第四章 二話
────【タンタロスの咢】────
三人の目の前に真紅のドラゴンが舞い降りてきた。
鋭い爪と牙を持ち、大きな口からは唾液を垂らしている。
唾液が地面に落ちると、嫌な音を立てて地面が抉れた。
たぶん毒か酸化の成分が含まれているのかもしれない。
あの唾液を浴びたら一溜りもないだろう。
目測だが全長はゆうに十メートルを超え、背中には巨大な翼が生えている。
どうやら伝承通り、ドラゴンは存在していたらしい。
こちらを捕食しようと狙っているのがわかる。
ドラゴンが背中の翼をはためかせ、飛んだ。
飛んだ時に発生した強風に煽られ、三人は地面へと身を低くした。
とてもじゃないが、人間が立っていられる状態ではない。
「皆大丈夫か!? ここは逃げたいが、どうやらそうも行かないみたいだな」
シュンが言うと、上空へと舞い上がっていたドラゴンが、その巨大な口を開け《ブレス》を放とうとしていた。
「皆散らばれ!! あれをモロに食らったら死ぬぞ!」
シュンは大声で叫び、自分も回避するために急いで後退した。
三人がいた場所をドラゴンの《ブレス》が穿つ。
────地面はクレーター上に抉り取られていた……。
まるで蒸発してしまったかのような光景に、三人は口を閉ざした。
皆心の中では勝ち目がないのはわかっているだろう。
しかしここを越えなければ【スノーゲーテ】はおろか、命さえ危ない。
三人は死を覚悟しながら、巨大な真紅のドラゴンと戦う姿勢を示した。
そんな三人を睥睨していたドラゴンは、矮小な人間など歯牙にもかけていないのか、三人から遥か彼方の上空を悠々と飛行していた。
すると突然ドラゴンが下降してきた。
しかも全力を出しているのか、物凄いスピードだ。
「全員一旦後退だ! ドラゴンが着地した瞬間を狙って、一斉に攻撃するぞ!」
シュンの提案に乗った三人は、一旦後退してドラゴンが下りてくるのを待った。
ドラゴンは勢いよく着地すると、すさまじい咆哮を上げた。
三人は耳をつんざく痛みに耐え、一斉に突撃する。
まずジンがドラゴンの横に回り込み、腹の部分を斧で斬る。
しかし全くダメージが通っている手ごたえがなく、一旦後退する。
そこへアンナが鋭い突きを放ったのだが、固い鱗に覆われた体を傷つける事すらできなかった。
「なんなのだこれはッ!! まるで鉄を叩いているような手ごたえだぞ。これじゃいくら攻撃しても、一向に倒せる気がしない!」
アンナが悲痛な声で言った。
シュンは思案すると、ジンに問う。
「あのドラゴンの弱点とか知らないのか!? このままじゃジリ貧になるぞ」
「あんな化物みたいな奴に弱点なんてあるのかね……いや、待てよ。確か伝承ではドラゴンには真の臓があるとされている。それを潰さない限りは不死身だと聞いた事がある」
「本当かッ!? ならそこを狙おう! どうせいくら攻撃しても意味がなさそうなら、一か八か賭けてみるか!!」
シュンがそう言うと三人は隊列を組んだ。
ジンが先頭になり、次にアンナ、シュンと続く形だ。
三人は一直線に突撃する。
────するとまたドラゴンが大口を開けて、《ブレス》の姿勢を取った。
「回避ッ!! 皆避けろ!!」
シュンの号令で三人は一旦散り散りになる。
そこをまた《ブレス》が一直線に通過する。
地面を抉りながら進む《ブレス》は、遥か後方の岩を砕いて尚も突き進んでいった。
それを見た三人は恐怖に震える。
何とか震える足を叱咤すると、また三人は一直線にドラゴンの元へと進む。
ドラゴンの目の前まで来たジンは、今度は体の真ん中辺りを斧で斬る。
すると今回は少し攻撃が通った。
固い鱗に覆われた体躯に、少しだけ血が滲んでいる。
