~幼児編 4~
理乃は感情の起伏がないわけではない。
むしろ、本来は大きい。
その大き過ぎる感情の波は、感情という生温い枠を越えて衝動というほどに激しく強いものだった。
その為、幼い理乃には制御出来ず、揺さぶられ引っ張り回され、泣き出す、という表現しか出来なかった。
人は悲しいと泣く。
嬉し過ぎると泣く。
怒りが溢れて泣く事もあるだろう。
幼い理乃の感情の波は全て泣き出す程に大きく激しいものだったのだ。
また、あらゆる生物が持っているだろう生存本能、防衛本能は一際強かった。
人は強過ぎるショックを受け、精神に多大な負荷が掛かった場合、精神を安定させる為に様々な処理が行われる。
発散させて安定させる。
事実を捻じ曲げて思い込む事で安定させる。
思い出せなくなる。
様々な処理が自然と行われる。
理乃の場合、ショックな事は前後の出来事を全て記憶から消去された。
普通ならば、覚えていても大丈夫であろう事でも、感情の波が激しく、防衛本能が強い彼女は、些細な事でも忘れてしまう。
腹が立って泣き出した場合、泣いてる途中に強制的にシャットダウンされ、何故泣いていたかも覚えていない。心の嵐は唐突に霧散した。
母に叩かれたショックも忘れてしまう。
海やプールで溺れた場合も、息苦しさ、恐怖、全てが彼女には受け止められないほどの恐怖心にまで発展し、海やプールに行った事の全てを忘れてしまう。
ただ、あまりにも全て忘れてしまうと、彼女自身が警戒することをしなくなり、同じ事を繰り返した。
海で溺れた記憶がないのだから、生来の好奇心の強さ故に恐れる事なく入って行き、溺れる。
その為、処理方法が細分化される事になった。
彼女の防衛本能は強過ぎた。
覚えていなければ、身の危険があるような場合は、身体にのみ恐怖を記憶させた。
その結果、自覚も記憶もないが、叩かれそうになった場合、庇う、という動作を無意識に行う様になった。
海で溺れた事は、溺れた時の出来事を客観視で脳内映像として記憶を引き出せるようになった。
その為「自分は泳げず、溺れた事もあるらしい」という情報から、浮き輪を使用するなどの対策が取れるようになった。
毎日が穏やかで、幸せな日々ならば問題はなかったかもしれない。
けれど、彼女の幼少期は、母に拒絶され、父にバカにされ、兄に邪魔者扱いされてきた。
彼女は感情の名前すら知らない年齢だった。
ただ”しんぞう”が物凄く痛く、涙がボロボロと零れた。
彼女は他に世界を知らなかった。
全てが平面の世界。
日中、自分を嫌悪している母と一緒に過ごし、気分転換にと窓を開ければ、視界いっぱいの青空。
彼女にとっての空とは広く高いものではなかった。
広いモノは大きなモノと認識され、青空はただただ頭上からのし掛かってくる青色の壁だった。
ソコに白色の雲が埋まってるものであり、雲は浮かんでるモノと認識は出来ない。
絵本で広い空、浮かんでいる雲。という情報は持っていたが、それを実感出来る事はなかった。
狭いだけで圧迫感しかない視界の中に発達した聴覚が彼女を苛んだ。
家の中は、父が自衛隊を除隊する原因となった右耳鼓膜損傷の為、テレビの音量は大きく、全ての部屋の時計の秒針の音がチッチッチッと時を刻み、冷蔵庫の稼働音が常に唸り声を上げていた。
近所から聞こえる話し声や生活音。
同じ棟の中ならば、ドアの閉開音にトイレの洗浄音、お風呂場の水が流れる音。
近所の学校のチャイム。
放課後ともなれば、部活だろうか吹奏楽部や運動部の音。
近くを走る車の音。
夜になると幾分か音は減ったが、家族の会話が聞こえてくる。
ゲームの音。料理する音。母が父に聞かせる兄への賛辞と自分への悪態。
寝ていれば音は聞こえない。
読書中であれば音は聞こえない。
それを知った彼女は寝ているか読書に没頭した。
だが、食事の時間は起こされる。
嗅覚も発達した彼女は外から漂ってくるご飯の臭い。
両親が吸う煙草の臭い。
部屋の臭い。人間の臭い。
そんな悪臭が漂う中、料理下手な母が作った、水分が多いべちゃべちゃな白米。出汁の味がしない味噌汁。
視力に異常がある彼女は、味覚も鋭敏だった。
素材の味で充分なほど。
米の味。野菜の味。肉の臭みと味。
スプーンやフォークの金属の味。
皿の陶器やプラスチックの味。
