〜働かざる者、食うべからず〜
理乃は嫌々食べたご飯を後に身支度をしに住居区へ。
弄っていたパソコンは私の机に置かれた。
お客さんが来るまで事務所には戻って来ない。
理乃は色々な事情で、メイクはしない。
まぁ、メイクをしなくても、目鼻立ちがハッキリしているし、整っているから問題はないのかも知れないけど、メイクは何もオシャレのためにするわけではない。
相手に失礼がないように、ナチュラルメイクが良いと世間では言われている。
けど、理乃の場合、アイメイクなんてしたら、目力が強くなりすぎてしまう。
私と同い年の筈なのに、肌は綺麗。
ファンデの必要性がない。
部屋に基礎化粧品の類いは無し。
本人の性格に反して、肌はデリケートらしく炎症を起こしてしまうらしい。
…日々努力している私が例え理不尽だと理解していても殴りたくなるのは仕方ないと思う。
タンクトップの上に季節によるけれど、一枚羽織り、髪を梳かし、纏めるだけ。
アクセサリーの類いは髪留めくらい。
それもシンプルな飾り気のないゴールドのもの。
身支度は三十分もせずに終わる。
余った時間は大抵本を読んでいる。
残された食器を片付けるのは、当然、私だ。
何せ、拾ってもらったものの、私に出来る事は殆どない。
せめて、秘書としてくらいは役に立たないと、お給料を貰っている身としては居た堪れない。
これでは、本当に養って貰っているようなもの。
毎日、理乃の本を借りて勉強をしてはいるものの、まだまだ。
日々精進あるのみっ!!
「あ。マチ、今回同席な」
「え?」
一人で気合いを入れていたら、唐突にドアが開いて理乃が言った。
私は一人、ガッツポーズをしていたまま固まる。
一瞬で思考が止まった私に、理乃は今、なんて…?
私の恥ずかしい姿を見ている筈なのに、一切触れない。
そこは突っ込んでくれた方が優しさなんだけど…。
というか、同席?
同席って言った?
初仕事?
脱!役立たず?!
いやいや。落ち着け。
そんな自分に都合の良いことが早々起きる訳がない。
何かの聞き間違いよ。
幻聴か妄想に違いない。うん。
聞きなおそう。
聞かぬは一生の恥。とも言うし。
「え。今なんて?」
「だから、同席。確定。拒否権ナシ」
幻聴じゃなかった…!!
「本当!?いいの?」
これで嘘とか言われたら、しばらくご飯は理乃の嫌いな物だらけにしてやる!
…仕返しがセコイとか言わない。
「得にもならん嘘吐いてどーする」
それは、得があれば平気で嘘を吐くと?
え。いつ?いつのこと?!
まぁ、過去に吐かれた嘘を今追求しても仕方ない。
心当たりないし。大丈夫。…多分。
「本当?!嘘じゃない?!絶対?!」
思わず理乃に迫る私。
今までは、受け付けしてお茶を出したら退席。
例え、横にいるだけでも、同席を許可されたのは今日が初めてなのだ!
これが興奮しないわけがない!
「しつこい」
アイアンクローされながら引き離された。
痛い。
夢じゃない…!!
「頑張る!!」
気合い入れて良かった!!
さっきの恥ずかしさは吹っ飛んだ。
「好きにガンバレ」
棒読みな応援。
私との温度差は広がるばかり。
けれど、理乃のテンションが高い事なんて早々ない。
「来たら呼べ」
「はーい!!」
返事のテンションも上がるというもの。
私の返事を最後まで聞く事もなくドアを閉められたのは少し腹立つけど。
本当なら居住区から事務所の音は丸聞こえ。
私より耳が良い理乃なら、下手をすれば階段の辺りから気付く。
ただ、本を読み出すと周りの音が何も聞こえないくらい集中してしまうため、むりやり現実の世界に連れ戻さらないと帰ってこない。
仕事が入っていると分かっているんだから、そんなに熱中してしまうような事はしなければいいと思うんだけど、そうでもしないと二度寝してしまう。
寝起きよりはマシと諦めた…。
以前、読む本のストックが切れた時は大変だった…。
思わず遠い目をしながら、私用の椅子を、と机の椅子を理乃用のソファの隣へ移動させる。
高さとしては微妙。
立っててもいいのだけど、それもなんだし。
一層の事、理乃用のソファは居住区に移動させて、二人掛けソファをもう一つ買おうかな。
何せ、居住区には椅子もテーブルもない。
ソワソワしながら、少しでも冷静になるように別の事を考えるようにする。
弁護士時代も、雑用だけでお客さんと対面したことはない。
今の内に、お茶の準備もしてしまおう。
その方が落ち着く気がする。
コンコンッ
ドアがノックされた。
お客さんは時間通りに来たみたい。
「はい。どちら様でしょう?」
念の為、ドアを開ける前に確認の為声を掛ける。
場所柄、泥棒やらタチの悪い人も来る。
そしてこちらは女性二人。
念を入れ過ぎても足りないくらいだ。
「あの…予約していた斉藤と申しますが…」
どうやら、本人で良さそう。
年配の女性の声だった。
「お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」
私が返事をしながらドアを開ける。
おずおずと部屋の中を見回しながら入って来た女性。
四十代後半といったところかな?
