交叉
「…寝るな」
「お?」
突然頭上に響く声。
平穏な昼休み。妨害にもあわず、安心して昼飯を食った俺は、当然のように昼寝いそしんでいた。
「1+1=」
「田」
「…うむ、正常だ」
「その反応はやめろ」
そばに立っているのは、表情ひとつ変えずに俺をからかう男。
こいつが良、噂の男だ。…ほんとに噂になってるかはともかく。
やせぎすの長身で、俺と違って身だしなみにも気を配っているようだ。せめて出っ歯がチャーミングだったり、若白髪に悩まされたりしていれば許せるのだが、残念ながらこれといった特徴のない男だ。実に困ったヤツである…というのは大いに悪意のこもった紹介である。
…もっとも、別に俺に困る理由はない。こいつの容姿には最初から興味がない。
そもそも、こいつと張りあう理由もない。同じ女に恋していて、「貴様は俺のライバルだー」なんて青春ドラマもないし、まして「貴様、可愛い奴だな」なんてヤヴァイ話もない。まったく何もないのだ。
「………」
「寝ぼけてんのか?」
…力が入ってしまった。誰かについて語るというのも大変なことだ。
というか、もっと簡単な説明があったではないか。
「ふっふっふ」
「…おい」
「今日もラブラブだな」
「…阿呆」
無表情に一言返す男の後ろには、こっそり立つ女。
言うまでもない。良の彼女と言われている、奥村千聡という人物である。
「ちさりん、ラブラブだよなー」
「………」
せっかくのイヤミに反応もせず、物静かな少女を演じる千聡。
今さら俺の前でおしとやかなふりをされたところで、せいぜい気味が悪いだけのことだ。が、とにかくあのやかましい女が今は、借りてきた猫のようにあちこち視線を反らす。落ち着かないヤツだ。
おしとやかな女がそんなにせわしなくてどうする。どう見てもポーズを取れば取るだけ墓穴を掘ってるだけだと思うが。
…余計なお世話か。
やれやれ。
この二人の関係も一年になる。中三の春につきあい始めて、同じ高校に進学出来たのだから、運のいい話だった。
「で」
「ぬ」
抑揚のない声で会話が中断させられた。
…まぁ、俺しかしゃべってないけどな。とにかく、千聡をいじって遊ぼうという俺の提案は、簡単に却下される。
実際のところ、やはり相手である良にも一緒に動揺してもらわないと、いじる側としては面白くない。その点、困ったことにこの男は必要以上に冷静だった。
「話聞いたか?」
仕方ないので、いきなり本題に入る。
残念ながら、良はもともと「遊び」が好きじゃない。この辺、どうもヤツとは意見が合わないところだ。
簡潔な会話がオサレだなんて、間違ってるぞ。そんなポーズをつけるために俺たちは向き合っているのではない。熱く語り合うためだ。そうだろ友よ、同志よ!
………。
脱線した。
とにかく、用件だけ済ますというのは、味気なくてつまらないと俺は思う。落語だって前振りがなきゃ面白くないだろうに。
「んー」
「どした?」
「…要領得ない」
相変わらずシンプルな返答だ。
「あぅぅ」
「……………」
そして隣で小さく声を漏らした千聡が、勝手に落ちこんだ。
別に良は彼女を責めてなどいない。ちさりん可愛いねー、とか口にすることもないが。
出来ないことは出来ない。
ヤツ独特のストレートな言い回しは、少なくとも千聡の能力を超えていることを意味している。それどころか、誰が話そうが同じ結果に終わったと言いたげだ。
…実際、あんな荒唐無稽な話をきっちり伝えるなんて至難の技だ。
「ヒロ」
「あ?」
「青龍の滝、知りたいか?」
千聡のため息が聞こえたのかどうか、良はあくまで単刀直入。
「無論だ」
ぼそぼそしゃべる声につられて、俺もちょっとだけハードボイルドな返答なんぞを気取ってみる。
「…偉そうだな」
「無論でございます」
「………」
うーむ、一瞬にしてナイフを突きつけられたチンピラだ。空しい。
もっとも、語尾を変えただけでなんの意味があるのか疑問も残るところだが。まぁいいだろ、どうせ良だし。
