攘却(前編)
誰だ! お前は誰なんだ!?
我が名は沓喰五郎なり。
我こそは沓喰五郎、陸奥の地に生を受けし者なり。
我こそは沓喰五郎、自ら沓喰の名を戴きて斯く名告りし者なり。
びぇんびぇん、びぇーんびぇん。
須川の峰に初雪の積りし秋の日に、後に沓喰五郎と名告る者はこの世に生を受けた。
須川の峰に初雪の積った秋の朝に、後に自ら沓喰の名を戴いて、このように名告った者は、現世に生を受けた。
その日の風は強く冷たく、父親は辺境の戦に備え出掛けていたので、産屋には幼い兄と母親、そして産婦だけがいた。
まだ幼い兄は自分の弟の誕生を知りはしゃいでいたが、母親の心はそう簡単なものではなかった。
母親が産んだ子は三人いた。その一番上は女であったが、生まれて三日と経たずに殺された。
生まれて三日目の娘を殺した男は、自分の子を代わりに産ませた。それは男で、しかし生まれながらに声を失っていた。
母親の隣ではしゃいでいるその兄は、手足をばたつかせながら声を発することがなかった。それは殺された娘の恨みがそうさせたのだと、乞食の神子は口々にののしりあった。
びぇんびぇん、びぇーんびぇーん。
娘は屋敷前の土を掘って埋められた。その土は屈強な男によって踏み固められ、痕跡すら見いだすことは出来なかった。
だがそれでも、娘は夜ごとに母の名を呼ぶのだとオナカマは告げた。
踏みつけられるたびに呻き声を上げ、殺した男を呪うのだと告げた。
父はオナカマを遠ざけたが、物言わぬ我が子をも厭い、そばに近づけることを許さなかった。父陸奥守は口きかぬ子を殺そうとしたが、母は泣きすがり命乞いを繰り返した。
殺せばさらに呪われるであろうと、乞食神子に告げられた陸奥守は、仕方なく我が子を本屋敷の西方の小屋に押し込め、母には次の子を産ませた。
次の子はこうしてこの世に生を受けた。
後の沓喰五郎はこうして生を受けた。
その騒がしい泣き声は、母親を激しく後悔させた。
母親の隣では声を立てずに兄が暴れ、産湯に生じた波紋は静まることがなかった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
陸奥守にとっては六番目の息子に、五郎と名づけられたのは七日の後であった。
一郎と二郎はすでに元服を済ませており、重々しい装備をつけて父親に従い辺境を守っていた。一郎は二十になり、二郎は十八だった。
辺境の守備は簡単なものではなかった。
小さな土豪に過ぎなかった陸奥守は、力で村々を抑え恐怖で国々を支配したが、最近は病の噂が絶えなかった。病の噂は、その数と同じく反乱を引き起こした。そのような北の地なので、一郎はわざと自分を危険な地にやったのだと疑っていた。
一郎は家督を継ぐはずであった。陸奥守に比べれば凡庸であったが、家臣の多くも一郎を望んでいた。
しかし一郎は、陸奥守が常に自分を疎んじていることを感じとっていた。
自分ではなく三郎に継がせるために、陸奥の守は常に自分の命を狙っていると思っていた。
びぇーんびえん、びぇんびぇん。
一郎とは同腹の二郎も、やはり陸奥守を疑っていた。まず一郎が殺され、次に自分の命が狙われるだろうと思っていた。
しかし二郎は兄のように嘆きはしなかった。
家督を継ぐことなどあきらめていた二郎は、何かが起きた時には辺境の敵に寝返るつもりであった。それゆえに、屋敷にいるよりも辺境の方が安全であった。なるべく父親から離れることが一番だと感じていた。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
三郎は十六。元服は済んでいたが、陸奥守は三郎を屋敷の外に出そうとはしなかった。三郎の母も同じく、息子が外に出ることに反対していた。
三郎の母は、一郎や二郎がいつか三郎を殺すに違いないと、毎日のように口走っていた。数名の近侍は母親をいさめたが、三郎の母は近侍が一郎に通じているに違いないと疑い、密かに殺そうとした。近侍は屋敷を逃げ出し、やむなく一郎のもとに走った。
三郎の母はそれ見たことかと笑い、三郎自身も常に兄二人を恐れ、怯えるようになった。
びえんびぇん、びぇーんびぇん。
四郎は三郎の母が産み、生後数日で南の国へと奪い去られた。
鎌倉殿の元へと送られてしまった。
陸奥守にとって鎌倉殿はどちらかといえば敵であったが、その存在を意識することはなかった。奥州の地から鎌倉は遠く離れていた。
その上、かつて鎌倉殿の弟を預かったこともあった陸奥守は、鎌倉殿のことを軽く扱いがちであった。たかが所領を奪われ伊豆に囚われていた人質であると、今でも考えていた。
しかし家臣たちの考えは違っていた。鎌倉殿の強大さを懼れ、今のうちに通じておくべきと考えた者たちは、生まれたばかりの四郎を奪い、鎌倉殿のもとへ連れ去った。
連れ去った者の多くは、三郎の母を憎んでいた。だから鎌倉の地でたとえ四郎が殺されたとしても構わないと思っていた。
そして四郎は行方知れずとなった。鎌倉殿のもとにいないことだけは確かであった。
四郎を見たと語る旅人はあとを絶たず、三郎の母はそのたびに遣いの者を送ったが、見つかることはなかった。旅人の語る四郎の姿はどれも異なっており、ただ我は四郎なりと名乗った者が諸国にいた。
これら四人の男の弟が、名もなき物言わぬ子と五郎であった。
びぇんびぇん、びぇんびぇーん。
三郎は和歌を習っていた。また母親と貝合わせをするのが得意であった。貴族の子として、三郎は育てられた。それは陸奥守の望みであった。
陸奥守は村々の若者を徴発し、屋敷の周囲に次々と大きな寺を建てていた。
出羽の国から呼び寄せた僧侶に、陸奥守はこう言った。あの山には金の鶏が住んでいる、故にここは聖なる地であると告げた。僧侶は陸奥守の言葉を喜ばなかったが、西方に美しいものを拝する地であると追従した。陸奥守は満足し、さらに堂宇を寄進し、広大な庭を整備した。
それらは自らが都人に劣らぬことを示そうとしたものであった。陸奥守自身は和歌を詠むどころか、書状も満足に読めなかったが、息子がそれを習うのは当然であった。
三郎の母親もまた、和歌や入木の道を極めることが家督を継ぐために大切な教養であると思っていた。自分たちは立派な貴族であるから、都人として生きるためにそれらが必要だと考えていた。
びぇんびぇーん、びえんびぇん。
五郎が五歳になったころ、自分も和歌を習いたいと陸奥守に頼んだ。陸奥守は和歌などくだらないものと馬鹿にしていたが、かといって息子が習うことに反対はしなかった。
しかしそれから数日の後に、三郎の母が五郎のもとに押し掛け、五郎とその母親を口汚くののしった。物言わぬ兄を蹴り倒して、三郎の母は去っていった。
やがて五郎は、西方の屋敷から外に出ることを許されなくなった。
五郎の母親は何度となく陸奥守の膝に縋ったが、陸奥守は五郎を許そうとしなかった。本屋敷では毎日のように三郎の母が、五郎らが三郎の命を狙っていると叫び続けた。三郎もそれを信じて怯えていた。
五郎の物言わぬ兄はある日陸奥守の兵に連れ去られた。陸奥守は寺に預けたと言うが、その姿を見た者はいなかった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
数年の後にようやく五郎は屋敷を出ることを許された。それはおくない様のお告げを聞いた陸奥守が、三郎に家督を継がせた日のことであった。
おくない様は薄汚れた棒を操り、陸奥守にこう告げた。
三郎殿はいかなる形であれ、この地に実りをもたらすであろう、と。
五郎殿は長じて後には世を乱す者であるが、三郎殿の近くにあれば幸いを与えよう、と。
陸奥守はこの予言を喜んだ。三郎の母親は五郎の予言に不満を抱いたが、三郎に家督を継がせれば、あとはどうにでもなると考えた。
家臣の多くは、おくない様の予言を危ぶんだ。その予言に不吉なものを感じていた。
しかし家臣はそれを口にすることが出来なかった。それを口にするような家臣は、すでに屋敷の内にはいなかった。
三郎は陸奥守を名乗り、その父親は出家し、道善と呼ばれるようになった。
びえーんびぇん、びぇーんびぇーん。
五郎の母は、三郎が家督を継いだことなど気にする様子はなかった。
