~勉強編 10~
呆然と椅子に座り、ただ自分の手を眺めている少女。
焼け焦げた手。
普通ならば痛みのあまり呻き、少しでも紛らわせるため、応急処置のため、氷水で冷やさなければならないだろう。
けれど、少女にそんな処置は必要ない。
少女自身も望まないだろう。
大切な人を亡くした。
大切な人を葬った、ただ一つの証。
「さて、これからの事を話そうか」
「これから?」
そう、これから先を。
少女はまだ生きている。
まだこの少女には未来がある。
ここで立ち止まる事も出来るだろう。
だが、そんなことは誰も望まない。
望んだとしても、叶わない。
「そう。これから。君はこれからどうする?」
「家に帰る。この施設に留まる理由はない」
雪がいたからいただけ。
この場所ですることはもうない。
「家に帰れるかい?」
この施設にいる子供達は親に売られた。
戻る事は本人が希望すればいつでも構わない。
そんな契約をしてはいるが”捨てられた”という意識が帰る事を躊躇わせる。
よしんば帰ったとしても、親が歓迎しない。
”捨てた筈の子供が帰ってくる事”を。
毎月、幾ばくかの金が両親の元へ送金される。
持て余している子供を預け、その上、金まで入ってくる。
いくら寂しかろうが、帰りたいと願おうが、それらがあるから、ここにいる子供達は滅多に帰りたいとは言わない。
邪魔者扱いされるだけ。
厄介者扱いされるだけ。
どうして戻って来たのだと疎まれるだけ。
「帰る。問題はない」
目の前の少女は世間知らずだが、愚かではない。
人の感情には鈍いが、企みに疎くはない。
「君がそう言うなら。では、これを君に渡そう。君の分だ」
所長は胸元から通帳とハンコをテーブルの上に出し、少女の目の前に置いた。
「なんだ?」
この施設で現金に触れる事はない。全て現物支給。
通帳など見たこともない。
「君の研究報酬。ご両親へ渡していたのは、半分程度だよ。面接した際、碌な使い方はしないと思ってね。分けておいた」
いつかここを出る為に、半分は子供達の為に貯めておく。
自立する時の資金として。
「なるほど。確かに貯金しないだろうな」
幼い理乃の見立てでは、子供が稼いだら碌な大人にならない典型な親達。
子供が稼ぐなら、と楽をし、使い切りそうだ。
「ん?多くないか?」
ある時から金額が増えている。
研究内容が訓練含みの頃から、細胞研究のみにシフトしただけにしては多すぎる。
まだ結果すら出ていない研究。
結果を出すために莫大な金がかかる。
仮説を立て、立証する研究。
その仮説に間違いがあった場合、いくら金をかけようがまともな結果は出ない。
金になる結果に遭遇するなど余程の強運。
「花音君達の遺言でね。君に渡したい、役に立てて欲しい、と」
自分達を邪魔者扱いした親ではなく、自分達を引っ張り導いてくれた理乃の役に立ちたいと。
この施設で亡くなった者達の親元に連絡すると、そのまま処理も勝手にしてくれと言う。
葬儀をする金が勿体無いと。
自分の家のお墓に入れるのも面倒だと。
共に生活していないが故に情も薄れる。
自分の子供という愛情すらも。
そんなことすらも把握している子供達。
理乃と携わった子供達はみな、”理乃ならば、いつか絶対にこの施設を出て、生きていく事”を疑わない。
そんな理乃に少しでも役立ちたいと願う。
自分が出来なかった事を託して。
自分では掴めなかった明るい未来を。理乃ならば、と託す。
「…そんな事言われてもな。希望に応えそうにない。俺はまだ足りない。足りてない」
普通の人間になれてない。
「そんな君の役に立ちたいのだろう。受け取ってあげなさい。彼女達の最期の願いだ」
「だから重いんだろうが…」
「そんな君だからこそ、だろう?」
自分達の最期の望み。
自分達の死を最も重く受け止めてくれる者。
「まぁ、いいか。有難くいつか有益に使わせて貰う」
「そうしてやれ。家にはいつ戻る?」
「さぁ?連絡したとして、あちらの都合もあるだろうからな。週末か?」
今日は金曜日。
早くて明日。
遅くて、このまま放置。
断られたとしても、自分で帰ればいい。
