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ぐうたら主の相談所  作者: 日下みる
61/63

~月の裏側~

「さて。解散しよっか」

「は?」

店内に重苦しい沈黙が流れている中、自然な流れとばかりに昌信が明るく言った。

「立川ー。請求書は後日俺の所にヨロシクね」

「了解です」

接客業の立川は慣れたもの。

切り替えが早くなくては務まらない。

「あの、理乃は…?」

「ん?まぁ、念の為送ってくけど、大丈夫だろうね。まぁ、仕事の処理もしちゃいたいし、少しお邪魔するけれどね」

送るも何も、上の階。

「じゃぁ、私も一緒に」

真知子は荷物を置いたままだし、暫く休みにするならば、仕事のキャンセル手続きもしなくてはならない。

本当は真知子が対応すれば良いのだが、事務所は理乃の居住区と壁一枚。

キャンセルした方が良いだろう。

「理乃。帰るよ」

昌信は理乃に声を掛け、こちらを向いたのを確認してから、腕時計をトントンと叩いた後、天井を指した。

それで分かったのか、理乃はサッと椅子から下り、素早い足取りで出て行った。

別れの挨拶も、足音すらなく。

残ったメンバーは店の片付けを手伝った後、解散する旨を伝えておく。

「皆さん、お先に失礼。片付けヨロシク。またね~」

ヒラヒラと手を振りながら落ち着いた足取りで理乃を追い掛ける昌信。

「あぁ!お片付け手伝えなくてすみません!!お先に失礼します。おやすみなさい」

ぺこりと礼儀正しくお辞儀をした後、慌てて二人を追い掛ける真知子も既に通常運転。

「マイペースすぎでしょ…。あの二人…」

結菜が手を振り返しながらも呆然と呟く。

未だにショックから立ち直れていない残りのメンバー。

自分達が驚き過ぎなのか、二人が強心臓なのか。

判断に悩む所だった。


理乃を追い掛けて階段を登る二人。

先に行ったはずの理乃の足音は聞こえない。

真知子の合鍵で事務所の扉を開くと、中は真っ暗のままだった。

鍵も閉まっていたし、電気も着いていない。

本当にちゃんと帰って来ているのか不安になる。

(理乃、どうしちゃったの?)

真知子には訳が分からない。

あんな理乃は見た事がない。

いつも神経を尖らせていた。

自然体の姿など初めて見た。

あんなに辛そうな姿も。

寂しそうな背中も。

いつも、だらだらはしていても隙みたいなものはなかった。

昌信は事務所の電気を付け、居住区の扉にノックしているが、反応はない。

真知子はどうしていいかわからない。

今の理乃は放っておいた方が良い。

そんな気がする。

それど、自分が止めた所で昌信が止まるとは思えない。

「あ。飲み物でもお願いしていいかな?コーヒーがあると嬉しいんだけど」

「へ?あ、はい。あの、理乃は…」

「大丈夫大丈夫。問題ないよ」

にこにこと背負う事なく自然に言われれば、不思議と説得力があった。

任せた方が良いのだろうか?

自分は今の理乃へは近寄れない。

昌信は近寄っても大丈夫。そんな気がするほどの自信。

それだけ付き合いが長いのか。

深いのか。

真知子は彼等の関係を詳しく知らない。

「大丈夫ですか?」

何が。とは言えない。

何かが、大丈夫とは思えない。

あやふやな不安。

「慣れてるから。大丈夫だとは思うよ」

大丈夫。

慣れている。

ああいう理乃は見た事がある。

「似た状態に遭遇した事あるから。寝て起きたら普段通りだよ。ちょっと疲れちゃったんじゃないかな」

「それだけなら良いんですけど…分かりました。お任せします。じゃぁ、コーヒー淹れて来ます」

大丈夫と言われれば、納得するしかない。

慣れているというのなら、余計に。

いつもふてぶてしいと文句を言っていたけれど。

あんな姿を見れば、ふてぶてしかろうが、偉そうだろうが、いつもの理乃がいい。

似た状態に遭遇した事があるのならば、昌信は対処法を知っていると考えた真知子は、安心して合鍵を託し、コーヒーの用意をしに奥へと入って行った。

(似た状態って言っても、アレの方が滅多にないだろうけれどねぇ)