「…良くん、座ったら?」
千聡は千聡で、俺なんていないかのように必死に気を使っている。自分の席に座りもせずにいた時点でこの行動は予想できたが、隣でそわそわし続けるほうがよっぽど迷惑というものだ。
だいたいーー。
はしゃがない千聡はもの足りない。黙ってりゃどうこうって評価もあるらしいけど、今の千聡はミスコン女の笑顔みたいに気色悪いだけだ。
「ちさりんが座ればいい」
「あ…」
良は千聡の肩を掴むと、まるで人形のように椅子に座らせる。慌てた千聡は、視線を泳がせながら立ち上がろうとするが、そこで頭を撫でられてうつむいてしまった。
別に初めてのことではない。これもいつものやり取りだ。
…とはいえ、昼休みの教室ではあまりに目立ちすぎる行動。人前でこんな真似を堂々とみせる良は、とりあえずかなりの人物と言わねばなるまい。教室には、千聡のいう「ライバル」たちもいて、確実にその瞬間に凍りついているのだ――本当にいるのかは知らないが――。これは「フザケンジャネーゾオラ、良くんハちさりんニラブラブナンダヨオラ」という、立派な示威行動なのである。
…まぁ、ちょっと脚色が加わった気がするな。
というか、見る限り良には深い考えなんて何もなさそうだ。以前からヤツは、密かに小動物が好きだったことを俺は知っている。
小動物と呼ぶにはでかい上に、本質的に狂暴だが。
「で、青龍だが」
「おう」
これまた何もなかったように話を戻す。
いや、良にとっては本当に何もなかったわけだ。
「青い龍」
「………」
「…………」
「お前、目が泳いでるぞ」
良と俺は中学に入学して以来のつき合いだ。ベテランともいかないが、その辺の人物より遥かにヤツの性格は熟知している。
だから見た目はともかく、一方でなぜかこの男が三枚目への憧れを抱いていることも知っているし、その結果として繰り出される、アメコミ並みにつまらないジョークへの警戒も怠りはない。
うむ。今回も勝った…。
というか、こんな調子じゃさすがにアメコミに失礼だ。つまらない上にひねりがないのはともかく、「俺はこれからジョークを喰らわすぞ」と、はっきり顔に顕れるのがいけない。
要するに、向いてない上に努力も足らない。お話になりませんわねオオーッホッホ。
「………」
「さて」
「………」
「くそツマラんジョークは置いといて」
実際、このまま永遠に寒いギャグを垂れ流されるのは世の迷惑だ。
「…置いてくれ」
「置いた」
とりあえず、必要以上にくだらないやり取り。どうだ、恥ずかしいか。みっともないことはみっともないと、ヤツにはちゃんと教えてやらねばならん。
何か言いたそうな後ろの彼女は、一瞬俺を睨んだが、相変わらず黙ったままだ。
なぜ黙る。
黙ってどうするのだ。
千聡は少なくとも、この学校においては一流のエンターテイナーだ。やかましい割には男女を問わず人気は高い。もしかしたら、親戚やらご近所の老若男女にも評判の娘かも知れない。
そんな彼女は今、だらしない彼氏のギャグに呆れている。それは間違いない。本当に面白かったなら、普通に笑っていたはずだ。
黙るなよ。いくらいつものことでも、不満でならない。
きっと千聡は、良ではなく自分を、良のふがいないギャグに笑えず、呆れる自分を責め続けているのだろう。彼女にとって、良は手出しの出来ない聖域だ。
………。
「うむ」
「………」
「唐川良のウルトラスーパーデラックスジョークタイムはこれにてお開きだ、ご静聴ありがとう」
「……………………」
なら、良が。
気付いているんだろう。貴様はそんな鈍くはないはずだ。
千聡がダメなら、良が素直に千聡を師と仰げばいいのだ。他はともかく、ボケとツッコミのセンスだけなら一級品の、まさに得がたい隣にいて、しかもそいつは自分の彼女だというのに。
「…お、面白かったよ」
「嘘つけ、ちさりん」
「う、嘘ってわけじゃ…」
まずは照れをなくすことからだ。ジョークの道も一歩から。
うむ。
大袈裟に頷いてみた…はいいが、今なんの話だっけ?
