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ぐうたら主の相談所  作者: 日下みる
39/63

~勉強編 9~

朝、目が覚めた。

隣を見たら雪はいなかった。

珍しい事でもない。

雪の方が早起きだ。

朝食の準備でもしているのだろう。

起きなければ食いっぱぐれる。

けれど身体がだるく中々起き上がれない。

これもたまにではあるが、珍しい事ではない。

たまに見えないモノが側にいると動けなくなる。

感覚はわかる。

見えないモノが自分にベッタリと貼り付いている。

声が聞こえないタイプのようだ。

感触しかわからないモノ。

体温もない、感触しかわからないモノ。

理乃には触っていない人間より認識出来るモノ。

起きる為にはどいて貰うしかない。

方法は簡単だ。退けと思えばいい。

霧散し、どこかに消えた。

軽くシャワーを浴び、ペタペタと裸足で食堂に向かう。

既に食べ始めている者もいる。

いつも通り、窓際の端の席に座り食べ始める。

一口食べて食欲が失せた。

雪の臭いがしない。味がしない。

知らない人間の臭いしかしない。

今日の朝食に雪は関わっていないのだろうか。

イライラした。暴れたくなった。

それはダメだ。

普通はそんなことをしない。

普通にならなくてはならない。

いつものように自制出来ない。

いつものように霧散しない。

この出来損ないは、いつになったらコントロール出来るようになるのか。

いつもなら、誰かが雪を呼ぶ。

雪に触れば。雪に会えば落ち着くのに。

何故か今日は誰も雪を呼ばない。

今日は寝ていよう。

抑えられない日は寝ているに限る。

いつものように。昔のように。

そんな日に限って、いつもは近づいて来ない人間が近づいて来る。

最初はうっかり裏拳を鼻に当てた。

突然話掛けて来るな。びっくりした。

次は肘鉄を食らわした。

選りに選って見えにくい右側から来るな。

普通はびっくりしたからと裏拳などしない。

気づかなかったからと言って肘鉄などしない。

そんな当たり前の事には気付かない。気付けない。

普通は我慢しているのだと。

自制しコントロールしているからしないのだと。

それが出来ない自分は欠陥品だと。

理乃の勘違いは戻らない。

誰も気付かない。

そんなものが無意識に身に付く程、自分の身が、命が危険に晒されているのが当たり前だと思う事が異常だという事に。

母に殺されかけた記憶が情報が薄れていない事に。

花音や夜子の死を恐れている事に。

彼女は気付かない。

気付けない。自覚出来ないように自分がそう作ったのだから。

恐怖も弱点となり、他者に知られない為に自覚する事をしない。

それこそが欠点なのだと気付かない。


いつもなら霧散するイライラは収まらない。

心臓がキリキリと締め付けられる。

針金で心臓を巻かれて絞られているほどキリキリと締め付けられる感覚がする。

いつもなら自覚した途端に霧散する痛みがなくならない。

今日の防衛本能は休日か?そんなことを考えた。

仕事をしろと。休む許可を与えた覚えはないと。

そんなイラついている日に限って、所長に呼ばれた。

珍しい。何も今日じゃなくても良いだろう。

今日は気分が悪い。機嫌が悪い。

明日にしろと言っても引き下がらない。

仕方がないので、案内されるまま「応接室」と書いてある部屋へと入った。

「久しぶりだね。今日は機嫌が悪そうだ」

「分かってるなら後日にしろ」

「そうもいかない。話がある。座りなさい。飲み物を用意しよう」

こいつは偉そうなのかそうじゃないのかわかりにくい。

珍しく番号で呼ばない人間。

目の前にアイスコーヒーを置かれた。

子供にコーヒーを出すバカが何処にいるのか。

ここにいたか。

「まず、何から話そうか」

そんなにあるのか。

おっさんの長話に付き合う趣味はない。

「そうだね。順を追って話そうか」

「勝手にしろ」

話そうが話さまいが個人の自由だ。

「まず、花音君の事を謝罪しよう。すまなかった。言い訳にしかならないが、あれは部下の暴走だった。私が出張している間に決行された」