それらに調味料の味が加わり、彼女は満腹とはほど遠い、最低限の量を食べるのが限界で、それ以上食べようとすると、口に運ぶ段階で身体が拒絶し、吐き気がするため、食事を辞める。
両親は好き嫌いに対し注意をしない人達だった。自分達が好き嫌いが激しく、見本にならなかったからだ。
兄が昔「自分達だって食べないのあるじゃん!」と抗議した為なのだが、そんな経緯は知らない。
夜遅く、照明が消えても彼女の視界は動くのに支障はなかった。
街灯の光など外の光が少しでもカーテンから零れていれば、その光源で周りが見れた。光の粒子が周りに散らばる為、困らなかった。
その分、昼間は曇り空でも眩しく、目を開けていられないほどだったが、父も虹彩が薄い為、理解されるのは早く、外出時にはツバの広い帽子を用意してもらえた。
ひらがなを覚えても、単語の意味は教わっていない。
その為、同じ絵本を何度も読んだ。三冊しか持っていなかったが、意味が理解出来ないので、飽きるという事もなかった。
そんな彼女を気味が悪いと母はより嫌悪した。
母はイラナイと言っていた。
ダメな子だと。可愛げがなく気持ち悪いと。
彼女は普通は見えるモノが見えない代わりに、普通は見えないモノが見えた。
それらは、他のモノ達と違い、存在感があった。
それらは日々、ピーターパンの様にフヨフヨ浮いていたり、じっとしていたり、自分を見ていたりしていた。
時折、一緒に遊んでくれるモノもいた。
それらとのやり取りに言語は必要とせず、頭に直接、意思が伝わった為、人間と接するよりも楽だった。
だが、それらと遊ぶと母が怒った為、眺めているだけになった。
それらは眺めているだけでも楽しませてくれた。
唯一、何処にあるか、方角、距離が感覚で分かる”存在感があるモノ”だった。
絵本にそう言った事が書いてあるのは見た事はないが、きっと当たり前すぎて省略されているのだと思っていた。
物語に関係がないから、と。
絵本で読んだ”オバケ”とそれらが同じ類いのモノだと認識していなかった。
”普通と違う事”しかしない彼女を母は嫌がり、父や兄とは接する彼女をより嫌いになった。
”私だけ認められてない”と母が思っている事など知る由もない。
朝食や昼食がない日もあったが、時間や日にちの概念がなく、一日三食という概念もない彼女は不思議に思わなかった。
食事をあげなかったのに、泣きついてくる事もお願いしてくる事もしない彼女を母はより嫌悪した。
理由はわからないが、母から嫌悪されているのは嫌でもわかった。
産みの親にイラナイとされた子供は自分の存在意義も愛も必要性も自信もない。
自分は本来愛してくれる筈の母親にすら嫌われるポンコツなのだと思った。
ポンコツの意味は父が教えてくれた。
父は色んな事を教えてくれた。
彼女が「醜いアヒルの子」の絵本を自分に当てはめれば、まだ夢は持てたかもしれない。
彼女は読んだけれど、意味が理解出来ず、自分がアヒルに混ざった白鳥の子とも思わなかった。
自分達の子供である事を大人達は冗談で拒絶した。
だが、言語の意味を理解するのに精一杯な彼女には冗談と本気の区別など付かず、本当だと思った。
道理で目の色も髪も顔立ちも違う訳だと。彼女が親に似た唯一の身体的特徴は、父との足の指の形くらいだった。
”イラナイモノはポイしないといけない”それは親に教わった事だった。
イラナイモノ。つまり自分だった。
自分は捨てられなければいけない。
でも、両親が捨てる様子はない。
では、自分で捨てないといけないのか。
けれど、一人での外出は禁止されていた。
ゴミ箱に入ったら怒られた。
後は死ぬ事くらいしか知らない。
だが、彼女の強過ぎる生存本能は自殺を許してはくれなかった。
いつも見ている窓の柵から飛び出してしまえば、団地の最上階だし、死ねるだろう事は幼いながらに理解していた。
けれど、いつもはすんなりと行ける窓まで、ソレを考えると一切近付けなかった。
考えを放棄し、空でも眺めようかな、と思えば窓まで行けたが、やはり危険な事は一切出来なかった。
毎晩毎晩、布団の中でボロボロと涙を流し、心臓の痛さに耐えた。
声を出すと叱られる為、声は出なかった。
余りにも心臓が痛くなり過ぎると、気絶するように眠ってしまった。
それが何日も何日も続く中、ある日、ふと思った。
「こんなに痛いなら、痛くならないようにすればいい」