五郎の母は名門武家の娘であった。陸奥守が先の夫を殺して奪ったのも、名門の娘を我が物とするためであった。
それゆえに、五郎の母は三郎の母を軽蔑していた。このような家は継いでも価値のないことと思っていた。
そして五郎の母親は、おくない様を信じていなかった。
五郎とともに住む小さな屋敷には、両親が滅ぼされた代わりに陸奥守が渡した、小さな阿弥陀仏があった。五郎の母はこの仏様が何者であるかを知っていた。陸奥守が与えたものを、五郎の母親は一切受け取ろうとしなかったが、この像だけは大切にしていた。
屋敷の中央に安置された阿弥陀仏を、五郎の母親は日夜拝んでいた。陸奥守が建てた寺から僧侶を呼び、観経を唱えた。
びぇんびぇーん、びぇん。
五郎は阿弥陀仏というものが何かを知らず、母親に言われるまま一緒に手を合わせていた。
坊主頭の僧侶が来る日は、屋敷の隅で震えてばかりだった。
僧侶たちの青白い頭を、五郎は恐れた。都というものはそういうものなのだと震えた。
それでも五郎は、阿弥陀仏を拝むことだけはやめなかった。おくない様の目つきは、坊主よりもずっと嫌なものであったし、阿弥陀仏を拝めばいいことがあると、母親のほかにも告げる者がいた。
ある朝、五郎の夢に物言わぬ兄が現われた。兄は五郎の前で阿弥陀仏に手を合わせ、バタバタと手足を動かしていた。それは兄が喜んだ姿であった。目覚めた五郎は、確かに兄も毎朝阿弥陀仏を拝んでいたことを思い出した。
五郎の屋敷は、やがてジブツドウと呼ばれるようになった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
五郎には三人の友達がいた。
一人はホイトと呼ばれる者。大人にはケボウズケボウズと煙たがられていたが、ジブツドウの周囲をいつもうろうろしていた。
ぼろ切れをまとったホイトは、屋敷の中には入れず、大人に見つかっては追い払われていた。
ホイトはぼさぼさの長い髪であったが、自身は寺の坊主より偉いのだと言い張っていた。
陸奥守がいつも頭を下げに出かける大きな寺では、髪を剃った青白い頭の大人ばかりがやかましい声をあげていたが、ホイトはただ、物乞いの時に僅かな間手を合わせるだけだった。両者はまったく何一つとして似ていなかった。
五郎はそんなホイトに興味をもった。
髪を剃った坊主たちは陸奥守の味方で、だから五郎の敵であった。そんな坊主を糞坊主と罵るホイトは、そのうち俺が役に立つ日が来る、と五郎に言った。
五郎は一緒に村外れの川原で草をむしりながら、ホイトの言うことを喜んで聞いていた。言っている意味など判るはずもなかったが、自分に秘密を教えてくれるホイトを、五郎は気に入っていた。
ある日いつものようにジブツドウに僧侶がやって来た朝、五郎はホイトに頼まれ、観経の一巻を盗んで渡した。
ホイトは告げた。こんなものは、お前が持っても価値のないものだ。だから代わりに、自分が持っているものをやる、と汚い紙を取り出した。
小さく折り畳まれたぼろぼろの紙切れを、肌身離さずにいろとホイトは言った。
その紙はホケキョウだと、ホイトは言った。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
次の一人はイモチと言った。ただの乞食だったが、自分は五郎の一族だと口走っていた。今の殿は分家を大切にしない罰当たりだとわめいていた。
だからイモチは何度も屋敷に忍び込み、ある時は陸奥守が食べるはずの飯を盗んで食った。またある時は槍を盗んで、ジブツドウの阿弥陀仏の手に持たせた。
屋敷の者の多くは誰の仕業か薄々感づいていたが、知らぬふりをしていた。いくら乞食でも、見つかれば殺されることに変わりがなかったが、イモチの悪戯は陸奥守にとって恥であったので、すべてが秘密とされ、探索も行われなかった。槍が盗まれたことを知っているのは、屋敷の内でもほんのわずかな人間だけだった。
本家に近づけない五郎も、当然知らないはずだった。
だが、イモチはそれを、すべて五郎にしゃべっていた。分家様の武勇談だと言って、得意げにしゃべっていた。五郎もそれを喜んで聞いたので、イモチはどんな些細なことでも語っていた。
イモチは五郎に優しかった。イモチにとって、五郎は自分と同じ分家だったから、五郎は自分の弟のようなものだと言っていた。
五郎の母はイモチが怖いと口にしたが、五郎にとってイモチは友達であった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
しかし一度だけ、イモチが大騒動を起こしたことがあった。
それは五郎が十歳になったある日のことで、イモチはいつものように屋敷に忍び込むと、三郎の寝室にしまってあった掛け軸を盗んだ。
その掛け軸は陸奥守が代々大切にしてきた家宝だったので、すぐに犯人探しが始まった。
真っ先に疑われたのは五郎だった。三郎の母はきっと五郎が盗んだのだと騒ぎ立て、陸奥守も疑いの目を向けた。
五郎はそもそも、掛け軸があることすら知らなかった。本屋敷にほとんど足を踏み入れたことのない五郎は、家宝のありかどころか、三郎の寝室すら知らなかった。
しかし五郎は、陸奥守の前でも無言を貫いた。陸奥守は疑り深い性格だった。だからもし何かを口にすれば、それだけ陸奥守は自分を疑い、殺すことになると五郎は知っていた。
そんな時、屋敷の前で大声が聞こえた。自分が盗んでやったのだと、叫んでいたのはイモチだった。そしてその手には、紛れもない掛け軸が握られていた。
慌てて陸奥守は近侍を呼びイモチを捕らえさせたが、イモチはしばらく町中を逃げ回った末、結局そのまま行方知れずになった。
逃げる間に、イモチは過去に盗んだもののことも、今回のことも町中にわめき散らした。武勇で知られた陸奥守殿は、分家の自分を斬ることを罪深く思っているのだと叫んだ。
それどころかイモチは自分こそが本家であると叫び、賑わう市の人ごみを駆け抜けた。陸奥守殿は分家でありながら本家をないがしろにし続けた罪滅ぼしに、自分を許すだろうと笑った。
びぇんびぇーん、びえんびえん。
五郎の疑いは解け、西のジブツドウに戻った。すぐに疲れて眠りについた五郎は、やがて妙な物音で目を覚ました。
注意深く扉を開けて外に出てみると、そこにいたのはイモチだった。イモチは五郎の顔を見て軽く笑い、それからすまないと言った。
イモチは五郎にこう告げた。俺の家は分家だからこの絵がない。しかしこの絵は必要なものだ。それに、陸奥守はこの絵の使い方を知らない。だから盗んでやったのだと。
その代わり、お前が必要になった時には返してやる、ともイモチは言った。
五郎はもちろんイモチを許した。彼は友達であったし、五郎にとってそんな掛け軸は必要とも思わなかった。
そもそも掛け軸に何が描かれてあるのか、五郎は知らなかった。五郎の母も、三郎の母も、そして陸奥守自身すら見たことはなかった。
事実、陸奥守は数日のうちには掛け軸を忘れ、三郎の母も特に口にしなくなった。それは薄汚れた価値のない代物でしかなかった。
そのままイモチは姿を消し、掛け軸も戻っては来なかった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
最後の一人はほうがんと言った。友達と言っても、五郎とは親子ほどの年の差があった。
普段は屋敷を出ることの出来ない五郎は、歳の近い者と知り合えず、もっぱら忍び込んで来る者だけが友達であった。
ほうがんはこの地の生まれではないので、イモチは彼をひどく嫌っていた。ほうがんもイモチに会うと、地獄に落ちるといつも怒鳴った。五郎には、二人は似たもの同士にみえた。なぜ二人の仲が悪いのか判らなかった。
南からやって来たほうがんは、はじめは五郎の父親にも呼ばれ、何かをしゃべっていた。しかしやがて屋敷を追い出された。おくない様が、二度と敷居をまたがせるな、またがせれば不幸があると叫んだからだと、後にイモチは語った。
ほうがんはジブツドウの阿弥陀仏をのぞきにやってきた。五郎の母親は喜ばなかったが、勝手に上がり込んだほうがんは阿弥陀仏の前に座ると、ここは方角が良いと笑い、それからおかしな歌を唱え始めた。
