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川辺の祭  作者: nats_show
※未定稿、詫びなど
80/84

10章2節以降について

 10章1節「果報は寝て待て」の続きは、以下のようになっていた。



10-2 「勝彦大作戦」

 攘却の祭の傍観者(8章の語り手)となった勝彦の救済を図る内容。

 

10-3 「地研の日常」

 新生地研の活動開始。改めてクツバミゴロウの伝承を探る。祐子のその後にも触れる。

 この節で、攘却の祭によって「完結」しないことが示される。


10-4 仮題もなし

 ゴロウとツルの存在を捉え返す。攘却に代わるべきはなにか。


10-5 「父との遭遇」

 博一の父と、博一、悦子が三人でラーメンを食べるまで、という話。

 なぜかそれが、攘却にかわる祭礼の一つになっている。


epilogue

 ラストは博一と悦子が、川辺でうたたねをするシーン。




 なんだかよく分からない展開だと思うが、大雑把な書き方しかできないので勘弁していただきたい。



 ラストについて解説しておく。


 「川辺の祭」は、憑霊現象を攘却の祭によって鎮めるという8章までと、9章以降に分けられる。

 9章と10章は、攘却という方法ではゴロウとツルの現象を解決できないことが示される。そして、ゴロウとツルを背負う者が、博一と悦子だけではなかったことも暗示される。

 この暗示については、既に公開部分の「m」「p」によってある程度示されている。読者にもお分かりの通り、7章までの「m」や「p」は、過去に出現したゴロウとツルの姿である。そしてその中には、良、祐子、正、瀬場らしき者も含まれている。

 10章「p」の千聡も、もちろんツルの転生の一つとして示している。要するに、ゴロウとツルは常にさまざまな形で出現し続けている、ということになる。


 そこで求められるのは、悪霊を攘却し、川に流すことではない。代わって、できるだけ多くの、幸福な時間を加えて行くことが、二人の魂を鎮めることになるはず、と博一らは考える。

 エピローグは、二人が恋人として過ごすことそのものが、鎮魂の祭礼であることを示している。




 鎮魂は完結せず、常に更新され続けるしかない。そんな憑霊現象を、ラブコメとして描こうとした試みは、かなり無茶なものだったと思う。

 とはいえ、「旅と伝説」風のインチキ報告書を作ったり、攘却の祭儀を考えたり、楽しい作業だった。

 憑霊によって語られる非日常言語は、叙事詩に似た形になる。そんな折口的な発想の元で書いた8章は、デロレン祭文と歌謡曲の競演とした。神霊を招く弦楽器は、琵琶や琴から三味線に代わった歴史をふまえ、現代ということでギターにした。

 まぁこんなこだわりは一般読者に通じないだろうが、書いている自分にとっては、充実した日々であった。


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