彼女は常に工夫する癖があった。
視力を補う為に。聴覚を遮断する為に。嗅覚を止める為に。
その日から、彼女の心は分厚い膜に覆われた様に殆どの事を実感出来なくなった。
感情は、身を守る為に害あるモノを排除することのみ。
だが、その唯一残された生来から持ち得る感情は彼女自身が抑え込む事になった。
彼女は怒ると相手を屈伏させる癖があった。
父には負け通しだが、勝つと頭を足蹴にするくらいはする。
父にはソレをやろうとしても対抗手段があり、父の方が強い為、その衝動を抑える必要はない。
だが、メスに力を振るってはいけない。自分より弱い子どもに躾以外で力を行使してはいけない。
それは動物に染み付いている本能だった。
その為、メスである母を排除出来ず、衝動を抑えるのに困っていた。
だが、抑えるモノがソレ一つに絞られた為に負担は軽減した。
ほぼ波のない感情は少し動いただけでも認識出来る様になった。
その為、少しでも心が動かされたモノには積極的に近付いた。
滅多にない稀にしかない事のため、尚更。
問題はその結果、周りと余りにもかけ離れてしまった事だった。
周りに家族以外は滅多にいないので、異常とは認識しなかった。
自分はポンコツだから同じ様に出来ず違うだけだと認識した。
元々、物事を平面でしか見れない彼女には、絵の中もテレビの映像も目の前の映像も識別が出来ず、存在感が希薄なものとしか認識出来なかった。
死んでいるモノはカラッポの為、すぐにわかった。
生存本能が強い彼女には”死体”は忌避するものであり、近付けないものだった。
その辺にいる存在感のあるモノ達はカラッポではないので恐怖はなかった。
お葬式に連れられ「献花を」と言われても近付けなかった。
幸いな事は父も幼い頃は”死”には近付けない人だった。
その為、離れて恐怖でボロボロと涙を流している彼女を近くに呼ぼうとした母親を止め、自由にさせてくれた事だろうか。
親戚が「冷たい子」と悪口を囁いても、何の感情も生まれない程には、心は制御され大事に大事に守られていた。
感情がほぼ動かない彼女は理屈や思考で動くしかない。
もしくは、本能に丸投げすれば、勝手に自由に対処してくれる事に気付いた。
瞬間的な防衛反応は身体が勝手にやってくれた。
自分で考えて動く事よりも、丸投げした方が良く動ける事にも気付いた。
その内、身体の支配権を本能に丸投げし、意識だけは自分で維持する、という切り替えも自然と覚えた。
だが、それは感情面を成長させることに著しく影響し、感情は複雑化することもなく、情報や状況などを考慮し、思考した上で、もしくは本能の思うままに動くだけとなった。
彼女は思考を読む程に能力は発達したが、感情を分析データに反映出来ず、良く読み違いをした。
彼女の感情の理解度は何色。と色がぼんやりと見える程度のモノで分析するには情報として足りない為、考慮されることはなかった。
そして自身の感情についても、興味がなかった。
時折、心臓が涙が出る程に痛くなったが、彼女が自身に課した事は「自分の事で泣かない」だった。
泣いても何の解決にもならない。
何も変わらない。
自分は”カワイソウ”じゃない。
”ポンコツ”という劣等感はあった。
だが、その立場に甘える気も、劣等感に身を浸す気もなかった。
普通に出来ないなら、自分なりに普通に出来る手段を見つけるのみ。
彼女は知識を増やす為、より読書に勤しみ、定期的に母が行く図書館で本を借り、ニュースなどの情報番組を好んで見る父の側に座り、一緒に見ながら色々と質問をし、情報を増やした。
情報番組は図解や文字が多く表示され、バラエティやドラマ、アニメなどよりも理解しやすかった。
父は母と違って、世界情勢や政治のニュース、ノーベル賞を取った論文の話や哲学、遺跡のドキュメンタリーなどが好きだった。
逆に母はドラマや歌番組を好み、父とはテレビについて語る事は出来ず、難しい話は嫌いだった。
父はテレビ内容についてアレコレと語る相手がおらず、息子はまだ小さく興味がないのかゲームに夢中だった中、話相手であり、教える相手が見つかった事が嬉しかった。
子供との接し方が取っ組み合い意外わからなかった父は、予想外なコミュニケーション方法の発見に俄然ヤル気を出し、年不相応だろうが、聞かれた事や知っておくべき事を娘に色々と教えたのだった。