ふだーらくーやーぁ
きしぅのーなみはぁみくまのーの
なちのぉーをやまぁに
ひびくーたきのせー
ふるーぅさとーおーぉ
はるばるーここじぃきみぃでーら
はなのぉーみやこも
ちかくーなりーぬらん
五郎は途中で寝てしまった。意味が判らない上にほうがんの声は抑揚がなく、いつ終わるとも知れないものだった。
よおてーらーすーぅ
ほどーけーのしるーしありけーれぇばーぁー
またーともーしびーも
きえーずありけーぇぇーるー
いまーまでーぇーわ
おやーとーっぉーたおみーぃぃしぃ
おいーぃつるーぅぅお
ぬきてーぇぇおさぁぁむるー
みののーぉぉたにぐみ
なむだいしだいひくあんぜのんぼさー
しーまぁじーまぁぢぅざいごぎー
しょうめーじーたぁびょーどー
そっしんじょーぶーーーーーつーーーーー
半時ほどして、ようやくほうがんは歌をやめ、立ち上がって五郎の前に立った。その表情は笑っていたが、五郎は怖いと思った。
ほうがんは五郎にこう告げた。すでにお前はこの世の者ではない。だからお前はもう死ぬことがないのだと五郎に告げた。
五郎は黙ってその言葉を聞いた。理解できないが、嘘ではないと感じていた。
びえんびえーん、びぇんびぇん。
数年の後、ある朝道善は兵を揃えて一郎、二郎とともに国境へと出かけて行った。
すでに五郎も十五となり、元服も済ませていた。父に似て武勇にすぐれていると家臣は噂していた。
五郎は父に、戦ならばぜひ自分もと願ったが、道善はただ不機嫌な顔で、戦ではないとつぶやいた。
二日ほどして、道善らは帰還した。馬を連ねた隊列の中で、道善の隣に一人の若武者が並んでいた。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
本屋敷での対面では、その若武者がやはり道善と並んで座っていた。
すでに家督を継いでいた陸奥守三郎は、若武者の前に進んだものの緊張して何も言えず、ただ黙って立ちつくしていた。
道善は仕方なく三郎を座から追いやり、一郎に挨拶をさせた。
一郎の挨拶に対して、若武者は尊大な態度で答えた。五郎は少なからず呆れたが、この若武者が鎌倉殿の弟と知って、ことの次第を理解した。
かつて五郎が生まれる前、この屋敷に源氏の子がいたと聞かされたことを、五郎は思いだした。
その子が元服の後に平家を滅ぼしたと、父陸奥守が誇らしげに語っていたことも思い出した。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
やがて源氏の若武者は、本屋敷から小さな川を隔てた先にある館に移ることとなった。
そこは空き城であり、道善は五郎を入れようと考えていた。しかし三郎の母は、五郎が近くにいては三郎が危険であると、反対し続けた。
それでもしばらくの後に、五郎は若武者と同じ館に入った。若武者の屋敷の東隣に入り、若武者の様子を監視するよう、道善は命じた。
五郎はその命令に驚いたが、おとなしく道善の命に従った。五郎もやはり若武者を信用していなかった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇーん。
若武者は五郎より遙かに年上であったが、五郎と向かい合っていると、どちらが年上か判らないほど若く見えた。
女の衣装をつけていたと噂する者もいた。
五郎は監視のため、口実を設けてはしばしば若武者の元を訪れた。若武者は屋敷に居らず、物見櫓に登って、ただ下界を眺めている日が多かった。そして何かにつけて、都の話をした。都にはこういうものがあると言って、五郎に短剣を見せた。
五郎は都というものがどういう場所なのか興味があった。それに細かく龍の彫られた短剣は確かに素晴らしいものだったので、黙って若武者の話を聞いた。しかし若武者のように、都に行きたくはならなかった。
若武者の話す暮らしぶりは五郎の毎日とあまりにかけ離れ、五郎には想像も出来なかった。やがて五郎は都への関心を失っていった。
都に帰りたいと、若武者は常に口にした。しかしその方法は何も考えていなかった。ただ道善がなんとか策を練ってくれることを願っていた。
五郎はそんな若武者を見て警戒心を解いたが、同時に少なからず失望した。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
館では五郎のもとに何人かの近侍がつけられた。なかでもヨソデンとゲンデンの二人は五郎と年齢も近かった。それまで五郎には配下もいなかっただけに、この二人には何かと気を許していた。
ヨソデンもゲンデンも、近くの村の百姓だった。ヨソデンは一度三郎のもとにいたことがあり、何かと三郎の悪口が多かった。三郎が家督を継いだので、いずれ戦が増えるだろうと口にした。
ゲンデンは女の話ばかりだった。どこの女と寝たとか情に厚いとか熱っぽく語るが、ゲンデンの話を信じると世の中の女は皆ゲンデンの物だった。
五郎は女には興味がなかった。母の夫を自分の父が殺したことを、五郎は十歳の時に知った。その時から女に興味をもつことは罪であった。ゲンデンにいくら勧められても、女とは会うことすらなかった。
びぇんびえん、びぇんびぇーん。
ある年の末、道善が倒れた。卒中だった。辛うじて一命は取り留めたが、ひとりで起きあがることも出来なくなった。
そこで慌てたのは三郎の母だった。家督は継いでいたものの、道善という後ろ盾がなければ一郎や二郎にすら勝てないことを、三郎の母ですら知っていた。
まして、道善は一度も三郎に兵を率いさせたことがなかった。三郎にそれが出来ないことを道善は知っていた。しかし自分が率いることが出来なくなった道善は、三郎に任せるしかなくなった。
三郎が二十歳を幾年か過ぎた年の初めに、それまで道善が率いた兵の前に初めて立った。その年賀の席に、一郎や二郎は国境の守りから手が放せないと姿を見せなかった。従って一同を代表して五郎が三郎に賀詞を述べた。
三郎の視線は宙を泳ぎ、青白い顔で何かを口にしたが、五郎には聞き取れなかった。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
そのころ、鎌倉殿の使者がやって来るという噂が流れた。どこから耳に入ったのか、ゲンデンもしきりに噂した。
五郎はゲンデンの噂を信じなかったが、ある日一郎に呼ばれて辺境の砦を訪ねてみると、一郎と二郎は揃って深刻な表情を浮かべていた。二人は五郎に噂が事実らしいことを告げ、そして一郎は、三郎に任せるわけにはいかないと口にした。その言葉に二郎も頷いていた。
五郎にしても、三郎に不安は感じていた。しかし鎌倉殿の使者が来ることの意味を、五郎はまだ判っていなかった。それに、同じ館にいる若武者が何も知らないらしいことも、五郎にとっては理解出来なかった。未だ半信半疑であった。
しかし、やがて本当に使者がやって来た。一郎と二郎は国境で使者を捕らえようとしたが、使者はそれに気づいて道を変え、結局三郎と会ってしまった。
三郎に使者が何を伝えたか、五郎にはもちろん知る由もなかった。一郎と二郎も知らなかったが、二人は鎌倉へ戻ろうとする使者を捕らえ、有無を言わさず殺した。
五郎は一報を受け愕然とした。使者の口上がどうであれ、殺してしまえば鎌倉殿と戦わねばならないことが明らかであった。
やがて鎌倉殿より先に、一郎、二郎と三郎が戦い始めた。三郎は一度も戦に出たことがなかったので、一郎側はすぐに勝てると見込んでいたのだが、病床から道善が、三郎を助けよと方々に手紙を送った。
一郎、二郎も道善ほどの人物ではなかったので、手紙は功を奏した。不利とみた兄二人は兵を引き、砦に閉じ籠った。しかし三郎は自ら出陣しなかったので、道善の手紙を受けた者たちも、砦を囲んだだけで攻めはしなかった。
五郎は館から動かず、双方に戦をやめるよう使者を送った。しかし三郎の母は、五郎が若武者とともに三郎を襲うに違いないと、屋敷で叫んでいた。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
短い夏が終わろうとするある日、国境に何かが現れた。