清潔感のある身綺麗なワンピースに薄手のジャケット。
髪も纏められていて、経済的に安定した中流家庭のご婦人。
「初めまして。お待ちしておりました。どうぞお掛けください」
営業スマイルを浮かべながら、席を勧め、お茶の準備をする。
「お茶を用意しますね。ハーブティーはお好きですか?」
「あ、はい。大丈夫です」
「では、少々お待ちください」
給湯室に行き、既に用意してあるポットの中身をカップに注ぐ。
うちでは、ジャスミンティーを出す事が多い。
リラックス効果のあるハーブティー。
これは私がせめてお茶くらい出せ!と言ったら「マチがやるならな」と丸投げされてから始まった。
一時間以上も話をする場合もあるのに、お茶も出していなかったのだ。
まあ、理乃が誰かのためにお茶を淹れる姿は想像も出来ないけれど。
丸投げされた事をこれ幸いと拘った。
文句も言われないし、大丈夫って事だと思っておく。
他にも色々と種類はあるけれど、癖が強い味が多い為、比較的飲みやすいジャスミンティーを採用している。
もちろん、ハーブ系が苦手な人もいるため、緑茶やセイロンティーもある。
コーヒーは理乃の趣味で常備されているため、ちょっとした喫茶店の気分になる。
お茶を出しながら、所長を呼んでくる旨を伝える。
そして理乃を呼びに居住区へ。
軽くノックをして入室。
「お客さん来たよ」
念のため、事務所に声が届かないよう小声で話し掛ける。
既に準備は整っていたらしく、読書中。
今日のチョイスはマンガ本。
読むジャンルが幅広すぎて、本棚がカオス状態だ。
理乃はタンクトップの上に薄いニットを着ただけ。
これで接客準備完了なのだから、最初はビックリした。
スーツなりジャケット、せめてシャツを着るくらいしたら?と聞いたら「必要ない」とのこと。
けれど、相談を受けるのだから、それなりの装いというものがあると思う。
ただでさえ、私達は世間では若輩者とも中堅とも言われる難しい世代。
そう言ったら「そんなところにプライドがある奴はうちに来ない」と言われてしまった。
確かに、所詮は若輩者で、しかも女。
偏見がある人はまず来ないだろう。
それでも、しないよりはちゃんとした方がいいと思う。
ただでさえ、理乃は生まれつき色素が薄い。
パッと見では、茶髪のアウトローな冷たい人間にしか見えない。
とてもじゃないが、相談相手に相応しい様相ではない。
けれど、問題ないと言う。
理乃の言う事は、いちいち良くわからない。
相手に良く見せよう。という意思が皆無なのだ。
「ほら、待ってるんだから早く!」
「今いいとこ」
時間制限が短いと分かっているのに、先の展開が気になる本なんてチョイスしないで欲しい。
「後で読めばいいでしょ!」
むりやり本を奪い取る。
こうでもしないと、あと少し。とズルズル読み続ける。
「しおりくらい挿ませろ…」
心なし、ションボリしている。
余程、ツボに入った本らしい。
こういう反応はレアなので、少し楽しい。
「人が落ち込んでるのに楽しんでんじゃねぇよドS」
あ。バレた。
でも、理乃にドSと言われる筋合いはない。
それを言うなら、理乃の方がS気がある。
「いいから、さっさとして」
「へいへい。あーダル」
話を聞く前からそうゆう事言わない!
理乃さんがなかなかお仕事してくれません…