それでダメならば、違う手を考えればいい。
「わかった。困る事があれば、俺の弟になんとかさせるよ。あれもお人好しだからな。手を貸すだろう」
「知らない子供の世話までするとは、大層なお人好しだな」
「全く知らない人間ではないよ。君も会った事があるはずだからね」
何か悪巧みをしているような顔で笑う所長。
まるで悪戯を程のした罠に引っ掛かるのを待ちわびているような。
だが、理乃には思い出した所で心当たりがない。
考えて分かる答えでもない。
理乃は考えるのを放棄した。
「ふーん。まぁ、その時は頼むとする」
「おや。誰か気にならないのかい?」
そんなビックリ箱を開けて欲しい顔で言われてもな。
「別に。その時には嫌でも分かるだろ」
「君は本当にノリが悪いね」
「悪かったな。その手は乗ってくれる相手にやれ。金の事は感謝する」
話が脱線しすぎだ。
「どう致しまして。ああ。それから、金に困ったら施設においで。一回の採取で向こう一年の生活費くらいはあげられるよ」
「…どっから沸くんだ。その金」
いくらでかいスポンサーが付いてるにしても、無理があるだろう。
たかだか欠陥品の自分に一体どう妄想したらそこまでの価値が見い出せるのか。
「まぁ、それは企業秘密という事で。言っただろう?君の細胞組織にはそれだけの価値があると。あぁ、君は死んだ事にしておくから安心してくれ。身元が分かる様な情報も廃棄しておく。採取に訪れた際は通りすがりの身元不明の人間、という事にしておくよ」
この施設での人間の扱いはナンバリング。
名前はない。
全て番号で管理されている。
理乃の番号は305番。
305番の資料に死亡。と記載すればいい。
もし軍やタチの悪い組織に目を付けられたら互いに困る。
自分達の施設だけの独占研究材料。
「どうやって誤魔化すんだ。無理があるだろう」
生きている人間を死んだ事にし、時折訪れる人間の資料を別として管理するなど滅茶苦茶だ。
「この施設にはサンプルが溢れているからね。どうとでもなるさ。何、口は上手い方だから安心してくれていいよ」
確かに、立ち回りが余程上手くなければ、その歳で研究所長などという立場にはなれないだろうとは思うが。
「あっそ。じゃぁ任せた。上手くやっといてくれ」
餅は餅屋。
「おや。あっさり信用してくれるんだね?」
「疑った所で意味がない。俺の知らない駆け引きを気にしてたら切りが無い」
「…その大雑把さはどうかと思うよ?」
言い出した自分が言うのも何だが、そう簡単に任せられるものなのだろうか。
普通、気になると思うのだが。
そんなあっさりと丸投げしてもいいものか。
自分ならば到底出来ない。
「そんなことより、どう死んだ事になるんだ?」
305番と理乃は別人という処理をすればいい。
そこまでは問題ない。
施設内に理乃の名前を呼ぶ者は残っていない。
雪達ですら、互いの苗字も知らない。
みんな、名前は名乗っても、捨てられた家の苗字など名乗らない。
だが、305番が死んだら、サンプル価値は無くなるのではないか。
しぶといから価値がある。
「あぁ。サンプル価値はなくならないよ。君の細胞はしぶといしね。それだけで充分だ。死因は、26番と共に事故死。…書類上くらいは、一緒にいさせてあげたいからね」
26番は雪の番号。
施設内の書類上は、26番と305番は共に同じ事故で死亡。
要は心中を意味する。
「…そうか」
「…余計だったかい?」
「お前がそうする意味があると思うならそれでいい。…俺にはわからない」
心中する意味が。
実の伴わない一緒にいる意味が。
紙の上でいくら一緒でも、生きて一緒にいないなら意味がない。
けれど、自分には分からないが、それで雪が喜ぶのなら何でもいい。
「乙女心がわからない朴念仁」
「あ?」
いきなり何だ。
確かによく雪には言われていたが、所長に言われる覚えはない。
「雪君が言っていたよ。絶対分かってくれない、とね」
そう言われると反論も出来ないのだが。
楽しそうに言われると面白くない。
所長の方が雪の気持ちが分かっていると言われているようで面白くない。