鎌倉殿は使者を殺したことに怒り、戦をおこした。一郎、二郎は慌て、三郎は屋敷でただふるえていた。
五郎はすぐに若武者に会い、鎌倉殿に取りなすよう求めた。しかし若武者は首を縦に振らなかった。
若武者は言った。鎌倉殿は自分を殺し、五郎らの一族を滅ぼすことが目的なのだと。使者の死など口実に過ぎないと。
五郎は若武者に、ならばともに戦ってほしいと頼んだ。しかし若武者は再び首を振った。
鎌倉殿は第一に自分を攻めるであろう。自分に構わぬほうが良いと若武者は告げた。
鶏は所詮人に食われるものだと若武者は笑った。
びぇんびぇん、びぇーんびえん。
鎌倉殿は川を挟んだ対岸まで兵を進めたが、そこからしばらくは動く様子がなかった。
五郎はその間に本屋敷に出向き、三郎に協力を求めた。だが三郎の母は五郎を罵倒し、三郎は青白い顔のまま五郎に対して、若武者のもとからほかの陣に移れと命じた。
やむなく五郎は館に戻り、若武者にしばしの別れを告げた。若武者は笑顔をみせ、五郎に短剣を手渡した。五郎は両膝を突き若武者に頭を下げた。
五郎の移った先は北の辺境であり、鎌倉殿の兵からもっとも遠い地であった。この地では戦に加われないと五郎は嘆いたが、三郎は鎌倉殿よりも五郎を恐れていた。
やがてある日、五郎のもとに早馬の使者が現れた。一郎が送ったその使者は五郎に、若武者の館を三郎が攻めていると伝えた。
若武者のもとに兵はほとんどおらず、いかに三郎が戦を知らぬといえども、若武者の死は時間の問題だろうと使者は告げた。
五郎は嘆いた。三郎は鎌倉殿の命じるままに、若武者を滅ぼすつもりであろうと、五郎は嘆いた。若武者を殺せば、自分は助かると思ったのであろうと、五郎は三郎の浅はかさを嘆いた。
そうして五郎はヨソデンやゲンデンを集めた。
若武者に罪はない。我は義により彼の地でお味方せんと、五郎は叫んだ。
びえんびぇーん、びぇんびえん。
急ぎ兵を集めた五郎が南へ向かうと、館は煙を上げていたが、兵の気配はなかった。
最悪の事態になったことを五郎は直感し、煙の立つ方へ兵を進めた。三郎の兵にも遇わぬまま、やがて焼け野原となった館に到着した。
若武者のいた屋敷も、五郎がつい先日まで住んでいた場所もすべて燃えていた。そして周囲には何名かの亡骸が転がっていた。すべて若武者に従ってこの地にやってきた兵であった。五郎は若武者を探すよう配下に命じたが、その姿はどこにもなかった。
三郎が亡骸を持ち帰ったのかも知れないとあきらめかけた時、五郎の前に一人の男が現れた。
現れたのはほうがんだった。
ほうがんは五郎に、自分はこれから南へ向かうと告げた。
南というのは鎌倉のことかと五郎が問うと、そうかも知れないし、そうでもないかも知れないとほうがんは笑った。
五郎はほうがんに、若武者の行方を知らないかと聞いた。するとほうがんは右手をすっと突き出した。その指先には川があった。
気の小さい三郎は、館から遠く離れた場所に陣取ったまま狂ったように叫び続け、若武者一行は一刻近くも勇敢に戦ったと、ほうがんは戦の様子を語った。
三郎は、若武者が力つきて川に身を投げたと聞いた途端に、走り出して川に飛び込んだが溺れかかっただけだった。とうとう若武者の亡骸は見つからなかったようだとほうがんは語り、最後に五郎に向かって歌った。
みーだーのぉーほーがーしんんぜねーばぁー
ぎぃーいいいわぁくをたいぃしぃーてぇ
ほうがんは五郎のもとを去り、五郎もまた、やむなく北の砦へと帰った。その際に五郎は、密かに母親を屋敷から砦に引き取った。阿弥陀仏ももちろん一緒であった。
びぇんびえーんびえんびぇん。
鎌倉殿の兵が動き出したのは、それからわずかな後だった。
国境には一郎と二郎がいたが、たちまちその守りは破られた。兵は口々に、若武者の弔い合戦と叫んだ。三郎が攻撃の名分を与えてしまったことは明らかだった。
五郎の元にも、一郎や三郎から次々と使者がやって来た。もちろん五郎はともに戦うつもりであった。しかし南へ下って三郎の屋敷近くまで到着すると、三郎からの使者がこう告げた。それ以上本屋敷には近づくな、敵の姿を見つけ次第切り込めとの口上だった。
五郎は嘆いた。この期に及んでもいがみ合うしかない兄弟の因果を恨んだ。
そうして五郎は兵を若武者の館に移動した。もちろんそこはただの焼け野原であったが、形ばかりの砦など鎌倉殿の大軍にはもはや無意味であると、五郎は兵に告げた。
やがて国境から敗残の兵がやって来た。一郎と二郎の姿はなく、とある兵は涙を流し、二人はともに討ち死にしたと五郎に告げた。
びぇんびぇん、びぇーんびえーーん。
鎌倉殿の兵は一郎、二郎の陣を破り、五郎には目もくれずまっすぐに三郎の本陣へ攻め込んだ。
三郎は五郎に攻撃を命じたが、自らは屋敷を出ようとせず、隣では三郎の母がただ兵を怒鳴り散らしていた。
人々は我先に逃げ出して、三郎のもとの兵もその半数を失っていた。
鎌倉殿は三郎の暗愚を知っていたので、躊躇なく本屋敷に攻め込ませた。ひとたまりもなく屋敷は落ち、三郎とその母は縄目の恥辱をうけた。
病床にあった道善にも兵が押し寄せた。しかし道善は近侍を呼び、一足先に自らの体を屋敷から近くの寺へ運ばせた。道善は自らが立てた寺の阿弥陀堂に籠もると、辛うじて動く手を使って自害し果てた。
僧侶たちは慌ててその遺骸を引きずり出し、鎌倉殿へ差し出した。僧侶たちは一様に鎌倉殿の到着を喜び、寺院の保護を求めた。鎌倉殿はその豪壮な建物に驚き、僧侶の願いを聞き入れた。
三郎とその母は鎌倉殿の前に引き出された。三郎はがたがたと震え、自らの名を名乗ることも出来なかった。三郎の母はひたすら命乞いをした。
鎌倉殿の側近には、名目上の領主として三郎を生かしてはどうかという意見もあったが、鎌倉殿はそれを退けた。三郎が領民に見放されていることを鎌倉殿は知っていた。
三郎とその母はその日の夕方、川原で首を斬られた。沈む夕陽は金の鶏の如く輝いていたが、彼らに幸いをもたらしはしなかった。二人の首は道善のそれとともに都に送られ、四条河原に晒された。それが親子の夢見た都の景色であった。
びえんびぇん、びぇんびえーん。
三郎が捕らえられた頃、五郎は兵を動かせずにいた。
五郎が様子を探らせにやった兵は、鎌倉殿の兵が攻め込むのを見ていたが、五郎にそれを知らせなかった。
鎌倉殿の兵を恐れ、戦になることを恐れていた。それに、三郎がどうなろうと構わないと、多くの兵が思っていた。
やがて三郎の死を五郎が知った時には、五郎もまた鎌倉殿の兵に囲まれていた。
鎌倉殿は一日の猶予を与え、逃げた者は許すと叫ばせたので、五郎のもとからも次々と兵が消えた。特に一郎、二郎のもとにいた兵は、我先に逃げ出した。
それでも朝になって、五郎のもとには数十名が残っていた。ヨソデン、ゲンデンも残っていた。五郎は母親に使者を送り別れを告げると、集まった兵に感謝の言葉をかけ、鎌倉殿の陣に切り込むと叫んだ。
やがて鬨の声をあげて、五郎は真っ先に敵へと切り込んだ。
びぇんびえん、びぇんびぇん。
突然の鬨の声に鎌倉殿の兵は驚き、隊列を乱した。
混乱の中を五郎は駆け抜け、鎌倉殿の旗印めがけて飛び込んだが、そこには誰もいなかった。
用心深い鎌倉殿は、あらかじめ偽の本陣を用意していた。五郎がそれに気づいた時、四方を敵に囲まれていた。五郎は奮戦したが、全滅も時間の問題に思えた。
その時、物陰から現れた兵の一人が、五郎を馬から引きずりおろした。
引きずりおろしたのは、先に物見にやった兵であった。その兵は告げた。自分は五郎様を裏切ってしまった、申し訳ないことだと思ったと。
そうしてその兵は五郎の背中に鎌倉殿の兵の旗を差し、代わりに五郎の兜を引きちぎって馬に乗った。我は五郎なりと大声を上げて去って行った。
鎌倉殿の兵は五郎の顔を知らなかったので、多くがその声に騙された。
やがてヨソデンとゲンデンが五郎のもとに駆けつけ、今のうちに逃げるよう求めた。五郎は敵に背中を見せることを潔しとしなかったが、ヨソデンは近くにいた裸馬に五郎を乗せ、無理矢理鞭を打った。馬はいななき、どこへともなく五郎を乗せたまま駆けていった。
びぇんびえん、びえんびぇーん。
五郎は半ば気を失いながら、馬に揺られていったが、やがて小さな祠の前を過ぎ、道が途切れると、自らの意志で川に降り、小さな沢を遡った。