ジンの攻撃が気に入らなかったのか、ドラゴンは尻尾を勢いよく振るとこちらへ放ってきた。
ジンは尻尾に気付き横に跳んで躱せたが、後ろに控えていたアンナは反応が遅れてしまい、腹に攻撃を受けてしまった。
「ガハッ!」
アンナは悲鳴とも嗚咽ともつかない声を上げて、遥か後方へと吹っ飛んで行った。
地面へ激突すると二三度バウンドしながら、岩に激突するまで体を錐もみさせた。
シュンは目の前でアンナが吹っ飛んで行くのを、見ている事しかできなかった。
目の前が真っ暗になる気持ちを味わいながら、急いでアンナの元へと駆ける。
「アンナ!!」
「おい!! 今ここでお前が抜けたらこいつはどうすんだ! おい!!」
ジンが何か言っていた気がするが、シュンの耳には届かなかった。
むしろ何も聞く気がしなかった。
今はアンナの無事を確認する事こそが、最優先事項だ。
シュンははやる気持ちを抱えて、アンナの元へと疾駆する。
アンナの元に到着したシュンは、一心に話しかける。
「アンナ!! 返事をしてくれッ! 無事か! アンナ!!」
シュンが声をかけてもアンナからの返事はない。
シュンは急いで心臓の鼓動を確かめる。
────弱いながらも心臓は鼓動を繰り返していた。
安堵の溜息をついたシュンは、置いてきてしまったジンへと振り返る。
すると遠くの方でジンがドラゴンと戦っていた。
なんとか《ブレス》を躱しながら、ヒット&アウェイで戦っていた。
しかし傍から見ても、一人では分が悪いし倒れるのは時間の問題の様に思えた。
「アンナ……ちょっと待っててくれ。今すぐあいつを片づけて、アンナの仇を打ってくる」
静かに言ったシュンは、音もなく背中から二本の剣を抜いた。
鞘から剣が奔る音が響き、妖しく剣が輝いていた。
左手には《黒皇剣》。
右手には《蒼氷剣》。
二本の剣がシュンの手の中で、黒と蒼のコントラストを生む。
シュンは眼前にドラゴンを見据えると、駆けだした。
遠くにいるドラゴンがシュンの存在を認識すると、かかってこいと言わんばかりに咆哮をあげた。
シュンはドラゴンまで肉薄すると、手に持つ二本の剣を同時に体躯の中心に突きたてる。
「グオオオオオオオ!!」
ドラゴンは悲鳴らしきものをあげると、体から大量の血が溢れ出てきた。
どうやら効いているみたいだ。
シュンはそんな事気にせずに、そのまま突き刺した二本の剣を今度は押し広げるようにして、同時に横に振りぬいた。
すると更に血がドバドバと出てきて、鱗の中に強く躍動する真の臓が見えた。
大量の返り血を浴びたシュンは、気にする事なく二本の剣を真の臓へと捻じ込む。
「グオオォォォオオオ!!!」
更に悲鳴を加速させるドラゴンは、最後の悪あがきか強烈な尻尾の一撃をシュンへと放つ。
────しかしシュンはそれを冷静に両断した。
最後の攻撃すら届かなったドラゴンは、その巨大な体躯を横たえ地響きを立てながら倒れた。
シュンはドラゴンの生死を確認する事なく、真っ先にアンナの元へと駆け寄った。
「アンナ……俺は…やったぞ…………」
シュンはアンナに声をかけると、自らの意識も暗転していくのを感じた。
アンナとシュンは重なり合うようにして倒れていた。
しばらく放置されていたジンは、バツ悪く二人の元へと駆け寄ると二人が眠っている事に気付いた。
「ったく……シュンはとんでもねーな。あんな化物を一人で倒しちまうなんて。今はゆっくり休め、俺が傍で見張っててやるからよ」
穏やかな顔でそう言ったジンは、二人の保護者の様な気分になっていた。
このちょっと強気な姫様と、とんでもない力を秘めた傭兵のお守りも楽じゃないなと一人ごちた。