~幼児編 3~
本当の年齢別検査内容や診断基準なんて知りませんので、本気にしないでくださいね。
検査の類いは別室で行われる。
本来ならば、通常の診察とは別の扱いとなり、予約の関係で日を改める事になる。
別途予約が必要な理由は、検査をする専門家に予約しなければならないからだ。
武田の父や武田自身も検査する資格や知識を持っているが、通常の診断と雑務で忙しく、なかなかそちらに時間が取れないため、依頼している。
だが、本日の武田の接客はこれで終わりであり、後は父親の担当のため、このまま検査をしてしまうことにした。
この子供は少々癖が強過ぎる気がした為だ。事前情報がなれけば、検査結果が変わる程に。
母親は、言えばすぐに検査してくれるものだと思っていたようで、説明したら驚いていた。
だが、空いているので本日このまま移行出来ると伝えると喜んだ。
娘と違って喜怒哀楽の分かりやすい人だ。
「では、お嬢さんだけ別室にどうぞ」
「私が一緒ではダメですか?」
上目遣いでおねだりされても困るんですが。
「お母さんは待合室でお待ちください」
「んー。でも、目を離すと怒られちゃいますし。私が」
自己保身ですか。ここまで露骨なのは凄いですね。嘘でも娘が心配とか言わないんですか。
「娘も心配ですし!」
慌てて良いお母さんぶりをした。
まぁ、母親はともかく。
言葉の聞き取りが苦手ということなので、最初は居てもらった方が良いかもしれない。
検査に入る前に退室して貰えば問題はないだろう。
この母親は武田には扱い易い部類だし、退室するに充分な理由もある。恐らく、ソレを伝えれば喜んで退室してくれるに違いない。
母親よりも娘の扱いに手を焼きそうだ。
手掛かりが一切ないと言っても良い状態なのだ。
「では、お母さんもご一緒にどうぞ」
「はい。ホラ、行くわよ」
子供は無言で後に続いた。
今までの一連で少女は一言も話していない。
小さな子供が長時間も病院に付き添えば、大抵は飽きて騒ぎ出すのだが、寝ていたせいだろうか?彼女が騒ぎ出したり、飽きて駄々をこねる様子はない。
寝てはいるが、声を掛けられたらすぐ動く事から本当に寝ている訳ではないのだろう。寝ている態勢なだけで。
ぼんやりしている訳でもない。
武田にはこの子の知能に問題があるとはとても思えなかった。
「さて。初めましてだね。お兄さんは武田というんだ。よろしくね」
武田の対面に座らされた子供に挨拶をした。そう言えば、挨拶もしていなかった。
母親は後ろに座っている。
ソワソワと落ち着きがないのは母親の方だった。
「・・・」
そして問題の子供は無反応だった。
聞き取れなかったのだろうか?
それとも自然にスルーされたのだろうか?
ここまで自然体にないものとして扱われると少し困る。
反抗して無言、と言うのならば検査内容に含まれるのだが。
思わず、母親の方を見てしまった。
「理乃、このお兄さんは知らない人じゃないから、お話しても平気よ」
「・・・(こっくん)」
まさか、言い付けを守っていただけとは!!
確かに初対面な武田は理乃にとっては「知らない人」だろう。
まさか毎回、知らない人に話し掛けられる度にあんな風に無視しているのだろうか?
人形のように綺麗な顔だ。
表情がないため、美人とは言いづらい。
だが、雰囲気がそうさせるのか、作り物めいた人形感や虚ろな感じはしない。
月の様に静かに存在感を持って在る。
この子供に無視されると、何故かかなり堪えるのだが…。
地味に凹んでいた武田をよそに母娘のやり取りは続いていた。
「声を出しなさい。出せるでしょう」
「あー」
ワザとであれば、かなり馬鹿にしているが、本気でやっている。
確かに知能を心配するかもしれないが、言われた事だけに素直に反応してるだけの様にも見える。
真面目というか融通が効かないというか馬鹿にしているのか判断の難しい処だ。
「いい?このお兄さんの言う事をちゃんと聞くのよ?しなかったらオヤツ抜きだからね」
「ふぁぁあい」
この返事はオヤツ抜きにションボリしたり、面倒がってのスローテンポではない。
真面目な顔(というか無表情)での返事である。
「すみません。この子の喋り方かなりムカつくんですけど我慢してください。言っても治らないんです」
もしかして、その子が喋らないのは、口調に対して貴女が怒ったからでは…?と思った武田はきっと悪くないだろう。
子供はまだ筋肉が発達してないため、どうしても舌ったらずな口調になる。
その上、この子はだいぶ甘い柔らかい声質のため、甘ったれたぶりっ子の様に聞こえなくもない。
あまり大きな声を出した訳でもないのに室内に充分届くほど通りが良い。
これでは騒いでなくても五月蝿いと叱られそうだ。
何となく、この子が声を出さなくなった経緯に想像が付きつつも検査前に簡単な状態確認をする。
言葉の聞き取り能力によって、検査の方法は変わるし、年齢が幼いので年相応のものにしなければならない。
特にこの年頃の子は個人差が激しく、育った環境でかなり変わってくるため、本来の知能が測れない事が多々ある。
虐待を受けている可能性がある場合は尚更に。
「検査の前にちょっと確認したいんだ。お話聞かせてくれるかな?」
「ふぁぁあい」
力が抜けてくるが気にしないでおこう。
「まず、自分のお名前言えるかな?」
「ん~…ママ、どぇ?」
どぇ?とは。どれ、だろうか。
この子は名前を複数持っているのか?ハーフやクォーターならミドルネームがあるし、その場合には愛称で呼ばれていて、そちらしか覚えていない可能性もあるが…。
「理乃。でしょ!」
「チィビィ、みぃきぇはぁ?」
チビ、ミケ、か?