五郎はまだ、自分は死ぬべきだったのではないかと考えていた。しかし自分を逃がした兵を思うと、どうしていいか判らず、ただ上流に向かって進んだ。
馬はやがて疲れて歩みを止めた。五郎は降りた馬を沢の上流に向け、激しく鞭を打った。その蹄の痕で、少しでも追っ手を避けようとするものだった。五郎は次第に生きることを望みはじめていた。
山に分け入った五郎は、その昔友達と遊んだ記憶のあるけもの道を登って行った。登ってはいたが、しかし行くあてはなかった。
びぇんびぇん、びえんびぇーん。
やがて前方に人影が見えた。五郎は敵に違いないと思い、懐を探った。若武者にもらった短剣を抜いて、ゆっくりと近づいた。五郎は差し違えて死ぬだろうと予感した。
しかし近寄ってみると、相手は何も武器を持っていなかった。目の前には、汚れた服を着た男が黙って立っていた。
男は、イモチだった。
イモチは五郎に近寄ると、必要な時が来た、少しの間しゃがんでいろと告げた。
五郎の頭は混乱したが、イモチの声には逆らえず、黙って膝を突いた。その瞬間、どっと疲れが襲ってきた。
イモチは掛け軸を取り出し広げた。それはかつて、屋敷から盗み出した掛け軸であった。
何が描かれているのか判らない真っ黒な掛け軸を五郎の頭上にかざしたイモチは、ゆっくりとそれを左右に振った。
それは時間にすればほんの一瞬であったが、五郎には途方もなく長く感じられた。
数回振った後、イモチは掛け軸を自らの背中にしまい、そして五郎にこう言った。
お前はもう死んでしまった。死んだが生きている。だからもうお前は死なない。
山を越えろ。山を越えて西へ向かえ。今のお前なら越えられると最後に告げて、イモチは笹藪の中に消えて行った。五郎は少しの間、取り憑かれたようにその後ろ姿を見ていたが、やがてすべてを忘れた表情で立ち上がった。まだ手には短剣が握られたままだった。
少しだけ休んだので、歩く気力はあった。相変わらず食べる物はなかったが、構わず五郎は山奥に向かった。日が暮れるまでに山を越えられれば、と思った。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
日が暮れた時、五郎はまだ山を越えることが出来ずにいた。山越えにどれほどの時間がかかるものか、五郎は知らなかった。先に進むことが出来ず、五郎は不安になり、手元の草を掴んで食った。腹も減っていた。
生の草は苦くて堅かった。とても食えたものではなかったが、しかしその嫌悪感は不安を奪い去った。そして五郎はイモチの顔を思い出した。自分は死んだ。そして自分は生きている。だから明日は山を越えると、五郎は泣いた。
須川の峰に初雪の積った秋の日に、後に沓喰五郎と名告る者は生まれた地を捨てた。
須川の峰に初雪の積った秋の日に、後に沓喰五郎と名告りし者は生まれた地を捨てた。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
山頂から西に見た景色は、五郎には初めてのものだった。しかし五郎は、何の感慨も抱かず、そのまま下り坂を駆け下りた。
見える景色は、まるで今まで生きていた地のようだった。ただひたすらに山々が連なっていた。まるで今まで生きていた地のように、遠くには曲がりくねる川が見えた。五郎は笑った。そして再び歩みをはじめた。
笹藪を抜け、雑木の山を抜けるとやがて小さな村があった。村人は畑を耕していた。五郎にとってそれは久々に見た人の姿だった。
五郎は危険を感じつつも、意を決して一軒の屋敷に食べ物を乞うた。村人は五郎を見て驚いたが、一杯の粥を与えた。温かな食べ物は体の節々の痛みを呼び覚まし、そして寒さを感じさせた。
夜は村はずれの岩小屋で身を休めた。そこには何かが彫られていたが、五郎は構わず眠った。
びぇんびえん、びえーんびえーん。
朝になり、目覚めた五郎は何かに見つめられていた。
底知れぬ恐怖を抱き、慌てて身を起こすとそこには石に彫られた何かがいた。それは母親とジブツドウで拝んだ阿弥陀仏に似ていると五郎は思ったが、目の前の像はあまりに大きかった。
五郎はそれでも、立ち上がって巨大な像に一礼をした。五郎の背よりも数倍の高さがある像は、もちろん無言のままだった。
再び村の屋敷を訪ねた五郎は、ここからどこへ行けるか、道を聞いた。南と北にそれぞれ道が通じていると村人は教えたが、その中に五郎が耳にしたことのある村の名があった。
それから五郎は、しばらく岩小屋で行き先を考えた。
鎌倉殿の軍勢に見つかれば、たちまちに捕らえられ殺されてしまうだろう。逃げ出さねばならない、それは考えるまでもなかったが、五郎はこの地についてあまりに無知であった。ただ一つ五郎の記憶にある名も、それをなぜ覚えていたかすら忘れていた。
結局その日も五郎は岩小屋で眠った。恐ろしい石の像も、もはや気にはならなかった。
びぇんびぇん、びぇんびぇん。
翌朝になって、岩小屋に二人の男がやって来た。驚くべきことに、それはヨソデンとゲンデンであった。
五郎は喜びつつも、なぜここが判ったのかと問いただした。するとヨソデンは、イモチに教えられたのだと答えた。二人だけが知っていて、ほかに後を追って来た者はいないとゲンデンは言った。
ほっとした五郎は、二人にこれからの行き先を尋ねた。もう一つ山を越えて、少し南へ行ったらどうかと二人は答えた。そこは若武者が西国から逃げて来た道なので、もしかしたら我々を助けてくれるかも知れないと、ゲンデンは言った。
五郎はその言葉で、なぜ村の名を覚えていたかを思い出した。それは若武者が語った昔話の一つであった。
五郎は二人の意見を聞き、まず南へ向かった。境の山はそれほど険しいものではなく、体力の回復した五郎にはたいして苦でもなかった。
追っ手の姿もなかった。五郎らが余所者で、戦に負けた兵であろうことは村人にも一目瞭然であったが、村人は何もしなかった。村人にとっては、ただ五郎らが村を去ってくれればそれで良かった。
ヨソデンは、この辺では鎌倉殿が嫌われているから、ひとまずは安心だとつぶやいた。
南隣の国に入った五郎一行は、やがて小さな沢に出た。しばらく沢に沿って下っていくと、やがて突然視界が開けた。沢は大きな川に合流していた。
故郷を流れる川にも負けないほどに広がる水面を見た五郎は、この先生きていく希望を抱いた。
故郷を捨てた五郎は、この地で生きていく希望を抱いた。
びぇんびぇーん、びぇんびぇん。
川はやがてさらに大きな川へと注いでいた。
五郎一行はそこで船を見た。川の上流から下流へ、東から西へ、荷物を積んだ船が下っていた。そういえば若武者も船に乗ったと語っていたと、五郎は思いだした。
ヨソデンとゲンデンは船に乗れないかと探したが、近くの村人は無理だと告げた。その川は流れが速く、限られた船着き場でしか乗れないと告げた。
五郎は二人に、陸を行こうと言った。船に乗ったら逃げ場がないからかえって危険だと五郎はなだめた。
三人はなるべく川に沿いながら、また山を越えた。川辺は切り立った崖が続き、川原を進むことは出来なかった。
何度目かの山越えを終え、三人の目の前に村の姿が見えた。
意を決して足を踏み入れてみると、そこには大きな船着き場があって、さまざまな人間が働いていた。明らかに村の者ではない顔もあった。
五郎は決心した。ひとまずこの村に潜もうと決心した。
出来ることなら、そのまま村で生涯を終えたいと五郎は思った。
びぇんびえん、びぇんびぇーん。
五郎ら一行は肝煎を訪ね、村で働きたいと告げた。
肝煎には、自分たちが奥州の者で、村を焼かれやむなく逃れた兵であったことを話した。もちろん五郎もそうした百姓の一人だと言った。
肝煎は三人に同情し、この村で働くことを許した。
肝煎はこう告げた。この村は舟運で生計を立てている。素性の判らない者も多くやって来るが、その気があるなら受け入れているのだと。
三人は肝煎に感謝し、村で人夫として働きはじめた。
小さいながらも屋敷を与えられ衣服も替えて、三人は村人と変わらぬ姿になった。
びぇんびぇん、びぇんびぇん。
数年の時が過ぎ、五郎たち三人は、新しい村での暮らしにも慣れたようだった。