顔には出さないが、正直賭けだった。

おそらく。経験上。起きたら戻る。

それだけだ。

「理乃?いるかい?」

返事はない。

「入るよ?」

女性の居住区に許可なく入室するのは良心が咎めるけれど、非常事態。

何があっても、驚かず対処出来るのは自分だけ。

扉を開けた部屋は真っ暗で、辛うじて月明かりが漏れて入って来ている程度。

事務所側の光で理乃の場所を見つけた昌信は、扉を閉めてから、理乃に近寄る。

理乃はカーテンを開け、窓も全開にし、床に座りこんで、真っ直ぐに月を見上げていた。

月光を一身に浴びる理乃の姿は、いつもより神聖に見えた。

雰囲気も張り詰めることなく、穏やかに厳かに、静かに、ただ、月を見上げていた。

「理乃?」

静かに声を掛けたが返事も反応もない。

まだ、こちらに関与する気がないのだろうか。

「……お前か」

だいぶ遅れたけれど、返事が来た事に安心した。

普段の様に淡々とした声ではない。

無理やり感情を抑え込んだ響きのある声でもない。

コレが自然な話し方なのだろう。

高過ぎず、低過ぎず、透明感のある綺麗な声が明るく感情のままゆらゆらとアクセントが着いている。

少し、疲れた声をしていた。

理乃が自分の瞳を見ているのが分かる。

目が合っている。

読まれて困る事はないよ。

好きなだけ読むといい。

「…施設と水族館は似ているな」

「そうかい?」

「あぁ。窮屈の中、出ようとしているモノ。中で満足しているモノ」

水槽の中をグルグルと泳ぎ続ける魚達。

施設と水族館の水槽の中だけ、理乃が認識し、会話や意思伝達が容易に出来るモノがいる。

もしかしたら動物園にもいるかもしれない。

人間により、住処を、居場所を奪われたモノ達の唯一の居場所。

そんな風に、理乃には思えた。

昌信には、その感覚が分からなかった。

水族館でそんな事を考えた事もなかった。

施設の子供達を連れ、水族館に行った事もあるが、子供達は喜んで楽しんでいた。

施設の中の彼等は何れ外に出て行く。

理乃の知り合いでは少なかったけれど。

職員の監視がまだ緩い時代。

理乃に感覚が麻痺し、過剰な実験が最も多かった時代。

「何人か、出ると言っていた。…出れなかったが…そっくりだ」

理乃は言語を用いらなくても、意思の伝達が可能だ。

瞳を見る。

まるで瞳からアクセスが可能な様にそこから思考を読み取る。

言語を用いらず、意思伝達が可能な動物は沢山いる。

彼等に言語は必要ない。

それに近い能力を持っている理乃は、本来は言語を必要としない。

だから覚えるのも遅い。

理乃に無駄な事を覚える余裕はない。

それでも、理乃は施設で言葉の勉強をよくしていた。

葛西からの情報では、施設に入る前からだと。

「カベのむこういきたい…と」

理乃には、水族館の水槽の魚達が窮屈そうに見えるのだろう。

餌に困る事もなく、食物連鎖は崩壊し、環境汚染や人間に狩られる事もない水槽の中。

確かに、施設内の子供達は時折、外で遊びたいと言い出す。

その場合、可能な場所を選び連れて行くのだが。

(そういえば、理乃は出掛けた事がなかったね)