「それは呼び名!」
チビはともかく、ミケはどこから来たのだろうか…?
「ちぎゃうにょ?」
「違うの」
「にゃんじぇ?」
「五月蝿い!お兄さんにお返事してればいいの!」
「…ふぁぁあい」
「すみません。続けてください」
今のやり取りをなかった事にするつもりらしい。
だが、こちらとしては役立つ情報があった。
まず、普段この子は名前で呼ばれておらず、あだ名で呼ばれているため、本名がどれかの判別が着いていない。
そして、子供特有の何で何故何故攻撃は封殺されていること。
知能というより、知識が年相応以下と思った方が良いだろう。
普段、外出もあまりせず、物を尋ねても答えはなく、喋ると叱られるのでは質問すらあまりしていない可能性が非常に高い。
そして、このスローテンポがこの子のテンポらしい。
返答の間にワンテンポからツーテンポくらいの間がある。
考えるのが遅いのだろうか。
「えっとぉ、りの、です?」
聞かれても困るが、まぁこの子も自信がないのだろう。
何だか黙っている時と喋っている姿ではイメージが違い過ぎるんだが…。
勝手な話だが、喋り方が雰囲気と一切合っていない。
外見と中身が必ずしも一致する訳ではないが、顔立ちではなく、雰囲気と合っていない。
この年でここまでギャップがある子も珍しい。
「いま、いくつかな?」
「んー…みっちゅ?」
毎回疑問符が着いているのが不安だ。
実は、早くて聞き取れない音声の場合、幼い理乃は頭の中で復唱する事で音を認識し、自分が理解出来る速度に脳内でスロー再生して単語だけ拾っていたのだが、記憶出来る程の速度や集中力がまだ上手く使いこなせず、失敗が多かった。
その為、この手段は、気になるけれど理解出来ない状況、または理解出来ない単語を記憶として残し、理解出来る歳になったら脳内再生させて理解する。という事に使われていた。
まさかそんなことが出来るとは誰も思わず、本人は普通だと思っていた為、聞かれるまで誰も知らない事である。
「今日は何日かわかるかな?」
「??にゃんにちぃって、なぁにゃ?」
発言能力は年不相応に低いかもしれないが、喋る環境になかった事を考えると微妙なラインか。
知識に関しては予想通りだった。
月日という概念はまだないらしい。
「何曜日かわかるかな?」
「??よぉびぃ?」
週間の概念もないらしい。
母親を見ると呆れた顔をしている。
この年頃の子が知らないのは本人の責任と言うよりも、周りの大人の責任なのだが、当人にその自覚はないらしい。
まぁ、大体のペースはわかった事だし、母親には退室して頂こうか。
「お母さん、これから検査を行いますので、退室してくださって結構ですよ」
「え?私、同席しますけど」
「三時間くらい掛かりますが、よろしいですか?」
同席されると、つい親が答えを教えてしまったり、ヒントになることをしてしまうので、基本的には同席はない。
「あ。じゃぁ、三時間後に来ます。お願いしますね」
「はい。もちろんです」
「ちゃんと良い子にしてるのよ!わかったわね?」
「ふぁぁあい」
母親は言い残すと颯爽と退室して行った。
おそらく、ウィンドウショッピングか、ゆっくりお茶でもして来るに違いない。
子供連れだと中々ゆっくり出来ないので、久しぶりの羽根伸ばしだろう。
「お母さんいないけど、大丈夫かな?」
「ふぁぁあい」
心細さみたいなものは皆無らしい。
ゆらゆらと母の後ろ姿に手を振っていた。
”ひらひら”と表現出来ないスピードなのはお察し頂きたい。
ただ、若干、先程より空気が緊張している。
心細さはないが、警戒はあるらしい。
母親が同席していた時に対面した時には、人見知りの感じはなかったのだが。
まぁ、見ず知らずの大人の男と密室で二人きりになって、全く警戒心が無い方がある意味問題な為、これでいいかもしれない。
検査内容は多種多様である。
一問一答もあり、パズルや図形問題などもある。
やはり、知識においてはかなり低いが、これは後々覚えられる。
このテストは学校のテストではないので、情報量や知識量はさして問題視しない。
「これはどんな意味かな?」
「…うりぇしいって、なぁにゃ?」
「嬉しい、わからないかな?」
「わかんにゃい」
「じゃぁ、楽しい、はわかるかな?」