ヨソデン、ゲンデンは相変わらず人夫を続けていたが、五郎は別に屋敷をあてがわれていた。
五郎は文字を読み、記すことが出来た。それを知った肝煎は、自分の子どもに読み書きを教えるよう五郎に頼んだ。この沓喰という名の村にはさまざまな者がやって来たが、文字を読める者は五郎しかいなかった。
肝煎は五郎が百姓でないことにも気づいていた。ヨソデン、ゲンデンと主従の関係にあることを、五郎らは隠していたが気づかぬものではなかった。
五郎は肝煎に問いつめられ、自分が奥州で生まれ育った武士であること、近くに寺院がありそこで奉公させられたことなどを話した。
肝煎もいではの山に詣でたことがあり、また異形の者の住む寺という地があることも知っていた。そこでは木彫りの像を拝み、毎日何かを唱えることも知っていた。
肝煎は五郎に、何か唱えることは出来るかと尋ねた。五郎は困惑しつつも、とっさに母親が唱えていた観経の一節を口にした。ホイトにもらった紙もあったが、一度も開いたことがなかったので、うろ覚えの文句を大声で唱えた。
肝煎は満足し、五郎を信頼するようになった。
びぇんびぇん、びぇんびえーん。
五郎はなんとかして郷里の様子を知りたいと願っていた。ヨソデンとゲンデンも妻子を残したままであり、同じ思いであった。
最初の便りは商人によってもたらされた。鎌倉殿の兵は奥州を平定し、鎌倉へ帰ったというものだったが、五郎の一族がどうなったのかは判らなかった。
続いて、一人の毛坊主が村を訪れた。毛坊主は奥州を巡り、死者を弔って来たという。五郎が屋敷に呼んで詳細を語るよう求めると、毛坊主は何れかの縁故の者かと問うた。
五郎は幼い頃の奉公仲間が彼の地にいると答え、毛坊主はその者の行方は知らぬと言った。その代わり、鎌倉殿は北に逃げようとした一郎、二郎を捕らえ、屋敷も寺もことごとく火に包まれたと毛坊主は話した。
五郎は母親と兄の死を確信した。そして自らの身が相変わらず危険にさらされていることも知った。
びえんびえん、びえんびえーん。
ある夏の日、ゲンデンの姿が見えなくなった。
五郎はヨソデンとともに村中を探したが、見つけることは出来なかった。
数日の後、沓喰に着いたある商人が、ゲンデンらしき男の噂を伝えてきた。その商人は体格のいい男が、上流の宿にいた女と二人で船に乗っているのを見たという。
五郎はゲンデンが村から逃げたことを理解した。ヨソデンは、ゲンデンは女に騙されたのだと怒ったが、五郎はそうは思わなかった。
次々と届く風の便りは、鎌倉殿が五郎の生存を知っていて、探しだそうとしているらしいことを知らせていた。それは五郎だけではなく、ヨソデンとゲンデンにも伝わっていた。
だからゲンデンは逃げたのだろうと五郎は思った。
五郎はヨソデンに、もはや我々は主従ではない、危険を感じたらいつでも去るよう告げた。しかしヨソデンはこのまま村で暮らせるだろうと考えていた。肝煎が五郎を信じている限り、危険なことは起きないと笑っていた。
びえーんびえん、びぇんびぇん。
ゲンデンの失踪は、五郎に女というものを意識させることになった。
村に女は数多くいた。百姓の娘もいれば、近隣の宿からやってくる遊女の類もいた。神子もいたが、いずれも五郎には興味のわく対象ではなかった。
肝煎にも娘がいた。いずれも嫁ぎ先が決まっていたが、五郎は彼女らに人気があった。村の他の男にはない気品が感じられると、彼女らは噂した。あるいは高貴な生まれなのではないかと噂する者もいた。
五郎にとってそれは迷惑な噂であった。肝煎の娘はあまりに田舎びて、五郎には関心がもてず、出自をとやかく噂されることは、身の危険につながっていた。
幸い、肝煎は五郎をあくまで下僕として扱い、貴人の噂など一笑に付していた。五郎は肝煎に追従するように、わざとゲンデンに聞いた下品な話を口にすることもあった。やがて肝煎の娘は次々と嫁に行き、噂もたち消えた。
びぇんびえん、びえーんびえん。
沓喰の沢を秋が降りてくる。
野のものを枯らしながら秋が降りてくる。
川沿いの細い道を通って、恰幅のいい老人が陸伝いにやってきた。老人は娘を連れていた。
老人は下流の村の肝煎であった。そして連れ添う娘はその六人目で、一番年下であった。
下流の村の肝煎に娘がいることを、沓喰の男は皆知っていた。もちろん五郎もヨソデンも、噂に聞いていた。
それはたいそう美しい娘であると、男は口々に噂した。かつてゲンデンが、この村一番と言われていた娘とどちらが上かと尋ねた時、娘を見たという男は比べものにならぬと言った。
そんな娘を、隣村の肝煎は誰よりも可愛がっていると、五郎も聞いていた。
娘の名は鶴という。
船乗りの男は鶴子姫と呼び、沓喰を訪れる商人たちもそう呼んだ。
鶴子姫はすでに十七で、父の肝煎は娘を嫁にやらねばならぬと考えていた。もう何年も前から、娘の相手を探しているのだと商人は噂した。
その娘が父とともに沓喰にやってきた。沓喰の肝煎に会いにやってきた。
びぇんびえん、びえーんびえーん。
鶴とその父は、肝煎の元に挨拶にやってきた。鶴の姉が沓喰の肝煎の嫡男に嫁いでいたので、その様子を窺いにきた。
鶴の姉はすでに三人の子をもうけ、さらに身籠もっていた。一番上の子はすでに六歳で、五郎に読み書きを教わっていた。
父親も鶴の姉も、鶴が早く嫁に行くことを願っていた。
しかし鶴の父親は、なるべく良い血筋の者に嫁がせたいと考え、婚期を遅らせることになった。さらに父親が選んだ相手を、鶴はことごとく拒絶した。鶴はその相手の語る血筋が嘘であると父親を責めたので、父もそれ以上勧めることが出来なかった。
鶴と父の肝煎は数日の間、沓喰にとどまった。その最後の日に、鶴は五郎の姿を見た。
五郎は肝煎の孫に読み書きを教えていた。鶴の存在には特に気づく様子もなく、熱心に文字を教えていたが、鶴は一目見た瞬間に五郎が百姓の出ではないことを見破っていた。寺院で奉公していた男がいるとは鶴も聞いていたが、目の前の男が奉公人ではないことを、鶴は見破った。
やがて五郎も、鶴が部屋を覗いていることに気づいた。初めて見る鶴は間違いなく、村で見るどの娘とも違っていた。五郎は鶴が母親に似ているような気がした。外観ではなく、漠然とそういう感覚があった。
鶴は五郎を記憶した。五郎も鶴の姿を目に焼き付けた。
びえんびぇん、びぇんびぇーーん。
強い風の吹く日には
なんじゃもんじゃの絹衣
眠い目をこすって見れば
果ては一輪の百合の花
果ては濃紫の朝顔の花
今を盛りと咲き誇り
今を盛りと咲き乱れ
強い風の吹く日には
なんじゃもんじゃの麻衣
眠い目を開いて見れば
果ては水門に跳ねる鯉
果ては水門に跳ねる鮒
今を盛りと誉め讃え
今を盛りと褒め讃え
水の音がいつもより激しい日に、私は生まれたらしい。
川がまるで悲鳴をあげるように泣き騒いだ日に、私は生まれたらしい。
その頃の両親のことなんて知るはずもないけれど、きっと喜んではいなかっただろう。
兄弟姉妹は合わせて六人。そのうち女がすでに五人だったから、次の私は男であるべきだった。
私は男であるべきだった。
そして私も、男の方が良かった。女なんてゴミみたいなもの。どうにかして男になりたかった。
幼い頃は近所の男の子といつも遊んでいた。
お裁縫だけは仕方ないから母から習ったけれど、私の知る限り誰よりも下手だったはずだ。
みっともないと母にはいつも叱られて、だけど許されていた。どうでもいい六番目の娘だから。もう嫁の行き先もないような娘だから。
そんなどうでもいい私に鶴の名が与えられたのはおかしいと、陰口をたたく人もいた。留で十分だと馬鹿にされたこともあった。
たかが名前。自分の名に何かの意味があると思ったことはなかった。まして鶴なんて、どこにでもある名前のはずだった。
十歳かそこらになった頃に、村に琵琶を抱えた一人の行人がやって来た。
都からはるばるやって来た往覚上人であると、行人は両親の前で得意げに答えたけれど、両親はちっとも信じていなかったようだ。
もちろん私には確かめる術もない。だいたい都がどこにあるのか想像もつかない。けれど、上人は自分たちとは違う言葉を話していたから物珍しかった。
