~霞沢相談所~
拙い文章ですが、お付き合いいただければ幸いです。
東京だが、都会とは言われない地区。
住宅街でもなく、駅前でもない。
一昔前の雑居ビルが建ち並ぶ区域のビルの一つの四階のワンフロア。
そこに「霞沢相談所」と呼ばれる事務所があった。
古ぼけている上に汚く、看板すらない。
知らなければ見過ごしてしまいそうなほど、申し訳程度に表札に事務所の名前が書いてある。
目印になるのは、一階にある昭和の頃から店を開けている、懐かしい雰囲気の喫茶店くらいなものだろう。
事務所の住民には目印などいらない。
事務所の客には少々不便かも知れないが、その事務所は完全予約制。
住所や電話番号、メールアドレスを知っている人間しか来ないのだから。
そんな一昔前の雑居ビルには少々不釣り合いな、今時の清楚系な服装をした女性が朝からほぼ毎日通っている。
余談だが、本人の知らない所で界隈の住民には唯一の清涼剤として愛されている。
そんなことを知りもせず、慣れた調子で事務所に向かって行く女性の名前は鈴木真知子。
今時珍しい黒髪を肩下まで伸ばし、アクセサリーで綺麗に纏めている。
色白な肌にナチュラルメイク。
狐顔と称される少々きつめな美人。
事務所の唯一の従業員だ。
「~♪」
手慣れた様子で錆びてギィギィと音が鳴るポストのチェックをしていく。
事務所の主はポストを見る、なんてしないのだから、唯一の従業員である彼女がしなければ、瞬く間にチラシで溢れかえる。
自分で見るように注意したが、当の本人は「どうせゴミしか入ってねーだろ。ほっとけ。隙間がなきゃそれ以上は入れないだろ。」と無駄に終わった。
たまにではあるが、古風に手紙で依頼してくる人もいる。
その事を言っても「手紙なら直近な依頼じゃないだろ。こっちが受諾してないんだ。どこに問題が?」と返ってくる始末。
その思考回路が問題だらけだ!と思っても、今更だ。
何せ、彼女は事務所の主とは中学からの腐れ縁。十年以上も付き合いがあれば、諦めの極地に達しそうになる。
バッサバッサと近くに設置されているゴミ箱に捨てている所を見るに、チラシだらけのようだ。
悔しいことに、事務所の主の言う通りな日が多い。
階段を昇りながら、捨てなかった封筒を軽くチェックする。
役所関連の書類だってあるのだ。
エレベーターは怖くて使う気にはならない。いつ止まっても落ちても不思議じゃない。という意味で。
決して、事務所の主に「最近、少し太ったか?」などと言われたからじゃない。決して。
古い形の鍵で事務所のドアを開ける。
セキュリティーの心配が頭によぎるくらい、古い年代物の鍵。
最新のセキュリティーに替えよう?と進言したのだが、やはり無駄に終わった。「電気が通ってなきゃ作動しない鍵より、今の鍵のが安全。」らしい。確かに、停電の度に閉じ込められたら嫌なので、彼女は引き下がった。
何でも、知り合いの職人さんに作ってもらったらしく、鍵は事務所の主と彼女が持っている二つのみ。
複製も解除も難しいんだとか。
「おはよー。」
挨拶をしながらドアを開ける。
事務所に人影はない。
いくら予約制とはいえ、本日は営業日。しかも予約も入っている。
「またか……」
どうやら、事務所の主が彼女より先に事務所にいることは、早々にないらしい。
もし万が一そんな場面に遭遇したら、彼女は槍が降ることを恐れて外に出られないだろう。
そのまま鞄と書類を自分の席へ。
事務所には彼女用の木製のアンティーク風な机が一つ。
壁には木製の本棚と鍵付きキャビネットが一つずつ。
中央に木製のテーブル。テーブルを挟む様に事務所の主用の一人掛けソファが一つ、二人掛けのソファが一つ。
事務所の大きさの割りには物が少ないので、密閉感はない。どちらかというと、寒々しいほど物がない。
仕事が仕事なので、ゴチャゴチャと物を置き、落ち着かない空間になるよりは、多少寒々しくとも、シンプルな方がいい。
温かさに欠ける気がするが、客に依頼され相談内容を考えれば、必要ないだろう。
相談内容はまさに様々。の一言に尽きる。
最初の頃は知り合いが手が回らない、と紹介されて来た人ばかりだったが、その人が友人や家族に話…の連鎖でお客さんは増えていった。
精神的に不安定な人や進路、人生、果ては嫁姑問題や子育てについて等など…。
薬の処方は一切行っておらず、会話するだけ。
中には心療所の先生やカウンセラーの人まで訪れる。
一層珍しい依頼ーーここでは何故か珍しくないがーー事務所の主と話がしたいだけ、という人もいる。
老若男女問わずなのだから、世の中わからないものだ。
事務所の主は昔から、そう、出会った中学の頃から不思議と男女問わず密かに人気があった。
密かに、というのは、当時には既に捻くれまくった性格が完成していた所為だろう。