「監視不行届きは上司の責任だ」

「分かっている。だからこそ謝罪している」

「謝罪されても花音は戻らない。意味がない。だから必要ない。お前が楽になりたいだけだ。それを俺に押し付けるな」

それに、その後の耐電やら酸素濃度の実験には、こいつは立ち会っている。大差ない。

「そうだね。すまなかった。君を見て錯覚したんだ。君達は欠けているのではなく、何かの分野に特化しているのだと。地球の汚染は広がる一方だ。異常気象は毎年の事。そんな異常気象に耐性があるのが君達なのだと。汚染されていく空気。なくなる食料、資源。蔓延するウイルス。そんな中でも生きていけるのが君達なのだと」

「そんなのは知らない」

興味がない。未来の事なんて知らない。今を生きるのが精一杯。

「全くだね。でも、覚えていてくれ。君は誰よりも大勢の人を救う可能性がある事を。君の生命力を他人にも分け与える事が可能なら、大火傷で数多くの移植手術に耐えなけれならない人間が、何もしないでも自然治癒で完治する。ウイルスで死ぬ人間も減る。貧困で餓死する人間すら減るだろう」

「俺はそんな大層なもんじゃない」

自分の身体の右側には怪我だらけだ。

治るが、代償がない訳じゃない。

それだけのエネルギーが必要となる。

細胞は何度も死んでは産まれ変わるのを繰り返す。

再生出来なくなった細胞は死滅する。

速いだけで、再生数が多い訳じゃない。それだけ早く死ぬだけだ。

人間の寿命よりも細胞の再生数の方が長いとは言え、これだけ早送りしていたらどうなるかわからない。

「君が自分を卑下するのは君の自由だ。けれど、この研究所内で君より価値がある人間はいない。君が自分を卑下する事は、雪君や花音君、夜子君達を卑下する事と同意だと気付け」

「そんな所で比べない。比べる意味がない。雪達をバカにしたりはしない」

自分は飯も作れない。

しっかりもしてない。

場を明るくする事も出来ない。

夢を持つ事も出来ない。

ただ細胞が珍しいだけで秀でている訳じゃない。

自分が努力してそうなった訳でもない。

誇れるものじゃない。

「雪君の言う通りだね」

「雪が?」

雪が何故こいつと喋る?

何処でいつ俺の事を喋る必要性がある?

「雪君が言っていたよ。頑固で卑屈で強情で鈍感で方向音痴で必要ない我慢ばかりしていると。もう少し自分を甘やかしてもいいと。愛されている事を気付くべきだと。愛される存在だと気付くべきだと」

「前半はともかく、俺は自分を律していない。愛される訳がない」

充分甘やかせている。

人間は自分に最も甘いという。

その次に甘いのは親だと。

その自分も親も自分を愛していない。

そんな自分を誰が愛するというのか。

どれだけの分厚い面を着ければ、他人に図々しく愛せと言えるのか。

自分は己を許容出来ない。

こんな自分は許可出来ない。

普通じゃない自分で満足など出来ない。

欠陥品のガラクタの立場でどうやればそこまで開き直れると言うんだ。

「・・・雪君の最期の言葉だ。受け入れてあげなさい」

「最後?雪はここを出たのか?」

だから朝から見なかったのか?

だから誰も呼ばなかったのか?

それなら、何故誰も自分に教えない。

雪は何故自分に教えずにいなくなった。

昨晩、何があった。

昨晩は本能に任せた筈だ。

今朝から稼働していない本能。

昨晩、雪と何があった。

「遺言だよ。着いて来なさい。まだ会わせてあげられる」

「ゆいごん・・・?」

ゆいごんとはなんだ?

そんなものは知らない。

受け入れられない。

遺言なんて受け入れられない。

ノロノロと着いて行った別室で、布が被せられている”カラッポ”に所長は近付いた。

雪に会わせると言った。

それ(・・)は雪じゃない。

カラッポな入れ物。

顔を認識出来ない自分は雰囲気でしか区別がつかない。

それ(・・)は雪の雰囲気を出してない。

カラッポなモノは何も感じない。入ってない。

所長は頭部の布を取った。

カラッポなモノ。

近付けないモノ。

「運が良かったんだろうね。頭部に損傷は殆どない。飛び降りた最中に既に意識はなくなったのだろう。痛みも感じていなかった筈との事だよ」

何だそれは?