それだけじゃない。上人の話はどれも面白かった。都の話、旅先の話。すべて嘘だったかもしれないけれど、そんなことはどうでも良かった。
一ヶ月ほど経って上人が村を去る時になって、私は一つの木彫りをもらった。仏さまというんだそうだ。
これがどういうものなのか、いろいろ聞いたけれどよく判らなかった。ただ上人は、この木彫りは生きているから大切にしろと何度も何度も口にした。大事にしていれば、いつかお前を助けてくれるだろうとも言っていた。
そして上人はこうも言った。仏さまは女を男に変えることが出来る。だからみんな幸せになれるのだと。
すごいことを聞いてしまった。私も男になれるんだ。
私は仏さまを部屋に飾って拝むことにした。両親は気味が悪いから捨てろと言うけれど、そんなこと気にしない。信じなければただの木彫りにしか見えないのだと上人は言っていた。両親には仏さまが見えないのだ。
…私にも木彫りにしか見えないけれど、いつか見えるようになる。話しかけてもらえるはず。話せるようになったら、男にしてもらうんだ。
翌年になって、また別の行人がやって来た。両親は会うのも嫌がっていたけど、私はこっそり屋敷に呼んだ。能観という年寄りの行人だった。
能観さまもやはり木彫りの仏さまを持っていた。自分が拝んでいる仏さまより小さいけれど、つやつやと光っていた。美しいと思った。
他にも能観さまはいろいろなものを持っていた。その中に折り畳まれた紙があって、開くと何か文字が書かれてあった。
だけど私は文字というものを知らなかったから、それが何か判らなかった。
この紙はおきょうと呼ぶのだと、能観さまは教えてくれた。能観さまはおきょうを三枚もっていて、一つはほけきょう、一つはほうこうぎょう、最後の一つはだらにだという。これを読めば仏さまは必ず聞いてくれるのだ、ここに書かれているのは仏さまに通じる言葉なのだ、と能観さまは言った。
驚いた。仏さまには仏さまの言葉があったなんて。
私は能観さまに、とにかく文字を教えてくれるよう頼んだ。だけど能観さまはなかなかうなづいてくれない。数日頼み続けたら、とうとう能観さまは白状した。能観さまも実は文字が読めなかったのだ。
それからはとにかく両親に、文字を習いたいと毎日頼み込んだ。
頼み込んだと言っても、両親も読み書きは出来ないから、誰かを呼ぶしかない。毎日頼んで、それでもうんと言ってくれないから一つの策を立てた。
兄にはもう子どもがいて、そろそろ五歳になる。その子に文字を習わせようと考えた。いずれ家を継ぐ孫が文字を習いたいと口にすれば、両親も逃げられないだろう。
作戦は大成功だった。両親はいではの山から文字の読める人を呼んで、孫に教えることにした。孫と一緒に私も並んで教えてもらった。山から来た法師は私を見て顔をしかめていたし、私が何を聞いても無視されたけれど、そんなことどうでも良かった。
文字というものは、本当にすごい。習えば習うほどに私はのめりこんでいった。今まで知らなかったことが悔しくなるほどに、それはすばらしいものだった。
簡単な文なら書けるようになったある日、私は山の法師におきょうのことを聞いてみた。
いつもは答えてくれない法師が、その時だけは驚いて、だけどほけきょうを読むと良いと教えてくれた。ほけきょうを読んで、あとはお山にお布施をすればきっと幸せになれると言うから、じゃあ私は男になれるのかと聞いたら、そこで法師は黙ってしまった。
私はちょっと不安になった。だけど気を取り直して、ほけきょうを読むことにした。その頃には、私がとやかく言わなくとも兄がお布施をしてくれたから、法師はきれいな紙に書かれた法華経を、嫌な顔をしながら私にもくれた。
その法華経は、とてもぶ厚かった。昔見た、折り畳まれたしわくちゃの紙とは全然違っていた。なぜ違うのか、その頃の私には判らなかったけれど、とにかく毎日読むことにした。
きれいな文字。見るだけでうっとりしてしまう。だけど相変わらず、お経に何が書かれているのか判らないままだ。
法師はこう言った。お経の文字は普通の文字と同じようで違うからお前には意味が判らないだろうが、声に出していればきっと仏さまに届くのだと。
私はそれを信じて毎日法華経を読んだ。早く男になれと祈りながら。
十五になる頃には、両親に会うたびに早く嫁げと言われるようになった。
女である限り、嫁がねばならないことは判っていた。だから早く男になりたかったけれど、もうこんな歳になってしまった。
お嫁に行きたいなんて思ったこともない。たまに外に出れば、同い年の女の子はみんなお嫁に行きたいっていうし、どこの誰がかっこいいとか教えてくれるけど、私にはどうでも良かった。
私はいずれ男になるから、男を好きになる必要はない。だからって女の子を好きになれるわけでもないし、好きな男に嫁げるわけでもないけれど。
今にして思えば、ちょっと違っていたんだろう。
男に興味がなかった。それはきっと、別のものに興味があったから。
末のおまけだから、しばらくの間は両親も私のことを放っていた。
けれど十七の秋に、急に父は私を連れて隣村に行くと言いだした。姉に会うというけれど、その姉は先月顔を見せたばかりだった。私は嫌な予感がしたけれど、父親に逆らえないまま、隣村の肝煎の屋敷に出かけた。
隣村の肝煎は、うちより少しだけ羽振りがいいらしい。屋敷の大きさは似たようなものだったけれど、いろんなものが飾ってあった。なのに仏さまだけはなかった。なんだか不満だった。
屋敷で肝煎に挨拶をした。肝煎には美しくなったとかあれこれ言われた。ちょうどいい年齢の相手がいなくて残念だとも言っていた。それを聞いて私はほっとした。
肝煎の息子、つまり姉の夫にも会った。何度かうちにもやって来たから、もちろん互いに顔を知っていたし、向こうはしきりに私に話しかけてくる。けれど私はこの男を好きじゃなかった。姉の前でも私の体を触ろうとするし、いつもニヤニヤしながらこちらを見ていた。笑いながら、だけど蔑むような目で、私を見ていた。
だいたい、そういうことがあるから私は姉に嫌われていたのだ。私が何をしたわけじゃないのに、いつも会うと叱られる。父はそれを知っているんだろうか。
父はたぶん、この肝煎に誰か私の相手になる男がいないか尋ねたのだろう。父は人を家柄で判断する。なんとかのみことの孫だとか、そういうのが好きなのだ。
馬鹿みたいだと私は思う。
一度、高い高い空の上からやって来た神さまの孫だって人を紹介された時は、それがどれほど馬鹿げているかを延々語って、父と喧嘩になった。もしもそんなすごい人の孫なら、なんで都じゃなくてこんな村にいるんだと、私は怒鳴った。そして、本当に家柄がいい人だったら嫁いでもいいと口走ってしまった。
言うんじゃなかった、と思う。おかげで父が元気になってしまったから。私はひたすら心の中で仏さまのことを思っていた。今すぐ私を男にしてくださいと手を合わせた。
じーりゅーおーじょーこーげんおーぜん
づーめーらーぎょーきゃーじゅーいーめー
いーげーさんえー
しんだーざーふーそーへん じょーおーじーぽー
びーみょーじょーほーしん ぐーそーさんじゅーにー
もう村に帰ろうという日に、初めて私は出逢ってしまった。
物陰から見たゴロウという男。
ゴロウは美しかった。
この村で生まれた男とは違う。最初に感じたのは、彼は仏さまに似ているということだった。仏さまを見たことなんてなかったはずなのに、そう思った。
仏さまは男だったんだ。びっくりして、そしてドキドキした。
もうこのまま父なんか放って逃げ出そうかと思った。一目ぼれしちゃったんだ。
その日は仕方なく村に戻ったけれど、私はただゴロウのことばかり考えていた。そして数日のうちには、こっそり屋敷を抜け出してしまった。
隣村までは川沿いの道を行くかそれとも山を越えるか。川沿いの道ならほんの短い距離、けれど抜け出した私には山を越えるしかない。一時間ほどかかって、笹藪を抜けた。
着物のあちこちがほころびた。これじゃ仏さまとは釣り合わない。まるで月とすっぽんなんだ。でもそんなことどうでも良かった。
仏さまはきっと助けてくれる。私は毎日あなたを拝んでいるのだから。
だけど仏さまに逢って、どうする?