だが、分からないのは本当。
自分は人の心がわからない欠陥品。
欠けていない所長と雪。
欠けていない者同士しか分からないモノなのかもしれない。
だが。
「…子供に乙女心を分かれと言う方が無茶振りだろう」
「あははは!まぁね。でも、君はきっと大人になっても分からないよ」
「喧嘩売ってんのか?」
大人になっても欠陥品のままだと。
絶対に欠けた部分を補ってやる。
「まさか。人は君ほど強くない。君はそれを理解しない。出来ない。それだけだよ」
「雪は弱くない。俺は強くない。理解出来るようになってやる。欠けたままでいる気はない」
「…そこなんだけどね」
違うのは。
分からない心。
欠けた身体、機能。
それでも絶望も諦めもせず、突き進んでいく力。
何とか道を進んで行く。
道がないなら作る。
立ち止まらない。
振り返らない。
何故、どうして自分ばかりがと悲嘆しない。
売った親を恨みもしない。
ただ在るがままに受け止める。
現実を受け入れ、それに対処、対応していく力。
そんな強さ、誰もが持っているものではない。
けれど、目の前の少女はそれに気付かない。
「何か言い残した事はあるかい?」
「ん?…そうだな…」
何かやり残した事は。
残っている子供達に残す言葉は。
ないだろうな、と聞いておいて思ってしまった。
「あぁ。雪に子を産むように提案した人間がいる。誰かの遺伝子を残す実験か知らんが」
「それは本当か?」
確かに、研究員の中にその提案をする人間がいる。
だが、そんな被人間的な扱いをさせる事は許していない。
優秀な遺伝子同士の子。
動物間ではよく行われる実験。
だが、この施設で預かるのは人間。
所長は彼等をそんな扱いにするつもりはない。
「事実だ。見えた。その人間が二度とそんな提案が出来ないように監視しろ。そんな実験が出来ないようにな。移転先でも許さない」
あの時はわからなかった。
雪を落ち着かせるのを優先した。
だが、今なら見える。
過去の映像を脳内で再生させる。
気になる所をズームアップする。
過去の映像から読み解く。
それくらいは出来る。
「わかった。こちらもそんな提案は許可していない。これから先も」
「ならばいい」
「…制裁はそれだけで良いのか?」
亡くなった少女の背中を押したのは、その提案だろう。
ただのキッカケにすぎなかったのかもしれない。
遠くない未来に同じ事になっていたかもしれない。
だが、それがなければまだ二人の少女達は一緒に居られたかもしれない。
社会的抹殺くらいでは手温いかもしれない。
大切な人間を失うことになったキッカケかもしれない。
被人間的扱いの提案。
ここは研究施設。
事故死は良くある事。
彼女が望むのならば、この手を汚してもいいだろう。
それ程の罪。
人を人と思わない罪。
罪に問われない罪。
ならば、こちらも罪に問われないながらも、手を汚そう。
「充分だろう。その人間にも家族がいるだろうからな。社会的に抹殺しろなんて言う資格はない」
「…君がそれでいいならば、そうしよう」
許すのか。
大切な少女を追い詰めた原因を。
その原因の家族を優先するのか。
彼女にとって、少女はそれだけの存在なのか。
「…何をしようが雪は戻ってこない。そんなことで鬱憤を晴せれば良いほど軽くない」
「……わかった」
価値観の違い。
表現方法の違い。
在り方の違い。
全てが彼女と人は違う。
誰もが同じではない。
個人差はある。
家庭ごとに。身分ごとに。
地域ごとに。国ごとに。
けれど彼女と人との絶対的な違い。
彼女は”普通”とは程遠い。
彼女が近いのは、人よりも……
「さて。帰る準備をしておきなさい」
「分かった。とはいえ、私物なんざ殆どないがな」
何せ、必要最低限の服くらいしかない。
適当に詰めれば、数分で終わる。
「きっと、慌てて迎えに来るよ」
「さぁ。どうだか。放置されるんじゃないか?」
彼女の両親は迎えに来るだろう。
彼女の欠けた穴は小さくない。
この施設も変わるだろう。
良い方向に誰もが向かっていたのに。
月が明るく照らしていた施設に、再び暗い夜が訪れる。