飛び降りた?

どこから?

この施設は意外と広く高い。

どこから落ちても、死は免れない。

それはなんだ?それが雪?違う。雪じゃない。それに雪は入っていない。

雪の入れ物。じゃあ雪はどこにいった。

・・・雪は消えた?

今朝のアレは雪だった?

違う。雪だったらすぐに分かる。

アレは違う。別のモノが自分を止めた。

頭がガンガンする。

眼球が痛い。

恐らく赤くなっているだろう。

それでも涙は出ない。

心臓が痛い。

身体の中までカラッポになりそうだった。

いつもなら霧散する筈なのに。

無くなる筈の痛みも空虚も無くならない。

変な顔をした所長のおっさんが自分の後ろに回る。

部屋に入れない自分の後ろに。

部屋には、雪だったモノだけ。

声が聞こえた。

・・・我慢しすぎよ。暴れてもいいの。加減を覚えればいいの。自分の好きにさせていいのよ・・・

その瞬間、身体が軽くなった。

いつも重くのしかかる重力が。

自分を縛る重力が感じられなくなった。

それに気付いた時には、目の前の部屋は紫電が踊り狂い、全てを燃やしていた。

センサーが鳴り響き、スプリンクラーが水を放出する。

水が部屋を満たし、それを伝い紫電は部屋全体に広がる。

そこからまた火が昇る。

部屋が部屋だったモノに変わり、全てが消し炭になった頃、放たれる紫電は無くなった。

まだ自分が残っているのに。

気付いたら、所長と最初の部屋に戻っていた。

アレは夢だった?

白昼夢か?悪夢にもほどがある。

右腕がズキズキと熱い。

「暴れて満足したか?雪君の身体は君の紫電に喪に服され、君だけの手で地へと還った。君以外の物にはならない」

「・・・嬉しくない」

そんなこと、望んでない。

「あの時の君は、見た事がないほど嬉しそうで楽しそうだったよ」

悪魔か死神か魔王と見間違えるほどに。

SF映画でも観ているのかと思うほど。

誰にも奪われることがないと歓喜し。

いなくなってしまった事が発狂するほど悲しいのだと笑い叫び。

自分の身まで焼け焦げる程の力が有る事に、彼女を自身の手で還せる事を喜び、大切に丁寧に塵一つ残さず、共に過ごした日々を楽しそうに思い出しながら。

「俺は薄情だな」

「何故そう思う?」

先程の姿を見れば、誰も薄情などと言わない。

どれだけ彼女が大事だったのか、見ているだけで痛い心が伝わり、彼女とあまり面識がない自分ですら、余りの痛みに涙が自然と零れる程の慟哭の余波。

「泣きもしない」

目が痒いだけ。

涙は零れない。

「気付いていなかったのか。君は先程、涙を零していたよ。溢れていた。・・・泣いていたよ」

正気を無くさないと泣けないほどの鎖は、どれほどキツく彼女を戒めているのか。

あれほどの力を抑える為にどれだけ自分を縛らないとならないのか。

人間を消し炭にする程の火力は、彼女の大事な人と一緒に消えてなくなった。

これから先、彼女を縛る鎖は緩むだろう。

けれど、甘やかす事を許さない彼女はこれから先も自分を補う為の技術や力を求めて努力していくのだろう。

彼女が欲するのは、過去ではなく、未来を歩む力。生きる力。

普通の人間になる為に、普通じゃない手段や技術を身に付け、普通を擬態する。

それは最早、普通ではない。

彼女の目指す道に普通はない。

・・・方向音痴、とはこの事か。

亡くなった彼女の代わりに道を教える人間が必要だろう。

自分もその役目を担おう。

彼女の代わりにはならないが。

目の前の少女としか呼べない年齢の幼い子供が少しでも楽になれる様に。

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