村が見えてくると、私は困ってしまった。だいたい、いつもは村のどこにいるんだろう。まさか肝煎に聞くわけにもいかない。それどころか、村人に見つかったらそれだけでまずいことになる。
私の顔なんて誰も知らないと思っていたけれど、実はけっこう有名らしかった。だいたい、たとえ私を知らなくとも、見知らぬ女が一人でいたら、それだけで騒ぐだろう。たちまちに肝煎の前に連れて行かれるはずだ。私の村がそうだから。
ゴロウの村の外れに、小さな小屋があった。とりあえず私はそこに潜り込んで、今からどうしようと考えるつもりだった。
ところが入ってみたら、人がいた。いきなり見つかってしまった。どうしようどうしようと固まってしまったら、あんたは誰だと向こうが口を開いた。
今さらしょうがないから鶴と答えたら、隣村にそんな名の娘がいたなと男は言った。
暗がりに慣れて、男の顔が見えた。
男はもちろん知らない顔だけど、一つだけすぐ判ったことがある。この村の男じゃない。私は思いきって、ゴロウの仲間かと聞いた。
暗がりの男はすごく驚いたようだったけれど、そうだと答えた。そして、ゴロウ様に会いたいのかと聞いてきた。私はうなづいたけれど、どうしてこの男はゴロウ様と呼ぶのだろうと、不思議だった。
ううん。不思議なはずはないんだ。だってゴロウは仏さまだから。仏さまはゴロウさまだ。早く会いたいと、思わず私は叫んでいた。
いではの峰が白く霞む日に、ゴロウとツルは出逢った。
いではの峰が白く霞む冬の日に、ゴロウとツルは出逢った。
ゲンデンはツルをゴロウの屋敷に連れてきた。
ツルは顔を隠していたが、ゴロウは一瞬のうちに女が何者かを知った。
ゲンデンはツルを中に入れると、そのまま去って行った。ゲンデンはツルに、自分があの場にいたことを話さぬよう頼んでいた。そして二度と姿を見せることはなかった。
ゴロウとツルは、狭い一室で二人向かい合った。
ゴロウとツルは、狭い一室で無言のまま向かい合った。
びぇんびぇん、びぇんびぇん。
ツルはゴロウに、どこから来たかと訊ねた。ゴロウは奥州からだと答えたが、ツルは奥州のどこだと聞いた。
ツルは言った。ゴロウは貴人の子孫であろうと。ゴロウは身分を隠してこの村にいるのだろうと。あなたは村の男とは違う、村の男とは育ちがまるで違うと言った。
ゴロウはしばらく押し黙っていたが、やがてぼつぼつと、本当のことを語り始めた。本当はしゃべるつもりなどなく、適当にごまかすつもりだったが、口を開いた自分はすべてをツルに話してしまっていた。ツルに嘘をつくことは出来なかった。
それはとても不思議なことだった。ツルは確かに、ほかの女とは違っていた。それはツルも生まれが違うからだろうと聞いたら、笑われた。
ツルは私はただ、仏さまに会いたいと願っていたという。あなたは仏さまに見えた。仏さまはきっとゴロウのような顔なんだと口にしたら、ゴロウは困っていた。困って、それから仏さまは子どもの頃拝んでいたと言った。
ゴロウは、仏さまは女だと思っていたと言った。ツルは男だと言った。二人はそうして、また見つめ合っていた。ゴロウとツルは、互いに待ちこがれた相手に逢えたのだと思った。
びぇんびぇん、びぇんびぇーん。
ゴロウはやがて、沓喰の村で自らの素性を明らかにした。沓喰の肝煎に、我こそが鎌倉殿に追われし五郎であると明かした。
肝煎ははじめそれを信じなかったが、若武者にもらった短剣をゴロウが取り出すと、あっと叫んだ。肝煎はこの剣を見たことがあった。
若武者は奥州に向かう途中、この地を通り肝煎のもとに泊まっていた。そのとき若武者が都のものとして肝煎に見せた剣がゴロウの短剣であった。肝煎はゴロウを認めざるを得なくなった。
ゴロウは肝煎にこう言った。自分はもう奥州に戻るつもりはない。五郎であったことを忘れ、この村でひっそりと暮らしたいと。そして隣村の肝煎の娘を嫁にすると。
肝煎は悩み、また隣村の肝煎に使者を送った。ツルの父親は娘が消えたことにひどく慌てていたので、娘がゴロウにさらわれたと腹を立てた。しかしツルが望んだと知ると、父親の態度は一変した。ゴロウは間違いなく貴人であり、その縁者になれる。さらに父親には、かつて世話をした若武者への同情もあった。沓喰の肝煎もそれは同じであった。
ツルの兄は、鎌倉殿の敵とツルが通じることを危ぶんだ。そうして、今のうちにゴロウを鎌倉殿に差し出せば恩賞があろうと父に迫った。しかし父はうなづかなかった。
とうとう二人の肝煎は、ゴロウを受け入れることにした。その代わり素性をほかに漏らさず、両村の外れに小屋を建てて住むことになった。
村の外れには、岩に彫られた小さな仏さまがあった。また若武者の伴の者が腰掛けたという石もあった。ゴロウとツルは、それらを祀る者となった。二人とも仏さまを祈っていたので、同じように拝めばいいと沓喰の肝煎は言った。
そうしてツルの父は老いた体で二人のもとを訪れると、ゴロウにこう告げた。これからはクツバミゴロウと名乗れ。豊穣と船の安全を祈れとゴロウに告げた。
びぇんびぇん、びえーんびえん。
境を隠す青すらも
願わば叶うあしたかな
大蛇は変じて龍となり
いさごの浜に実り呼ぶ
二人の住む小屋を、ゴロウはジブツドウと名づけた。それは今は生きてはいないだろう母親を思い出させる、懐かしい名であった。
ゴロウは毎朝、ツルを眺めていた。
ツルの肌は透き通るように白く、その髪は漆黒の闇だった。ゴロウは闇に誘われていった。いつか吸い込まれしまうだろうと感じていた。
ツルはゴロウの頬をさわって、その弾力を感じた。最初は自分が拝んだ仏さまと何が違うだろうと思いながら、何度もさわった。しかし指先から押し寄せる温かな感触が、すべてを忘れさせていった。
二人は迷っていた。嫁いでしまったツルはとりわけ、自分の行く末を見失っていた。それでもまだ自分は男になりたいのだろうか、と悩んだ。
だがそんな悩みは長く続かなかった。朝夕にゴロウとツルはジブツドウで祈りを重ねたが、その願いはともに変わらぬものとなった。
涼しき夏には天の慈有りという
天喜び地憐れびて
山口の雲を払いて陽光あり
熱き夏には天の徳垂るという
天喜び地憐れびて
堯雲翳り舜雨を降らす
歓喜の心満ちて地に溢る
天の威力顕れて世を佑く




