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2016年/短編まとめ

子供と大人の境界線

作者: 文崎 美生

内定通知書を前に、親指の爪を唇に押し当てる。

奥歯がカチカチと音を立て、口内から鼓膜を震わせるのを感じたが、どうにも止められない。

この後にはお礼状を書く作業が残っているが、別に、そんなの、というのが本音だった。


心がささくれ立ち、やり場のない行き場のないものを抱えているようだ。

唇に押し当てた親指の爪は、カチカチと音を立てる歯にぶつかり、磨り潰すように噛むことになる。

昨日綺麗に滑らかに、女の子らしい丸みを帯びた形に削ったのに、そんな考えは浮かんで消えた。

それよりも今は、この思いを、気持ちを、考えを、どこか別の場所に投げ捨てなくてはいけない。


「ちょっと、何してるの」


背後から突然声がして、更には真っ白で細い腕が伸びてきて、口元にあった私の手を払い除けた。

数秒、何が起こったのか分からずに瞬きを繰り返し、その後にゆっくりと首だけで後ろを振り向く。

そこにいたのは、聞き覚えのある声に相応しい、見覚えのある姿だった。


女の子なら誰だって憧れ、目指すようなサラツヤと言われる長い髪に、キリリとした釣り目気味の瞳。

形の良い眉を寄せながら、片手を私の方に伸ばしたままの知り合いがそこにいた。

知り合い、と呼ぶには付き合いが長過ぎるかも知れない。

ここは、幼馴染みと呼ぶべきか。


「……何してるのって聞いてるんだけど」


深い溜息と共に吐き出された言葉で、やっとぼんやりとしていた意識が戻ってくる。

払い除けられた手を膝の上に下ろして、彼女に曖昧な笑みを浮かべて見せた。

何してるんだろうね、なんて吐息のような呟きは、彼女が求めた答えではないらしい。

眉間に深いシワを刻み、私を見た。


顔立ちが整っている分、不機嫌な顔も迫力がある。

美人が怒ると怖い、なんて言われているが、あれは綺麗な顔が怒りに歪められたことによる恐怖も含まれるのではないだろうか。

上履きで教室の床を踏み付けながら、私の目の前の席の椅子を引いた彼女は、そこに体を横にして座り込む。


「爪、昨日整えたなら噛むの止めなさいね」


まるで母親のような口調に、私は肩を竦めた。

良く分かったね、と言えば、見れば分かるわ、と返されてしまい、会話が途切れる。

膝の上に置いた手を見下ろせば、ガタガタにはなっていないものの、艶のない自爪が視界に入り、自然と眉が下がってしまう。


彼女はのんびりと足を組んで、その膝の上で頬杖をつく。

スラリと伸びた白い足が羨ましいことこの上ない。

しかし無駄な肉は全て引き締めたような、しなやかな筋肉の付いたそれを目指すのは、大変な努力が必要だろう、と思うと目が細くなる。


「内定、もらえたのね。おめでとう」


就職組の私と進学組の彼女とでは、幼馴染みとして同じ道を歩んでいたのも、これが最後。

先程と似たような、曖昧な笑みを浮かべながら「ありがとう」と一言だけ返せば、彼女は内定通知書を指先で持ち上げて眉を寄せる。


「嬉しくなさそうね」


「え?あー、うん。どう、だろうね」


良く分からないや、吐き出した言葉は机に沈むように落ちていく。

本当に良く分からないのだ。

目に掛かるか掛からないか程度の前髪は、面接前に一度切ったけれどまた伸びてきた。

指先で弄りながら、彼女を上目で盗み見るも、好ましい顔はしていない。


進学組として、推薦枠を勝ち取り、早々に進路を決定していた彼女からすれば、私の結果は遅く如何なものなのだろう、ということか。

これでも、それなりの企業なのだが。

内定通知書には、その会社名もしっかりと刻まれているが、彼女は興味なさげに一通り目を通した後には、その紙を机の上に滑らせる。


「……こんなんじゃ、なかったんだけどなぁ」


机の上に滑らされた紙を、指先で跳ね除けるようにして床へと落とす。

パサリ、カサリ、そんな紙の擦れるような音を聞きながら、私は机の上に額を擦り付けた。

冷たい感触に溜息を落とす。


何が、と問われれば上手く答えられる自信はない。

ただただ、何か違うと思い、その何か違うものを何とかして正したいと思ってしまうのだ。

この会社に入社したかったのかと問われれば、決してそんなこともなくて、安定した職とそれによって得られる収入で選んだ面が大きい。


自然と親指の爪を唇に押し付ければ、またしても彼女の手によって払い除けられてしまう。

一度目よりも力が強く、皮膚がピリピリと痛む。


「もう、子供じゃないのよ」


机の上にへばり付きながら見上げた彼女の瞳は、何か強い意志を持って輝いていた。

聞き分けのない子供を叱り付けるような厳しい声に、ゆるゆると視線を落としていく。

知ってるよ、声にならない声が吐息になって漏れる。


見下ろした内定通知書は、ほんの少しシワになっていて、一つの誇らしさも感じなかった。

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