「俺も混ぜろ」
そこに、どこかから戻って来た男。たぶんトイレだろうが、この際そんなことは重要な問題ではない。
珍しくいいタイミング。
格好良く言えば、澱みかけた空気を切り裂く声がした。
正確には、大人の会話を邪魔する幼稚園児ってとこなんだが。
「やめとけ、命を粗末にするな」
「ヒロピー、格好悪い」
「やかましい」
ともかく、勝ピー様参上で、千聡も一気に本領発揮だ。
人間関係とは難しいものだ。
まぁ良かろう。
馬鹿なやりとり――この言い方だと俺もその一人だな――の隙に良も、とりあえずは体勢を立て直したようだ。手のかかる奴だ。
「で、本題」
「うむ」
良は俺の机に腰掛けて、ポーズを決める。
しかしどうせなら、千聡の机に座ってもらいたい。目の前過ぎて俺の視界が遮られる。
「都の守り神に、四神ってのがある」
「シシン?」
「四つの神だ」
「あー」
唐川大先生を囲んで、頭の弱い俺たちが一応真面目に話を聞く光景。
もちろん、そのうち脱落者が出る予定だ。俺が最初じゃないことを祈っておくか。
「玄武、白虎、朱雀、そして青龍」
「げんぶ…?」
「…なんか聞いたことあるような」
「東を守る神が青龍だ」
良は俺の机に四つの方角を書いて説明する。
判りやすいと褒めたいところだが、こうやって公然と落書きされる俺の気持ちを、思い遣るほどの人物はここにはいない。
「ミヤッコノセイホーク、ワセッダーノトナーリ」
「勝…」
「何それ」
「こんな常識も知らねーのか」
ふっ。
足の出ない千聡など、ただの女に過ぎない。
…ちょっとバカバカしいか。ともかく、勝彦のセンスも今さらだが、千聡の無知も恐ろしい、という結論にしておこう。
……………。
本当か? それでいいのか?
「都を守る青い龍ドライブイン、か」
「…強引だ」
あのしけたドライブインに似合わない、ちょっと格好いい由来だな。
もっとも、ドライブインは名前を頂戴しただけだ。まさか名付け親ってわけでもあるまい。
「で、なんであの滝がそうなん?」
「判らん」
「なんじゃそりゃ」
思わずずっこける勝彦。
後ろでこっそり千聡もこけていた。堂々とコケロ!
「単に、流れが龍みたいに見えるって説もある」
「見えるか?」
「…大雨の後だったんだろ」
顔をしかめる面々。
元々、わざわざあの滝を見に来る人なんて、ごくまれにいる程度らしい。
それも当然だ。確かにあれは滝と呼ぶしかなかろうが、龍なんてとんでもない話、普段の流れはヘビどころか、せいぜいミミズがお似合いのちんけなものだ。
きっと何かの間違いだ。
だいたい守るべき都なんてどこにもないではないか。あえて言えばこの町がそうかも知れないが、朱雀は海だぞ。
「で結局、良は聞いたことないんか?」
「…なんとかゴロウか?」
「な、なんとか?」
「わっ、わっ」
いきなりあわてる千聡。きっと今、この空間は凍りついて見えるだろうが、残念ながら遅かりし由良の助。古い。古すぎ。
「クツバミゴロウだ」
「クツバミ…」
「ごめん…」
それにしても、その日のうちにあっさり忘れてしまうとは、さすが千聡だ。褒めてつかわす。
まぁ、別にどうでもいいんだがな。
少なくとも、間違った名前が伝わるよりはマシだ。ノグチと教えなかっただけ偉いと言ってやりたいが、さすがにそれを教えるようでは高校生としてヤバいな。
「聞いたことがない」
「む、そうか」
「…調べてみるか?」
良はもともと歴史好きだ。中学の頃も、何度か一緒に近所を歩いた…ではなく歩かされたものだ。
どんなに図書館で調べようが、必ず一度は自分の目で確認しなければならない、というのがヤツの主義らしい。まぁそれは悪くない、と思う。
…そういえば、彼女――千聡だな――との最初のデートが近所のお寺だったというのには、かなり笑った記憶がある。もちろん千聡にとっては笑い話ではなく、嫌われてるんじゃないかと不安になったそうだが。
たぶん良は何も考えていなかっただろう――デートという意識があったかも謎だ――が、あれももしかしたら、今の卑屈な千聡につながった事件なのかも知れない。