男女問わず恋の噂は常に複数。どれだけバイ率が高いんだ。と呆れたもの。
当人に聞いたら「そんなモン知らん。どっから出たんだ?」と首を捻っていたので、噂はどれも噂だと知ったけれど。まぁ、彼女自身も当時は少々思わない所がないわけでもないので、まったく気持ちがわからないわけではないが、付き合いが長いと麻痺してくるのか、今ではどこがいいのか理解に苦しむことの方が多い。
荷物を置いた彼女は、事務所の奥にある扉をノックした。
ワンフロア借りている理由は、事務所の主が自宅兼職場にしているからだ。その為、扉の奥には簡易キッチン、風呂場や洗面所がある。
ただ、一昔前のビルなので全体的に古い。本来は営業の人が取引先に会う前に軽く身なりを整えるためにあるようなものらしく、彼女は住みたいとは思わない。ここに住めるのは、ある意味凄いと思う。
台風に遭遇した日に、有難く使わせてもらう程度。
職場とは別にアパートを借りるなりしたら?と流石に言わずにはいられないほど。
事務所の主の返事が「面倒」の一言で終わったのは、彼女が何度も言うからだ。
会話に出すごとに返事が短くなっていく。そうは言っても、最初は「金と時間の無駄」だったので大差ないかもしれないが、理由が含まれているだけマシな返答だと気付いたのは後になってから。
ノックをしても無反応。いつものことなので気にしないで声を掛けながら渡されている鍵で開ける。
部屋の中はベッドと横に置かれている背の低いチェスト。チェストの上に小さなランプと灰皿。
壁にはみっちりと中味が溢れた本棚とクローゼットが一つずつ。
あ。また本が増えている。スペースは余ってるんだから、本棚を増やせばいいのに、面倒と言ってそこら辺に積まれている。
「おはよー。起きてるー?」
声を掛けるのはせめてもの礼儀。親しき中にも礼儀あり。
膨らんでいるベッドを見れば答えは明らか。
だが、部屋の主は目が覚めていても、いつまでもベッドでゴロゴロしてるのだ。
この質問には後者の可否についてされている。
「ん~…まだ時間…ある…」
どうやら起きてはいたらしい。
布団の中から、高くもなく低くもない不思議な声色が返ってきた。
決して大きな声を出しているわけでもないのに不思議と通る声色。
何故か心にすんなりと通ってくる声。
この声を聞きたくて訪れている人も客の中にはいるのだろうか?
口コミだけで客が増える。目立つ様な看板を設置したり、営業する必要がないくらいなのだから不思議なものだ。
何処で判断しているのか、今までは予約を受けていたのに突如として予約を拒絶される客も少なくない。
理由を尋ねると「中毒や依存されても困る」だとか。客が減るのは収入が減るということ。
こちらだって生活が掛かっているのだから、と受け入れるよう諭したけれど「宗教やってるわけじゃない。」とバッサリ。
確かに教祖とかやるタイプじゃない。人に群がれるのが大嫌いらしい。
あぁ、だから中学時代も「密かに」だったのか。
近寄れる人間はかなり振るいに掛けられる。周りの人間によって。そして本人からも。
興味がない人間は覚えるどころか認識すらしないのだから。
中学一年の春に仲良くなった彼女にはいまいち認識されない側の気持ちはわからない。
編入して来た子が、そうとは知らず声を掛けて、認識すらされてない取り巻きに陰湿な嫌がらせを受ける、なんていうことすらあったのだから、人気の程は推して知るべし。
「早く起きて支度して。予約入ってるの知ってるでしょ」
声を掛けながら、コーヒーを淹れる支度をする。
「…知ってる。まだ時間に余裕があるのも知ってる。おやすみ。」
もぞもぞと布団に包まる。毎日毎日この遣り取りをしている気がするのは気の所為か?記憶を遡る。
うん。昨日もした。
仕方が無いから、ベッドの元へ。これは無理矢理起こさないと本気で起きない。
寝起き姿で客の前に出るのはダメでしょう。
布団をペシペシと叩きながら声を掛ける。布団を取り上げたりカーテンを開けたりとかして強引に起こすと、低血圧なのか、ご立腹になるのだ。
媚を売る気はないが、嫌味の切れ味が三倍以上に跳ね上がる。
朝からそんな思いをしたいような一部の人間じゃあるまいし、ごめん被る。
「ん…しつこい……わかったから黙れ。叩くな。ウザイ。」
よし。起きた。起こしてあげた人間にウザイとか言うな!なんて怒っていたら、この人とはやっていけない。
これが通常運転なんだから。
「ふぁ~。朝からマチは元気だな。無駄に。」
背中まである薄茶の長い髪を緩く一本に縛り、浴衣を腰に紐で留めただけの姿で欠伸をしながらベッドに座り込む、という起き方をした人間が、
この部屋の主でもあり、事務所の主の霞沢 理乃である。
始まりました。どうなることやら。