「?わかんにゃい」
「悲しいは?」
「いたい?」
「好きなことは?」
「?ないお?」
「食べ物で何が一番好きかな?」
「ないお」
「苦手なものは?」
「う?」
「怖いものは?」
「やー」
「保育園は楽しみ?」
「きゅえん?なぁにゃ?」
「お友達が沢山出来る所だよ」
「いやにゃーい」
「どうして?」
「どーせぇ、みんにゃバカってゆーもん」
「今も言われてるの?」
「うん」
「嫌じゃないの?」
「ゆってもやめてくえゆわけないもん」
「どうしてそう思うの?」
「パパたちがそーだかあ」
「自分の事、どう思う?」
「んーと、バカでぽんこちゅでいやないこってゆってた」
言語を理解していない、と言っていたが、充分聞き取りが出来ていた様だ。悪口までバッチリと。
ただ、そこで怒らないで、そうゆうもの、と覚えてしまっているのは可哀相だと思った。
終始、口調からはそうは思えないが、彼女なりの淡々とした問答だった。
表情は変わらずの無表情。
口調もゆっくりで発音がまだまだ未熟だが、一定のテンポであり、乱れる事はなかった。
考え方や答えを聞く限りシンプルで素直な思考かと思えた。
単純という意味ではなく。
「何故?」が封殺されている為か物事に対し深く考えるには情報や知識が足りないのだろう。
質問には、大抵が一言で返答がくる。
そう思った矢先だった。
同じ形ではあるがサイズが違う物がそれぞれ中心に描かれている二枚のパネルを見せた。
「どっちが大きいかわかる?」
見たら「大きい」の意味を知っていれば、誰にでも即答出来る問題だった。
だが、彼女は長い間パネルを見比べ、熟考の末に「わかんにゃい?」と答えた。
悩むような微妙な違いではない。
パネルいっぱいに描かれているモノと、パネルの中央に十円玉くらいのサイズに描かれているものだ。
「どうして?」
「う?だって、おにゃじばしょにありゅか、わかんにゃいもん」
「両方、真ん中に描いてあるよ?」
「こっちぎゃちかくにあって、そっちのがとおくにあるきゃもだもん。だから、わかんにゃい」
こっち、と大きな絵柄のパネルを指し、そっち、と小さな絵柄を指した。
確かに絵柄以外の周りは共通として白に統一されている。
それは背景の色によって目の錯覚を起こしサイズがわからなくなってしまわないためだ。
逆にそれを利用したモノもあるが、これは単純なパネルテストの入口である。そこまで細かい引っ掛けはない。
だが、それが理由で前後の位置関係まで考慮に入れたりはしない。
確かに言われて見れば、その考え方ではどちらが大きいか、と考えると、わからない、が妥当だろう。
少なくとも、断言は出来ない。
何故なら、どちらも中央に描かれているからだ。
実際に二つの同じサイズの物を用意し、絵柄と同じように見える様に遠近を置けば絵柄通りにはなる。そうした場合、答えは同じ。となる。
だが、彼女はそれを考慮してもわからない、と答えた。
「しょれとも、ほんとにこのおおきさにゃのかもだし、ちっさくみえるのがすっごくとおくにあるかもだし…わかんにゃい。わかゆ?」
なるほど。確かにこの質問だけでは答えは出せないだろう。少なくとも彼女には。条件に「同じサイズ、形をした絵柄が二枚あります」を補足しなければ、正解に導くには問題がある。が。
そこまで考える必要がない問題である。
シンプルで素直と思ったが、どうやら一筋縄では行ってくれないようだ。
聞き取りが苦手な事には代わりはなかった。
文字で見た質題と音声で聞いた質題では、明らかに差があった。
面白いのは、補正能力と認識能力だった。
同じ種類の少し違う図形問題は、熟す毎に正解度や処理速度がドンドン上がって行く。
同じ系統のモノは一回覚えてしまえば、少し違っても応用が効いた。
パッと見ただけで、問題が過去に問いたパターンと同種だと気付く。
こちらは問題を出すだけであり、答えは一切言わないのだが、間違いにも自分で気付き、修正していく。
ただ、立体問題は苦手なのか、九個のキューブを使い、見本のイラストと同じ形を作る問題では、修正が追いつかない様だ。
一問目では、
「かじゅがたいにゃいお?」
「そんなことはないよ」
といった具合に、同じ絵柄は作るのだが、形が違っていた。