理乃は外に出掛けられる余裕がなかった。

そんな理乃に影響されたのか、みんな勉強や訓練やリハビリに集中していた。

余裕がある子供達すらも。

理乃は唯一、外で生きられない子供だった。

充分な食事と見慣れた室内。

安心出来る寝床。

それしか求めず、それ以外を求める余裕もない子供。

だからこそ、水槽の内側の彼等との方が見ている側の人間よりも近いのだろう。

「理乃はイルカと話した事はあるかい?」

言語を用いらず、伝達能力がある事で有名なイルカ。

理乃がイルカと会話が出来るとしたら…

「……”どうしたの”と。心臓と目が痛くなった。だからそばにいかない」

痛みを感じるほど、その言葉は胸を締め付けるのか。

目が痛くなるほど、悲しく涙が溢れそうになるのか。

理乃は泣かない。

先程、ポロリと零れた涙と言葉。

自分を縛る鎖が解けても、アレが限界。

「言葉でわかるのかい?」

「いや、何となく」

「そう。大人のイルカかな?」

「おそらく」

水族館には施設に入る前の幼い頃に行ったのだろう。

その時には既にイルカに伝わるほど、心配されるほど、理乃の心は限界まで追い詰められていたのかもしれない。

理乃と同じ種族の生物は地球上にはいないだろう。

最も近い人間に擬態し生きていくしか術がない。

地球を人間社会が支配している限り。

異種族よりも、ハンデがあると考える方が幸せだろう。

これはオフレコの情報。

研究所には報告しない情報。

自分だけが知っていれば良い。

だからこそ、理乃も自分に話たのだろう。

最も理乃の生態を知っている昌信に。

驚かず、恐れず、受け入れる事が出来る自分に。

「………もう、辞めてもいいか」

「辞めるって…?」

「縛るのを」

今の理乃は自制が解けかけている。

いつもはピリピリと抑えされたモノ。

それらは霧散し、遥かに重厚感があるものを纏っている。

その所為なのか、月明かりなのか、目はいつになく淡く光を反射し、まるで翡翠の様な色。

光の粒子がそこら中に乱舞し、月光の周りも、部屋の隅にいたるまで、幻想的に光り、浮かび上がっていた。

風なのか、何なのか。

髪がゆらゆらと踊る。

紫電がそこかしこで弾ける。

コレは理乃が”少しだけ”抑えるのを辞めた状態。

「月に帰ったかぐや姫はどうだったのかな」

かぐや姫は御伽話。

分かってはいるけれど、普通の人間の物語では、理乃と類似した者はファンタジーになってしまう。

理乃は現実として、ここに居る。

「知るか」

コンコンッ

扉の向こうから声がした。

「あの…コーヒー出来ましたけど」

「ありがとう。暫くしたら行くよ」

扉の前から離れるのを待つ。

「さっさと行ったらどうだ?」

「分かってる癖に聞くの?」

今の君から離れられる訳がないだろう?

今の君は酷く脆い。

けれど、今までよりも遥かに強い。

雪君の時のように。

「分かってるんでしょ?」

「何の話だ」

「逃げないで」

「逃げてない」

「じゃぁ、どうして?」

「はぁ…同情される覚えはない。必要もない。俺に構う暇があるなら、自分の為に時間を使え」

「俺は俺の為に時間を使って理乃といるんだけど?」

「無駄使いだ。他に回せ」

「どうして!どうして…そんなに一人になろうとするの?」

「人は生まれた時も死ぬ時も一人だろう」

「そんな話してないって分かっててズレさせてるよね」

「何て言って欲しいんだ?助けて、とでも?一緒にいて、とでも?生憎、そんな事を言う予定はない。他を当たれ」

「それじゃぁ意味がないって分からないの」

「俺に構うよりは意味があるだろ」

「あるよ!!理乃には構う意味も!理由も!どうして分かってくれないの。どうして受け入れてくれないの」

「必要性がない」

「じゃあ、俺と真知子君がそういう関係になっても構わないんだ?」

思わず放電するほど嫌だった癖に。

己を縛っているものを放棄してしまいたい衝動に駆られてるくらい、色んなモノが嫌になってる癖に。

「好きにすればいい。俺は関係ない」

バカだね。本当。

「じゃあ、何で泣いてるの?」

「あ?」

疑わしそうに、自分の手を目元にやり、一拭き。

理乃の手は濡れていた。

「…ちっ!このポンコツが!!」

「ねぇ。少しくらい、素直になってもいいんじゃないかい?俺なら、大抵の事には驚きも、拒絶もしないよ?」

「…いらない」

「理乃に嘘吐いても直ぐにバレるけど、理乃の嘘はもっと分かりやすいね」

思考を読む必要もない。

まぁ、こんな事、滅多にないだろうけれど。

それだけ、処理が間に合わないくらい、理乃にとっては大きな事だったのかな?