「調べたらありそうか?」
「さぁな」
さも無意味な質問だと言いたげな表情。調べる前に判れば苦労はないか。
「何も出なくてもいいだろ」
「まぁな」
良のこういう所は助かる。
あるに越したことはない…が、なかったらなかったでいい。モヤモヤが晴れるだけでもよっぽどマシだ。
「私も手伝う」
「…ちさりんが調べるのか」
「何が言いたいの?」
千聡は足元をむずむずさせている。
ふっふっふ。蹴れるもんなら蹴ってみろ。
「おい」
「あ?」
今度は勝彦が手を挙げた。まっすぐ、勢いよく。
「俺も調べるぞ」
「は?」
別に手を挙げたって意味ないと思うが、ツッコむだけ無駄なのでやめておく。
この反応自体は想像の範囲だし。
「勝ピー、どしたの?」
「う…」
千聡は勝彦の額に手をあてて、わざとらしいしかめっ面まで。ご丁寧なことだ。
実際のところ、図書館で本を借りたことがないと自慢するような男に、いったい何を期待すればいいのだろう。
「貴様ら、俺じゃ役に立たないと思ってるだろ!」
「当り前だ」
「良、てめえ」
至極当然の返答に突っかかる勝彦。
どうもヤツは、密かに良をライバル視してるような気がする。だから会話に割り込んで来たのだろうし、ここで加わるだろうという予感もあった。
問題は、いったい何のライバルなのか判らないことだが。
「くっくっ」
「くっさめ」
「俺には秘密兵器がある」
「ほぉ」
せっかくの妨害を無視しやがって。
勝彦の自信はちょっと気味が悪い。魔球でも披露されたらどうしよう。
「聞きたいか?」
「………」
「き、き、たいか?」
「うっとうしい、さっさと言え」
何やら得意げな勝彦。
だからといって甘やかしてはいけない。なんたって勝彦だからな。
「そんな態度なら言わねーぞ」
「じゃあ聞かね」
「言わなくていいよ、勝ピー」
「…ぐぐ」
予想通り、誰も乗って来ない。墓穴を掘ったな。
要はさっさと言えばいいのだ、馬鹿め。
「俺の名字知ってるか?」
「…誰に聞いてるんだ」
「指名してやろう。良」
「………」
指差された良は複雑な顔だ。
考えてみたら互いに名字で呼び合うことなんてまずない。案外忘れてるってことも有り得る。勝彦はそのへんを見越しているのか?
自称ライバルを蹴落とすつもりだったら恐ろしい策略だ…と言いたいところだが、恐ろしくもないし策略でもない可能性大だ。なんたって勝彦だからな。
「…判った」
「ん?」
「………」
「うぬ」
逆に良に遊ばれている。どこがライバルだ。
…しかし、良もまさか名字を覚えてただけでこの振りなのか?
「で、清川だとなんだって?」
「あ、ヒロピーずるい~」
「何がずるいんだ」
いいかげん話を進めてくれ。昼休みが終わってしまう。
「…ばーちゃんだ」
「え?」
その瞬間、良がにやりと笑った。
どうやら思った通りということか。
「近いんだろ」
「…何が?」
千聡には全く判らないようだが、良の一言で俺も判った。
なるほど。
清川というのは、滝からそう遠くない村の名前だ。そして勝彦の実家も、確かそこにあったはずだ。今も住んでいる祖母に聞けば…というのは、勝彦らしからぬ名案に思える。
「何も出なくてもいいだろ。…まぁな」
「一人でやるな」
つまらないライバル意識は無視しておけ。
ともかく、情報は多いに越したことはない。たとえ藁をも掴む程度の話だとしても。
本当に藁だったら別に要らないけどな。
「勝ピー」
チャイムが鳴り始めて、立ち上がった良がぼそっとつぶやく。
格好つけながら「ピー」ってのは、かなりみっともないと思うが、当人が呼んでほしい名で呼ぶのがポリシーらしい。
もっとも、勝彦がその名前で本当に呼んでほしいのかは、相当に疑問がある。酒のつまみみたいだよな。
「なんだ良」
「…ギター少年は?」
「あいつか…?」
しかめっ面の勝彦に返事もせず、良は走って教室を出ていった。
勝彦がその後もしばらくまじめな顔をしていたのが、ちょっと珍しかった。




