、あの後きちんと食べましたもの」
「ハーナベル、昨日も言ったけど、きちんとは食べていないからね。それに、昨日の夜食も三階の客室から最上階に転移させたのは僕だからね。じゃなければ、忘れたでしょう?」
「なんだかイズは弟に似ていますわ」
「それはハーナベルが放っておくと倒れるレベルで読書に没頭してしまうからでしょう。僕はヴェルムート様に深く同情します。さぁ、きちんと朝食を取ってくださいね」
「……朝食でしたか」
「やっぱり、忘れてたんだね」
朝起きてすぐ、蔵書チェックを始めたものですから、うっかり忘れていました。
わたくしが読んだ事のない本がずらりと並んだ壁の本段を見ているだけでこう、至福の時間に浸ってしまって。
「そもそも、司書業務はこんな早朝から始めるものではないからね?」
「そんなに早い時間だったかしら」
「貴族って、お昼ぐらいに目を覚ますんじゃないの?」
「まぁ、流石にそれはございませんわ。十時ぐらいではないかしら」
「十時もお昼も変わらないよ。少なくとも朝じゃない」
「大きな違いでしてよ? 二時間あれば、本が速読魔法無しに一冊読めますもの」
「ハーナベルの基準が本だというのはよく分かったよ。ちなみに今はまだ八時だからね?」
ローブから懐中時計を取り出して、イズが呆れたように見せてきました。
「一体、何時に起きたのさ」
「時間は確認していませんでしたわね。いつもと同じなら、五時ぐらいではないかしら」
早く起きれば起きた分、本が読めますものね。
もう少し早い時間に起きても良いのですけれど、余りに睡眠時間が短いと、午後に眠くなってしまうのです。
せっかくの読書時間が午後の微睡みに奪われてしまうのは勿体無いですからね。
「五時って……。昨日ハーナベルが寝たのって、一時ぐらいじゃなかった?」
「夜食を頂きましたから、二時ぐらいかしら」
答えた瞬間、イズが片手で顔を覆って天を仰ぎました。
「ハーナベル、睡眠時間三時間はありえないよ……」
「えぇ、わたくしもいつもはもう少し眠っておりますのよ? そうしませんと、午後の読書が滞りますの」
昨日はビブリオ・タワーに来れた事とブック様にお会いできた喜びもあって、少しばかり遅い就寝でしたが。
普段は零時には寝ていますもの。
十分な睡眠時間です。
「お願いだから、もう少しまともな生活をしよう」
「イズには我慢できて? こんなにも読んだ事のない本に囲まれていますのよ。速読魔法を使っても、すべてを読み終えるのに何年かかるのでしょうか。眠ってなど居られないとは思わなくて?」
「きちんと食事と睡眠をとらないと、永遠に読めなくなるんだけど?」
「まぁ、その点については問題ありませんの。魔力を体力維持に振り分ければ、十分な睡眠をとったのと同じ状態で居られますのよ」
それでも、限度はありますから、五時間の睡眠を基本としているのですけれど。
一週間徹夜しますと、魔力を体力に変換し続けても急激な眠気に襲われて倒れてしまいましたの。
あの時はほぼ丸一日眠ってしまいましたし、その後数日間、体調不良でしたから、読書時間の大幅な無駄を招いてしまいました。
反省しなくてはなりませんね。
「ハーナベルって、そういえば魔力も多かったっけ。僕とエニウェアも多いほうだけれど、二倍ぐらい違うのかな」
「正確に測った事はありまして?」
「ビブリオ・タワーの司書になるときに測ったね。僕が2120、エニウェアが2125だったよ」
「それなら、二倍ではありませんわね。わたくしは3600程度でしたわ」
「うわ、それでも僕達より1000以上多いのか。どおりで速読魔法数時間使い続けれるわけだよ」
「イズ達も使えますでしょう? 速読魔法は習得は困難ですけれども、使う事自体は魔力をそれほど消費しませんもの」
「一瞬だけ使うならね。一分で魔力を十五ぐらい消費するから、ハーナベルみたいに二時間もぶっ続けで使ったら魔力が底をつくよ」
「魔力回復魔法を併用すればよいでしょう? わたくしも、速読魔法だけを使用していたら、魔力が無くなって動けなくなってしまいますわ」
魔力も体力と同じで、使用すれば使用するだけ減っていゆくのですから、きちんと回復させませんと。
速読魔法を習得した時は何も考えずに使い続けて、ビブリオ・タワーの二階で貧血状態になりましたけれど。
「魔力回復魔法は併用しているけれどね。僕はあんまり魔力の回復が早くない」
「魔力の回復には個人差がありますものね。魔力回復のポーション類を併用してみたらよいのではないかしら」
「いや、まってハーナベル。話が逸れてる。今は確か、ハーナベルの生活改善が主題だったはずで、僕の魔力回復が問題点ではないはずだよ」
「いいえ、逸れていませんのよ? わたくしの生活は魔力できちんとしているのですから、問題ないという話ですわ」
「あぁ、なんだか頭痛が痛いよ」
「イズ、それは二重表現ですわ。『頭痛』は頭が痛い事を言うのですから、『頭痛が痛い』は頭が痛い痛いになってしまいますのよ?」
「分かってる。二重に頭が痛いんだ」
イズは大げさに溜息をついて、片手でこめかみをくりくりしました。
わたくし、そんなにおかしな事は言っていないと思うのですけど。
「クチチ、クチチッ」
「あら、本ネズミさん、どうしましたの?」
本ネズミが、てちてちと尻尾でサンドイッチが入ったバスケットを叩きました。
そういえば、朝食のサンドイッチを食べるのでした。
「イズ、そろそろ食べないと紅茶が冷めてしまうのではなくて? 本ネズミたちが心配していますわ」
「うぅ……。今日はハーナベルがまともに朝食を取ってくれた事だけで、良かったってことにするよ」
イズが何をそんなに溜息をついているのかわかりませんが、サンドイッチが美味しいです。