そう思うと、胸に、心に歓喜が溢れる。

「……もういい。戻れ」

理乃は顔を月に戻してしまった。

まるで迎えを待っているかぐや姫のように。

「分かったよ。隣にいるから、何かあったら声掛けてね」

「さっさと行け」

少し恥ずかしいのかもしれない。

そう思うと、思わず笑いが零れる。

ギラリと睨まれても怖くもない。

安心して、昌信は仕事へと戻った。

「おやすみ」

「ん」

眠り、起きた理乃は平常運転に戻っているだろう。

アノ時ですら、数時間で戻った。

この程度ならば、すぐに戻る。

少し、自分を抑える力が(ほど)けただけ。

出来るだけ静かに扉を開け、事務所に移動する。

真知子が心配そうに見ていたが、それでは話も事態も進まない。

「大丈夫。少し疲れが溜まってるだけみたいだよ。それより、仕事はどうするのかな?」

「良かった…。もう、疲れてるなら疲れてるって言ってくれればいいのに!えと、キャンセルにしようかと思ってます」

疲労もすでに認識出来ない理乃は、身体が動かなくなるまで、鎖が解けるまで認識出来ない。

例え自覚出来たとしても、甘えるな、と無視するのだから結果は変わらない。

「君が対応出来るなら、キャンセルは必要ないよ。今後の事を考えると、キャンセルは最終手段にしておきなさい」

信頼をなくすと患者は来なくなるよ。

君自身の食い扶持は自分で稼ぎなさい。

「でも、理乃がいますし…」

今の状態の理乃が居住区にいては、仕事に集中など出来ない。

こちらの意識が分散しては、お客さんも不愉快だろう。

それならば”病気の為”とでもして休みにした方がまだマシだ。

「あぁ。おそらく、理乃は昼間は外でフラフラとしてるだろうから、問題ないと思うよ」

GPS機能を着けさせて欲しいよ。

徒歩圏内が半径十キロを軽く越える理乃の居場所を特定するのは難しい。

何か事件を起こしたとしても、警察ですら行動範囲を読み違えそうだ。

「君も仕事があるのかな?ないなら鍵は預からせて貰うけれど」

「あ。それなら、予約確認と受付をしちゃうので」

「流石に今日の残業代は出ないよ?」

「ふふふっ。構いませんよ。…今は少しでも理乃の近くに居たいので。帰っても落ち着かなさそうですしね」

苦笑しながらも控えめに言う真知子は、確かに理乃の大切な友人なのだろう。

けれど、一歩引いている。

踏み込まない。

だから理乃も近付かない。

内心苦笑しながら、理乃専用のパソコンを立ち上げる。

ログインパスワードの入力画面で止まってしまった。

流石に自分の誕生日なんて分かりやすいモノは設定しないだろう。

試しに入れてみるが、エラー表示。

普通であれば、ロックを掛けるならば、誰も知らないモノを登録する。

そう、普通ならば。

理乃の性格では、自分に何かあっても問題がないように、身近な、パソコンの中を見られても困らない様な人間が知っている、もしくはヒントとなる情報が伝わっているモノを設定している可能性が高い。

試しに入れてみる。

”305”

エラー。

違う事に安心しながらも、思案する。

何を設定する?

パソコンの中は分析結果や個人情報。

簡単にアクセス出来るコードは設定しない。

それでも誰かは辿り着けるモノ。

理乃の思考はシンプル。

主に分析依頼を出すのは昌信。

理乃に何か有り、代わりにパソコンの中を見る必要性が一番高いのも昌信。

昌信が知っている情報。

けれど他は知らない情報。

中らないで欲しい。

けれど、それ以外に思い着かない。

”yuki26”

ローディング…

施設の他の人間は、番号しか知らない。

雪の名前だけは聞いた事がある人間も、施設管理番号は知らない。

両方を知っているのは、昌信と理乃だけ。

毎日、パソコンを立ち上げる度に入力していた理乃の心情はどんなものなのだろうか。

理乃がピアスを着けているのは見た事がない。

ずっと、既に忘れていると思っていた。

理乃は辛い事も覚えておけないから。

名取りをしたのは学生の時。

それから十年以上経過している。

その時には既に”過去の人間”くらいの記憶だと思っていた。

感情も伴わない、ただの事実としての記憶情報だと。

それくらい淡々としていたのに。

今日、言葉で聞くまで。

口から名前が出るまで。

パスワードに設定しているほど。

ずっと忘れずに大切にしていたと思ってもいなかった。

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