立体の物を平面図通りに作るのは、少し難しい。
だが、二問目では突然に、見た瞬間に完成させていた。
どうやらコツがわかったらしい。
だが、それも正方形の問題が限界らしく、後半になるに連れ、正解したり形は似ているが、という結果も増えてきた。
まぁ、全問正解した場合、かなりの知能指数が出てしまうので、全問正解する人の方が少ない。
何処をどうしたら、どの絵柄になるかなど、その辺りがきちんと対応出来ているので問題はない。
パズル問題では、何故かパズルをせず「ちょぉちょさん!」と独創された時はどうしようかと思ったが。
どうやら「パズルを完成させる」という目的を忘れてしまったらしい。
本来の形とは全く違う蝶々、だろう形で自信満々に完成を告げていた。
三時間にも検査は及ぶ為、後半には疲れていたが、飽きる様子もなく、処理速度も変わっていない。
だが無理は禁物の為、念のため一息休憩を入れる。
この子はその休憩時間を質問時間へと変えて気分転換をして過ごした。
三時間後、母親が迎えに来た。
淋しがる事もなく、再会した母親に喜ぶわけでもなく。
「検査、どうでした?」
「正式な回答は一ヶ月くらいお待ちください」
色々時間が掛かるものなのだ。
「え。保育園への申し込みもあるので、問題があるかどうかだけでも今わかりませんか?」
こういう事はよくある。
検査結果とは、大概時間が掛かるものであり、安易な返答は出来ないのだ。
まぁ、この子の場合は普通保育か否かの問題で、最低限の答えくらいは出ているので、伝えてしまおう。この子の為にもなるだろう。
「問題はないかと。ただ、通常よりも言語能力がかなり低いので、頻繁に話し掛けたり、質問には答えてあげてください」
「やっぱりバカなんですね」
そのまとめ方はどうかと思うのだが。
「バカ、ではないと思いますよ。問題は言語能力だけですから」
母国語を初級の外国語修得レベル以下にしか理解していないのは、それだけ耳にしていないからだろう。
この子のスローテンポも、動作で問題を解く時には発揮されず、むしろ速く動いていた方だ。
ただ、集中している時のみなので、普段はこのゆっくりとしたテンポで生活しているのだろう。
差が激しいが、切り替えが出来る様なので問題があるわけではない。
これならば、早く同世代の子達と合わせて、テンポを覚えた方が良いかもしれない。
一月後、判明した結果は、基本的には患者に渡す事もなく、こちらに情報として蓄積されるだけだ。
希望した場合はコピーを渡す。
最も、専門用語ばかりなので意味を理解出来ないとは思うが。
「知能指数は言語性が少々ギリギリでしたが、動作性の結果が良いので、全体としては平均値の中で少し低め、といったところですね」
「それって問題ないんですか?」
「若干、融通が効かなかったり、何でも素直に言葉通りに受け取る事が多いので、注意してください」
皮肉の類いは一切効かない上に、真面目にそのまま受け取る可能性が高い。
「問題は感情面ですね」
「あぁ…すぐ暴れたり泣いたりしますしね」
まぁ、それもあるのだが。
相手を選んでいる辺り、自制心に問題はなさそうなので、無闇矢鱈と暴れる事はないだろう。
むしろ、年齢の割に強過ぎるかもしれない。
「それ意外があまりない様なので」
「問題あります?」
「色んな経験をさせてあげてください」
「動きたがらないんですけど」
私悪くない!という顔つきだ。
「無理に動かせ、とは言ってませんよ。今はお散歩や公園で遊ぶのでも充分かと思いますし」
「嫌な事を無理矢理させるのは嫌なんですけど…」
嫌なのは明らかに貴女ですよね?
検査中に発覚したが、彼女は好奇心はきちんとあった。特に知識欲は強い方だろう。
だからこそ、ここまで親も面倒になったのかもしれないが。
何せ「にゃぁんで?どぉしてぇ?」が答える度に返って来る。
今まで抑えされていた反動もあるかもしれない。
あれだけの好奇心を普段抑えているのであれば、かなりの自制力だ。
母親は少々不満そうに帰って行った。
問題ないと言われて不満とは色んな価値観があるものだ。
母親の育児面にかなり不安なので、出来れば定期的に来て欲しいものだ、と思った武田の希望は嫌な方向で実現した。




